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あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

ブログをAmebaで再開します。

2025年05月04日 13時58分31秒 | 思った事
2025年5月4日
Amebaでブログを再開します。
どうぞよろしくお願いいたします。

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この「GOOブログ」が終了するとのことです。

2025年04月20日 06時55分45秒 | 思った事
この「GOOブログ」が終了するとの通知がありました。
ながらくありがとうございました。

データを貰えるとのことで、依頼しようと思っています。

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寅さんの議会演説全文を和訳してあるページを見つけました。

2025年03月07日 09時55分08秒 | 思った事
寅さんの議会演説全文を和訳してあるページを見つけました。
(^^)
記録しておきます。

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3月になりました。 天理教紹介の動画を見て。。。

2025年03月03日 19時56分03秒 | 思った事
早いもので、3月になりました。
名古屋では梅の花が満開です。

さて、先日以下の動画に出会いました。
タイトルに「神道でも仏教でもない。。。」とあったので、
どんな動画かと見てみましたが、
このような視点から見ると、こうなるのかと思いながら見ました。


天理教は、一神教でも多神教でもない。一神教と言えば一神教と言え多神教と言えば多神教ともいえる宗教であります。

それは、「くにとこたちのみこと」と「おもたりのみこと」が相談をして、人間を創るために必要と思った道具となるものに「くにさづちのみこと」「つきよみのみこと」「くもよみのみこと」「かしこねのみこと」「たいしょくてんのみこと」「おうとのべのみこと」「いざなぎのみこと」「いざなみのみこと」と神名を付けて神としました。
そして、「いざなぎのみこと」「いざなみのみこと」に入り込んで、人間を宿しこむ事から始め、産み降ろした元の神であり、その後もこれらの神を人間の世界に開祖・宗祖・聖人・君主などに現わして、その守護・導きによって、育てて来た実の神でもあるからです。

神道も仏教もまたその他、神として崇められる様々な聖人君主も、その時その時に、こうした神々が顕現して、人間を導いてきたので、その時の名前が神名として唱えられ祀られて来たため、それらを元に考える事ができない神であるのです。

また、この10柱の神が、天理教の教祖「中山みき」の身体に宿り、その口と行いによって、天理王命として、不思議を見せて導いてきた教えです。

天理教として人間を導く上には、「不思議な事を見せる」事だけではなく、神直々に記した、自動書記と言われる「おふでさき」を記されたり、何人かの口に同じことを言わせて、間違いない事を証明しながら導かれるなど、様々な手法を用いて来られました。

しかしながら、人間がそうしたことを理解できず。また神の思いに沿うことが出来ず、ましてや、権力あるものが、多大なる弾圧を加え、人々を恐怖に落としてきたため、それまでの聖人君主のように、教祖「中山みき」は、天理王命の神名をその体につけることなく、予定を変更して、かんろだいを据える、人間を宿しこんだ「元のぢば」に、「天理王命」の神名を付けて、予定の年限を速めて現身を隠したのです。

中山みきの魂は、「いざなみのみこと」の魂と言われており、人間を創造する時の道具の神の魂が、人間として現れる事をも示されています。

この教えが始まった頃から、200年近くなりますが、この教えを真似しよううとして作られた宗教もあるようです。

教祖が現身を隠して後、飯降伊蔵が本席として、神様の言葉を伝えた「おさしづ」を読むと、自分の欲得のために「天理教をやってみよう」として、教えを求めた者も多々あり、その者たちの動向を神様は見定めている事が分かります。

そして、今現在でも、不思議な助けや不思議な事は起きています。
ただしそれを感じるか、感じないかは、それぞれの心や見方に寄るところが多分にあるため、「よくを忘れる事」「心を澄ます事」が必要かと思われます。

医者に見放された人が、不思議な助けを頂いたりしても、その時は「神様がある」と感銘しても、30日たち、60日たつと、その感激は忘れて、自分勝手な心を使い。下手をすると、その不思議も無かったことにしてしまうので、注意が必要と、教えられてもいます。

もし、天理教を研究したいと思う人があれば、参考にして頂きたいと思います。

今、世界中、そして日本中の人々が、これまで隠されてきたことに気が付いて、右往左往しています。

「心一つでどんな理も出る」と言われています。
また、「うそと追従これ嫌い」とも言われます。
ウソや追従がはびこると、信用が出来ず、人々は共に和す事は出来なくなります。
不思議を見せるためには「誠の心しか受け取れない」とも言われます。
人の事を思い、ウソを言わない、真実誠心でなければ安心して繋がれません。

