あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

今日一日

2020年09月29日 21時01分20秒 | 思った事

教養掛を終え、27・28日と大教会の神殿当番で、大教会で一カ月間出来なかった用事をし、今日一日教会にいる事となった。

今朝の朝づとめで、すわり勤めで拍子木を打ちながら、胸が詰まって、声が出しずらくなったので、すわり勤めだけで終えて、おさづけをしてもらい、休む。

昼に、背中や肩をもんでもらい、一日ゴロゴロしながら過ごす。

夕方になって大変楽になり、夕づとめはいつものように努める事が出来た。

一寸頑張ると数日は体調が悪くなるのがふつうであったことを思い出し、改めて、教養掛のひと月を寝込むことなくつとめられたことをとても不思議に思い、親神様・教祖に感謝申し上げた。

 

・・・・・

生かされている事。用事が出来る事。仕事が出来る事。
まずはこれに感謝。
どんな人もいる。その人たちにどのように対応するかは、自分の心次第。
不足にならぬよう。不足にさせぬよう。誠の思案が出来るように親神様に願いながら。。。。
これが、今回の教養掛で学んだ事である。
 
。。。。。。。
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教養掛終了

2020年09月27日 07時40分20秒 | 思った事

昨日、教養掛を無事に終えて、深夜に教会へ戻った。

通常の生活が戻ってきた。

今回の教養掛は、詰所に勤務者が一人という状態でのつとめであった。

その勤務者も訳ありなため、修養科生に加えて、これまでとは異なった、気の抜けないひと月だった。

それでも、事故なく無事に終えられたことが何よりであった。

そして今朝、身体が痛み、深夜に湿布薬を張った事から、私の身体が教会にいるとき以上に動けた事が、親神様教祖のお守りであったと、つくづくありがたく思った。

親神様・教祖、ひと月、ありがとうございました。

 

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表統領先生のお話。終戦75年という事から。。

2020年09月14日 14時45分55秒 | 思った事

教養掛に来て何かと忙しく、ようやく書き込む時間が出来た。

さて、日本では戦争が終わって、75年が経つ。

終戦によって、日本の人々は自由を得る事が出来た。

昔、山澤先生と話をしていた時に、終戦の話になり、「アメリカのお陰で自由になれた」という言葉を聞いたことを記憶している。

その時にはピンと来なかったが、今このコロナの時代で、自由に集まりおつとめを勤める事が出来ない事を思う時に、終戦前の、帝国主義で統制下にあった時代と重なった。

教祖がご在世の時には、警察からの止め立てが絶えずに、お屋敷では隠れておつとめをつとめ、そして隠れてお話を取り次ぎ、おたすけをされていた。

これが、教祖が現身を隠されて、天理教教会本部として教会が公認されたとたんに、各地で不思議なおたすけが続々と現れて、教会が次々と設立されていった。

そして多くの人が、おさづけの拝戴を願い出るようになった。

そうなって来た時に、明治29年「内務省訓令第12号(秘密訓令)」が発令され、政府からの取り締まりが苛烈となる。

この「秘密訓令」に対して、逐一おさしづを伺い、様々な変更がなされて、昭和20年 第2次世界大戦の終戦を迎えて、2代真柱様から「復元」の提唱があり、それまで説けなかった話も自由に話すことが出来るようになった。

