あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

不思議な御守護の話が増えて来たように思うこの頃。。。

2022年03月31日 21時45分24秒 | 思った事

昨日、母親の希望で、おぢばがえりをした。

母親がおぢばで知り合いに会うというので、その運転手で出かけた。

普段、おぢばへの片道を運転するだけで、疲れてしまうのだが、昨日は全く疲れずに朝早くから夜遅くまで運転で来た。

その疲れが今朝出て来たようで、朝から体が重く、何もやる気が起きないでいた。

 

数日前から、別席場の近くにある枝垂桜のライトアップが、ネット上で賑わっている。

昨日はその枝垂桜を見には行かなかったが、周辺道路は満開の桜でとてもきれいだった。

特に、石上神宮へ向かう上り坂は、桜のトンネルとなっている。

写真を撮りたいと思ったが、運転しているのでそれは無理。

その代わりに、名城公園の桜を撮影しようと表へ出た。

とてもきれいだった。

中でも、桜の中にある緑の築山これがとても気に入った。

もう一つ、ネットと言えば、最近不思議な御守護を頂いたという話しが増えて来ているように感じている。

親神様のお働き、おたすけの旬に入ったかなぁと思わずにはいられない。

 

さて、昨日の運転が、いつもと違う事と、今日の疲れ方を思った時に、

おびや許しで、お産の日を願い通りに延ばしなりとも早めなりともとして下さる自由自在の働きと、

教祖が、黒ほうそうの子供の命乞いのために、我が子の命と自分の命を身代わりにと願い出て、我が子が出直される話を思い出した。

親神様が真実をお受け取り下されば、どんな不思議も見せて頂ける。

しかし、そこには真実の願いと共に、その代償をチャンと親神様は受け取られる事も忘れてはならないと思ったのである。

「余ればかやす。足らねばもらう。」この相殺を忘れてはならない。

 

そしてその約束を忘れて、

せっかく頂いた御守護を不足に代えてはならないとも思う。

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ご本部の月次祭にて。。人間の心理。。

2022年03月29日 10時43分06秒 | 思った事

3月26日、ご本部の月次祭は雨の中だった。
中庭には沢山のパイプ椅子が並べられていたが、ほとんど座る人は無かった。

いつもは、祭典講話が終わると、北礼拝場前の賽銭箱へお供えをして、パイプ椅子でおつとめをして、教祖殿・祖霊殿の前で参拝をして境内地を後にする。

今回は雨で、パイプ椅子の置いていない場所で立って参拝をした。
そして、パイプ椅子でおつとめが出来ないので、礼拝場へ上がる事にした。

今回は、子供たち5人と共に参拝できたのだが、子供たちは礼拝場へは上がろうとせず、その場で立っておつとめをして車へ戻った。

夫婦二人で北礼拝場へ上がっておつとめをした。

久々に上がってみたところ、参拝者はソーシャルディスタンス関係なく、それぞれにおつとめをしている。

結構な事だと思った。

教祖殿に上がっても、同じ事、肩寄せあいながら、それぞれに教祖に御礼を申し上げている。

私はずっと「良い人が助かりますように」とお願いし続けてきている。

「コロナの終息や世界平和を願わないのか!」という方もあるだろう。

コロナも戦争も治まる事に越した事は無い。しかし、それは一時の形の治まりにすぎず、この事情を通して心を切り替えて、陽気ぐらしの出来る心に代わる事。
そうした事情や身上にあっても、大難にならずに、物事について学び悟りがつく事の方が何よりも重要だと思っているからである。

すべては、いんねんによってなってくるのであるから、それが分かり、自分の助かりだけではなく、周囲の人々の助かりを願い、そのための行動が出来る人が増える事が、何よりも大切だと思うのである。