誠真実の心でつながり、共々に陽気に楽しく暮らす人間を見たいとして人間を創ったと言われます。

そのためには、自らの心を顧みて、反省をして、新しい歩みをすることが重要かと思います。

空腹のところに、食事をして、満腹になったような変化を求めても、心が変わらないとそのようにはなりません。
また、心はすぐには変わらないのです。
薄紙をはぐように、少しずつ変わるのです。

そのために、様々な身上や事情を見せてもらい、その都度心を見つめ、切り替えて歩むのです。

そうした中に、不思議な巡りあわせも頂いて、だんだんと嬉しい、楽しい日々を送れるようになります。

これが順序です。


この心を変える道を付けるために、教祖は苦労をして「おつとめ」を教えて下さったと私は思っています。

天理教を信仰している人は、どうぞ日々「あしきをはろうて たすけたまえ 天理王命」。。。と唱えて「おつとめ」を勤めて下さいませ。

どうか、親神様の不思議なお導きを頂けますように。。。。
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2月月次祭を終えて。。。

2025年02月14日 04時52分34秒 | 思った事
2月12日 無事に月次祭を終えた。

12日の深夜、右の胸が痛み、息がしずらく、妻におさづけを願った。
不思議と朝方には痛みが治まり、普通に動くことが出来、月次祭を勤め終えたのである。

この教会に来た初めに、椎間板ヘルニアになり、激痛をおさづけで助けて頂いたことを思い出して、その話をした。

その時には、「神経」は「神の径(みち)」であり、「腰」は「肉月に要」で体の中心と悟り、人間思案ではなく、「神様の思いに沿って通る」と定めた事を話した。

また、8日の本部神殿当番で、6日頃より痛み始めた「右半身の痛み」は、「折角神様人のためにと心を尽くして動いても、周囲が思うように動かずに不足にしていた自分の性分」を反省して、楽に動ける不思議を見せて頂いた話もした。

それは、「神様のため、人のためと心を尽くして人に喜ばれる良い事をしても、最後に不足をしては、『親神様の受け取りは不足になる』の言葉を思い出し、これまでの自分の性分をお詫びした」すると、痛みを楽にしていただいたというものである。


月次祭を終えて夜休む時には、また右の背中が痛みが出始めたので、同じように揉んでもらって、痛み止めを張って、おさづけをしてもらって休んだ。
前日ようにはならず、結構に朝を迎えた。

しかし、おさがり配りに出かけようとすると痛みが出だした。
朝勤めの時には、母親におさづけをしてもらったのだが、どうもしっくりこず、この時に改めて妻におさづけを取り次いでもらった。
するとすっと痛みが引き、一日中運転をしておさがり配りに回った。

娘二人を乗せて、パン屋さん巡りを兼ねて。。。
ところが、一つおさがりが足りないことが分かり、昼過ぎに一度教会に戻った。
そこで娘たちは降ろして、いつも通り夫婦で再度おさがり配りと大教会へのお礼に出かける。

無事に終えて、最後に、不思議なお助けを頂かれた会長さんのお見舞いに行った。後遺症があるが元気な姿を見せてもらい嬉しかった。
おさづけを取り次いで、無事に帰ってくることが出来た。

帰ってくるとまた痛みが出だしたが、お風呂に入って体を温め、痛み止めを張ってもらって、おさづけをしてもらったところ痛まずに休めた。

学生時代の夢を見て目が覚めた。
とても辛い夢だった。

あまりにも様々な事があったので、忘れないうちにと、このブログを書き始めた。

今日はアルバイトである。
親神様のお心のままに、親神様と共につとめたいと思う。

そして、明日は講社祭、コロナ中では止めていたものを、自ら講社祭りをさせてもらいたいと言ってくださったお宅へ行かせてもらう。

親神様と共に、陽気ぐらしを味わわせてもらいたいと思う。
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今年も一年ありがとうございました。

2024年12月31日 09時38分01秒 | 思った事
立教187年(2004年・令和6年)も今日一日となりました。
昨日は、町内の方々も来て餅つき大会をしました。

教会で年一回、唯一餅つきをする日です。
子供達も大きくなり、年一回でも搗くだけでなく手返しもうまくなって来ました。

せいろを乗せるのが遅くて、始めるのが遅くなりましたが、教会の2臼目をついている間に、町内の方々が集まって来て下さり、ちょうど良い時間になりました。

町内の方々が来てくださってから、餅つきの段取りを説明しました。
町内の方々には、3臼目、4臼目、5臼目に参加して頂き、3臼目は皆で小さなお鏡餅を作り、それをおみやげにしてもらいました。

