あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

親孝行。。私の知らないうちに。。ありがたい。

2022年10月29日 12時38分44秒 | 思った事

今月9日のご本部の神殿奉仕の後、帰りに叔母の所へ久々に寄った。

系統は違うが、教会へ嫁いで叔父である会長を支えてつとめて来た叔母である。

18年ほど前に、叔父が精神を患い、大変な中も家族と共に協力して今日まで来た。

そして叔父も、パッと見は普通と変わらないまでの御守護を頂いての今日である。

このコロナで、叔母は2年半以上おぢばへ帰っていなかった。

この秋の大祭にはぜひとも帰りたい。と言っていた。

一人で車で行くのを叔父は心配していた。

ならば、私は用事で25日から行くが、妻に立ち寄らせるからとして、叔父の了解を得た。

そうしたところ、26日に詰所に泊ってうちの母ともう一人の叔母と3人で兄弟会をしてはという話しになり、それが実現した。

私の節目などには、不思議とおぢばで出会い、色々な助言をもらった叔母たちである。

年を重ねて、様々な希望を言う中、出来る限りそれが叶うようにに心を掛け、27日に無事に教会へ送り届けた。

とても喜んでくれた。

その喜びがとても嬉しかった。

首の手術をしてから、このように世話をする時には必ず妻を同行していたのだが、今回は一人だったので、さすがに疲れた。

しかし、無事に終えられた事、その後大教会の神殿当番も勤められた事。

親神様の御守護に感謝しかない。

 

・・・・

今月の大教会の大祭で、うちの月次祭は参拝だけで帰られる方と久々に少しだけ言葉を交わした。

うちの10月の大祭に参拝に来られたと思っていたのが、私は行かなかった。と言われた。

娘さんの顔は見たので、「娘と来られたのでは?」と尋ねたが、違うとの事。意味が良く分からなかったのだが、祭典中での事で、それ以上は聞かなかった。

それが大教会の当番の時に、大教会の方から、そのご主人が熱心に参拝をされていた。その奥さんが集中治療室に入っていたそうだよ。と聞かせてもらった。

それで、大教会の大祭の時のご主人の、これまでにない態度にも合点がいったのであった。

うちの大祭に参拝されたのは娘さんとご主人だったのだろう。

この家は、色々な事情や身上を助けて頂いているのだが、ご自身たちでお願いや心定め等をして不思議な御守護を頂いて来ている。

その元は、奥さんの信仰である。

まったく信仰には見向きもしないご主人に隠れて奥さんが、奥さんの親がつとめた通り方を心に、様々な事情の中、教会や大教会へとお願いやお礼にと運ばれた。

それがもう何十年にもなる。

その姿が、ご主人や娘さん方につながっているのである。

 

親神様は本当に大きな心で、それぞれをお導き下さっている。

教会はあくまでも、親神様の出張場所で、参拝に通う場所である。

夜遅くて教会に入れずとも、外で参拝をする、神様の元へ足を運ぶ。

この心がけが、これまでこの奥さんがつとめて来られた歩み方でもある。

 

事情無ければ治まらん。

ひながた直せばひながたいらん。

 

教祖のひながたもそうだが、御守護頂きたいと懸命に通る姿も、後の人たちへのひながたとなる。

ただし、その助けて頂いた理合いは、教えを求めねば分からない。。。

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立教185年 秋季大祭真柱様御言葉。。。録音ほどき。。

2022年10月27日 20時20分28秒 | 思った事

真柱様御言葉の録音をほどきました。

思案する資料としてご利用ください。

私としては、諭達後のお言葉がとても重要に思いました。

そして、諭達を真柱様の言われるように利用するためには、ひながたをシッカリと学び、自分で理解する事がまず大切だと思いました。

・・・・


立教185年(2022)10月26日秋季大祭 真柱様御言葉(諭達発布)