さて、

世界情勢をずっと追い続けて来て、どれだけ情報に惑わされて来たか良く分かった。

さらに、もう気がついているだろうと思っていた人々が、情報に操られていく姿も感じた。

そこにあるのは、人間の深層心理にあるスイッチが、冷静な判断を出来なくしている原因であろうと思うようになった。

つまり、

今ロシアとウクライナの関係で大騒ぎになって、ロシアを悪として、日本の保守系の人々がそれに賛同している。

それまで、保守系の人々は、大手マスメディアのウソを仕切りに発進していたのに、大手マスメディアの報道を鵜呑みにしている。

そこには、日本国を守ろうという意識が働き過ぎて、これまでに領土をロシアに取られた、ロシアは悪という意識が自然と働いているように思えるのである。

それによって、意識が偏り、その奥にあるものが感じられなくなっていると思える。

これは私の経験であるが、

ある方の息子さんをお世話した時の事である。

そのご夫婦がとても気になった。

その息子さんの事よりも、夫婦の事が大切だと話をしたが一向に耳に届かなかった。

その方の兄弟の年祭の時にお会いして、その奥さんに「息子さんは元気でしょうか?」

と話しかけたら、突然、顔色が急変して、言動が変わった。

そして、ご主人が間に入って下さった。

息子さんに対する愛情がすごくある事は良く分かっていたが、それが異常すぎて、息子さんの名前を聞いただけで周囲が見えなくなるのだと初めて理解が出来た。

この方の言動は以前にも、普通と違うと感じていたが、そんなに会う人でもなく深く考える事もなかった。

その奥さんの様子と、今の人々の心理が重なって感じたのである。

このような事は、自分にもある。それは以前自分自身でも自覚して、そうならないように気を付けている。

自分の場合は、人に助かってもらいたいという思いが強すぎて、心配になると常にその人の事が頭から離れずに、常時その様子を見たくなるのである。

そうなると、他の事が手につかなくなる。

これでは自分自身の生活もままならなくなり、私自身の精神もままならなくなるのである。
そして、自分が良かれと思っても、反対になる事もある事を知った。

この事に気がついてから、自分ですべてを世話できるわけではないので、それぞれにはそれぞれのいんねんがあり、会わせて頂いた時に助かって頂けるお世話をさせて頂ければ結構。

と割り切り、朝夕にそうした方々が「良いように導いて頂けるように」とお願いだけする事にしたのである。

それからだと思うが、広く大きく人々や物事を見ることが出来るようになったと思っている。

そしてより一層、すべてはそれぞれのいんねんにより、親神様がそれぞれの成人の上に、事情身上をお見せ下さっていると感じるようになり、「私は周囲の人の成人を手助けする、一時的な一つの道具に過ぎない」とも思うようになった。

 

話を26日の事に戻す。

今回、ワゴン車の一番後ろの座席に、夫婦で初めて座った。

運転席助手席とその後ろの座席には、子供たち5人が乗っている。

後ろから見ながら、夫婦で子供たちの様子を見ながら、

「こんな日が来るとはね。あんなこともあったね。こんなこともあったね。」

と話し、

「今日まで30年余り、本当にありがたかったね。」

と話をした。

子供たちが大きくなり、それぞれに考え始めて、その考えで行動する姿を見るようになって感じる事である。

まだまだ、自分たち夫婦も成人途中である。

しかし、自分たち夫婦で四苦八苦しながら道中の経験があるから、子供たちの様子も冷静に見て、微笑ましく見れるのだと思った。

 

これから先が楽しみである。

私の望みは、長兄を中心に兄弟たちがまとまり、そこから周囲へとまとまる輪が広がって欲しいというものである。

形はどうなるか分からないが、

ブドウの房のように、丸い心でつながって欲しい。

 

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会計事務を始めました。。。人が何事言おうとも、自ら心定めて。。

2022年03月25日 23時48分00秒 | 思った事

今日から、一年間の会計をするために、領収書の整理から始めました。

この整理がめんどくさくて、なかなかやる気にならないのですが、もうタイムリミットです。

どんなに小さくて、信者さんがいなくても、一応法人教会なので、県庁へ財産目録などの書類を提出しなければならないのです。

会計書類は、活動をしている証拠となるものなので、教会に保存する義務もあります。

宗教法人格を不正に買い取って、脱税に使う人々もあるので、扱いが厳しくなってきています。

これはとても良い事だと私は思います。

だからこそ、どんな小さな教会でも、会長家族だけでも、チャンと会計書類を作って提出する事が大切だと思っています。

今は、宗教の自由が認められて、宗教法人となっていれば、土地や建物などに対して、無税となっていますし、土地建物の相続という事について、会長がチャンと代われば、問題なく存続できます。その昔は、そうした法律がなかったために、相続に対して大変困ったようであります。

この法人格というもの、これがあるから教会がある。と思いがちです。

ちょっと表現が難しいのですが、

教会を継ぐ人がいなくて、会計の事務をする人もなく、県への提出書類も作れない状態になった時、天理教ではその法人格を上級へ吸収合併して、解散をする事になっています。

これをすれば、教会が無くなると、昔私も思っていました。

ところが、そうではないのです。

これは法律上の事で、親神様から許された教会名称という理は、別なのであります。

というか、親神様から許された教会名称があるから、法人格を取得しただけなのです。

それも、この法人格とは日本の法律に則ったもので、他の国では通用しないのです。

つまり、親神様のお許しが第一という事です。

その上で、その国々の法律に則った事を進めるという事です。

 

これは、人間のあり方にも言えます。

人間は法律に生かされているのではありません。

天然自然の中に生かされているのです。

天然自然とは、親神様そのものです。

法律は、先ほど申したように、国によって異なります。

つまりは、人間の考え方でいくらでも変わるのです。

しかし、天然自然は変わりません。

最近、天気も地震も人間の科学力で何とでもなると聞きました。

天気を操るために、飛行機で薬剤を散布しているとの事。

飛行機を飛ばすだけでも、とてもお金が必要なのに、大変ご苦労な事だと思わずにはいられません。

地震にしてもです。

そんな無駄な事をしなくても、親神様はチャンと御守護下さるのに。。と思うのですが、

 

さて、人口で雨を降らすために、薬を散布してとの話を聞いて、

その薬は地球の生物に悪影響はないのだろうか?と心配になりました。

もし、その薬などで生物に影響があるとしたら、親神様はどれだけ悲しまれるだろうかと思わずにはいられないのです。

 