4臼目は、臼から直接お椀に取り分けて食べてもらいました。
食べ方も、けんちん汁、ぜんざい、大根おろし、きな粉を準備しました。
また、町内の方からおでんの差し入れもあり、みんなおなか一杯食べました。

5臼目は、妻の大好きな豆餅をしました。砂糖、塩、煮た黒豆を入れて作りました。
これも皆さんに大変好評でした。

「来年もまたぜひとも声をかけて下さい」と言われて、皆さんがお帰りになりました。

とても和やかで、楽しいひと時でした。

・・・・・

世界が激動する中、何が本当か!と迷われる方々も多いかと思いますが、親神様は誠真実をお受け取り下さいます。

「誠真実」とは、「口と心と行いが一致したのが誠」とも聞かせられます。

誠真実を尽くし、願い行う中に、大難も小難に、小難は無難にとお連れ通り下さるのです。

「おしい・ほしい・にくい・かわいい・うらみ・はらだち・よく・こうまん」の親神様がお嫌いな「八つのほこり」以外に「ウソと追従これ嫌い」と教えられています。

「ウソと追従」は「誠真実」とは正反対の事で、その場は良いように思えても、結果は人と人とを分断します。

誠真実は、すぐには分かりませんが、「続くが誠」と言われるように、些細な誠でも、誠であれば続きます。そしてその成果や心が人々に知れ渡り、真のつながりが出来るのです。

来年も出来ることを、誠を持ってコツコツと行っていきたいと思います。


これから大教会と信者さん宅へお餅を届けに行ってきます。

本年も一年ありがとうございました。

良い年をお迎えくださいませ。
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12月になり、あっという間に。。。先日あった不思議なお導き。。。

2024年12月04日 08時52分25秒 | 思った事
12月になりましたね。
今年一年がとても速く感じて、月次祭が来るたびに信者さん方と、「もう。。」と話をしています。

年を重ねると、日々やることに追われて、時間がたつのが早く感じる事がありますが、それにしても近年はあまりにも早い感じがします。

皆さん方はどうなのでしょうかね。

さてと、

11月の8日本部の神殿奉仕を終えた後、9日詰所で仮眠をしていると、兄弟教会の会長さんが急に倒れて、10時からお願いづとめをするので、協力いただきたいとの、大教会長さんからの伝言がグループラインで流れて来た。

さっそく、本部の神殿でお願い勤めをさせて頂くと返信をして、時間に神殿へ向かった。

10時にお願いづとめをしていると、私の前に初めて神殿へ上がったであろう人が目に入る。

あまりにも気になるので、「教祖が声をかけろと言われているのではないか」と思い、思い切って声をかけた。

すると、日本語が通じない。英語ならばわかると英語で返事が返ってきた。
てっきり日本人だと思って声を掛けたのだが。。とても焦った。

私は「英語が話せない」と言った。

しかし、なぜか片言の英語が出て来て、旧総合案内所へ行って、英語の分かる人に案内を頼むことにした。

そして、旧総合案内所へ連れて行くと、台湾伝道庁長をされていた先生に出くわす。

普通ならば、こんなところにおられない先生なのに、たまたま他の方々の案内のためにそこにおられたのである。

偶然に出くわし、事情を説明すると、中国語でその方と話をされた。

そして、旧総合案内所から海外部へ連絡を入れてもらい、中国語の話せる方が10分ほどで来てくれることとなった。

その10分ほどの間、その先生が相手をして下さったのだが、初めての人はどうなるのかと心配そうな顔をしていた。

本当に10分ほどで、海外部の方が来られて、初めての方に「ニーハオ」と挨拶をされると、初めての方の顔がパッと明るくなり、そのまま神殿へと向かわれた。

海外部の方の名札を見て、母国語での会話がどれだけ安心するのかと、思った。

そして、この巡りあわせに親神様・教祖のお導きを感じた。

さらには、会長になりたての時、部内教会の当時奥さんだった方の身上願いで、不思議な事があり、その数日後にウソのようなご守護を頂いたことを思い出して、突然倒れられた兄弟教会の会長さんもご守護を頂けるだろうと思って神殿を後にしたのであった。

そしてその教会長さんは、その後数日たって意識を戻して、今はリハビリに入っておられる。
そして、その子供たちも役員さんと共に頑張って教会を守っていてくれる。

おぢばは不思議なところ。。。
そして、親神様・教祖は常に私たちを見ておられて、導いてくださっている。

「願う誠の心」に見える利益が神。。。
ありがたい。

今日も一日よろしくお願いします。
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大教会の秋の大祭が終わりました。

