あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

薬・医者・知恵者の話から。。。

2022年11月24日 21時20分41秒 | 思った事
11月23日 日付けを越えた深夜。突然携帯が鳴った。
普通は眼が様ないのに目が覚めた。
携帯を見たら、薬・医者について書いてある投稿が目に飛び込んで来た。
 
読んだらついつい書きたくなって、思うがままにコメントした。
記録としてコピペしておく。
・・・・・・
 
親神様は時旬に応じて、知恵文字を仕込み、悪気を和らげるために、仏の教えを付けられた。
そして、薬も呪いもその時の対処のために教えられた。
その真のところは助けたいがための、その人の誠の心に。
しかして、その技を受け継ぐものが、その誠の心を受け継がず、技のみを受け継ぐところに、人間の未熟さを感じる。
技のみとなったところには、人間の傲慢がはびこる。
人間は、虫鳥畜類と八千八度の途方もない生まれ変わりをして、人間となった。
今も魂は、人間に憧れる心をもって、人間へと近づき、人間は増えているとのこと。
そして、人間になっても、はじめは知恵も使えぬ者から始まる。
人間として生まれ変わりを繰り返し、段々と特を積み、知恵が授かる。
この知恵の現れが、医学や薬の類い。
されど、この知恵の使い間違いで、人を悩ませ、苦しめたならば、積んだ徳は無くなり、否応なしにそれまでの清算をするものにと生まれ変わり、一から始まる。
人間は、この繰り返しをこの地球上でしていることを、元の理は教えられる。
どうしたら、傲慢にならず、この繰り返しから脱皮することが出来るのだろうか。
人のためにと尽くせど、認められず、苦にしてそれを止めるものもある。
反対に、こんなことならと、人を恨み悪気に走る者もある。
とても難しいことである。
心の使い方、身の振り方、学ぶことは生涯と思える。
失礼しました。
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11月15日から21日までの 記録。

2022年11月22日 06時08分48秒 | 思った事
 11月15日のこのブログで、思うがままに書いたあと、フェイスブックに投稿していた、思い浮かんだことをここに記録しておきます。
 
私のFacebookは、公開設定していますので、だれでも見ることができます。
そして、今の政権や中国共産党などに対しても不利益だと思われるような事も、記録として掲載してきました。
 
幾度となく、不具合があり、不都合な事は消し去って、勝利しようとする。
ウソで自分を確立する人々にとっては、とても不都合極まりないアカウントです。
 
イーロンマスクが、ツイッターを買収して、トランプさんのアカウントを復活させたことで、様々なこれまで隠そうとしてきたことが、あからさまになりつつあるという分析も見ました。
 
そんなところで、こちらへFacebookのつぶやきを記録しておきます。
 
・・・・・
 
11月15日です。
話題の地震はこれですか。。。
名古屋なのに全く揺れなかったですね。
これはおかしいですね。
何があるのでしょうか。。

震源地350キロ???
・・・・ 
 
11月15日
悲痛な叫びですね。
何だか、パズルをしているような気がして来ました。
先ほど、異常な地震の報道を共有しましたが、政治や権力者が民衆を騙すために、異常気象の情報を操作している事や、
インフルエンザなどが流行るなどという情報も操作されてい、民衆が踊らされて
ワクチン接種をさせられているという事に気づけと言っているように思えて来ました。。
 
・・・・・
 
11月15日
人は神やでと教えられて、魂は生まれ変わり出変わりをしている。
そしてすべての人は、親神の子であると教えられて、我々にも悪い心が存在すると認める我々には、
悪を行う人を許すことはたやすい事ですが、
自分は善、他人は悪として、復讐や勝ち負けを唱えるキリスト教などの一神教を信じる人々には、
他人を許すことは難しく、このような解き方をしなければならないのだと思えます。
そのようにしないと、いつまでたっても、復讐・争いの連鎖は止まらないのです。
今の世界で起きている事は、すべて一神教そして無神論の末路とも思えます。
この波にのまれないように、自分を反省して、親神様に願う事が大切かとも思います。
 
