あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

うちと世界。。一人だけでも。。誠一つ。。

2023年01月31日 09時51分36秒 | 思った事

親神様は本当にふしぎなお働きを見せて下さる。

願う誠の真実で。。

 

もう二年ほど前の、このコロナが始まった頃、

今の時について、明治に変わるための戦争が起こる事を予言して「神が心配」と教祖が言われた事を書いた。

 

まさしく世界は戦争の中に突入した。

それは、
目には見えない侵略戦争とそれを阻止しようとする戦争であった。

新型コロナなどのウィルスによる攻撃、ワクチンによる攻撃。
だれが敵で誰が見方か分からない戦争。

まったく、平和に生活をしていた日本では、考えられる次元を超えた戦争であった。


そして今、改めて先ほどの「神が心配」と言われた当時の事を思い浮かべた。

これは明治に代わる時の戦争を予言しての言葉であるが、この時実際に教祖の側で直接戦争が起こったわけではない。

しかしこの戦争によって、その結果によって様々な事が変わった。

その一つが、この前年の慶応3年に苦労して行った吉田神祇管領への公認出願が、この事によって無効になった事もその一つである。

また、その前年慶応2年には、「この道は、人間心でいける道やない。天然自然に成り立つ道や」と常々にお話しくださっている。(逸話編17)

 

明治20年 教祖が現身を隠されて、「応法の道」を歩むようになり、明治政府の方針に乗って、教えは日本から日本に近い世界へと広がった。

その中、日本国内では政府からの弾圧妨害にあっていたのである。

この弾圧により、「元の理」は説けず、おつとめの変更も余儀なくされたのである。

 

そして、昭和になり、第2次大戦を終えて、また世界が変わった。

自由に物を言えるようになり、政治にも関わるようにもなった。

そして布教の仕方も変わって行き、教えは地球の裏側にまでも広がって行った。

 

教祖が「あらあら教えが伝われば、人間の成人分かるやろ」とのお言葉がとても良く分かる。

日本国内で弾圧された時、日本国内の10分の1以上の人々が天理教の信者になったのである。

それで、政府は恐れをなして弾圧を始めた。

それが、弾圧によって信者はどんどん減った。

しかし、そうした中でも親神様を思う人々だけが残ったのである。

 

1代より2代、2代より3代というお言葉があるが、家の信仰が続くと素晴らしい事になってくる。

少しの話を聞いただけで理解して、行動できる人々が現れるのである。

こうした人々を見ると、前生すでにお道の話を聞いて通った方の魂ではないかと思ってしまうのである。

 

ようやく日本では、ワクチン接種の薬害によって人々は気づき始めた。

これまで善と思っていたものが悪であり、人命などなんとも思わぬ者達に利用されてきていたと。

 

親神様の教えは「互い立てあり助け合い」であり、「人の命」を慮る事は当然の事であるのに、まったくそれとは逆の事をしている。
それも善の仮面を被って。

 

八つのほこりのお話の後に、「うそと追従これ嫌い」と言われた言葉がとても良く分かる。

ウソは良いものすらもウソにする。

 

教祖がおふでさきを書かれ、元の理を説かれ、更には助かるためのおさづけをお渡し下されたのに、自分の気に入る処だけを用いて、自分の気に入らない事は持ちいらずに通って来た。

そうした理が、現れる時には現れるのである。

 

陽気ぐらしをするためには、それぞれが自分のいんねんを自覚することが重要である。

このいんねんを元に、心の立て替えが出来、陽気な心へと変えることが出来るのである。

その為に親神様はあらゆることを見せられる。

前生からの事を含んで、総ての人に平等に。。。

 

教祖のひながたもそうだが、「人がしなくても、自分一人だけでもと」と定めて通られた本席様の道。

これはとても重要だと思う。

 

心に誠あるならば。。。である。

 

昨日、何十年ぶりかに同級生から電話があった。

とても嬉しかった。会える時を楽しみにしている。

 

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教祖に入り込んだ親神様は。。月様?それとも日様?

2023年01月28日 10時22分59秒 | 思った事
今日は、1月28日です。
1月24日にふと思い浮かんで、フェイスブックに書き留め、それから26日まで書いた事を、ここにまとめておきます。
 
・・(1)・・・
 
1月24日 5時
アルバイトが終わって地下鉄の中、一人言。
かしものかりものから、思案したことを今日書いた。
 
その時書きながら、「教祖に入り込まれた親神様は、くにとこたち様?おもたり様?」と思った。
 
これまでこんなことは思うこともなかった。
 
元の理では、「くにとこたち様・月様」から「おもたり様・日様」に相談を掛けて、人間を作り育てる道具を寄せた。
 
その道具は、「くにとこたち様」と「おもたり様」に食べられるから、道具の働きは、「くにとこたち様」と「おもたり様」の物となる。
 
そして、「くにとこたち様」は「イザナギ様・男ひながた」に入り込み、「おもたり様」は「イザナミ様・女ひながた」に入り込む。
 
入り込まれた「イザナギ、イザナミ様」は、男女の一の道具を持つことになり、夫婦のひながたとなる。
 
おやさま、中山みきさまは、イザナミ様の魂。
夫善兵衛さまは、イザナギ様の魂と言われる。
 
※以前見た資料が見当たらないが、「正文遺韻」36頁 善兵衛様御長逝に
「このお方も、素よりいんねんのお魂で、親様でありますから、助け一条の御心がけでおわしましたので、御教祖様と共に、施しを御好み遊ばされました。」と記されている。
 
教祖には、人間宿仕込みのイザナミ様の魂があって、その体に親神様は入り込まれて、様々な事を始められた。
 
これまでは、陰から守護していたのが、表に現れて始めるとして。
「我は天の将軍なり、みきを神の社に貰う受けたい。・・・」と言葉を出されて、夫善兵衛様の承諾を得て、この教えは始まった。
 
イザナギ様の魂の、夫善兵衛様に、親神様は入り込まれない。
 
教祖に入り込まれた親神様は、「月様?それとも日様?」
 
ちょっとした疑問である。

 

・・(2)・・・

1月25日 13時
大雪に見舞われ、急遽電車でおぢばへ帰ることとした近鉄電車の中より。
 
昨日、おやさまに入り込まれた親神様は、「くにとこたち・月様?、おもたり・日様?」と疑問を書いた。
その続きを書いてみたい。
 
まず、「くにとこたち様」をこれからは、「月様」と書き、「おもたり様」を「日様」と書く。
 
「月様」は「日様」に相談をされたわけだが、「月様」の働きは「水気・水」、「日様」の働きは「温み・火」である。
 
水と火について、よく対照的に解釈をされる話を聞いたが、よくよく考えると、対照的では全く無く、異なるものなのである。
 
つまり、「水」は物であり、「火」は物ではない。
 
「火」は暖かい・燃えるなどと言う、物の状態を示している。
 
「水」に暖かみが無くなれば、「氷」と言う形になり、暖かみが加わり続けると、「水蒸気」という目には見えない状態になるが、水は存在する。
 
「水」は触ると冷たく感じるので、「許されがたい理」を私は連想し、「火」は暖かみから「許される情」を連想する。
 
この「二つが一つ」で調和をとり、この世、物質の世界の元を司っているように感じている。
 
チョット話はそれるが、
 
人間の身体の両手両足に付いている指について、「親神様の10の働き・十柱の神を形どって、10本の指を付けておいた」と教えられる。
 
そして、親指は「月日様の如く」と言われており、他の指の動きに添って常に動くようにあり、それによって細かな作業と力のいる作業も出来る。
 
この事から、
親指である「月日」の働きなしに、他の指である「風、つなぎ、つっぱり、引き出し、飲み食い出入り、切る働き」はない。
 
さらに、これらの働きがあってこそ、小指とされる「男ひながた、女ひながた」の働きが出来て、子供が増える楽しみとなる。
 
さて、
「月様」の働きである、「水気・水」を物質と考えたとき、砂漠が思い浮かんだ。
 
そして、様々ある物質を繋いでいるのは水?と思えて、「皮繋ぎ」の働きも、「月様」が添えばこそ。と思えたのである。
 
また、
「日様」の働きである温みは、物が燃えるからエネルギーを得て、様々なものが動くことが出来る。
 
「引き出す」という動き・働き、「飲み食い出入り、循環」という動き・働き、その他全ての働きも「日様」の温みによるエネルギーなくては成り立たないのである。
 
燃えるという事は、物質が分解するのである。
その他、物質が分解して小さく切り刻まれて小さくなる時に、つないでいた力がエネルギーなると考えると、この「切る」という働きも、「日様」が沿えばこそと思える。
 