親神様の天の帳面には、そうした事もちゃんと書かれてありますので、親神様のざんねんは、身上や事情に必ず現れて来ます。

しかし、そうした悪事の結果が、現れてきているという事を知って、お詫びをすれば、助けて下さいます。

そうのようにして、これまでどれだけの人々が助かり、ご恩返しを心に、ひのきしんをされた事でしょう。

「医者も薬もこれはかなわん」という病気になっても、そうした真実のお詫びと、真実のお願いで助けて下さるのです。

だから、何心配する事もないのです。

これが、この天理教の根本です。

しかし、いくら天理教を信仰している、話を聞いていると言っても、こうした心になっている人ばかりではありません。

だから、世間、世界で起きている事を知って、少しでも大難は小難になればと、

悟る元になればと様々な情報を流しています。

 

何といっても、親神様(天然自然)があっての私たちです。

どんな素晴らしい法律があっても、それを守ろうとする心が人間に無ければ、何の意味もないのです。

反対に、法律をつかって人を騙し、人を殺める人々もあるのです。

こうした事もしっかりと心に置く必要があるでしょう。

 

誠真実とは、「心と言葉と行い」の3つが揃って、誠真実だと教えられます。

言葉ばかり良い事を言っても、その言葉通りの行いをしていなければ、真実ではなく、ウソになるのです。

それは、チャンと天の帳面につけられているのです。

 

以前、お守りについて書いたことがありますが、

「心の守り身の守り」として、おぢばへ帰った方に「お守り」はお下げ下さいます。

これを頂けなかった方がいました、その方に教祖は「あんたの心が月日や。(神様のいう事を守っているから要らない)」と言われたそうです。

何よりも心が大切です。

「人が何事言おうとも」です。

「笑われそしられて 珍したすけする」です。

人がするから私もでは、ならないのです。

自分で決めて、自分の心からする事が、とても重要だと思います。

 

 

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真実・ウソという言葉に騙される。不自然を排除する事から。。

2022年03月24日 18時09分11秒 | 思った事

昨日、3月23日、大教会の月次祭が終わりました。

大教会の会報も無くなって、どうなるだろうかと思っていましたが、ホームページに神殿講話と会長挨拶が掲載され続ける事になりました。

そして、ホームページを啓もうするチラシと名刺が配られました。

どんな事も、人がいなければ続かないのです。

そして、その行う人も、親神様の御守護を頂かねば出来ないのです。

おもしろい事に、愛知大教会の会報は、昔も発刊されていましたが、作る人がいなくなって中止になっています。

会報と言いますと、様々な連絡事項も掲載されると思いますが、今回中止になった会報は、連絡事項よりも、神殿講話と会長挨拶をメインとした会報でした。

なぜそれがメインなのかと言うと、昔から講話は録音されていたのです。

その録音はカセットテープで、今でも資料室にあります。

それをほどき、活字にする人が無かっただけなのであります。

そうした中に、昨日、大教会にいる母親から、遠い信者さんが「大教会から会報が送られなくなったけれども、どうしたのだろうか?」とその友人の方に話しをしていたと聞きました。

母親は「個人的に大教会から送られるとは?」と思っていたそうですが、「それを送っていたのは私です。」と話しました。

その遠い信者さんは、コロナ禍で大騒ぎの中でも、昨年の5月に行われた創立130周年に参拝に来られた方で、教会へも行けないからと、大教会に於いてある会報を大事に持って帰られたので、事務所の青年さんに個人的に送るように頼んでありました。

昨日の月次祭で、大教会のホームページを案内した名刺を配っていましたので、その友人にパスワードを教えておきましたので、母親から話が行く事でしょう。

さて、昨日の神殿講話は、婦人の方でした。

とても素晴らしいお話でした。

そして、その話の後で、大教会長さんが「この講話が、話すことを思いとどまらせて下さいました。」と話されました。

良かったと私は思いました。

後で、妻や数人の女性が、「何を思っていたのか知りたい」と言っていましたが、「それを聞いても、不足するだけだよ。」と話をしておきました。

 

どんな事も受け止め方ひとつで、変わってきます。

(受け止め方については先日このブログで書いておきました。)

聞かねばならない事ならば、親神様は聞かしてくださいます。

私がこのブログやFacebookに共有している事は、自分から求めるというよりも、タイムリーに出会ったもので、考える資料となるものが主であります。

いくら私が、「実際に目撃したから」「体験したから」と言っても、それぞれの立場・考え方によって、そんなのはウソだという事もあるのです。(それがとても多いのですが。。。)

時が経ち、身近に表れて来た時、これを見た人があの話は。。と思い出せば、次へ行動を考える材料になるだろう、そうなって欲しいと思って書いています。

 

その一つが、今話題のワクチンです。すでに4回目、子供への接種が発表されています。

3回目の接種をした方々に、結構多くの副反応があるようで、信者さん方の近くにも、それが見えて来たようです。

今日、接種をしたご夫婦が数日で同時に亡くなった事を身近に見て、驚いて、危険な者だったのだと話をしていたと聞きました。

私は「危険なものだから」と話題が出るごとに言っていますが、多くの方は「そんなことはない」という感じです。

 

