あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

悪風というものは。。。逸話編 183

2021年10月16日 21時13分18秒 | 逸話編

183
『悪風というものは』
 明治十八、九年頃のこと。お道がドンドン弘まり始めると共に、僧侶、神職その他、世間の反対攻撃もまた次第に猛烈になって来た。信心している人々の中にも、それ等の反対に辛抱し切れなくなって、こちらからも積極的に抗争しては、と言う者も出て来た。その時、摂津国喜連村の林九右衛門という講元が、おぢばへ帰って、このことを相談した。そこで、取次から、教祖に、この点をお伺いすると、お言葉があった。
「さあさあ悪風に譬えて話しよう。悪風というものは、いつまでもいつまでも吹きやせんで。吹き荒れている時は、ジッとすくんでいて、止んでから行くがよい。
 悪風に向こうたら、つまずくやらこけるやら知れんから、ジッとしていよ。又、止んでからボチボチ行けば、行けん事はないで。」
と、お諭し下された。

 又、その少し後で、若狭国から、同じようなことで応援を求めて来た時に、お伺いすると、教祖は、
「さあ、一時に出たる泥水、ごもく水やで。その中へ、茶碗に一杯の清水を流してみよ。それで澄まそうと思うても、澄みやすまい。」
と、お聞かせ下された。一同は、このお言葉に、逸やる胸を抑えた、という。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

屋敷の常詰。。。逸話編 188

2021年10月02日 09時48分45秒 | 逸話編

188
『屋敷の常詰』
 明治十九年八月二十五日(陰暦七月二十六日)の昼のこと、奈良警察署の署長と名乗る、背の低いズングリ太った男が、お屋敷へ訪ねて来た。そして、教祖にお目にかかって、かえって行った。
 その夜、お屋敷の門を、破れんばかりにたたく者があるので、飯降よしゑが、「どなたか。」と、尋ねると、「昼来た奈良署長やが、一寸門を開けてくれ。」と言うので、不審に思いながらも、戸を開けると、五、六人の壮漢(そうかん)が、なだれ込んで来て、「今夜は、この屋敷を黒焦げにしてやる。」と、口々に叫びながら、台所の方へ乱入した。
 よしゑは驚いて、直ぐ開き戸の中へ逃げ込んで、中から栓をさした。この開き戸からは、直ぐ教祖のお居間へ通じるようになっていたのである。
 彼等は、台所の火鉢を投げ付け、灰が座敷中に立ちこめた。茶碗や皿も、木葉微塵に打ち砕かれた。二階で会議をしていた取次の人々は、階下でのあわただしい足音、喚き叫ぶ声、器具の壊れる音を聞いて、梯子段を走って下りた。そして、暴徒を相手に、命がけで防ぎたたかった。
 折しも、ちょうどお日待ちで、村人達が、近所の家に集会していたので、この騒ぎを聞き付け、大勢駈け付けて来た。そして、皆んな寄って暴徒を組み伏せ、警察へ通知した。
 平野楢蔵は、六人の暴徒を、旅宿「豆腐屋」へ連れて行き、懇々と説諭の上、かえしてやった。
 この日、教祖は、平野に、 
「この者の度胸を見せたのやで。明日から、屋敷の常詰にする。」
との有難いお言葉を下された。

 

註 お日待ち 前夜から集まって、潔斉して翌朝の日の出を拝むこと。それから転じて、農村などで、田植や収穫の後などに、村の者が集まって会食をし娯楽すること。

 

・・・・・・・・

教祖をお守りしようとするか、教祖に守られようとするか、その境目を言われているように感じる。

平野楢蔵先生が屋敷の常詰となられて、お屋敷の警護の元になられたような話を聞いたことがある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