 皆様方には、本日、秋の大祭に各地よりお帰り下さいまして、大変ご苦労様でした。
 また、未だコロナの影響も続く中、助け一条の御用の上におつとめ下さって、心よりお労い申したいと存じます。
 少しご挨拶をさせて頂きたいと思います。
 (柏手)
 年頭の挨拶で、私は教祖の年祭を、140年祭をつとめさせて頂きたいという旨、お話いたしました。
 そしてその後、希望もありましたので、今日付けをもって、諭達を出すことにしたのであります。
 まず読みます。 口がうまく回らないし、息も続きませんが、お聞き苦しいと思いますが、聞いておいてください。

 『諭達第4号』

 立教百八十九年、教祖百四十年祭を迎えるにあたり、思うところを述べて、全教の心を一つにしたい。
 親神様は、旬刻限の到来とともに、教祖をやしろとして表にお現れになり、世界一れつをたすけるため、陽気ぐらしへのたすけ一条の道を創められた。
 以来、教祖は、月日のやしろとして、親神様の思召をお説き下され、つとめを教えられるとともに、御自ら、ひながたの道をお示し下された。
 そして、明治二十年陰暦正月二十六日、子供の成人を急き込まれ、定命を縮めて現身をかくされたが、今も存命のまま元のやしきに留まり、世界たすけの先頭に立ってお働き下され、私たちをお導き下されている。
 この教祖の親心にお応えすべく、よふぼく一人ひとりが教祖の道具衆としての自覚を高め、仕切って成人の歩みを進めることが、教祖年祭を勤める意義である。
 おさしづに、
 ひながたの道を通らねばひながた要らん(略)ひながたの道より道が無いで。 (明治二十二年十一月七日)
と仰せられている。
 教祖年祭への三年千日は、ひながたを目標に教えを実践し、たすけ一条の歩みを活発に推し進めるときである。
 教祖はひながたの道を、まず貧に落ちきるところから始められ、どのような困難な道中も、親神様のお心のままに、心明るくお通り下された。
 あるときは、
「水を飲めば水の味がする」
 と、どんな中でも親神様の大いなる御守護に感謝して通ることを教えられ、
 また、あるときは、
「ふしから芽が出る」
 と、成ってくる姿はすべて人々を成人へとお導き下さる親神様のお計らいであると諭され、周囲の人々を励まされた。
 さらには、
「人救けたら我が身救かる」
 と、ひたすらたすけ一条に歩む中に、いつしか心は澄み、明るく陽気に救われていくとお教え下された。
 ぢばを慕い親神様の思召に添いきる中に、必ず成程という日をお見せ頂ける。
 この五十年にわたるひながたこそ、陽気ぐらしへと進むただ一条の道である。今日、世の中には、他者への思いやりを欠いた自己主張や、刹那的行動があふれ、人々は、己が力を過信し、我が身思案に流れ、心の闇路をさまよっている。
 親神様は、こうした人間の心得違いを知らせようと、身上や事情にしるしを見せられる。
 頻発する自然災害や疫病の世界的流行も、すべては私たちに心の入れ替えを促される子供可愛い親心の現れであり、てびきである。
 一れつ兄弟姉妹の自覚に基づき、人々が互いに立て合いたすけ合う、陽気ぐらしの生き方が今こそ求められている。 よふぼくは、進んで教会に足を運び、日頃からひのきしんに励み、家庭や職場など身近なところから、にをいがけを心掛けよぅ。
 身上、事情で悩む人々には、親身に寄り添い、おつとめで治まりを願い、病む者にはおさづけを取り次ぎ、真にたすかる道があることを伝えよう。親神様は真実の心を受け取って、自由の御守護をお見せ下される。
 教祖お一人から始まったこの道を、先人はひながたを心の頼りとして懸命に通り、私たちへとつないで下さった。 その信仰を受け継ぎ、親から子、子から孫へと引き継いでいく一歩一歩の積み重ねが、末代へと続く道となるのである。
 この道にお引き寄せ頂く道の子一同が、教祖の年祭を成人の節目として、世界たすけの歩みを一手一つに力強く推し進め、御存命でお働き下さる教祖にご安心頂き、お喜び頂きたい。