親神様は、どんな不思議も見せて下さいます。

それは、それぞれの心に応じてであります。

一つ言えるのは、

それぞれの段階に応じた「誠の心」を受け取って見せて下さるのです。

まずは、我が事の身上事情について、どうでもこうでもと願う誠を受け取られます。

その次は、我がの事ではなく、自分の家族周囲の人のためにという誠を受け取られます。

その次は、自分の周囲のためにではなく、世界中の人のためにという誠を受け取られます。

その人の段階によって、親神様の望まれる誠は異なりますので、見せて下さる不思議な働きも違ってくるのであります。

 

さらには、その身上事情が、その人個人の心の切り替えを求められているのか、その人の周囲の人の心の切り替えを求められているかも、思案するために重要な事であります。

「とても良い人がどうして?」という話しをよく聞きますが、「良い人というのは、誰に対して良い人なのでしょうか?」

家の大黒柱に身上があるという事は、「その家の人々の心の切り替えを求めている」と考える事が一つの例です。

 

今、「復元の研究」に、初版の『正文遺韻』を投稿し終ろうとしています。

これを書き残された、諸井政一先生が歩まれて、若くして出直された道を思う時、

倍化運動の元となった増野道興先生が歩まれて、若くして出直された道を思う時、

教祖が25年の定命を縮めて現身を隠された事と重なり、

そうした事を思わずにはおられません。

悟るために必要な事柄は、教祖のひながた(教祖と周囲の人とのやり取り)また、先人の先生方の歩まれた道にあると思います。

よく、霊などの声が聞こえるという人々が、様々な事を発信していますが、

この聞こえる声が、良い方へ導いてくれるものか、悪い方へ導くものか、本人には分からないようであります。また周囲にもそれは分からないのです。

幻聴が聞こえる人の事を思うと、それと同じだろうなぁと思いますし、

教祖や本席様が親神様のお言葉を伝えられる時の様子を、教祖伝やおさしづから思うと、同じように重なります。

親神様は、入り込んで話している事が本当だという事を証明するために、見えぬ先から言っておくとして、様々な予言をされていますし、不思議な事を見せられたのです。

その備忘録が「おふでさき」です。

大切なのは、その言葉ではなく、その言葉から後に現れて来る事柄を検証する事。

これがとても重要だと思います。

よく「これが真実です」という言葉を聞きます。

「これが真実です」というフェイクニュースもあるのです。

これらを、先の霊の言葉と重ね合わせて考えても分かるかもしれません。

また、

真実は分からなくても、画像からそんなことは不自然だと思える物もあるのです。

それを自分自身で考えて取り除く事が大切かも知れません。

ウソをついている人々は、それがばれるのを恐れています。

だから、真実は消して、自分に都合の良い情報だけにしたいのです。

そう考えると、このフェイスブックやユーチューブなどで妨害されるものほど、真実という考えも出てくるでしょう。

 

考える事も、親神様の御守護がなければできません。

心のほこりを払ってくださるのも「神がほうきや」と言われるごとく、親神様のお導きによるものです。

その御守護、お導きを頂く元は、おぢばであり、おつとめであります。

陽気なおつとめ。

教祖が現身を隠される時、不揃いであっても喜ばれた。

十分に練習出来てなくても喜ばれた。

命捨ててでもと心定めて、つとめられたその心を受け取られたからだと私は思います。

 

おつとめの鳴物についても、書いてきましたが、技術的な事は、熟練すると分かってくるものです。

熟練するためには、練習を重ねる事と、理解する事です。

嫌々やっていては、そうはならないのです。

陽気なおつとめを勤めたいと、望むから、色々な事が思い浮かばせて頂ける、周囲から教えて頂けるものだと思います。

 

世界の悪事がどんどん表に出て来て、もうそろそろかなぁと思っていますが、分からない人に分からずに、ショックを受ける事が多いのではないかとも思えています。

思うがままに書きました。

参考になれば幸いです。

 

 

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親神様のメッセージ。。。それはひながたにある。。

2022年03月19日 13時08分54秒 | 思った事

昨日は、部内の月次祭と、夜は町内会の役員会だった。

世界の事情の話になった。

簡単に善悪は言えないし、今のマスメディアの報道が全てではないから注意してくださいと話をした。

私たちは、陽気ぐらし実現を目標としている。

それは、親神様が人間を創る時に「陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたい」と思われた事が原因である。

ところが、今の世界を見ればそうは行かない。

テレビが大いにウクライナ騒動を発信しているから、日本中がそれに巻き込まれている。

遠く離れたところでの戦争であるが、戦争は他の場所でも日常的に行われているのに、そればかり見ているために、自分たちもまきこまれているのである。

例えて言えば、映画館へ行って、出て来た時に、そのヒーローやヒロインになった気分であるのと同じ状態にあると思える。

中国での人権弾圧はどこかへ行ってしまっている。

これが人間の心であると、つくづく思い、冷静になる事、心を澄ますことが大切だと話をした。

すべては、生まれ変わりのいんねんが元になって、お互いがあり、それを自覚して、親神様の大難は小難にと守って下さる事。小難を無難に守って下さる事に気づく事が大切だとも話をした。

イベルメクチンが承認されれば、すぐに新型コロナも治まるしと、先日、厚生労働省の新型コロナの治療薬募集に対して、イベルメクチンのみが立候補したという記事を見て思ったが、今の政治の状態、人々の心の状態では難しいなぁと思える。