 ・・・・
 
11月16日 6時前 おはようございます。
アルバイトに向かう地下鉄の中からです。
昨日は久々に何も用事がなく、20日に行う前会長さんの年祭の祭文を書こうと思っていた。
ところが、前日来探していた、赤きもの、黒きものの資料が気になり、それを探した。
結局山田伊八郞文書のおさしづにあった。
そのおさしづが公刊本に無かったので、公刊本のおさしづを調べたりして、それで一日が終わってしまった。
また、世界の事情も情報が飛び込んで来るので、どうなることかと、時おりFacebookに共有した。
世界の情報を見ると、日本がとても特殊な国であることを感じるばかりである。
これからいよいよ、形は平和でもそれぞれの心は何を信じたら良いか分からない戦後の荒廃した混沌とした時となるだろう。
正しく、心の立て替えを自覚する時でもある。
おやさまに頼る時代から、おやさまに安心して貰える心、行いを自ら行わねばならない時代である。
おふでさき、おさしづを読んで、すべての歩み方を示されているが、読み取り方が違って、前に進めずにいるように感じた。
コロナの事情が、見方を変えてくれたと思う。
今日は何をまなべるだろうか。お願いいたします
今日も一日よろしくお願いいたします。
 
・・・・
 
11月17日 10時30分です。
今日は、本当に久しぶりに皮膚科に行ってきました。
歩いて行ってきたので、お堀端の様子を投稿しようとしたら、
1年前の投稿が出てきましたので、それを共有しておきます。
最近は見なくなった、
飛行機が何かを撒いている雲を撮影した日でもありました。
<object type="nested/pressable">長谷川 喜郎
公開
 
昨日、おぢばから帰って来て空を見上げたら、スジ状の雲が幾つもある。
久々に見た。
飛行機雲はすぐに消えるが、何かを撒いて出来たものはなかなか消えないと聞いた。
本当か?と思っていたら先日、飛行機とすぐに消えていくスジ状の雲を見た。
なるほどと思った。...
もっと見る
</object>
 ・・・・・
 
11月17日
なぜ時は、12に区切られてあるのか!!!
世界中の様々な信仰や霊能者また天文学の人たちは、誰にしても、時を12で区切っている。
しかし、その理由を説いている物には出会っていない。
ところがその理由を述べている教えがある。
それは、親神様の教えである。
くにとこたちのみこと、は頭一つで尾が一つの大竜。
おもたりのみことは、頭12で尾が3つの大蛇。
このおもたりのみことの頭が12あり、一時毎に頭が代わるから、12に分けられていると言われる。
これは、世界を作った元の神だからこそ言える話である。
このような元の理を伝えたいのが、親神様の思いである。
すべては、あらゆる神も、そこから派生してある。
 
・・・・
 
11月18日 5時30分です。
昨日は、皮膚科へ行ってから、ゴロゴロしながら「赤き、白き、黒き」のおさしづを調べていた。
調べると次々と思う事が出て来て、そちらを調べて、まとまらなくなる。
その一つが、赤き白きのおさしづの隣に、熱田分教会の2代会長の就任のおさしづがあった事である。
これによって、うちの教会に関するおさしづを点検する事になったのである。
皮膚の身上はすべて右側、、いんねん性分の現れと悟り、短気を出さずに、ぼちぼちと行こうと思っている。
今朝、ブラジルのデモの情報を見て、思い浮かんだので調べたらついつい書きたくなって、思うがままに書いた。
何かの参考になれば幸いです。
 
 ・・・・
 
11月19日 10時です。
久々に、県体育館の建築現場を見に来ました。
とてもよい天気です。
今日も一日よろしくお願いいたします。
そうそう。今日、イベルメクチン注文しました。
 
・・・・
 
11月19日 10時30分
名城公園
結構な人が出ている。
その中で、女性をモデルに写真を撮る姿を数件見かけた。
花と女性。木々と女性。
この組み合わせ。
何かあるのかと思った。
 
・・・
 
11月20日 9時です。
おはようございます。
今日は、先代会長 近藤健二先生の20年祭をつとめます。
祭文を書くために、履歴を振り替えると、初代からの事柄とおさしづを読み返すこととなりました。
130年の歴史の中、はじめの50年を7人の会長がつとめ、次の50年を先の近藤先生がつとめ、その後30年を私がつとめていますが、
私が経験したこと、先の会長さんから聞いたことなどを思い返して、熱田分教会のいんねんの姿を感じることが出来ました。
今年のはじめに見た夢から定めた年祭です。
心して勤めたいとと思います。
思わずも、長女の休みが重なり、昨晩急におぢばから帰って来ました。
私たち夫婦と長男長女と4人で勤めることも、何か不思議な気がします。
今日も一日よろしくお願いいたします。
追記。。
無事に勤め終えました。
部内の奥さんが一人来てくださいました。
歴代会長の就任や事情の年表とおさしづの表を作り、祖霊様へ供えて、それを見ながら熱田分教会の歴史を説明しました。
立教時の「承知とあらば世界一列たすけさそ。不承知とあらばこの家粉もないようにする」とのお言葉通り、親神様の思いに沿えるかどうか、そこが家々がつながる重要なポイントだと思わずにはおれません。