弾圧があったからこそ、隠れてでもという信仰。隠れながら大手を振って取り次げないけれども、隠れてでもお話を取り次いで来た信仰から、

自由になったからこそ、安易になりすぎて、自ら求めずに、歩んだ道があったのではないかと思えて仕方がない。

インターネットの時代で、どんな事でも発信できる。

しかし、捉え方は受け取る人次第である。

だからこそ、安易に発信できない事もある。

やはり、大勢ではなく、胸から胸へだろう。と思う。

・・・・・

以下に、秘密訓令に対するおさしづを揚げておく。

・・・・

No.  :(4巻2663頁3行)
明治29年4月21日 
『内務省訓令発布相成りしに付、心得まで伺』
さあ/\いかな事も言うて来る/\。皆これまで十分話伝えたる。どんな事しようと思うて成るやない。今一時尋ぬる処、どういう事もある/\。尋ねる処、どんな事もすっきり取り調べさす。取り調べさすと言えば、おかし思うやろ。地方庁や、願う/\、却下や/\。どうしてもならん。時々の処にてはどうもならん。皆すっきり寄せて了う/\。尋ねにゃなろまい。一時見れば怖わいようなもの。怖わい中にうまい事がある。水が浸く、山が崩れる。大雨や/\。行く所が無いなれど、後はすっきりする。今一時どうなろと思う。心さえしっかりして居れば、働きをするわ/\。反対する者も可愛我が子、念ずる者は尚の事。なれど、念ずる者でも、用いねば反対同様のもの。これまでほんの言葉々々でさしづしてある。これはというようなものは、さしづがさしづやないと言う。世界の反対は言うまでやない。道の中の反対、道の中の反対は、肥えをする処を流して了うようなもの。こんな所にこんな事があったかと。鮮やか分かる程に/\。必ず/\悔むやない。悔むだけ心を繋げ/\。これからは、どうでも皆集める程に/\。山が崩れる、水が浸く。雨風や。何処へ駈け付く所も無いというようなもの。泥水すっきり流して了う。泥水の間は、どんな思やんしてもどうもならん。心一つの理を繋げ/\。いかんと言えば、はいと言え。ならんと言えば、はいと言え。どんな事も見て居る程に/\。

『会議の決を願(会議の点九点)』
さあ/\前以て事情諭したる。泥水の中というは、何処へ駈け付こうかというようなもの。一時泥水の中やから見て居る。尋ねる処は皆こうしたらよかろうという処、それはいかんとは言わん。落ちて了てからどうもならん。無くなってからはどうもならん。泥水の中でもあちらへ這い上がり、こちらへ這い上がりすれば、どうなり道が付く。これがいかんと言えば、はいと言え。これより這い上がる道は無い。もう安心の言葉を下げて置こう。これがならんと言えばはい、いかんと言えばはい、と、答えて置け。

『祠宇建築に付伺』
さあ/\尋ねる処/\、それは心に持って、又ぼつ/\。

 

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教養掛にて。。26日から31日まで

2020年09月01日 13時01分52秒 | 思った事

8月25日より教養掛でおぢばにいる。今日は9月1日、今日から第951期生の修養科が始まった。

愛知としては久々の修養科生である。

私が教養掛として修養科生のお世話をさせてもらうようになってから、かれこれ30年となる。2年に一度が最近は一年半に一度くらいの割合となっている。

実際に何回目かは分からないが、15回ほどは勤めている計算となる。

そうした中で、今回のように、一か月生だけ、それも一人だけを世話する事は初めてのように思う。

修養科が始まるのは、明日9月1日からで、ここまでの生活をちょっと記録しておく。

 

26日 修養科志願生、大教会長様・詰所主任と面接。掃除など詰所生活を説明。

27日 志願願書提出。すわり勤めの練習。

28日 午前 すわり勤め・チャンポンの練習。午後 基礎講座受講。おやさとやかた東棟の案内。 夜 よろづよ八首の練習。

29日 午前 すりがねの練習。よろづよ八首の練習。午後 お墓地・記念建物の案内  夜 よろづよ八首の練習。

30日 午前 すりがね・太鼓の練習。午後 参考館・図書館案内。 夜 よろづよ八首の練習。

31日 午前 すりがね・よろづよ八首の練習。午後 休み。夜 よろづよ八首の練習。

なんとか、夕づとめの鳴物ができるようになり、よろづよ八首もついて踊れるようになった。

車で移動して施設の案内をさせて頂いたが、「こんなに見るところがあるとは知らなかった」と言ってもらえた。

修養科の授業に入る前に、必要な事は一通り出来たと思う。

同じような身上を持っている修養科生をお世話させて頂くこととなり、いんねんをつくづく感じている。

31日は、一日中股関節が痛んだ。今日はとても楽になった。

修養科生を送り出してから、遅ればせながら日よけをベランダにつった。

これまでの出来事をまとめて見た。

 

コロナもまだまだ治まらない。

ちょっと気を抜けば、すぐに増えると思う。

人のためにという心。これが浸透すれば、なんなく治まると思うのだが。。。

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