屋敷の常詰。。。逸話編 188

2021年10月02日 09時48分45秒 | 逸話編

188
『屋敷の常詰』
 明治十九年八月二十五日(陰暦七月二十六日)の昼のこと、奈良警察署の署長と名乗る、背の低いズングリ太った男が、お屋敷へ訪ねて来た。そして、教祖にお目にかかって、かえって行った。
 その夜、お屋敷の門を、破れんばかりにたたく者があるので、飯降よしゑが、「どなたか。」と、尋ねると、「昼来た奈良署長やが、一寸門を開けてくれ。」と言うので、不審に思いながらも、戸を開けると、五、六人の壮漢(そうかん)が、なだれ込んで来て、「今夜は、この屋敷を黒焦げにしてやる。」と、口々に叫びながら、台所の方へ乱入した。
 よしゑは驚いて、直ぐ開き戸の中へ逃げ込んで、中から栓をさした。この開き戸からは、直ぐ教祖のお居間へ通じるようになっていたのである。
 彼等は、台所の火鉢を投げ付け、灰が座敷中に立ちこめた。茶碗や皿も、木葉微塵に打ち砕かれた。二階で会議をしていた取次の人々は、階下でのあわただしい足音、喚き叫ぶ声、器具の壊れる音を聞いて、梯子段を走って下りた。そして、暴徒を相手に、命がけで防ぎたたかった。
 折しも、ちょうどお日待ちで、村人達が、近所の家に集会していたので、この騒ぎを聞き付け、大勢駈け付けて来た。そして、皆んな寄って暴徒を組み伏せ、警察へ通知した。
 平野楢蔵は、六人の暴徒を、旅宿「豆腐屋」へ連れて行き、懇々と説諭の上、かえしてやった。
 この日、教祖は、平野に、 
「この者の度胸を見せたのやで。明日から、屋敷の常詰にする。」
との有難いお言葉を下された。

 

註 お日待ち 前夜から集まって、潔斉して翌朝の日の出を拝むこと。それから転じて、農村などで、田植や収穫の後などに、村の者が集まって会食をし娯楽すること。

 

・・・・・・・・

教祖をお守りしようとするか、教祖に守られようとするか、その境目を言われているように感じる。

平野楢蔵先生が屋敷の常詰となられて、お屋敷の警護の元になられたような話を聞いたことがある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目に見えん徳。。。逸話編 63。。(徳)

2021年08月13日 12時15分38秒 | 逸話編

063
『目に見えん徳』

 教祖が、ある時、山中こいそに、
  「目に見える徳ほしいか、目に見えん徳ほしいか。どちらやな。」
と、仰せになった。
 こいそは、「形のある物は、失うたり盗られたりしますので、目に見えん徳頂きとうございます。」と、お答え申し上げた。

 

・・・・・・・・

※ここには「徳」という言葉が出て来ます。

徳には、「目に見える徳」と「目に見えない徳」がある事が分かります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝、起こされるのと。。。逸話編 111。。(徳・朝起き正直働き)

2021年08月13日 12時12分32秒 | 逸話編

111
『朝、起こされるのと』

 教祖が、飯降よしゑにお聞かせ下されたお話に、
  「朝起き、正直、働き。朝、起こされるのと、人を起こすのとでは、大きく徳、不徳に分かれるで。蔭でよく働き、人を褒めるは正直。聞いて行わないのはその身が嘘になるで。もう少し、もう少しと、働いた上に働くのは、欲ではなく、真実の働きやで。」
と。

・・・・・・・・・・・・・

※この逸話編は「徳」という言葉が出て来ます。「稿本天理教教祖伝」にはありませんが、とても大切なお話だと思います。

もう一つ「徳」が出てくるのは、63『目に見えん徳』という逸話です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