・・・・

11月21日 6時30分
アルバイトに向かう地下鉄の中から。。
おはようございます。
昨日は雨との予報だったそうですが、終日曇りで過ごしやすかったです。
今日は雨、しかし、地下鉄まで歩く道中は、小雨で助かりました。
昨日は前会長さんの20年祭をはじめて教会でつとめ、様々な学びを頂きました。
年祭を終えて、御供をしてくださった方々へ、お下がりと、作ったおはぎを届けました。
夕つとめを終えてから、長女の声で焼き肉やさんへ行きました。
久々の食べ放題。妻の分は誕生日と言うことで長女が出してくれました。
とても楽しかったです。
年祭を終えてから、
部内の奥さんの話から、孫の子育ての話となりました。
妻から、
結婚してすぐに教会に入り、右も左も分からない中、生まれたての子供を連れて大教会へ通った事。ひのきしんデーに生まれたての子供を連れていき、見ず知らずの方に起こられたことなどの話が出ました。
そして、それは誰も幼い子供を見てくれる人のない中でも、夫婦でそのように通って今、この長男長女があります。
心配しないで大丈夫です。と。。
こんな話が出来るようにしてくださったと嬉しく聞いていました。
そして、なるよう行くよう、心定めて30年歩んだ道は無駄ではない。
そんな風にも思いました。
今日も一日よろしくお願いいたします。
 
・・・・・
 
11月21日 13時30分
朝降っていた雨も上がり、雲一つない青空が広がっている。
その中、飛び交う飛行機のほとんどが、飛行機雲を出している。
これまでのように、長いものではないが、とても気になる。
追記です。
15時30分頃、次々と飛行機雲が現れました。
 
・・・
以上。
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歴史の変革時には、百姓一揆があったよね。。。思う事。。

2022年11月18日 05時33分03秒 | 思った事

ブラジルで大統領に対するデモが行われているようだ。。

写真で見る限りすごい人である。

(1) かんろさんはTwitterを使っています: 「ブラジルの大統領選挙の不正に対するデモ、半端ない!」 / Twitter

ブラジルにいる友人も、こんな国は嫌だと、常々つぶやいていた。

日本を振り返ると、

江戸の末期、明治になる時には、

全国で百姓一揆が起こり、民衆が暴れたのである。

そうした中に、大政奉還が行われて、明治時代となる。

 

大政奉還が起こるについて、様々な史実があるが、この百姓一揆、打ちこわしという民衆の騒動を忘れてはならないと思う。

 

日本は昔から法治国家だという話しもあるが、それは君主となる人が民衆を守り、民衆のための政治をしたからである。

民衆は、日々働く。

働く中に、広くものを見たり、考えたりする時間はない。

このコロナの2年間、様々な情報に触れて、世界の事について考えた。

これまで、天理教の教義・おたすけにしかほぼ興味がなかった自分が、政治・世界の動向・スピリチュアル宗教・医療などなど、ユーチューブやSNSの発信から考えた。

その都度、天理教の教義をひも解きながら。。。

世界の動きを推察しながら。。。

 

中国などのウソ追従から始まって、世界中のウソ追従が見えて来た。

そして日本の中のウソ追従も。

そして、そうしたウソ追従に対して、立ち向かう人々がある事も知った。

 

知恵者や学者は、様々な意見を言う。

その意見の違いの原因もわかった。

どんなに素晴らしいと言われた人々でも、その当時の栄光だけ、知識だけで先を見ていると。。

知識や見識は次々と変化している。

それに追いつかない人々、そしてその追い付かない人々の意見を鵜呑みにしている人々。

この差が出てきているともいえる。

 