しかし、この沿っている「月日様」の働きは、見た目には感じられない。
このように思案して初めて感じられる。
 
本当に陰の、元の守護だと思うばかりである。
 
「月日様」がすべての元。と考えた時、おふでさきに言われる「月日が一の神」を得心するのである。
 
「十柱の神様の働き」をここまで考えて、改めて、「教祖に入り込まれたのは?」と考えてみたいが、まもなく電車が着くので、ここまでにする。
 
また次回、思うがままに。
14時です。

 

・・・(3)・・・

1月26日 8時30分
 
大祭参拝に行く前に。。。(春の大祭は11時開始)
 
昨日電車の中で、書きかけた、「教祖に入り込まれたのは月様?日様?」の続きです。
 
「月様」と「日様」は、「水」と「火」。「水気」と「温み」。
また、「男神」と「女神」である。
※「月日」「月様日様」と言うのに、働きについては「火水」「温み水気」と言うのだろうかと、書きながら思った。。(余談)
 
 
つまり、
人間を作ろうとされた時にすでに、男女の区別は出来ていたわけである。
 
「男」と「女」の性分、性格、また考え方を思案すると、異なる事が分かる。
 
不思議にも
異なっているのだが、求めあい。
異なっているが故に、理解できずに衝突もする。
 
そうした二人の間に、子供が出来て、家庭を作り、それが広がる。
これがこの世の仕組みである。
 
 
「教祖のひながた」を考える時、人間を溺愛されて、「そんなことまでするの?」と思える逸話が多分にある。
 
例えば、ご自分がおいしいと思えば、何でも人間にやろうとする。
困っている姿を見れば、自分の事を捨ててでもその者をたすけようとする。我が子の命までも捧げてである。
 
これに対して、
反対する者、高慢なものに対しては、厳然とした態度を取り、理詰めで話をされる。
多くの神官や僧侶、また官憲などに対する態度がそれにあたる。
 
その中「本当に神があるならば、この身にバチを当てて見よ」という者に対しては「火水風とも退くと知れ」と言い切られている。
 
この両方の姿を思い浮かべる時、まったく極端な相反する姿を感じる。
 
 
先回「水の冷たいイメージから理を感じる」「温みの温かい感じから情を感じる」という事を書いたが、教祖にはこの両方が備わっているように思うのである。
 
私自身が男という性格からして、女性の発言などを思うと、
「理」と「情」の違いを感じずにはおられない。
 
男だから情がないという訳ではない。また女だから理詰めの事が出来ないわけではない。
ただ、大半の人々を見ていると、本来の「男女の性分」に流されて、それが理解できずに右往左往されている人々が多いように感じるのである。
 
教祖が、この「理」と「情」をしっかりと使い分けられることを考えると、「月様日様のどちらの魂が入っているか?」というのは、「両方の魂が入り、それぞれが相談をして、様々な状況に応じて必要な態度を示されている」と思えるのである。
 
夫婦になって、子供を育てる時、夫は夫の考えで子供に接する。妻は妻の考えで子供に接する。
 
この二つを子供は得ることが出来て、様々な学びをして大人へと成人して、新たな家族を作るのである。
 
「教祖のひながた」を考える時、夫善兵衛様が出直されるまでは、尽くす一方であったように思う。
 
夫善兵衛様が出直されて、親神様の思召しから母屋を売り払う事となる。
その時には、「これから世界助けに掛かる祝って下され」と宣言されて、こかん様を浪速へ神名流しに出されるのである。
 
そして母屋の建っていた場所につとめ場所が出来、ぢば定めが行われて、つとめの完成へと道が進むのである。
 
そしてさらに多くの人が集うようになり、80才を過ぎた頃には、夜中にでも人々に話しを取り次がれ、「この年になれば、女の身でありながら、夜中に人を寄せても誰もおかしく思う事も無いだろう」とも言われているのである。
 
人間の考えを考慮した、男女の節度を慮った導き方をされている。
 
これを思うと、夫婦の理と情の使い分けを一人でなされて、子供である人間を育てていると思わずにはいられないのである。
 
私たちは、元来、夫婦なり、心を寄せ合い相談をして、良いように理と情を使い分けて、次につながる子供たちを教え導く役目があると思うのである。
 
これから、ご本部へ参拝に出かけます。
思うがままに。。。
 
・・・(4)・・・
 
1月28日 10時
 
大教会神殿当番にて。。
 
本部の大祭を終えて、また御用を終えて、昨日支部の用事を済ませて昼から大教会の当番をしている。
当番と言っても、ご本部のように結界内で着座奉仕をするわけでもなく、事務所の電話番をしながら、お願いがあればその対応をする。
 
昨日は、新しい教会名称録を印刷する作業をした。
今日は名簿の作業をしようとしたのだが、なぜかソフトが起動しない。
再インストールするにも時間がかかるので、あきらめた。
 
そして、今、フェイスブックに思うがままに書いたものを添削して、このブログを書いている。
 
さて、
「教祖に入り込まれた親神様は、月様?日様?」の結論は、「両方」。
 
おふでさきで「月日」を指して「一の神」と言われるそのままなのである。
 
この二つの異なるものの調和がとれた中に、私たち人間は生きることが出来、そして陽気ぐらしが出来るのである。
 
親神様という呼称は、人間が付けた呼称であるが、この親神という意味は、様々な神の元の神、親の神という意味も考えられる。
 
それと共に、人間は親となって子を育てる。これが連綿と続いてこそ楽しみがある。
親となって子供を育てる苦労。これもまた親の喜びの一つである。
 
こうした親の心を学ぶようにと導かれる神様と考える事も出来ると思う。
 
 
世の中には、大人となっても子供を育てることが出来ない人々も沢山ある。
その原因は何か?と様々な人々が研究をされていると思う。
 
私は、その子供を育てる親の手本を教祖が一人で示された。
そのようにも思えるのである。
 
「人は神」とも言われる。
 
かしものかりものからすれば、どれだけ心で思っても、十柱の神様の働きがどれ一つ無くなっても、私たちの身体は動く事も出来ない。
 
親神様の許しがあればこそ、心の思うがままに体を使う事が出来るのである。
 
つまり、身体に現れる事が、親神様からのメッセージと捉えることができるであろう。
 
よく霊の言葉が聞こえるという方たちがあるが、霊の声は聞こえずとも、身体の調子から親神様の思いを悟り、心の向きを正していく。
 
親神様が望まれる「誠真実」の心が使えるようになって行く。
そして、子供をそのように育てていく。
 
これが天理教に縁づいた人々の目指すところではないかと思う。
 
・・・
話しはそれるが、ひながたという事から。。。
 
「苦労が先」と教えられ、教祖のお話を真っすぐに受けて通られたのが、本席様・飯降伊蔵先生である。
 
またこの本席様は、十柱の神様の魂ではない。
我われと同じ、ドジョウの魂である。
 
この本席様の歩まれた道。
これも大切なひながただと私は思う。
 
思うがままに。。。
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いよいよ日本でも。。。16日から19日 Facebook投稿の記録