世界の多くの人々は、今のマスメディアや政治家の状況を知って、強制的なワクチン接種に反対をしたのである。

しかし、日本はまだまだである。

とてもありがたく守られている中に、気がつかない。そんな気がする。

 

教祖は「中山みき」ではあるが、親神様が入り込んでいるので親神様なのである。

ところが、人々は教祖としか受け止めていない。

一人の人間でも、立場によって変わるのである。

しかし、そばの者は、その一面しか見ておらず、他面からの発言が理解できずに右往左往したり、反発したりするのである。

自分自身も同じ事をしているのに、それに気がついていないのである。

「人は鏡」「人は神」

自分の多面を知る事が、人の多面も理解できる元だと思う。

 

教祖のひながたは、万人がたすかるひながたと言われる。

教祖と周囲の人々とのやり取りが、とてもとても素晴らしい人生の教科書だと思う。

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教祖の逸話から、見分ける力の大切さを。。。そのためには。。。

2022年03月18日 21時18分44秒 | 思った事

ファイザーの社長の発言を説明している動画に当たりました。

最後まで見て考えて見て下さい。

【削除後に復活】『ワクチン効かない!』ファイザー社長が暴露!しかし、なぜ日本人は3度も4度も打つのか?

41,519 回視聴 2022/03/16配信
中野浩志の未来予測(時読み®)
チャンネル登録者数 15.5万人
 
私たちは、自分の主観で物を見ます。
善い人だと思うと、悪い事を言われても、良い事だと思ってしまうのです。
 
そうした中に、騙されます。
オレオレ詐欺が流行っています。
 
「オレオレ」という言葉を、自分で勝手に良いように解釈して、騙されるのです。
 
日本人、またお道の人は、教祖のひながたを通ろうとして、人を助けることを考えます。
そうした時に、自分は人の事を思うから、相手も同じように人の事を考えるだろうと思いがちです。
 
ところが、そうは行かない。
隣の国の政府のやり方を見て、良く分かっていると思います。
 
自分は人の命を大切に思っているから、相手も人の命を大切に思っていると思うのです。
 
これが、大きな落とし穴に陥る元です。
 
おたすけをする人に対してのお話で、よく人を見極めてお話を取り次ぐように話されています。
 
教祖も、人に応じて対応が異なっています。
総ての人の心をたやすく受け入れてはいません。
 
逸話編の7
「真心の御供」で、立派な重箱に詰めたお餅を供えられても「ああ、そうかえ。」という言葉を言われただけで、一向に満足はされず、粗末な風呂敷包みで竹の皮にいれたほんの少しのお餅を「すぐに、親神様にお供えして送れ」と大いに喜ばれたという話は、とても有名な話です。
 
これを話す時は、大概は、「良い心でお供えをさせて頂きましょう」と言って、話をすると思います。
そして、「教祖は優しい方」というイメージで、その前の「ああ、そうかえ」という言葉には、心がいかないのではないでしょうか。
 
教祖は、しっかりと人の心を見定めて、それなりの対応されているのです。
 
こうした人の心を感じることの重要性と対応の仕方も、こうした逸話で教えて下さっていると思うのです。
 
掃除をする事についての道具の例え話でも、
とても汚れたものを洗うのに、絹のような布でこすっても落ちないのです。
反対に、きれいに磨かれたものを掃除するのに、たわしでこすってはダメなのです。
だから、親神様は私たちの性分を見分けて、適材適所に使われます。
だから、私たちも人も見分けて、それぞれの道具として使うようにと教えられているのです。
 
つまり、人を見分ける、人の心を見定めることが、どれだけ大切かという事だと思うのです。
どんな事も、人がするのです。
 
そうした人や、物事を見分けることを、今様々な事で教えられているように思うのです。
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世界たすけと言うならば。。。参考になれ!!

2022年03月17日 19時48分12秒 | 思った事

親神様のお話はやっぱりすごい。

しかし、世界助け、親神様の話を世界に広げようとするならば、いま世界で起きている事を冷静に見る必要があると思う。

そして、それに対する対応も大切だろう。

今世界の大手メディアで言われている事、政府で言われている事が、本当に真実なのか、親神様の思いである人を幸せにする、人の命を大切にする方へ向いているのかという事も、しっかりと見極める必要があるだろう。

そんな中で、現状を考える上に、とても参考になる動画に出合った。

この動画が全て正しいとは思わないが、冷静に考える材料、見方としてはとても大切だと思う。

緊急特番!『馬渕大使登場!ウクライナ危機は2014年から始まる”ネオコン”対プーチンの闘いだ!』ゲスト:元ウクライナ大使 馬渕睦夫氏

409,309 回視聴 2022/03/09配信
 
チャンネル登録者数 23.7万人

 