 立教百八十五年十月二十六日
 真柱 中山善司

 ひと通り諭達を読みました。

 年祭をつとめる意義は、昔から変わらないのであります。
 つとめる人の気持ちは、定命を縮めて身を隠してまでも、子供の成人をお急き込み下さった、をやの思いを思い起こして、年祭を目標(めどう)に、仕切って成人の道を歩み、その実をもってお答えしようとつとめて来た事に於いては、変わりは無かったし、その基本精神は、今後も変ってはならないと思うのであります。
 年祭をつとめる意義については、変わりません。しかし、時の流れと共に、年祭をつとめる度に、そのつとめる人の顔ぶれは多少なりとも変わって行くのであります。
 その中には、当然のことながら、年祭の意味合い、どういう気持ちで勤めるか分からない人もいるのであります。
 全教の心を、その辺のところを知らない人は年祭の意味を知り、そしてをやの思いに沿わせてもらおうと、積極的に歩む、そういう気持になってもらう。
 そのための材料として、この諭達が利用してもらえれば良いかと思います。
 一言お願いを添えて、今日の挨拶とさせて頂きたいと思います。
 ご清聴ありがとうございました。

(柏手)

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秋の大祭を終えて・・・不思議な御守護の中に。。気の長いお導き。。。

2022年10月16日 04時47分06秒 | 思った事

10月12日 無事に秋の大祭を終えた。

それからすでに5日が経って、今日は17日。。。

これまでの事を記録として書いておく。


今回は、コロナになって一度も来られなかった方が、お母さんと共に参拝だけに来られた。

この方は、教祖120年祭の時に、ご主人の身上を助けて頂きたいと、当時毎日教会へ日参をし、またご主人に代わってと一日6回のおつとめをされた方である。

不思議とご主人は手術をせずに回復された。

しかし、ご主人には神様の御守護が理解できず、この奥さんは不足となり、元々あった精神の身上から、教会から遠ざかっていたのである。

 

今回の大祭の前日、準備をして会報を作ったのだが、左耳が朝から痛み、何事だろうか?と思いつつ事を進めていた。

この日は、フェイスブックに気になる投稿が数件あったが、会報を作らねばと思い、後回しにしていた。

しかし、会報は一向に進まない。何を書いてよいか全く浮かばない。

反対に左耳は痛む。

思い切って、フェイスブックの気になる投稿にコメントをした。

コメントをしている時には、痛みがなく、これだったのかと思ったが、書き終わるとまた痛みだした。

結局数時間休んで、会報は朝方出来上がった。

 

大祭当日、8月に身上願をされた奥さんが来られて、ご主人の様子を伺う。

8月の月次祭を終えて。。。おぢばでのお願いづとめにて。 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)

ご主人は大変順調に、医者が傷口がふさがるのがいつになるか見当が付かないという中、退院の直前に傷口がふさがり、難なく抗がん剤の治療が出来るようになったとの事だった。

しかし、奥さん本人に願と疑わしき影が見つかったとの事。

思いつくままに、身上は本人の心だけではなく、周囲の心を神様が求められている。

ご主人にも神様の御守護を知らしめたいのではないかと話しをさせて頂いて、大祭を始めた。

 

おつとめをつとめながら、この家族のみならず、元々所属していた教会また、親の信仰を考えると、女の人が真剣に信仰をして御守護を頂いて来た流れがある事に思い至った。

久々に来られた方も同じ系統になる。 

そして、検査がまだなので、何とか良性の腫瘍なりの御守護を頂きたいと、大祭を終わってから、色々と話をしている中に、

ご主人の身上は、朝夕家族でのおつとめと、奥さんが21日間1日6回のおつとめをされて、医者が1か月か2か月か分からないという所を、退院直前に摘出した手術の傷口が良くなるという不思議を見せて頂いた。

また、一日6回のおつとめについては、私がしたことを話しただけで、本人がしようと心を決めたようで、今回初めて聞いた。それも、辛くなった時には、「こんな事を考えるよりもおつとめ」と思って、21日間つとめたそうである。