2023年01月19日 23時00分55秒 | 思った事

新型コロナが始まる前から、ウソが次々と公になる事が気になって、ニュースから思う事を書いて来ていた。

当時は、海外、それも中国の事が主だったと思うが、それがアメリカ大統領選挙の不正を目の当たりにして、世界中がウソだらけの情報で操られていると思えるようになった。

そうした中に新型コロナ、ワクチンの疑惑があり、日本がどれだけガラパゴス状態にあり、思い込みの中に生活をしているかという事も実感した。

先日のアメリカ中間選挙以来、これまでに都市伝説と言われていた事が、次々と真実としてメディアに出てくるようになった。

都市伝説を知らない人々には、全く分からず、寝耳に水で右往左往している事だと思う。

親神様は「善悪共にみなかえす」と言われる。

善い人が悪い人に騙される事も多々あり、騙された善い人が知らず知らずに他の人を騙す事になる事もある。

また、「竜頭狂えば皆狂う」とも教えられる。

主たるものが狂えば、それに従う人々もすべて狂ってしまう。

主たるものが、悪を善と信じてしまえば、それに従うものの運命は主たるものの責任となるのである。

すべて、おふでさき・おさしづによって示されている。

自らのいんねんを自覚して、黒き者・悪しき者に惑わされないようにと願うばかりである。

さらには、もし惑わされたとしても、親神様のお導きによって、大難は小難にと守られて、親神様のご恩を感じてもらえれば、これから先が変わるかと思うのである。

ともかく、生きて行くために仕事に専念しなければならない人々に、色々と考える事は難しいのである。

だから、せめて良き人は、朝夕に親神様にお礼を申して、大難は小難にと守って頂きたいと願う今日である。

・・・・

Facebookでは、スマホから思う事を書き残る事が出来るが、まとまらないので、

16日から19日に書いたものをここに記録しておく。

・・・・

1月16日6時30分
今日はアルバイト。
いつものように、地下鉄の中から。。。
昨日は、ひょんな事から、足助まで天理教の信仰を長谷川に伝えた家に、母親を連れて出かけた。
長谷川家の入信を考え、これまでの道中を、また、婚姻による信仰の繋がり方などを思い返した。
我が身を忘れ、親神様のご守護を願うなどの様々な思いを持って、歩まれた先人、その姿を見て様々に思いを持ち、それぞれの道を歩んだ子供たち、そうした姿を見聞きして思案し、歩む孫、ひ孫たち。
この積み重ねがとても重要だと思った。
身上だすけを願い、親神様の思いを思案する上には、本人の心もさることながら、その家の歩みを思案することが重要であり、これを積み重ねて思うことである。
多くの家が断絶していることを思った時、それを繋いだ方の真実を再確認する時だった。
人間思案では、ほこりの心を払うことは出来ずに、陽気ぐらし出来ずに、いずれは断絶となる。
それを危惧してこの道を始められたとも思える。
皆、自由を求めるが、心して通らないと、その自由が、逆になる。
いかな大道通りても先の細道さらに分からん。である。
全ては親神様の采配の中、今日も心して勤めたいと思う。
・・・・・・
1月16日
YouTubeチャンネルを見て。。
 
アメリカ大統領選挙前、単身アメリカに乗り込み、マスメディアが伝えないトランプ支持者の情報をライブで届けていた様子を思い出します。
あの当時、我那覇さんは「アメリカに守ってもらわねば、日本は危ない」と常に発言をして、多くの人々にインタビューをしていた記憶があります。
そして、大統領選挙が終わり、不正によってバイデンが勝った事になった後は、アメリカはアメリカ人が自由を取り戻すとする人々の様子や、アメリカの国境の様子などを配信していました。
その内に、彼女は日本はアメリカに守ってもらわねばならないという言葉を発しなくなりました。
それよりも、今置かれている現状、事実を民衆が知る事が重要として活動をしているように私には思えます。
 
WEF protest live 【生配信】WEFへの抗議活動@ダボス
我那覇真子チャンネル
チャンネル登録者数 24.2万人
2023.1.15配信
 
・・・・・
1月16日
 
ニュースを見て。。。
以前、妊婦にも安心安全という記事やニュース報道が出てましたが、世界中から、異常が報告されて、まったくのデマでしたね。
そして、その記事は、今ではどこにも見当たりません。
この記事も同じようになる事でしょう。
世界中では、ワクチンは有効性は無い事を民衆は承知して、人によっては死する事も、すべては神に任せるとして、ウソばかりの薬剤は使わないという話しも聞きました。
面白いもので、神様を信じて、神様の言うとおりに日々を過ごそうとする人と、そうではない人の差が、世界中で現れているように思えます。
さて、あなたはどちら?
記事を記録しておきます。
・・・・・・・
新型コロナワクチン 国内初の正式承認 米ファイザー製 厚労省
2021年2月14日 17時45分 NHKニュース
アメリカの製薬大手ファイザーが開発した新型コロナウイルスのワクチンについて、厚生労働省は14日午後、安全性や有効性などが確認されたとして、正式に承認したと発表しました。新型コロナウイルスのワクチンが国内で承認されたのは初めてです。
ファイザーが日本国内での使用に向け、去年12月に承認を求める申請をしていたワクチンについて、厚生労働省の専門家部会は12日、有効性や安全性などを審査した結果、発症を予防する効果が期待できるとして、承認を了承しました。
これを受けて厚生労働省は14日午後、正式に承認したと発表しました。
新型コロナウイルスのワクチンが国内で承認されたのは初めてです。
ファイザーのワクチンは、16歳以上が対象で、原則3週間の間隔をあけて2回接種します。
正式な承認を受けて、今月17日にも医療従事者に先行して接種が始まる見通しです。
政府はファイザーと年内に7200万人分の供給を受ける契約を結んでいて、順次、高齢者などへ接種を進めていく方針です。
新型コロナウイルスのワクチンをめぐっては、このほか、
▼イギリスの製薬大手アストラゼネカが今月5日に厚生労働省に対し承認を求める申請を行っているほか、
▼アメリカの製薬会社モデルナも国内で治験を進めています。
政府 自治体との連携強化へ
新型コロナウイルスのワクチンの円滑な接種に向けて、政府は、実務を担う自治体の準備に支障が出ないよう、ワクチンの購入や接種などに必要な費用はすべて国が負担することにしています。
また、具体的な接種の進め方について自治体から問い合わせが相次いでいることから、厚生労働省は15日、都道府県の職員も加わる形でおよそ40人からなる対策チームを発足させ、自治体との情報共有を図るとともに、接種の進捗(しんちょく)状況を確認する方針です。
日本医師会 中川会長「不安がある人 医師会などに相談を」
日本医師会の中川会長は「ワクチンの接種が始まることで、新型コロナウイルスとの闘いは守りから攻めに転じる。日本医師会としても、全国の医師会と連携して情報を収集し、接種を受けるかどうかの判断をサポートできる情報をわかりやすく伝えていきたい。基礎疾患を持つ人などワクチン接種に不安がある人は、あらかじめ『かかりつけ医』や身近な医療機関、地域の医師会に相談してほしい」とするコメントを発表しました。
 