参考になれば幸いです。

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3月の月次祭を終えました。。右膝の痛みから。。

2022年03月13日 11時21分01秒 | 思った事

早いもので、もう3月です。

世界の情勢はどんどん変わっており、新型コロナに関して日本以外は制限がなくなっているのに、日本だけがまだまだ行っています。

まったくおかしなことです。

政府も世界の情報が分かっていないはずはありません。

ロシアのウクライナへの攻撃も、政府は行われると踏んでいました。

それ以外の、経済学者などは、ロシアに何も得する物がないので、行わないだろうと予測していました。

さまざまな情報が飛び交うネットの情報を見ていると、こうした事がどうして起きるのか、とても良く分かります。

政府や大手マスメディアの情報と感情で見る人々と、西側の情報とロシアの情報を冷静に見る人々とでは、見方が全く違います。

本当に面白いです。

欲にまみれた泥水の中で、戦争を引き起こし、多くの人の命を危険にさらし、それを正当化するために情報を操る。

戦争とは、何も武力だけが戦争ではありません。

新型コロナ、ワクチンも戦争の道具ですし、経済の通貨、株式なども戦争の道具です。

国と国ではなく、国と国を戦わせて儲けよう、支配しようという人々の策略にはまれば、そのようになってしまう。

目先に見えることだけで、感情に走る。その精神をコントロールしようとしている姿が見えます。

これは、これまでにも繰り返して行われて来た事なのですが、私には、アメリカ大統領選挙の不正から、それを暴かれないように必死に工作する人々の行動。

新型コロナの治療に関しても、治療方法があるにもかかわらずそれを懸命に隠蔽して、ワクチンを打たせようとする、またそのワクチンに対しても不都合な情報を隠蔽しようと工作をする姿を見る時、まさしく情報戦である。

それも国対国ではない情報戦・薬戦・ウィルス戦・金での戦だと思えます。

こうした中に、親神様はどうしたいのかとずっと考えて来ました。

 

親神様のお話からすれば、すべてはいんねんの上から成ってくることです。

天の帳面の話からすれば、すべての人々の心は、天の帳面につけられて、それの相殺が行われているのです。

どんなに私は死にたいと思っても、そうしたいんねんがなければ死ねません。

どんなに生きたいと思っても、生きるいんねんがなければ生きていけません。

それはそれまでに通って来た今世だけではなく、前生、前々生からの生まれ変わりの中につけられた、いんねんの相殺でもあります。

いんねんとは、心の道と教えられます。その心の現れが目に見えている事柄です。

「良い事をすればよい理が現れる」という事は、教典にも書かれている事であります。

悪い事を、悪い心を使って人を苦しめて来たならば、その理で今世苦しまねばならない事が起きてくる。これも理です。

そうした事を知らずに、我がの考え中心で起きている事が今の事であります。

そして、苦しむ人があり、その姿を見て苦しむ我々でもあります。

 

しかし、ここで注意しなければならないのは、

この苦しむことが起きてくることを、「嫌だ」と思うか、「親神様からの心を切り替えるためのお知らせ」と思うかで全く異なるのです。

「親神様からのお知らせ」と受け取り、そのいんねんを切り替えるためにと、自分の心を振り返り、これまでと行いを変えることが「たんのう」と言われる事だと思います。

 

親神様は、医者や医学者が不可能だというような病気でさえ、治すことが出来る事は、良く分かっている事です。

ただ、それを見せて頂けるのは、親神様に受け取って頂ける心、行いが出来るかどうかによるだけなのです。

こうした自分に不都合な事が、それぞれの身近に起きれば、それぞれに分かりやすいですが、世界の事情として起きてくる時には、あまりにも大きいために分かりずらいのです。それが今だと思います。

この時に、どのような心を使うか、それを親神様は見ておられて、それぞれを陽気ぐらし世界実現の上にどのような道具として使うか、見定めておられる。

その様にも思います。

今月の月次祭で、「新型コロナに罹っても大難を小難に守ってもらえるように、ワクチン接種しても小難は無難に守ってもらえるようにと、親神様にお願いをしています」と話をしました。

どんなに「私の予測は素晴らしい」と豪語する学者でも、予測不能な事は起きます。

それは、人間の知恵・力には限界があるからです。

経験の無い事、知らない分野には対処できないからです。

こうした事は、私を含めて、なかなか物事をスムーズに理解できない人ほど良く分かる事です。

私は自分で調べて、考えて下さいとよく言います。

それは、自分で行う事で経験を積むことになるからです。

しかし、能力には限界がありますから、絶対に分からない事態に陥ります。

ですから、

「分からないところは親神様に任せるしかないですよね。だから、親神様のお望みのおつとめをして、ひのきしんをして導いてもらいましょう。」

と話をしています。

ただただ、願うだけではなく、自分で行い、そして願う。

これが大切だと思うのです。

こうした事に関して、私の右足のひざが先日から痛み出し、気が付いた事がありました。

その事について今月講話で話をしましたが、また痛みだしていますので、ここにも書けという事かと思い、その事について、資料をあげて記しておきます。

 

先日、突然、右ひざの古傷が痛みだしました。

昔ラグビーで痛めたところです。

これを痛めたのは、教祖100年祭のひのきしん最中です。

その時、接骨院で見てもらったところ、靭帯が伸びているだろうとの事でした。なんとかひのきしんは終えられましたが、終えたとたんに足が動かなくなりました。無理をして半月板が出て動かなくなったようで、接骨院で再度、靭帯を延ばして納めてもらいました。靭帯が切れている可能性も高いです。