これから、ガンの治療はの続くが、順調に治療がされているとの事でありがたいとの事。

ご主人本人は無神論という事であるが、奥さんはじめ家族はとても喜んでいる。

との事だった。

また、今回の奥さんの身上について、このままおつとめをしていればよいのかという質問を下さり、これまで健康だったので、何も信仰的に出来なかったからと話されるので、

健康だったから今日まで良かったと思います。娘さんたちが成人した今この時だから。また、そうした健康な中でも奥さんが、月次祭の人が減って、何とかと思って教会の月次祭に来られるようになった奥さんの心が、こうした不思議の元にもなっていると思います。と話し、

おつとめによって、ご主人の御守護を見せて頂いたのだから、それは続けて頂く事が大切と話し、奥さんに関しては、皆が成人するように、お願いと心定めを繰り返して、親神さまからの課題をクリアしていく事が大切だと話した。

そして、まず検査がまだなので、検査をして良性の腫瘍なりの無事無難な御守護を頂きたいと、おさづけを取り次がせて頂き、おぢばへのお願いに行ってくると話をした。

今回のおぢばへのお願いに際しても、前回同様に御供とガソリン代を預けて下さった。

 

この時には、左の耳の痛みは無くなっていた。

私はどうしても、人の顔色を窺ってしまう。こんな話をして悪く思わないだろうかと思って、言わない事が多い。

今回は、以前心定めた「誠真実をつくす」を心に、不安になる心を抑えて、思い浮かぶままに話させて頂いた。

 

今回のおぢばへのお願いは、前回とは違い、大祭を終えてから用事があり、午後5時過ぎに教会を出て、夜中の参拝となった。

前回同様、東お守所へ御供を届けて、ごくうさんんを頂いた。

丁度知り合いの本部員先生がおられて、挨拶をさせて頂いた。

 

久々の夜中の参拝。教祖殿はすでに締まり、静寂の中に私の柏手が響く。

20年以上も前、自分の事で何度もこの時間に参拝に来た事を思い出す。

 

13日、お下がり配りの最後に、この奥さんの所へごくうさんを届ける。

娘さん方も大変な中、頑張っておられる様子であった。

そして24日が奥さんの検診との事を聞く。

 

教祖120年祭の時に、この方のお母さんに、一日6回のおつとめの話をして、今回娘さんがされる事となるとは。。と、気の長い、親神様のお導きに感謝した。

 

16日に書き始めて、思いつくままに17日におえる。

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10月8日 本部神殿奉仕にて。。いんねんについて。。

2022年10月10日 23時01分58秒 | 思った事
10月8日 本部神殿奉仕をつとめさせて頂いた。
以前より、神殿奉仕をさせて頂いている間に、色々と思い浮かばせて頂くことがある。
今回も色々と思い浮かばせて頂いた。
そのきっかけがFacebookの投稿だったので、忘れないうちにFacebookに投稿した。
それを今回記録しておく。
 