常に天理教の教義に照らすという事は、親神様の思いを考えるという事である。

この作業によって、天理教の教義自体も、同じ事だと思えるようになった。

当時の解釈そのままで、様々な資料を読み解かないと、世間の学者と同じだとも思えた。

 

2代真柱様が、現時点ではと、解釈などを書かれているが、そこで止まっている人々が多いのではないかと思えたのである。

世界は鏡と言われるが、まさしく道を世界はリンクしている。

 

貸しもの借りものの話は、心と体の関係である。

魂は生まれ変わりする。

同じ親に生まれながらも、子供はそれぞれ違った行動、心を使う。

その心が違う原因が親には理解できず、親は悩み、そして成人をする。

 

魂に刻まれたいんねんが、そのようにさせる。

これがなかなか理解、得心行かないで、悩んでいる。

こうした目に見えない事を、スピリチュアル系はそれぞれの言い方で、自分にいんねんのある人々に説いている。

 

先日、トランプ大統領が、全世界に向けて発信をした。

2年前には、出来なかったことが、今回は堂々と行った。

表向きの事と裏の事が良く分かるように、解説する人々が増えて来た。

そして、世界で様々な事変化が現れ始めた。

 

人間には表と裏の顔がある。

社会で使う顔と家庭で使う顔は違うのと同じである。

 

この使い分けが重要だと、今回の演説と世界の動きを見ながら思えている。

 

お道の話では、「二つ一つが天の理」と言われる。

裏があって表がある。裏が表になれば、表が裏となる。

これで一つなのである。

 

「かとうやわらこう、やわらこうかとう(固とう柔らこう、柔らこう固とう)」ともいう言葉もある。

成人の道のりは、まだまだこれからである。

 

「事情無ければ治まらん」との言葉もある。

心を成人させるために、これからまだまだ事情は起きる。

ネット上で次々と、不思議な御守護の話を聞く。

親神様・教祖は忙しく働かれている。

 

教えを求めて、自分の徳分にあった事を、精一杯につとめたい。

 

思うがままに。。

親神様・教祖ありがとうございます。

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人間の成人。。。神の成人。。。仕込む。。魂心を澄ますために。。

2022年11月15日 06時22分32秒 | 思った事

「この先は寄せた道具を見分けして 仕込む模様を急ぐばかりや」

とおふでさきにある。

親神様は、子数の年限を待ちわびて、月日の社の教祖に入り込まれた。

そして、魂のいんねんある人々を、庄屋敷へ引き寄せて、仕込みをされた。

それまでは、人間を育てる上に、医者薬、拝み祈祷や易判断などなどを教えて、難儀苦しむのを助けて来た。

これは「修理や肥に医者薬を」と言われるところである。

また、世界にほこりが立つ時には、とその難病を和らげる上に、薬草を教えて風呂に入るようにと教えられたことも正文遺韻に記されていることから、その場しのぎのものとして教えられて来たと言える。

親神様がこの世の表に現れてから、今日までまだ、医者も薬も要らない陽気づくめの世の中にはなっていない。

反対に「おさづけでたすからから、医者はいらない」と言った人々に、「医者の手余り神が助ける」と、「まずは医者に掛かって、それでも治らないという場合に、治ったならばそれが神の不思議だ」と、政府からの弾圧があった時に示された。

この事で、医者薬とおさづけなどによる助けの併用が一般的に言われるようになった。

これを今思案すると、本来は何といっても、「心の切り替えが重要なのだが、その心の切り替えを考えずに、身上を助かる事だけに思いが行き、傲慢になっている人々への警鐘」と思える。

現在では、その切り替えるべき心自体がままならないのである。

そして現在は、そのままならない事を承知で、薬の世話になり、薬の助けを借りて辛さをしのいで、心を変える道があると私は思っている。

 また「いんねんならば通らにゃならん」と言われるごとく、前生の通り返しで見せられる身上や事情があり、それは「ただただ詫びて、親神様の導きに感謝して、その返しが済む」ことを願う「たんのう」しかないのである。

 

親神様は、身上や事情を大難は小難にと親心でして下さっている。

また、それが現れる事を、先延ばしにして下さっている。

しかし、心澄ます上にも、前生の借りは必ず返さねばならない。

人間はみな平等なので、悲しませたらそのかやしは、必ず悲しませた者にしなければ平等にはならないのである。これが天の帳面の話の根本であると思う。

そして、こと道具衆として見定めた人々には、その身上事情が次々と現れてくる。

一般の人々ならば、前生へと持ち越すはずの物さえも、早く良い道具としたいがために。。。

この事を理解した時、なるほどと思った。

 