・・・・・
 
1月17日
 
1月17日 6時30分
おはようございます。
今日も、アルバイトです。
アルバイトに行けるお陰で、月次祭の新鮮物が買えて、お下がりを持って帰って貰えます。
不思議なものです。
「30日.50日先の守護をしている」といわれますが、正しくと思います。
徳いっぱいの先回りのご守護を感じずにはおられません。
地下鉄の中から投稿しています。
写真は、ブログに上げたいと思って、先日撮った、天理教事典です。
「おふでさきに関するおさしづ」の次の願い人は、松村栄治郎です。
いつ頃投稿できるか分かりませんが、一つ一つ進めています。
今の政治の状況をみる時、まず選挙の時から「お願いします」と票を入れてくださいと頼みます。
頼むと、頼まれた方は、「入れてやったから」と色々な条件を提示します。また頼んだ方も、頼んだ恩を思って、善悪考えずに言うことを聞いたりします。
よく先輩後輩という関係でも、このようなことがあったりします。
親神様は、このおやさまの教えが人々に広まり、また教えを求めに来るにしても、神殿などの建築をするにしても、親神様から頼みはせず、人々の方からさせて貰いたいと言い出して、成ってきていることを感じます。
段々と人が集い、組織が大きくなってから、無理に人を寄せようとか、させようとかの算段が出てきて、時がたってその付けが現れるようにも感じています。
このように思う切っ掛けとなったのは、教会本部が認可されるも、一派独立がはたせず、神道本局とやり取りするなか、多大な資金の寄付を求められた時のおさしづを読んだことでした。
この道は、一人立ちする教えであり、天然自然に成り立つ道と教えられ、天然自然は、親神様であることを思うと、親神様の思いを、計画をしっかりと感じることが重要であると思わずにはいられません。
今日も一日よろしくお願いいたします。
。。。
「当時、神社本庁や国に相当額の寄付をしたのは事実です。」とコメントを頂き、以下の如く書き足しました。
 
寄付を求められた、その時のおさしづでは、「あいそ」という言葉がでて来ます。
この神社本庁や国などの方針を、理に叶った事と思う人々も多くあったと思われますね。
そうした中に、おたすけに歩かれたり、ご本部への御供をしたいと思った先人の話で、郡山初代の話がとても印象深くあります。
それは、御供、寄付をして欲しいとは絶対に言わず、困った表情なりしぐさで、周囲がさせて欲しいというのを待っていたという話しです。
とかく人間は、人を頼りとしますが、親神様のお働きの中に生きる上には、第一には神様を頼りとする事が重要で、人を頼りとすると、その人が間違ったり、倒れたりすると大変な事になります。
 
・・・・・
1月17日 ツイッター
【赤十字、ワクチンを打った人は献血できません?!】やはり、こういう展開になってきましたね。 https://t.me/mint17mint/7767
を見て。。。
 
当然の事と思うけど、日本では認めないだろうなぁ。。。
このワクチンによって、医療や製薬会社に対する不信が増大したと思うけど、そうは思わない人々もいる事は事実。
こうした意識の差はどうして起きるのだろうか?
男女がそれぞれの考え方をなかなか理解できず、様々な問題が起きるのと同じようにも思える。
 
 
・・・・・
 
1月17日 ユーチューブ「一体どういうことだ!? 打てば打つほど、、、」を見て。。。
 
蚊を媒体として、ウィルスをばらまく話を思い出しました。
予防という概念を考え直す必要があるように思います。
 
SAGAWA
チャンネル登録者数 7.7万人
 
・・・・・
 
1月18日 9時30分
昨日は夜中、数度目まいがしてその度に起きてトイレへ行った。
今朝は全く目まいがしない。
何だろうと思って、記録しておく。
今日は部内の大祭です。
これから出かけます。
今日も一日よろしくお願いいたします。
 
・・・・・・
 
1月19日 8時30分
昨日は部内の大祭をつとめ、今日はアルバイトです。
いつものように、地下鉄で出勤しました。
地下鉄の中では、昨日聞けなかったYouTubeを見るだけで終わりました。
様々な情報に触れて、自分で判断できる人は良いのですが、そうではない方が多分にあります。
これまでの常識だけで、政治や医者を信じる人もあります。
自分で考えない限り、今はとても難しい時代です。
そうした中でも、そうした方が、大難は小難に。そして親神様のお導き、お守りを感じて、日々を陽気に通って貰えるようにと常に念じております。
今日も一日よろしくお願いいたします。
 
・・・・
1月19日 ユーチューブ  を見て。。。
 
この方は本当にすごい人です。
アメリカ大統領選挙前とは、一段と変わりましたね。
単独で世界中で取材を重ねるその賜物と思わずにはおられません。
。。。
おやさまは何事についても、毅然とされました。
恐れたのは権力者であり、その権力者を恐れたのがおやさまの回りの人々でした。
その結果、おやさまは25年の定命を縮めて、世界助けに出向かれ、不思議を次々と現されました。
そして不思議を求めて人々がよると、また弾圧の中を通るという、歴史の繰り返しです。
しかし、その都度世界へは、かしものかりものを元にしたおやさまの教えが、陽気ぐらしに向かう考え方が、表現を変えながら、人々に広がっていきました。
ここで言われる「和」は、お道の方ならば、かしものかりものから、説明せずとも分かることです。
問題は、つとめ場所の棟上げ時に起きた、大和神社の節を思い起こせばよく分かるはずです。
この節で、飯降伊蔵夫妻以外は、誰もお屋敷へ来なくなり、それでも勤めきった飯降先生は、本席となられるのです。
こうした心が、親神様を知るものは、何よりも重要かと思います。
伊蔵先生は、お屋敷に住み込まれてからも、ひたすら伏せ込まれたのです。
同じ信仰をする人からも笑われることも、惨めな思いをされることもあったのです。
その中を通り抜けること、これがまた重要なことと思います。
教えを求め、教えを信じて実行する。
神人和楽を求めて!
今は、その道中のひとつの節目です。
心して通りたいと思いました。
 
【我那覇真子】会場が沸く!本物のジャーナリスト我那覇さんの演説!『日本国憲法施行71年』公開憲法フォーラムにて
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三才で出直すのも一生。。。(資料追記)そして、逸話編にあった。。

2023年01月13日 23時37分13秒 | 思った事
「3才で出直すのも一生」という言葉から。。。
近頃、「医者で延命治療をして貰いたくないと遺言をしている」と、良く聞く。
また、医者によっては、「延命治療しますか、自然に任せますか?」と尋ねる方もあると聞く。
ある方がこんなことを言っていた。
「私はおたすけも出来なかった。だから少しでも人のためにと、出直したら献体したい」と。
ところが、その話を聞いた子供たち(嫁や婿を含めて)は大反対をしたそうである。
「お母さんのお陰で今日がある。お母さんの身体をそのようにするのは、嫌だ」というのである。
周囲の心、これも大事である。
・・・
ここまで書いて、
表題とした「三才で出直すのも一生」とこれらがどの様に関連するのか?
と思う方も多いかと思う。
このおさしづを探したがこの言葉のおさしづは無かった。
しかし、以下のおさしづに関係するもので、山名大教会史での言葉であったと思われた。
No.  :(4巻2794頁8行)
明治30年7月16日朝 
『諸井国三郎渡台に付、部下重立ちたる者分教会に集まり御神前に御勤をなし直会頂戴の最中三才の小人身上一時迫りしに付願(十三日夜の事)』
さあ/\尋ねる事情/\、前々事情速やか許したる。だん/\よう/\の道を調え運んで、さあという一時の際、小人身上心得んという。心得んから尋ねる。尋ねるから諭そう。よく聞き取れ/\。国を立つ一時多くの中楽しみもあれば、又中にほっと思う者もある。よう聞き取れ。道のため教一つの理を聞いて定めた精神一つの理は末代という。この理をしっかり心に治め、辺所立ち越す処、勇んで/\どういう事もこういう事も、一度定めた理は末代の理という。さあ/\皆々それ/\治めてくれ。
『永井藤平同行の願』
さあ/\精神さえこうと言えば、明らかなもの。こうという精神あるなら、勇んで勇んで。さあ/\皆んな心に委せ置こう。
・・・・・・
そして、「山名大教会史」(昭和7年発行本)を見たところ、179頁「第10節 山名婦人会の創立と、台湾布教(その2)」にこの時の様子が書かれている。
 