それが、今日まで30年以上、全く痛む事も無く、普通に歩く事が出来ていたのです。

また先月、この痛みが出る前に、本部のある先生にお会いしました。

その先生から「ひざに、このしっかりしたサポーターしないと力が入らず歩けない。しかし痛みは無い。」と聞かせてもらいました。

その時「痛みがないのが何よりの御守護ですね」とお互いにありがたいと話し合いました。

その後、右足に痛みを覚えるようになりました。「年をとって筋力が落ちてきたためだろうな」と軽く考えていました。

そうした中に、今月の本部神殿当番で、Facebookに作ってある「復元の研究」グループに上げてある、「正文遺韻」の中の、「別席傍聴漫筆」を読んで、この事に関してのお話が目に止まりました。

それをここに上げておきます。

これは、『正文遺韻抄』にも掲載されています。ただし、題名は「御講話傍聴録」として、先生の名前は数字に代えられています。

この中で、その部分だけ書換えておきます。

 困る、苦しむ、悩む、患うというは、みな銘々の心。銘々の心が、患う、苦しむ。それはどういうものなら、親が我が身を思うての意見やという事が、分からんから、心に不足の思いを離されん。そこで、不足に不足を重ねて、辛い辛いと思う心が、苦しいのや。悩んでいるのや。

 ああ、親が我が身のために意見して下さる。と思えば、結構と思うて、一つ改め変える。勇んだ心の理を持って、心の間違いを取り直す。そうすれば、心に患う悩むという理はない。すなわち、人間の子供でも、素直な者は、親の意見をありがたいと思うから、意見をされても、かえって心が嬉しい。我がままな者は、親の意見を苦い事(嫌な事)と思い、ひどい事に思い、親を不足にする。それ、意見されるたびに、心は患い、悩み、苦しんでいる。

 ここをよく思案して、親は子の不出来を思い、子を困らせる親ではないという事を、会得して、身上の意見も結構と思う心を定めにゃならん。そこで、それ、身上が不足になっても、うずかず、痛めず、病めずありがたいという理がある。

「あれほどの物、よう痛まぬ事や。よううずかぬな。普通の者なら、うずかにゃならんのに、結構や」というような事は、よく見せてもらってもいることや。

これが、意見をありがたいと思って、心悩めぬから、痛まぬ。悩まぬという理であるのやで。難にあっても、その通り、心を痛め、心を患わぬようにするが良い。

これを読んで、これまで痛みが無かったのは、不思議な御守護を頂いていたのだと、確信しました。

そして、常に親神様は、私たちの深いいんねんも、教えを守る中に、不思議を知らず知らずに見せて下さっていると話したのでした。

 

ここで、親というのは、親神様の事です。

人間の親では様々な心がありますので、自分を振り返っても、人間の親はなかなかこのようには行きません。

しかし、その人間の親を通して親神様がお仕込み下さる、その人間の親を通して「我がのいんねん」を教えて下さると思えば、ただ単に反発するのではなく、逆らうのではなく、それなりの対応が出てくることと思います。

私はこれまで、どんな人が上に立っても、このように考えながら通って来た事を今、これを書きながら思い出しました。

以下には、そのページの画像を張り付けておきます。

参考になれば幸いです。

 

 

 

 

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ロスチャイルドのメッセージを読んで。。

2022年03月10日 22時29分44秒 | 思った事
左耳が痛みだして、何か書けという事かなぁと、フェイスブックを開いたら、以下の共有記事が目に止まった。
 
【新世界秩序】への淘汰と服従計画
J.ロスチャイルドからのメッセージ
どんな危機においても、人々は感情で行動するものだ。
実際の事実や批判的思考、理性に基づく行動などしないのだ。
論理と事実は(科学における論理と事実さえ)、支配されているのだよ。あなたが我々のやり方にグダグダ文句を言ったところで、事態は何一つ変わらない。
人々は政府が自分たちの世話をし、お金をくれ、安全を確保しようとしていると信じ切っている。そんな国民に、あなたの主張する事実や理性が通用すると、本気で思っているのか?
ワクチンは、人間の行動をコントロールするためにこれまでに考案された方法のなかで、最も画一的で協調的な心理的武器なのだ。
もちろん、マスクはウイルスには全く役に立たない。しかし大事なことは、トップダウンの命令に対する服従と適合なのだ。政府の命令に従って「全員」が着用する。これが重要なのだ。それは、全員を「均一(uniform)」にする制服のようなものだ。一体感、順応性、服従性、そして何よりも「平等性」を植え付けるのだ。
我々は、新世界秩序のために、もっと深い、もっと永続的な服従を要求する。あなたのように自分でものを考える人間なら拒否する注射を、圧倒的多数の国民が、政府とメディアを盲目的に信頼して、その成分も知らずに、注射することを許すとき、それは間違いなく、我々が望む最も重要な勝利となる。
重要なのは、適合性、服従、そして「平等」の感覚である。
人間が体に入れることを許容するものは、心や信念と深く関わっている。
しかし精神面において、人々はすでに我々に降伏した。
人々は我々の前に膝を屈した。
ちっぽけなウイルス、簡単な詐欺、あちこちで行われるワクチン接種。結局あなたには何も止められず、すべて達成されるのだよ
J.ロスチャイルド
 
 
 