先日「赤きもの・白きもの・黒きもの」について、ある方のコメントに思うところを少しだけ書いた。

赤き者は、教祖の如く、心澄み切り親神様のお心が映り、先の見える人。

黒き者は、自分の思いばかりでほこりを積み重ねて、先が全く見えない人。

白き者はその間にあり、心を澄ます努力をすれば、赤き者にもなれ、我が身思案に陥れば黒き者にもなるものである。

この「赤き者・白き者・黒きもの」はおさしづに出てくる。

生まれ出たら、すべての人は前生の記憶はなく、白紙なのである。

それが周囲の環境、自分の持ちこした性分から、様々な事を思い、赤へも黒へも行くのである。

 

この赤き者になり、先がわかる事で、他の人々を陽気ぐらしへと導いて行く事が出来るのである。

その様にしたいと思ったのが、お屋敷に寄せられた道具衆、人足やしろと言われた人々だと思うのだが、そうした人々も、親神様の思い通りにはならなかった。

その代表が、秀司様であろう。

そしてこれらの道具衆は、元はじまりの時の道具衆の神様の魂である。

つまり、親神様が神様を仕込んでいるともいえるだろう。

神様の魂ならば教祖や本席様のように、親神様のお言葉が聞こえても良いだろうに。。と思った時に、

神様の魂を、人間世界に生まれさせて、教祖とは違い、神の言葉が聞こえない普通の人間にして見たらどうなるのかという試しをしたとも思えるのである。

また、教祖の同様に、親神様のお言葉が聞こえた「こかん」様は、親神様の思召し通りにされずに、出直されている。

そうした中に、先日かんろについて書いたように、甘露台を建ててカンロを授けて不思議を現し、人々の心を変えるという計画から、人間の心を澄ますことを先にするというように計画を変えられたのは、そうした試しからであろうとも思うのである。

 

では、立教以来、人間の心は澄んで来た、成人して来たのだろうか?と考える。

今、世界中が混乱する時である。
この混乱という事、世界が変わるという事から、立教以来の日本の歴史を考える時、私は親神様のお導きによって、段々と澄んできている。
澄んだ考えが出来る人間が増えてきているように感じられる。
 
それは、
天保9年に立教し、不思議な助けが現れ始めて明治の開国となる。
明治の開国により、日本の常識が変わった。
ここに江戸時代にはなかった観念が日本にもたらされた。
 
科学、医学など多くの人々が学ぶようになり、平等の意識が高まって来た。
そして、物を中心とした幸せをそれぞれが求めるようになった。
 
そして大和の国などの小さな国から、日本というひと回り大きな国となった。
明治になり、日本中に親神様の不思議が現れて、日本にほぼ天理教の名が広まった。
すると日本は中国、満州、韓国、台湾などなど広い地域へと広がり、親神様の神名も日本以上に広まった。
天理教は政府から弾圧を受けて、教えそのままを伝える事はできなかったが、不思議な助けは世界へと広がり、神名が広まったのである。
 
すると、昭和の時代になり、日本が戦争に負けて日本の常識がまた変わった。
これまで弾圧されていた宗教が、守られるようになったのである。
 
経済的に裕福になり、親神様が肥のさづけを渡して、百姓をたすけて豊作を約束したいと言われていた事が、化学肥料や農機具の開発によって、豊作の日本ともなって行った。
 
すると、今度は素晴らしい日本という意識が海外へと広まり、それと共に、これまで以上に、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカなどなど、天理教の名が次々と広まる事になる。
 
そして今回の大節。。
物が豊かになっても、人々の心は違ってきた。
神様の教えを求めて、人のためにと尽くす人々、心を自ら澄まそうとする人々と、宗教などを利用して我さえ良くばと、人の命をも何とも思わぬ人々との差が世界中で出て来たのである。
 
こうした節を通して、人間の考え方を見ると、神名が広がると共に、自分中心の考え方から、人を思いやる考え方は、多くの人々へと徐々に変わって来たのである。その最たるものが、地球の環境を守ろう。人の命を大切に、戦争を無くそうという動きである。
そしてまた、「働くという事は、ハタハタを楽にさせるから働くという」との教祖のお言葉が、一般で使われるようになってきているのである。
 