台湾布教を志した 山名初代会長は自分自身で布教へ行くと心定めし、出発間際のお願いづとめをした時に、6女のなつのが突然ひきつけを起こしたのである。
そして、これを受けて、初代会長は
『たとえこの子が死んでも明日は出発するから、あとで葬式をしなさい。またどんな事があっても嘆くでない。定めたからには、台湾へ行って死んだら、また生まれ変わって来ても、台湾で必ず道をつけるから、しっかり心を定めていなさい』
と述べて14日に山名を立ち、16日におぢばで上記のおさしづを願い、おぢばを立ち、18日に日本を出発している。
 
この時にひきつけを起こした子供について出直したという記載はない。
しかし、初代会長の言葉から、生まれ変わりの出直しの教理をしっかりと心に治めておられる事が伺われる。
 
この他に、
子供で出直した事に関するおさしづを探したところ
明治31年10月31日 
『古倉槌蔵小人二才出直しに付、後々心得まで願(樫原所長)』
が見つかった。

No.  :(7巻6043頁8行)
明治31年10月31日 
『古倉槌蔵小人二才出直しに付、後々心得まで願(樫原所長)』
さあ/\尋ねる事情/\、余儀無く事情を尋ねるであろう。一度ならず二度ならず、出越して一つ事情、堪えるに堪えられん理であろ/\。一つ理を諭するによって、心を確に持って聞き取れ。これより先という、先(さき)と前(ぜん)との理を聞き分け。道のため尽して居る中、出越して居る中に一つ事情なあ、と思う。内々もこういう事と思う。よく聞き取れ、前々にもこう、一時こう、世上の人が何と思うやろ、更々思うやない。心沸かすやない。世上の理を見てたんのう。大難小難、道順序あればこそ大難小難。順序の理があるのやで。それ/\にも、その理を諭してくれ。内に居た処が、天災事情がある。前々事情分かりゃせん。前生一つの理のさんげという。これだけ諭す。成らん中、道のため運ぶ尽す理は、日々受け取りてあるで/\。たった一言(ひとこと)が、第一の理であるで/\。

「世上の理をみてたんのう」などの言葉から、いんねんの上に出直している事を思って、心治めて欲しい。と言われているように思える。

「大難小難、道順序あればこそ大難小難。順序の理があるのやで。それ/\にも、その理を諭してくれ。内に居た処が、天災事情がある。前々事情分かりゃせん。前生一つの理のさんげという。これだけ諭す。」といわれる、順序の理。さらには家の中にいても天災に合う事を思ったならば、すべては前生のいんねんによる事であり、こうした事をたんのうして順を追う事で結構になって行くと諭されていると思う。

さらには、

「成らん中、道のため運ぶ尽す理は、日々受け取りてあるで/\。」と、そのような大変な中でも、お道のためにと、心を運び身を運ぶ尽くす理は、親神様は毎日受け取っていると明言されている。

・・・・

上記の事を確認してから、ひょっとしてと「逸話編」を検索してみた。
すると、ここにあったのである。
以下に記しておく。
 
187
『ぢば一つに』
 明治十九年六月、諸井国三郎は、四女秀(ひで)が三才で出直した時、余り悲しかったので、おぢばへ帰って、「何か違いの点があるかも知れませんから、知らして頂きたい。」とお願いしたところ、教祖は、
「さあさあ小児のところ、三才も一生、一生三才の心。ぢば一つに心を寄せよ。ぢば一つに心を寄せれば、四方へ根が張る。四方へ根が張れば、一方流れても三方残る。二方流れても二方残る。太い芽が出るで。」
と、お言葉を下された。

 ここでは「三才も一生」とあるが「三才で出直すのも一生」と理解できる。

そして、前出の明治30年に、山名初代会長が台湾へ出発する際に、子供の身上を見ても「台湾で出直しても」と心定めた事を実行する信念は、親神様教祖に対して、またぢばに心を寄せる心の現れとして、この「一生三才の心」を貫かれたもののように思えた。

 ・・・ 

また、子供の身上について、「15才までは親の心の現れ」といわれるお話は有名である。
また、三才で物を言い始めというのも、三才までと三才からとの違いを現していると考えた時に、
出直しには、本人の意志とは関係なく訪れるものがあると言える。
また、今世で悪事を働き、牛馬として生まれる事、その後人間へと生まれ変わるまでの事。そうした魂が次に人間に生まれた時の状態を説かれた、生まれ変わりの話を思案すると、早く出直すことが一概に悪い事ではないと思えるのである。
エビや小魚に生まれたものに対する教祖のお言葉からも分かると思うが、おいしいと喜ばれれば人間に近くなるのである。
そして、こうしたモノたちの寿命は短いのである。
また、出直した後はどうなるかと言えば、物心ついて使う心は、その者の魂に徳不徳として、いんねんの元がついて行く。
先ほどのエビや小魚は「喜ばせたならば、その理で」というのがこれに当たるだろう。
つまり、この三才までの子供に関して言えば、そうした心も使わずに出直すことは、来生悪くなる事は無いはずである。
反対に親が、「お前のお陰でと」感謝をしたならば、よりよい魂となって帰ってくるのである。
先ほど、検体の話を書いたが、本人の意志とは異なった周囲の思いがある。
三才の子供に意思は無くとも、周囲の親親の心に思いがあり、その思いに対する出直しなり、身上であることを考えたならば、出直したことを喜び、来生素晴らしい人生を歩んでくれることを願う事が大切ではないかと思うのである。
人間は自分の考えで物事を見る。
本人と同じ思いになる事もあるだろうが、本人とは違った思いを周囲は思うのである。
そして、それに関わる人々が多ければ多いほど、様々な心が使われて、様々な問題が起きたりするのである。
大切なのは「心静めて思案する事だろう」
些細な事で、すぐに腹を立てる。
いんねんからなることを悟らずに人を恨む。
これは親神様から戒められている「ほこりの心」である。
親神様のご理想である「神人和楽の陽気ぐらし・陽気世界」を実現するには、どれだけ物が豊かになっても、それを扱う人間の心がそれを喜べなければ実現はしないのである。
今の与えを喜ぶ心。
人を思い、届かぬ人を届くように育てる心。
これを親神様から求められているように思える。
 
また、
私たちは、自分の希望ばかりを思って、親神様にお願いをする。
 
ところが、心のほこりが払われて、誠真実の心ばかりが使えるようになったならば、自分で願わずとも、思った事が思ったようになってくると教えられる。
 
この心のほこりを払う一連の工程、これが教祖のひながた、先人のひながたにあるのではないかとも思う。
 
 
 
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ツイッターメールの記録。。思う事。。。

2023年01月09日 12時14分44秒 | 思った事

1月9日 朝。

1月3日からパソコンのメールボックスを見るのを忘れていた。

今朝見たら300件以上のメールが来ていた。

ニュースの配信メールがほとんどだが、その中にツイッターのおすすめメールもある。

このおすすめメールが結構役に立っている。

・・・・・

自分や自分の家族、また周囲の人々を守るためにも、様々な情報は重要である。

自由というのは、そういうもの。。

人間は、自分が勝つために平気でウソをつく。。

そのウソの中にも、真実や連絡する情報を混ぜて、連携をとる。

これが人間、、それを理解して、親神様の導きを思案する事。

これが何より重要だと思う。

 

昨日ひさびさにおさしづを投稿したが、

このおさしづも、すべての人に分かるようには話されていない。

分かる人には分かる。

分からない人には分からない。

親神様がようぼくへの、暗号化された指令書と思う事も出来るだろう。

これを読み解くカギは、心を澄ます事。

そして、ひながたを知る事だと思う。

 

政治家や医者を安易に信用してはならない事を、

今回の新型コロナワクチンの事で、多くの人々は実感した事だと思う。

まだまだ混乱は続く。

ほこりだらけの人間が、自分の好き勝手に思いを述べ、自分の好き勝手に権力を使うのだから。。。

善い人には、こうした情報を見ながら、親神様から心に、メッセージが届きますように。。。と祈る。

 