このリンクにある「note」の記事を読んだ。
上記はこの記事の抜粋である。
 
そして以下の事を思った。
 
まず一言「ロスチャイルドさん。ご苦労様です。」
そして、「あなたのお陰で、ようやく一般大衆が心理(心)について考えることが出来るようになりました。」です。
 
権力を持ち、神の代わりになったかように、民衆・世界を心配している。と、この文章を読んでまず感じた。
 
本当にご苦労な事だ。。そして、様々な計画をして人を配置して、そのためにどれだけの人を殺めたかとも思った。
 
さらに、神様が悪を見許して来た意味もここで分かったように思った。
文中の言葉から、心理について学び人を操った事は、心理について大衆に学ばせるためでもあると。
 
親神様は、心通りの守護として、心を切り替えることを説かれたが、人々はそれを理解できずに、目の前に現れる病気や不都合な事の解決を願ったのである。
そして今日である。
 
今では、その心通りの守護の「心がままならない人々」に苦労するばかりで、その解決策に苦労している。
 
心も、心ひとつで、神様は変えてくれるのだが、それをまた元に戻してしまう、その心に気がついていない。
 
すべては、親神様の導きの中にある事も。。
 
さて、
ここで、平等という事で、中国共産党の事が出て来たが、抑圧されながらも自分たちの意思で子供を育てて、子供を海外へ留学させようとあの手この手としている人々の事を知っているのかと思った。
 
平等平等と言いながらも、隠れて、ロスチャイルドと同じように好き勝手にやっている人々を知っているのかと思った。
 
服従するしないという事は、一般大衆には関係ない。
 
「理性よりも、感情のままに行動する」それは正しくである。
 
感情によって、理性による理論も変ってしまうのである。
その良い例が、バイデン率いる左派と言われる人々だろう。
 
今回、このパンデミック、プランでミックを通して、本当に多くの事を学んだ。
 
親神様が、教祖に入り込み、人間となって、実際に歩んで、かんろだい没収を契機として、陽気ぐらしへの道を変えた意味がようやく分かった気がする。
 
色々な事が出来る体、知恵は出来たが、心はまだまだである。
 
その心を育成するための歩みがこれからだと思った。
 
「心澄み切れ極楽や」「魂は生き通し」なのである。

 

この理を知っていたならば、こんな歩みは出来なかっただろうに。。。

 

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本部神殿奉仕から

2022年03月09日 08時14分33秒 | 思った事

毎月、本部の神殿奉仕では、色々な事を学ばせて頂く。

本当におぢばはありがたい。

親神様・教祖のお導きはありがたいと思う。

今回は、おつとめの鳴物について学ばせて頂けた。

海外にいる弟から、おつとめの地方がない、鳴物だけの音源は無いだろうかと連絡が来た。
そこで、それを先生方に尋ねたところ、様々な事を教えて頂けたのである。

ある先生は、おつとめを楽譜に起こして、その地方の旋律をピアノで演奏してCDを作ったとのこと。そしてそれを使って、大教会のおつとめ練習を行ったとの事。

また、ある先生は、おつとめにはスリガネのリズムが重要。そして、小鼓と女鳴物が合う事が重要。と話して下さった。

スリガネは以前にここに書いたように、理解していた。しかし小鼓と女鳴物は考えた事が無かった。

どういう事だろうと、着座の時に思っていると、小鼓の「ポン、ポン、スッポンポン」この「スッポンポン」が、琴の「シャ五五」と重なるのだ。と思い浮かんだ。

その先生は、「ちょとはなし」の小鼓と女鳴物が合うと気持ちがいいんだ。とも言っておられた。これについては、後日調べてみたいが、こんな感じで、次々と教えて頂いた。

私が尋ねた先生方は、音楽に長けた先生であるが、そうしたそれぞれの得意分野で調べられたことはとても勉強になると思った。

 

さて、今月の7日の支部例会で、支部長を退いて、あとは会計の引継ぎと、一年間の事をまとめた冊子を作る事である。

このコロナ禍で、活動を制限されて、お道の話からすれば、すべては親神様の采配の中であるので、気にする必要はないとすれば良いのだが、そのように思える方は少数である。

多くはそのようには思えない。だから、政府のいう方針に沿いながらという事になる。

これも以前書いた、二重構造という事につながる。

親神様の視点と、人間の視点のギャップ。

その中でのおたすけ、これを考えると、分からないものに合わせて行くことも重要で、そうすると、こうならざるを得ないのだろうと思う。

先ほどのおつとめについてでも、おつとめを理解して、親神様・教祖のためにと真剣に学ぼうとする人と、教会で言われたからさせてもらおうと思う人との温度差によって、指導する側は異なる姿勢を示す事と同じである。

このように考えた時、求める人とそうでない人との差で、様々な事が違ってくることも分かる。

世の中の事も同じである。

この事を理解せずに、すべてを同じようにしようとすることが無理であり、それを考えて行う事が重要だと思う。

さて、

今回の鳴物の事から、学んだ事をまずは、うちの奥さんと試してみたいと思う。そして、それを子供たちと練習出来たら最高だなぁ。

と思った。

これから、所用を済ませて名古屋へ戻る。

親神様・教祖、ありがとうございました。

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