2024年10月24日 04時36分10秒 | 思った事
久々の投稿です。
昨日10月23日、愛知大教会の秋の大祭が終わりました。
雨の中の大祭で、神殿講話の最中にはとても激しく降りました。

10月20日父親の30年祭をつとめました。
兄弟誰一人欠けることなく迎えることが出来た事、とてもうれしく、また前夜から皆が集まり、にぎやかに食事をして当日を迎えることが出来た事。
本当にありがたく思いました。

コロナになり、皆が集えなくなって4年が経ち、コロナやワクチンの異常とともにそれを扱う人々の異常性も露呈した現在、ようやく日本の民衆もその異常性に気が付き、考え始めたように思えます。

フランスから弟夫婦が帰って来て、「日本の気象がこんなに急激に変化するのは異常だ」という言葉に驚きました。
フランスではこんなに大きく気候が変化していないようなのです。
つまり、この地域だけが異常に操作されている可能性も十分に考えることができる情報だと思えたのです。

以前より飛行機がまき散らす飛行機雲について、フェイスブックに何度も写真を投稿しましたが、今でもそれは続いています。

昨日の天気も、雲の様子を見ると本当にこれまでには考えられない動きをしていました。
高い空には、秋の涼しげなきれいな筋雲がありながら、その下にどんよりとした黒い纏まった雲が動いているのです。
またその動きもとてもはやく、さらにはその中にも小さな白い雲があったりと、ゆっくりと変化する自然の動きからは想像できないものでした。
夫婦で大教会からの帰り道、車から西の空を見ながら話し合った内容です。

マイコプラズマ肺炎が流行っているとも聞きました。
子どもさんが入院されたということから、その話となりました。
大気へそうした菌が撒かれれば、そうしたことも起こりえることを、オウム真理教のサリン事件を思い出しながら、ワクチン接種と関連付けて、悪事を行おうとすれば、十分にできる事。と考えずにはおられないのです。

そうした状況にある現代の日本でもあるということです。

世界の戦争のニュースがテレビから流れていますが、この日本でも情報戦争が行われ、細菌戦争が行われている。
そのようにも感じています。
誰と誰が争っているのか、それは支配しようとする上の人々と、支配されない自由な暮らしを求める人々との争いだと思います。

このネットの世界で、情報が検閲されて、使えないキーワードがいくつもあります。
ユーチューブやフェイスブックなどで、それは顕著に表れていて、イーロンマスクが買収した{x}をフェイスブックへ共有すると、内容が表示されない状況からも、そうした言論を支配しようとする人々がいることを知ることが出来るはずです。
現在では、ノートという注意書きを使った言論操作も露呈していますので、数年前よりもより複雑な状況でもあります。

国と国との戦争は、戦争を起こそうとする人々がいなければ起きません。
人と人を争わせようなどとコントロールする人々がいる事も知っておく必要があるでしょう。

自分の身は自分で守る。
同じ家族でも、考え方はそれぞれなのです。
情報を鵜呑みにしない。
これがとても重要です。

そうした中に、親神様の存在もとても重要な事なのです。
親神様は人々の心の見分けをされています。

それぞれが生まれ変わりして積み重ねたいんねんを切り替えるように、様々な事情で導かれています。
人間は自分に困ったことが起きなければ、考えないのです。
困ったことが起きて、その原因を探ろうとします。
そしてそれを乗り越える時に、様々な知恵、悟りなどを得ます。

その積み重ねが文化ともいえるでしょう。

親神様はそれぞれの心を見定める上に、事情を起こし、善と悪とを見分けて導かれます。
自ら心のほこりを払おうとするか、心のほこりに気が付かずに我がの欲望のままに歩むかも見分けの一つです。

おふでさきに「見定め付けばいかなもようも」という言葉があったかと思います。
おふでさきの前半は、かんろだいを建設して、人々を助けたいと、とても勇んだ雰囲気を感じるのですが、後半部分は、人間の心が親神様の思いを理解できずにいることから、ざんねんという思いが出て来ます。
そして、かんろだいの石の没収から、ざんねんの思いがより一層強くなり、ざねんをかやす。という思いが感じられます。

人間と神様との陽気な世界を作りたいと思って、この世界を作ったと、人間創造の目的をはっきりと教えられたのが、この「天理教」の教えです。
そのための道筋を、教祖や先人の先生方の歩みを、善悪のひながたをして教えられたのも、この教えです。

ただ単に、病気の平癒を願い、叶えられる教えではありません。
病気の平癒ばかりに心が向いていたり、それぞれの生活にばかり目を向けているとこうしたことは感じられず、右往左往することになります。