さて、今朝ツイッターのメールを順番に見ながら、気になった投稿をFacebookへ共有した。

こうする事で、思いだした時に探すことがしやすい。

しかし、余りにも共有する投稿が多かったので、ここにまとめておくことにする。

 

1)

橋広バロン幸之助🇯🇵MJGA🍊さんはTwitterを使っています: 「🚨この動画は必見です🙏 ひっくり返るわ!🐸 16条2が適用されないとみて、医者に金を積んでワクチンを打たせまくったと #デマ太郎 が白状している。」 / Twitter

 

2)

Rara RanさんはTwitterを使っています: 「🌏2023/1/2 メドベッドがリリース! トリガーだったエリザベス女王の死去それに続くトリガーがローマ法王の死💀それは起こりました トリガーが起こると道が開きますね💫 宇宙のテクノロジーが開示されていきます。 まだ詳しいメドベッド情報が出揃うのを待ちます💫😉 https://t.co/XAIODIFciB」 / Twitter

 

3)

ほんこんさんはTwitterを使っています: 「大臣が嘘を言っては いけません。」 / Twitter

 

4)

鵜川和久さんはTwitterを使っています: 「河野太郎氏の発言がネットニュースで流されています。 当会遺族はあなたの発言は大きな責任があると認識しています。 是非、当会を訴えて頂きたい。 遺族はあなたと対峙する事を望んでいます。 https://t.co/9jylY5vPfQ」 / Twitter

 

5)

かんろさんはTwitterを使っています: 「眠った大人たちのせいでごめんね、高校生のみんな😢 https://t.co/qEjFBD1UX8」 / Twitter

 

6)

Kazuhiro.N 03690さんはTwitterを使っています: 「🇺🇸共和国副大統領JFK(jr)より (日本語訳) 緊急放送システムへも言及しております。 ↓↓↓ https://t.co/SypkNJR5a3 https://t.co/mIPcWa1t2U」 / Twitter

 

7)

船瀬俊介の船瀬塾さんはTwitterを使っています: 「文春砲がついに陰謀論へ‼️ 〈ペンタゴン文書入手〉北朝鮮ミサイル開発を支える統一教会マネー4500億円 #文春オンライン https://t.co/twRzxbojGA」 / Twitter

 

8)

神谷宗幣さんはTwitterを使っています: 「神谷です。 なかなか乗っ取られたアカウントは返ってきそうにないので、同じユーザー名で作り直しました。 フォロワー0から頑張ります(^^;; https://t.co/sHoneOcOK7」 / Twitter

 

9)

m2ensenさんはTwitterを使っています: 「【新情報】 1965年の在日特別永住権破棄まじか‼️ これは偽政府や統一自民が言っている事ではなく、アメリカが始動している。と言うことは🐯大統領の指示👍『🇰🇷人を🇯🇵から1回国に戻す・排除👋』帰化人は別。ただ、帰化の政治は全てアウト💀 もうすぐです🎉 https://t.co/Ap02YsHMly」 / Twitter

 

10)

夢✨✨✨さんはTwitterを使っています: 「これでも信じない人がいる事が不思議😳 https://t.co/jVnHIaOU2a」 / Twitter

 

 

10本も共有したのか。。。

どれも、他の発信者から聞いた話ばかりだ。。

 

いつメールアドレスを登録したのかも覚えていないけど。。どういう基準で、私の所へツイッターのメールが来るのか分からないが、結構これがありがたい。

 

 

 

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「道の辻」でおさしづ検索。。から思う事。。

2023年01月08日 19時46分15秒 | おさしづ

2023年1月8日 21時です。

今日は一斉巡教の原稿を作っていました。

その中で、

年祭活動について、「道の辻にあった人にでもにおいをかけてくれ」という話しがよく引用されていたなぁと思い出して、おさしづを検索してみました。

そこで「道の辻」で検索したところ、下の2件が出て来ました。

読んで色々と思いましたので、思いつくままに書いておきます。

・・・・・

1つ目のおさしづは、松村吉太郎先生の身上に関しての伺いですが、教会や本部員、役員に対するお話と思いました。

さらに、教会名称については道の辻々という表現がなされています。

また、にほいがけとよく言いますが、このにおいがあるうちにしっかりとつながないと大変な事になるという注意をされているとも思えます。

また

黒ほこり、泥ぼこり立ち切ってある。この黒ほこり、泥ぼこりの中で、どうして守護出来るか。又守護した処が、世界へどう見えるか。

と言われています。どんな事情があったのかは分かりませんが、この「ほこりだらけで諭しようもない、守護のしようもない」というおさしづは、愛知大教会が設立された当初、初代会長が辞職して、後任の会長が定まらない時のおさしづにも同様なおさしづがあり、人間思案でドロドロしている状況が良く分かります。

そして、

あの者には義理や、この者は放って置けん、という人間心の理から世界の曇りとなる。数々の曇りは皆この理一つにある程に/\

と、そうした人間思案のほこりの元について、「あのものには義理や、この者は放っておけん」という「身びいき・身勝手」が元であるとも、このおさしづから分かります。

親神様はすべての人間を助け上げたい一心ですが、理を外して、人間の方が「身びいき身勝手な心」を使って、我が心を曇らせて、その御守護を頂けなくしている事が良く分かると思います。

 

私の父親は、大教会の住込みをしていて、よく初代会長を辞職に追い込んだ役員たちの話を聞きました。

そして、その役員の家はすべて断絶してしまいましたので、そうならないようにと、どんなつらい中も理を外さぬようにと、心を抑えて頑張っていてくれました。

今私が、事情教会でこのような事が出来るのも、亡くなった父親が頑張ってくれて、またそうした話をしてくれたからこそと思っています。

 

No.1  :(4巻2738頁9行)
明治30年2月1日 
『松村吉太郎風邪引き咳出て困り居る後へ、小人義孝口中舌たゞれ、口中悪しくに付願』
さあ/\尋ねる処/\、まあ/\いつ/\の尋ねにも皆事情から、それ/\遠い所から知らしてある。そんならどういう事知らして貰ろたというようなもの。よう聞き分け。身上々々余儀無く事情から尋ねる。皆んな事情、十のものなら七つまで道の理に掛かる。なれど、三つだけは取って、後七つは遠い影のように思うて居る。まあ/\長い間、どうどして/\と思えど、どうもならん。これがいよ/\という理に迫まり切ればどうなるぞ。どうもならんから、前以て知らしたる一言の理は万言(まんこと)の理に当る。理ばかりや。どうも難しいてならん。さあ/\一時身上に差し掛かれば尋ねる。尋ねばさしづ。さしづの中にどういう事も皆映してある。このさしづというは、十人の心にさしづしたようなもの。よう聞き分けこの道は心次第の道。一条(ひとすじ)の道を万筋(まんすじ)に通るは皆心という一つの理から出る。互い/\話し合うた、結び合うた事もある。それはよう/\の日、よう/\の心、日を取り違えしたようなもの。日と心とこの理を聞き分け。成ってから言うた処が取り返やしはならん。よう/\にをいある間に結んでくれ。にをい褪(さ)めてからはどうもならん。皆千切れ千切れである。千切れ/\になりてからは、容易な事では繋がれん。春風のようなそよ/\風の間は何も言う事は無い。神も勇んで守護する。なれど今の事情はどうであるか。黒ほこり、泥ぼこり立ち切ってある。この黒ほこり、泥ぼこりの中で、どうして守護出来るか。又守護した処が、世界へどう見えるか。よう聞き取れ。大変口説き話である程に/\。一人の身上から引き出して諭する理。しっかり聞き取れ。一人二人で付いた道ではあろうまい。国々それ/\名称々々の理を下ろし、言えば道の辻々ともいう。十分の理ともいう。さあ付け掛けた道は、付ける程に/\。なれど、鏡やしきや、ぢばやという理、龍頭の事情、今の事情、これが世界の鏡となるか龍頭が濁れば、辻々は一時にどないになるやら知れんで。本部員や役員と言うなら、世上へ映る鏡やしき。曇り事情踏み止めてくれにゃなろまい。一日の日よりしっかり定め掛け皆々よう聞かして下されたという理が分かれば、一つは精神の定める理も出来るやろうぢばも鏡なら、世上も鏡、世上の理も映れば、ぢばの曇りも皆映るあの者には義理や、この者は放って置けん、という人間心の理から世界の曇りとなる。数々の曇りは皆この理一つにある程に/\。尋ねた小人の事情は、一寸には大層なれど、心の事情によれば案じる事は要らん。これだけ知らし置こう。