・・・・・・
 
おはようございます。
10月8日 本日は本部の神殿奉仕です。
先ほどの朝勤めが終わりました。
朝みたある方の投稿に、「通りかえしですね」とだけコメントした。
この方は、教会の師弟のようでそれもまた、とても厳しい教会のようで、様々な苦労の様子を書かれていた。
そして、朝勤め中、
「因縁ならばとおらにゃならん。」
という言葉が浮かんで頭から離れなかった。
その投稿を見てひとつ思ったのは、おやさまが初代真柱様に対しての話である。
それは、初代真柱様は色々な勉強をしたくて、大きな町へ行かれたかったようで、その事をおやさまに申し上げると、おやさまは、だめだとは言われずに、「ワシも一緒に行きましょう。タマさんもおいで」と言われたとの事で、それを聞いた真柱様は思いを変えられたという話である。
また、もう一つ思ったのは、親が子供に色々な事を押し付けるのは、教会に限った事ではないと言うことである。
裕福な家庭であっても、親はよかれと思って習い事へ行かせたりする。
裕福ではない家庭では、何とか食べさせたいと、共稼ぎで働きに出て、子供は寂しく留守番をしたりした。
これすべて、親は悪くしようとは何一つ思っていない。親によっては、子供のことは思わずに、自分勝手にして、他の人が手助けをする家庭もあるほどである。
私は、椎間板ヘルニアをして、10日程寝た切りに成ったことがある。
痛み止を飲んでも治まらず、注射を打ってようやくトイレへ行ける状態だった。
ベッドに寝ながらこんな状態になるのはどうした事かと考えていた。
その時に浮かんだのは、自分の性分だった。
私の幼い頃の性分は、学校の先生の言葉は絶対だった。悪いもなにも考えず、親よりも先生だった。その事を思った時、時代劇に出てくる牢屋で、無実の罪の人に対して、石を抱かせて折檻する牢屋の役人が思い浮かんだ。
ほこりの心が拭いても掃いても取れなくなったのがいんねんである。
自分で判断せずに、罪もない人々を苦しめた通りかえしか。と思えた。
すると、何処と無く楽になったような気がして、その夜ベッドに座れるようになった。
とても不思議だった。
それ以来、前生からの持ち越しのいんねんで様々なことが起きていると得心をした。
悟るまでが大変である。この後もっと大変なことが起こり、それまで以上に動けなくなったことを思うと、渦中にある人々の大変さも良く分かる。
しかし、今書きながら、、、悟ることを推理と考えたら面白く悟る作業が出来るのではないかと思えた。
こらから着座します。
今日も一日よろしくお願いいたします。
 
・・・・・
上記の投稿をしたところ以下のようなコメントを頂きました。
そして、その投稿を読んで、着座をしていたところ、また思い浮かばせて頂きました。
 
◆◆◆
『いんねんか。いんねんね。
人間、生きてる以上、いんねんのない人間は、いないでしょうね。
陽気にくらすのを見て、共に楽しもと、思われて、宿仕込みも、いんねんですからね。
良いいんねん、悪いいんねんは、ある。
後悔ないように生きるしかない。
精一杯、生きる。かな。
 
うちは、精神疾患が多く、色情いんねんと、言われてましたね。
人を困らせる色情いんねん。
人に迷惑をかけない、独身も、色情いんねん。
見えるいんねんと、見えないいんねん。
あるんですよね。
人と関わるいんねんの方が、楽しいよ。』
 
◆◆◆
『そうですね。
すべては八つのほこりの、こびりついたのが悪いんねんで、それが元で事情が身上が起きています。
反対に人を助けよころばせば、良い心遣いで、積み重なれば良いいんねん、徳となり、自ずと自然と喜べる事が現れる。
その良い思いの大元が、「陽気暮らしを見て共に楽しみたい」との元のいんねん。
ここまで書いて、着座してたら、「色情いんねん」の言葉が思い浮かんで、その元は何か?と思ったら、自分中心の我が身可愛い。と思い当たった。
いままでこんなことを考えたことはない。
夫婦はじめた、それは陽気暮らしのため、夫婦は自分勝手では喜べない。相手のことを思って自分を自制する心が必要となる。
一番喜ばせやすく、一番悲しませやすい。
特に女の人は、愛情が深い分、反対のうらみの心を持ちやすい。
おやさまは「癖性分を取りなされよ」と言われた。
癖性分は取りにくい、つまりは悪いんねんと言えるだろう。
今盛んに、依存症が言われているが、これもいわば偏った癖性分。
先人はご守護を頂きたいと、難儀構わずお屋敷へ足を運び教えを求め、心に入ったことをひとつずつ実行していった。
そして、薄紙はぐように、それぞれの家のいんねんが切り替わって来ている。
思いつくままに。失礼しました。』
 
親神様・教祖ありがとうございました。
 
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楽しい語らい。。そして、いんねんについて。。思いつくままに。。