ところが、このような善の動きを利用して悪事を働く者達がおり、それによって、いつまでたっても戦争が終わらない。
地球規模で終らない。
ウソや洗脳で人びとを操り、しまいには、原子爆弾などで地球自体を破壊するまでになってきているのである。
 
日本で言えば、江戸時代、徳川幕府を倒す人々が日本にはおらず、海外の力があって徳川が倒れたのと同じである。
 
そうなって来た時、次は宇宙かとも思えるのである。
 
「あらあら広まったら人間の成人分かるやろう」とのお言葉から思案して、こんな考えが出て来たのである。
 
 
人間というものは、比べるものがなければ、自覚が出来ない。困ったことに合わねば、考えない。
陽気ぐらし、陽気づくめを実現するための、心作りの切りなし普請が進められている。
 
 
教祖が現身を隠される前、真柱様と後2人に対して、3人に任せおくとして、法に沿う応法の道を許されたのである。
 
これを天理教の事だけではなく、教祖のひながたが万人に対するひながたであり、試しであることを思うと、現在の世界が法律に基づいて動き、その法律を我がの都合の良いように変えようとする動きとが重なるのである。
 
いくら法律だからと、守ろうとする心があっても、良い法律が出来ていなければ何にもならないのである。
 
さらには、地球上には様々な文化、民族、宗教習慣があり、それぞれによって考え方が異なるのである。それを結びつけるための法律についても、知恵をつける時かもしれない。
 
すべての事は、一つひとつ、人間の魂を澄ますために。。。
そして新たな知恵を授けるために。。。
親神様がお導き下さっていると思える。
 
 
思うがままに。。。
 
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無事に本部の神殿奉仕を終えました。。。甘露から思う事。。。

2022年11月09日 10時16分12秒 | 思った事
11月9日です。
神殿奉仕を終えて、仮眠をしたところです。
今回の神殿奉仕では、待機時間に「正文遺韻」の理の話を読み易く書き換えて見ようと、数頁やってみた。
それをして、しばらくして、以下の文章が思い浮かんだ。
 
カンロ (甘露)。 
 
天は大竜、くにとこたちのみこと。頭一つで口より水を吹く。
地は大蛇、おもたりのみこと。頭12で口より火を吹く。
天は水を湛えているから、青く、夜の守護によって露を授ける。
昼は地と日様のおもたりのみことのお働きで暖かく、作物に降り注いだ露は凝縮されて作物の味わい、甘味となってカンロとなる。
ゆえに、昔から旨いものを「カンロ、カンロ」という。
このカンロを、直接甘露台の上に降らして、寿命薬として授けたい。のが親神様の思い。
いちれつの心が澄み渡り、真の甘露台が建てられた事なら。。。
 
今は甘露台が出来てからとなっているが、はじめは甘露台をすぐさま立てて、教祖から心次第に甘露を渡したいと思われていた。
 
このカンロは、甘露台に降らせて、寿命薬として与えようとされたが、この寿命薬は、親神様のお心に叶わねば、身体が固くなってしまうものと言われた。
親神様のお心にそう人々が多ければ良いが、少なかった場合は、寿命薬どころか怖いものとなってしまう。
 
みかぐらうたの地歌を「いちれつすます かんろだい」から「いちれつすまして かんろだい」に変更させたのは、明治15年の2段までできた、かんろだいの石の没収を契機とされるが、カンロの事を考えると、この時までに、人間の心を見定めて、陽気ぐらしへの計画を変更して、人間にその思いをしっかりと印象付けるために、この事柄を起こされたように思える。
 