・・・・

次のおさしづは、明治40年 おさしづが止まる年のおさしづで、

「もう三十年祭は八年より無い」

の言葉から、教祖30年祭に向けての話と思えます。

今年祭に向けて三年千日と言っていますが、このおさしづを読むと、8年も前にこれから心して動けと言われているように思えます。

そして

この人ににをいを掛けんならんと思えば、道の辻で会うても掛けてくれ。これからこれが仕事や。

この言葉がよく引用されます。

声を掛けるのは人間でありますが、その声を使って人々に働かれるのは、親神様・教祖であるという事をしっかりと心に置く必要があると思います。

さらに、

これが話のだめの話。今後どうしてくれ、こうしてくれ、これよりありゃせん。これ了うたら、三四年か五六年は皆々働いてくれにゃならんで。働いたら働いただけのこうのう皆々ある。ほんになあと、もう変わったなあと言うて、これから楽しんでくれ

と、この心で勤めたら、後にはどうなるかとも示されています。

 

私が大教会で青年をしていた頃の事です。

当時、おぢばがえりのマイクロバスを運転していた時には、よく後ろに座られた方と話しながら運転をしていました。

ある信者さんでしたが、色々と悩まれていたそうで、その悩みを聞きながら思いつくままに、教祖が説かれた話をしていました。

何を話したか覚えていませんが、その話がその方の胸を掃除して下さったようで、それから立ち直られて、今でも大教会の月次祭にはお米をお供えされています。

ですから、自分がどうこうではなく、逸話編やおふでさき、またこうしたおさしづの教祖のお言葉は、教祖がお働き下さる上にとても重要だと思うばかりです。

 

No.2  :(6巻4655頁4行)
明治40年4月7日午後9時30分 陰暦2月25日
『多人数の中へにをいがけと仰せ下さる故、明日は分教会長も帰りますが不参の者へは手紙を出して呼び寄せ話致します、と申し上ぐ』
にをいの事早いほがよいで。急いでやってくれ。急いでやってくれにゃならん。急いでやっても良い加減になる。残らず/\遠い所、悠っくりして居ては遅れる。この人ににをいを掛けんならんと思えば、道の辻で会うても掛けてくれ。これからこれが仕事や。
さあ/\変な話を聞かさるやろう。これやなけにゃならん。さあこれまであちらでもこちらでも、どうやろうこうやろうと、心というもの散々(さんざん)になってあった。なれど、これからこう成ったと、一つに成った事仕切りて言うてくれ。もう三十年祭は八年より無い。どうでもこうでも三箇年前からにをいを掛けて丁度よい。隅から隅まで心置き無うやってくれ。ころっと風を変え、直接やと言うてくれ。早く話して聞かせ。
これが話のだめの話。今後どうしてくれ、こうしてくれ、これよりありゃせん。これ了うたら、三四年か五六年は皆々働いてくれにゃならんで。働いたら働いただけのこうのう皆々ある。ほんになあと、もう変わったなあと言うて、これから楽しんでくれ

・・・・

ふと思い立ったので、思うがままに書きました。

親神様・教祖ありがとうございました。

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1月7日おせち会団参。。。思いもよらぬ出会いに(^^)

2023年01月08日 13時38分01秒 | 思った事
1月7日
3年ぶりのおせち団参をしました。
 
例年ならば、私がマイクロバスを運転して、部内も含めて信者さん方を乗せて出かけるのですが、コロナの状況で、部内教会とうちとそれぞれに車を出して、11時30分に南礼拝場前に集合する事にしました。
無理にお誘いする事は無く、「行ける方はどうぞご一緒に」という団参です。
 
長男は初めから一緒に出掛ける予定をしていましたが、次男は朝になってから「今日は何?」と聞いてくる始末。
そして一緒に行くと言ってくれました。
車中で電話をする予定をしていましたので、長男に運転を頼んで、8時過ぎに教会を出発しました。
 
結果、うちの教会からは、私たち会長夫婦と長男と次男、部内からは後継者夫妻という6人だけの団参です。

11時半に南礼拝場前との約束だけで、どこへ駐車するかも決めてなかった中、10時半ごろ乗降場の東側の駐車場へ入り、ゆっくり南礼拝場へ行こうかと話をしている時、隣に部内の後継者の車が入ってきました。
 
「こんなところで会えるとは。」。と驚き、ここで揃ったので、早速神殿へと向かう事にしました。
 
南礼拝場前で写真を撮って、南礼拝場でおつとめをしました。
 
部内の後継者は、会長さんが出直されてから、会長さんの代わりに祭文を上げてくれて、祭典の後には一言の話をしてくれます。
月次祭後のおさづけを取り次ぐ様子も自然体になりました。
そして、今年には、教会長資格講習を受けて、会長さんのお許しを頂く予定です。
 
前回の団参は布教所の方たちだけとの団参、今回は部内の後継者夫妻とだけの団参、日頃話さない事を色々と話しながら、ゆっくりと教祖殿、祖霊殿と廻らせてもらえ、これもありがたいと思うばかりでした。
 
そして、廻廊を廻る途中で、長野県の会長さん一行に出合いました。
養子にはいった婿さんが、会長であるお母さんを「一度おせちに連れて行きたい」と、言葉をかけて帰って来られていました。
上級の会長さんから、この情報は聞いていましたが、「まさかここで会えるとは」と、とてもありがたく思いました。
 
 
12時過ぎ、第2会場で、おせちを頂きました。
感染対策にとても気を付けた会場でした。
 
ご本部のご苦労をとても感じました。
 
お雑煮はとても美味しく、お代わりがほしいね。と皆で話していましたが、開催して頂いただけただけで、どれだけ有難いことかと思います。
帰りに和紙の袋に入れた生のお餅を頂きました。
 
駐車場で部内の後継者夫妻と分かれ、おぢばにいる娘の買い物に付き合って、14時過ぎにおぢばをあとにしました。
 
帰りは次男が運転して、渋滞も何もなく順調に教会に戻りました。
 
 
例月ならば、今日の8日は本部の神殿奉仕で、ゆっくりとはしておられませんが、今日はゆっくりできています。
5日の神殿奉仕では、部内への一斉巡教へ行くための原稿を作っておられる先生がありました。
私作らねばならないと思い、今日作りたいと思っていましたが、ついつい楽なブログ書きに時間を使ってしまっています。
 
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1月5日 本部神殿奉仕にて。。再開されたおせち会を見て。。

2023年01月07日 05時51分29秒 | 思った事
1月5日 本部神殿奉仕にて。
 
私の奉仕の日は毎月8日で、1月はおせちで残ったパックに詰められたお餅を、配る役を勤める。
今回は、初めて5日の奉仕となり、おせちの初日を体験させていただいた。
しかも、コロナ禍から抜け出る初めてのおせちである。
 