2022年10月03日 08時53分10秒 | 思った事

本日は10月3日、埼玉のホテルから書いている。

今日、この後、教会の任命・教会移転について相談をするために、昨日埼玉入りした。

そのついでに、フェイスブックで知り合いになった、山中湖にある教会の会長さんの所へお邪魔して、色々な信仰談義をさせて頂いた。

午後1時から、ホテルへ入るためのギリギリ午後6時まで、様々なお話を伺い、話し合いをさせて頂いた。

先生の信仰を培ってこられた足跡をはじめ、大教会や教会の事情、理づくり、どうしてこのような状況になって来たのか、これから先は。などと、話題は尽きず、とても有意義な時間を頂いた。

その話の中で、「先生の知識の元は何ですか?」というような質問があった。

その時とっさに応える事が出来なかった。

伊藤先生は、天理教の一時代を担った柏木先生や常岡先生などからの師事によるものとの事だった。

今これを書きながら、思い返す時、

私の神様を求める元は、教校で教えられた事に加えて、原典であり、先人それも教祖のお側におられた方々の手記が中心である。その中でも高井先生が話しておられた「いんねん」が何といっても、大きいように思う。

ただし、私の場合は、教えられたことをそのまま鵜呑みにはしていない。

私の性格上、納得がいかないと、本当だろうかと、その事の証明を探り、確信をしたいのである。

そのために、おふでさきやおさしづ、そして先人の歩みをひも解いていると思えたのである。

 

このような事を書き始めたきっかけは、高井先生の「前生の通った通りに、時間も場所も違うことなくいんねんは現れて来る」という話しを思い出したからである。

いんねんは、心の道で、前生の心通りに白いんねん、悪いんねんとしてあらわれて来ると、これまで自分自身の身上事情、その御守護に至る悟りからそのように思えている。

ただし、「時や場所などまでも違わずに」という事については、そんなことまでも。。。と思っていたのである。

ところが、

先日来「復元」の研究するグループに投稿していたおさしづ、それが刻限のおさしづであることを思った時、この時が定まっているという話しがその通りだと思えたのである。

どういうことかと言うと、

まず、天理教が立教するに至った重要な要素の一つに「旬刻限の理」がある事は、天理教の人ならば重々承知のはずである。

旬刻限の理とは、「宿仕込みの時の子数の年限が経ったならば、元の屋敷に連れ帰り。。」という、約束の年限の事である。

つまり、定まった日があるという事がここで分かるはずである。

そして「約束」というのは、言い換えれば「誓いを立てた日」「定めた日」があるという事となるだろう。

ここでは、その約束が子数の年限「9億9万999」と言われているのである。

この「思いを定めた」という事を、人の心の動きに照らし合わせて考えると、嬉しく思ったり、悲しく思ったりして、そのお返しをしたいと思った事、それをいつ頃にしたいと思えば、それが定まった日にちとなると思えたのである。

今回、伊藤先生ご夫妻に色々とお世話になり、このお返しをさせて頂きたいと思った時、これが一つのいんねんとなり、いずれかお返しをする時が来る。

今世では十分なお返しは出来なくとも、来生・来々生には。。となると思えたのである。

そして、その時は、今日思ったら、今日というこの日時が定められるのかは分からないが、定められるという事は、刻限のおさしづに、「刻限が遅れている」という言葉があったり、お産について「心通り願い通りに」延ばしなりとも早めなりとも。。と言われる事から、定められていても、親神様の采配によって人間の都合に合わせて前後されると思えるのである。

 

昔の先生方は、何も分からず、ただただ教祖の言われることをそのままに覚え、そのままに伝えた先生方が多い。

敷島の初代会長 山田伊八郎先生は、そのままに書き留めると心定めて、お話を頂かれるようになった事を思うと、昔の先生方の遺された逸話、話がどれだけ重要であり、あとは私たちがどれだけ、その言葉から親神様の思い、天の理を悟れるかが、これからの将来を決めると、あらためて思った。

悟り方はそれぞれである。

それでよい。それによって現れてくる行動が、次の世代が思案する材料になる。

なるよういくよう。本日も勤めたいと思う。

親神様・教祖よろしくお願いいたします。

 

時間がないので、見直さずに投稿する。

適当に読んでくださいませ。

もし、私の届かぬ考えが、皆さん方が悟るための一つのヒントになれば幸いです。

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