天理教では、人々に親神様から、おさづけをはじめ様々な不思議な働きを見せる手だてを渡されている。
これの効能が現れる元は、親神様のお心に叶うことが条件と言われる。
 
この親神様のお心に叶う心になることが、何よりも重要である。
こうした事も、おやさまのひながたに関わる史実に多く見られる。
心したいところである。
 
・・・・
これから用事をすませて名古屋へ戻ります。
昨夜は皆既月食でした。
 
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たんのうについて。。。現在が未来を変える。。

2022年11月05日 04時20分03秒 | 思った事
誰にも先は分からない。
 
ところが、親神様は「前生見たけりゃ今生見よ」と、前生と今生が繋がっている事を教えられた。
また、いんねんについて、「昨日やり残したことがあれば、今日はそれを気にすることから始めるだろう。」というような言葉でも教えられている。
これは、過去から現在の話である。
ここで考えが止まって、私は「いんねんが悪いから」と卑下して、人をうらやむ事ばかりいう人がいる。
これは、現れてきた事柄だけを見ているから、辛い事をも人の性にして、そこから抜け出せないだけである。
昨日やり残した仕事を片付ければ、その後は別の楽しみが訪れるのである。
ところが、やり残した仕事をさせられていると思っていれば、なかなか終わらずに、新しいことには挑戦できないのである。
今与えられた役割をしっかりと行うこと、それが先を良くすることである。
たとえ、その仕事で命を落としたとしても、やり切ったならば、来生は違ったスタートを切ることになる。
これがたんのうの一つの考え方。
今、与えられた事を喜んでまでは出来なくとも、人のためにとする中に、その仕事は終わっていく。
これを、苦労は先の楽しみとの言葉や、楽の中に楽しみはないなどの言葉で示されている。
この話はおやさまのひな型にも通じる。
これを心に、先を楽しみに、心低く、何事もさせて頂くという心の積み重ねが、運命を切り替えるたんのうの、これまた一つの考え方でもあろう。
いんねんについてから、たんのうにと、話が移って来たようである。
思うがままに。。。
 
(11月4日 Facebookに投稿したものをここに記録しておきます。)
 
 
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11月になりました。。追記_天理教の話とは。。

2022年11月03日 21時44分18秒 | 思った事

11月になりました。

今日は、11月3日です。

昨日は、布教所の方たちとおぢばがえりしました。

久々に教会にいますので、掲示してある諭達を張り替えたり、トイレの壊れかけたスイッチを取り替えたりと、雑用をしました。

そして、三年千日とコロナになって三年が経ったことが重なり、思う事を書きたくなりました。

 

2019年の年末から、新型コロナの話題が出て、ちょうど3年が経ったことになります。

そして、このブログも2020年の2月から再開して、コロナ禍の事から思う事を書いてきました。

当初は自然災害と思ってきましたが、トランプ大統領の発言や、WHOの対応、そしてワクチンの開発、治療薬に関する情報の隠蔽などなど不審な点が次々と現れて、自然災害ではないと思うに至りました。

さらには、アメリカ大統領選挙の投票が急に跳ね上がったバイデンジャンプから、不正投票が組織的に行われていると思うようになりました。

また、そうした情報が一切日本のマスメディアには発信されないことから、日本の情報が管理されている事を知りました。

また、こうした目に見える情報のほかに、スピリチュアル関係の動画を見比べることから、世界が変わる転換期である事も、霊的な発信により事前に多くの人々に知らされている事も知りました。

 

そうした様々な現象を見ながら、「おふでさき」や「おさしづ」を読み返し、親神様は一体どのようにしたいのだろうかと思案してきました。

その中に思いいたったのは、天の理として、親神様の残念の現れる旬が必ずあるという事でした。

その旬が現れる事について、親神様はとても心配して、それを避ける方法を事前に人々に知らせて、それを悟れる人々とそうでない人々、言い換えれば善と悪の人々を見分ける時旬だという事でした。

この善と悪というのは、単純に人間の思いからの善悪ではなく、親神様の思いからの善悪であるという事です。

そして、何とか親神様のざんねんを晴らす方法はないかと思案した時、「元の理」を多くの人々に知ってもらう事だと思いました。

そこで、「元の理」を自分なりに解釈したり、小説にして見たりしました。

また「復元」を研究するグループを作り、「復元」や「ひとことはなし」などを共有して、教理を勉強してきました。

 

こうした中に、世界の人々の考えが様々であり、その考えによって物事の解釈が全く異なる事などを知る事にもなりました。

この事は、天理教として教えを知る人々についても同じで、ただ単に身上や事情の御守護を求める人、教えを求める人によって考え方が違う事も感じました。

 

そして、先日、真柱様が教祖140年祭に向けての「諭達」を出されましたが、その少し前から世界の様子が変わる感じを受け、もう教理の事を発信するのも、世界の事情を発信するのも良いかなぁと思う中、色々な用事が増えて来て、教会で教理の事を発信する時間が取れなくなり、日々の様子を発信するだけとなって来ました。