日曜日でも参拝者が少なく感じていたのが、10時の開始を過ぎてから、ドンドン人が増えてきた。
 
このおせちは、奈良近辺で日帰りが可能な方々が主に集われる。
それがとても多い人なのである。ご守護を求めて待ちわびていた人がどれだけ多いかと思ったのである。
 
以前のように大きな団体ではなく、家族程度の小さなグループで、神殿でおつとめをして、おせち会場へと向かわれる。
 
今回のおせちは、一人一杯限りとされて、次々と会場への案内放送がなされるのに、多くの方が入場口に並んでいるのである。
 
さて、
世間では、コロナのみならず、ワクチン接種の後遺症について不安になっておられる話をよく耳にする。
 
信頼していた医療、政治に裏切られた気持ちになり、何を信じて良いかと戸惑っている方も多いのではないかと思う。
 
以前、この神殿奉仕の時に、後遺症で悩まれる方が、おさづけをさせていただいて、良くなられたことを、ブログにも書いたが、親神様のご守護は、医療や政治を越えたところにある。
 
「医者の手余り神が助ける」のである。
 
人間の身体は親神様からのかりもので、それぞれの心一つでどんな不思議も現れるのである。
 
この心一つが重要である。
そして、こうした事を通して「天の理」を知る事が重要である。
 
さらには、人間を宿仕込んだ「元のぢば」。
ここが何よりも重要で、親神様のお働き下さる元なのである。
 
親神様のお話を聞いて、これまでの心遣いを反省して、心定めて願うのである。
 
各地に天理教の教会はある。
しかし、教会にも様々あり、また、天理教と言っていても教会本部「ぢば」から離脱したものもある。
キリスト教、仏教といっても色々な宗派が出来て、それぞれに話が異なっているのと同様な状態にある。
 
そうした中に、もし「ぢば」にてたすけを願う人があるならば、
西礼拝場の南外にある、西お守所で行われる神殿おたすけをお勧めする。
時間は毎日午前9時と午後1時からである。
 
天理教教会本部での、様々な受付は一ヶ所ではないのでご注意頂きたい。
 
そして、少しでも多くの人が不思議なご守護を頂かれますようにと思う。
 
おせちの様子を見て、着座奉仕で思いつくままに。。
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学校で習ったことは本当??。。。光について。。

2023年01月07日 05時39分48秒 | 思った事
1月6日 3時。。深夜の奉仕の合間にふと思う。。
 
写真は、1月4日夕方、おぢばへ向かう時の光景です。
この様子を見て、疑問が湧きました。
 
光は直進すると、学校で習いました。
それなのに、雲の隙間からの光は広がっているのです。
 
光をプリズムの中を通すと、屈折する事は習いました。
しかし、この様子からすると、プリズムでの事とは違うのです。
 
本部の神殿奉仕をしている時に、ある先生から質問された事があります。
それは、南礼拝場の障子の上にある格子から入る光が、格子を見えなくする時があり、どうしてだろうかと。
 
私はその時、直感的に、光は広がるからと思い、そのように返事をしました。
つまり、この写真の光の様子と同様に、広がると言うことの意味あいが思い浮かんだのです。
 
光が直進するのならば、太陽はとても遠くにありますから、物を通り抜けた光が曲がる事はないはずです。
そして、格子は常にハッキリと見えなければなりません。
 
質問された方は、実際には教えられたのとは違う現象を見て、その理由を探していたのだと思いました。
 
先ほど真夜中の着座を勤める中、この事に思いを巡らしながら座っていました。
すると、音について思い浮かび、音波、波を考えました。
 
水面で起きる波は、格子をすり抜けると、そこからまた扇状に広がることを思い出したのです。
そして、光も波長であるとの話を思い出しました。
 
そして、欄間の格子から見える雪洞の光が、光源に近い所の格子はぼやけて、遠いところの格子はハッキリと見える様子から、光は波と同様の伝わり方をしていると思いました。
 
光は直進すると教えられた事が、間違いであり、それを信じていることで、実際とは異なる考え方をしていたと気がついたのでした。
 
そしてこれに気がついたとき、
ここでもう一つその直進すると思い込む原因となった、プリズムを通した光を考えてみました。
 
この、光の屈折を見せられた光は、スポットライトと同じように、レンズを使って真っ直ぐに成るように作られた光だったと思い出しました。
 
また、プリズムで分解された7色の光をも思い出しました。
 
私には、近頃の太陽の光がとても強く、眩しく見えています。
 
そして、
これまで理解できなかったことが理解でき、新しい楽しみを与えて貰えるような気がしています。
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立教186年 令和5年 2023年 あけましておめでとうございます。

2023年01月03日 08時50分37秒 | 思った事

2023年1月3日 9時です。

皆さま、新年あけましておめでとうございます。

旧年中は、多くの方にこのページをご覧頂きました。

ご覧いただいた皆様、つたない私の記録にお付き合いくださいまして、誠にありがとうございました。

本年も、思う事を書いていきます。どうぞよろしくお願いいたします。

 

年史の挨拶は、フェイスブックやツイッターへは、元旦に携帯から発信しましたが、1月1日から2日はなかなか忙しくて、今日ようやくこのブログに書けました。

・・・

1月1日の元旦は、3時すぎに起きて、大教会の信者さんを途中で乗せて、大教会の元旦祭へ出かけました。

本部と同じ5時から始まる大教会の元旦祭です。

妻は新聞配達。子供たちはそれぞれに休んでいます。

大教会の信者さんを途中で乗せるようになったのは、昨年からです。

長い間お付き合いをして来た方々です。

お年を召されて、車も運転できなくなられたのでお連れする事になったのです。

 

これまで遠方でも、頑張って来られていた会長さん方も高齢化したりして、段々と来られなくなっています。

その中、今年の元旦祭は、珍しい人が参拝またおつとめに出られました。

こんな事があるのも、大教会の元旦祭ならではです。

元旦祭を終えると7時ごろです。

丁度日の出の時刻です。

 

早速表へ出て、日の出の様子を動画に取りました。

そしてFacebookとツイッターへ新年の挨拶を発信しました。

大教会での動画 Facebook

 

珍しく大教会へ参拝に来た弟が、新年会に使うものをもって、うちの教会へ来てくれました。

そして元旦祭をつとめる直前まで、色々と話をしました。

コロナで会う事もなかった弟で、昨年の新年会も、物だけ預けてくれて欠席でした。

その弟も今年の新年会は、母親を連れて来てくれるので、とても楽しみでした。

しかし、おつとめは大嫌いなので、元旦祭前に帰りました。(^^)

 

その後、子供たちを起こして、10時すぎ、元旦祭をつとめました。

子供が二人仕事で欠席ですので、7人での元旦祭。

それでも、にぎやかにつとめる事が出来て、とても嬉しい元旦祭でした。

元旦祭を終えて、一休み。

その後、妻と子供たちは大教会へ新年のあいさつに出かけました。

ブツブツ言いながらも、みなで出かけてくれる子供たち。。

うちのいんねんからすると、とてもありがたく思うばかりでした。

 

そして、出かけている間に、一人で残ったかたづけをして、帰りを待ちました。

これも恒例です。

 

2日は、長谷川家の新年会。

これまで仕事で一度も参加できなかった三男の弟が、参加してくれました。

それも家族全員揃って。。

 

色々と物を持ってきてくれる次男の弟が、子供と嫁さんたちにと、金額が違うお年玉を準備してくれています。

これをくじ引きなどでもらうのが、ここ10年余りのメインイベントです。

弟が子供たちとわいわい騒ぎながら、どのようなくじにするか話し合う姿がとても面白いです。

 

母親を中心として、子供、孫、曾孫と年に一回のイベント。

何も筋書きがない、行き当たりばったりで、わいわい騒ぐイベント。

母親の嬉しそうな顔が何よりです。

子供たちも大きくなり、従妹たちで話し合ってその夜遊びに行きました。

 

準備片付けと忙しく、楽しい二日間でした。

 

親神様・教祖、楽しいひと時をありがとうございました。

 

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