生まれ変わりで変わりをしっかりと心において思案する必要も教えられているのです。

親神様は誠の心を受け取って、どんなご守護、お働きも見せて下さり、大難は小難に、小難は無難にとお連れ通り下さいます。
十分な知恵などが使えなくても、親神様にもたれて、親神様の教えを求めてコツコツ通ることが重要です。

出かける時間になりました。
久々に思うがままに。。。

今日も一日よろしくお願いいたします。
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製本後。。。

2024年09月08日 03時50分38秒 | 思った事
先日製本を終えたところ、次の「教祖様御伝」の進み具合が格段に良くなった。
前回の「稿本 教祖様御伝」は、手探り状態で始めた。
製本したレイアウトに基づいて文字化、書き換えを行っている。

今9月8日の午前3時30分 本部神殿奉仕へ向かう直前である。
1時頃目が覚めて、作業を行っていた。

歳を重ねて、目がかすみ、朝起きた時が一番よく見える。
作業を始めて2時間ほどたち、目がかすみ始めたので、これで終わるが、作業を進めて、感じるところがあったので、記録としてブログを書き始めた。

それは、2代真柱様が付けられた「稿本」の意味が気になったのである。

そして今、乞食に乳を与えられたところの作業をしている時にふと。。。
初代真柱様が書かれたこの2冊は、伝記としての意味が多いのに対して、2代真柱様が編纂された「稿本 天理教教祖伝」は、教義書という意味合いを含んでいると聞かせてもらう時、この変遷を思案することも重要ではないかと思えたのである。

先日、ある人と話をしていて、つとめ人衆の生まれ変わりについての話になった。
そうした記録が残されているが、一方「おさしづ」では、誰の生まれ変わりだと詮索することを止められているものもある。
このことについて、私なりに思うところがあるのだが、まだまとまっていない。
ただ、魂は生き通しで、生まれ変わると前世の記憶が無くなる。ということを考えた時、このシステムを理解しなくては陽気ぐらしは実現できないのではないかとも思えるのである。

これから、かんろだいの側に座らせて頂く、今日は何を浮かばせて頂けるだろうか。
楽しみである。


世界では、様々な事柄が変動している。
環境も、人間社会も。。。
これは、お道の話を聞く人も聞かない人も、この地球上に生を受けた者すべて共通することである。
そして様々な事情が起きてくるのである。

そうした中、人々が大難は小難に、小難は無難に守られることを願って。。。。
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9月になりました。

2024年09月02日 06時09分51秒 | 思った事
台風10号がようやく落ち着いた今日です。
被害にあわれた方々には心よりお見舞い申し上げます。

スマホからフェイスブックへアクセスできなくなって、自分から発信する量が極端に減り、ご心配下さる声を聞かせて頂いております。
お陰様で、私は元気にしております。
と言っても、無理は聞かぬ身体ですので、相も変わらず、親神様にもたれて出来ることをぼちぼち行っています。


長い間かかっていた「復元33号」にある、「稿本 教祖様御伝」を文字化して、書き換え文を加えて製本するまでに至りました。
一緒に当番をする先生方と共に。。。


この製本は、自分でプリンターで印刷して、自分で製本したもので、30部作って、一緒に神殿当番をされる先生方にお分けする事にしました。

時報社で同じものを作ってもらうとしたら、30から~50部だと、一冊10000円はするとのこと。。。


A4で、ページ数は170ページのカラー刷りですから、部数がなければそうだろうなぁと思いました。



プリントするインク代だけで、単純に計算して1700円はかかり、紙代で300円ほどかかるのですから。。。
ましてや作るのに、とても時間がかかります。
安易に自分でも作ることはできません。

今回は、30部、何とか頑張りました。。。
ところが、一冊ページが逆になっているものがあり、一冊無駄にしてしまいました。(;;)

しかし、教理の勉強をする資料としては、大変良いものが出来たと自負しております。(^^)
8月の月次祭に、親神様・教祖にもお供えさせて頂きました。

教祖・親神様のお話、歩まれた道は、とても意味深いもので、それを深く学ぶことは、人間が陽気に暮らすためには不可欠なものだと思う私からすると、
この本の重要性には特段のものを感じるからです。

次は、同じ「復元33号」にある「教祖御伝」です。
墨字で書かれて、読めなかったものが読めるようになること。
それが、40年以上かけてようやく叶う時を向かえている今日です。

「成人次第に見えてくるぞや」
このお言葉、とてもとても深いと感じるとともに、
「求めれば与えられる」
も、すぐではありませんが、求めていれば、時を経て必要な時に与えが来るものと思うものです。

どうぞ今月もひと月よろしくお願いいたします。
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