 

その中今日、教会の用事を済ませたところ、逸話編170についての投稿を見かけて、久々に調べました。

170
『天が台』
 梅谷四郎兵衞が、教祖にお聞かせ頂いた話に、
「何の社、何の仏にても、その名を唱え、後にて天理王命と唱え。」
と。又、
「人詣るにより、威光増すのである。人詣るにより、守りしている人は、立ち行くのである。産土神は、人間を一に生み下ろし給いし場所である。産土の神に詣るは、恩に報ずるのである。」
「社にても寺にても、詣る所、手に譬えば、指一本ずつの如きものなり。本の地は、両手両指の揃いたる如きものなり。」
「この世の台は、天が台。天のしんは、月日なり。人の身上のしんは目。身の内のしん、我が心の清水、清眼という。」
と。

この逸話を見て、意味が分かりずらいので、これについて、詳しく書かれたものは無いかと、「正文遺韻」と「先人の遺した教話1 静かなる炎の人 梅谷四郎兵衛」を探しましたが、見当たりませんでした。

ところが、これを探す間に、

「先人の遺した教話1 静かなる炎の人 梅谷四郎兵衛」47頁に

次のものを見つけました。

『神の話、人間の話』
神の話と人間のする話とには区域がある、なれど神の話と人間の話とごっちゃにするから訳がわからん。
※ごっちゃ=混ぜてしまう事。

という話しでありました。

これを見つけて、なるほどと思いました。

親神様の話は、人間が作られた時から現在、そして未来についての話でありますが、人間の話は今世一代の話しなのです。

いんねんの話などは、前生・前々生と生まれ変わり出変わりを信じていなければ分からない話です。

かしもの・かりものも、目に見えない神様と人間との貸し借りの話で、目に見えるものしか信じない人間では理解できない事なのです。

そして、人間の心が変わって成人する話も、神様の目から見た話で、歴史を跨いで感じる話でありますので、今現在しか見ていない人間では理解できない事なのです。

そして、親神様が教祖として残されたひながたは、親神様の思いを人間に伝えるための苦労の話ともいえます。

そして今起きている様々な事情も、神様という存在・霊なり宇宙人なりと目に見えない存在と人間との関係で考える事と、世界で起きている戦争や経済の話しとは、直接的には結びつかないのです。

だから、分りずらいのだとこの言葉を見て思ったのでした。

 

いんねんならば通らねばなりません。

これは、親神様を知り、いんねんという教えを知った人が言える事で、そうした人は冷静に物事を見て、人々の心の動きも見てそれなりの対処ができるのだろうと思えました。

そうでない人には、どの様にしたら良いか。

これが、これからの課題だと思った次第です。

 

その他にも、この本から様々な事を思いましたが、少しだけ書きました。

今日も一日ありがとうございました。

 

追記です。(3月4日、アルバイトに行く地下鉄の中にて)
昨日書いて、今、思い浮かんだので、メモとして書いています。(手直しして、ここに記しておきます。)
梅谷先生は、心学道話研究所「天輪王社」を作って、人々に神様の話を説かれていたと、53頁に書いてありました。
 
それを思うと、人間の学問と神の話を融合または、人間の学問から神の話を理解しようとしていたと考えることも出きると思えたとき、
「神の話と人間の話をごっゃにするから分からなくなる」とは、この事かと思えました。
 
今も「学問では、このように言うので」と、神様の話を正当化するような話も見受けられますが、これも同じことのように感じます。
 
学問は人々が認めなければ成立しません。人々に知恵がつき、おかしいと思うようになったら、その学問は廃れます。
現在は、地球は止まって天が動いていたという天動説が、多くの人に認められないように。
そして、魔女狩りとして、聖職者とした権力者が唱える説を盲信して、さまざまな殺戮を行ってきた歴史なども、これと似たようなものです。
 
元の神、実の神である親神様のお話しは、学問の以前の、元になる話であり、今なお陽気ぐらしが出来る人間へと導く道中の話しという認識がとても重要かと思います。

そうした時、現在世界で起きている混とんとした状況も、私たち人間が成人するための一つの節であり、この事と親神様のお話を見比べて、それぞれの心の成人を計り、新たな知恵を身につける事が重要ではないかと思えます。

コメント
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