踊って去ぬのやで。。。逸話編 91

2021年08月11日 09時34分30秒 | 逸話編

091
『踊って去ぬのやで』

 明治十四年頃、岡本シナが、お屋敷へ帰らせて頂いていると、教祖が、
  「シナさん、一しょに風呂へ入ろうかえ。」
と、仰せられて、一しょにお風呂へ入れて頂いた。勿体ないやら、有難いやら、それは、忘れられない感激であった。
 その後、幾日か経って、お屋敷へ帰らせて頂くと、教祖が、
  「よう、お詣りなされたなあ。さあさあ帯を解いて、着物をお脱ぎ。」
と、仰せになるので、何事かと心配しながら、恐る恐る着物を脱ぐと、教祖も同じようにお召物を脱がれ、一番下に召しておられた赤衣のお襦袢を、教祖の温みそのまま、背後からサッと着せて下された。
 その時の勿体なさ、嬉しさ、有難さ、それは、口や筆であらわす事の出来ない感激であった。シナが、そのお襦袢を脱いで、丁寧にたたみ、教祖の御前に置くと、教祖は、
  「着て去にや。去ぬ時、道々、丹波市の町ん中、着物の上からそれ着て、踊って去ぬのやで。」
と仰せられた。
 シナは、一瞬、驚いた。そして、嬉しさは遠のいて心配が先に立った。「そんなことをすれば、町の人のよい笑いものになる。」また、おぢばに参拝したと言うては警察へ引っ張られた当時の事とて、「今日は、家へは去ぬことが出来ぬかも知れん。」と、思った。ようやく、覚悟を決めて、「先はどうなってもよし。今日は、たとい家へ去ぬことが出来なくてもよい。」と、教祖から頂いた赤衣の襦袢を着物の上から羽織って、夢中で丹波市の町中をてをどりをしながらかえった。
 気がついてみると、町外れへ出ていたが、思いの外、何事も起こらなかった。シナはホッと安心した。そして、赤衣を頂戴した嬉しさと、御命を果たした喜びが一つとなって、二重の強い感激に打たれ、シナは心から御礼申し上げながら、赤衣を押し頂いたのであった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

身上がもとや。。。逸話編 178

2021年07月30日 10時28分05秒 | 逸話編

178
『身上がもとや』

 教祖の仰せに、
 「命あっての物種と言うてある。身上がもとや。金銭は二の切りや。今、火事やと言うたら、出せるだけは出しもしようが、身上の焼けるのも構わず出す人は、ありゃせん。大水やと言うても、その通り。盗人が入っても、命が大事やから、惜しいと思う金でも、皆出してやりますやろ。
  悩むところも、同じ事や。早く、二の切りを惜しまずに施しして、身上を救からにゃならん。それに、惜しい心が強いというは、ちょうど、焼け死ぬのもいとわず、金を出しているようなものや。惜しいと思う金銭・宝残りて、身を捨てる。これ、心通りやろ。そこで、二の切りを以て身の難救かったら、これが、大難小難という理やで。よう聞き分けよ。」
と。これは、喜多治郎吉によって語り伝えられた、お諭しである。

 註 二の切り 切りとは、義太夫などにおいて、真打ちが勤める最も格式の高い部分を言う。したがって、二の切りとは、一番にではなくて、二番目に大切なもの、という意。 (新村出「広辞苑」平凡社「世界大百科辞典」)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一代より二代。。。逸話編 90

2021年07月29日 07時48分03秒 | 逸話編

90
『一代より二代』

 明治14年頃、山沢為造が、教祖のお側へ寄せて頂いた時のお話に、
 「神様はなあ、『親にいんねんつけて、子の出て来るのを、神が待ち受けている。』と、仰っしゃりますねで。それで、一代より二代、二代より三代と理が深くなるねで。理が深くなって、末代の理になるのやで。人々の心の理によって、一代の者もあれば、二代三代の者もある。又、末代の者もある。理が続いて、悪いんねんの者でも白いんねんになるねで。」
 と、かようなお言葉ぶりで、お聞かせ下さいました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分一人で。。。逸話編 116

2021年07月29日 06時57分02秒 | 逸話編

116
『自分一人で』

 教祖のお話を聞かせてもらうのに、「一つ、お話を聞かしてもらいに行こうやないか。」などと、居合せた人々が、二、三人連れを誘うて行くと、教祖は、決して快くお話し下さらないのが、常であった。
 「真実に聞かしてもらう気なら、人を相手にせずに、自分一人で、本心から聞かしてもらいにおいで。」
と、仰せられ、一人で伺うと、諄々とお話をお聞かせ下され、尚その上に、
 「何んでも、分からんところがあれば、お尋ね。」
と、仰せ下され、いともねんごろにお仕込み下された。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天が台。。。逸話編 170

2021年07月27日 10時08分51秒 | 逸話編

170

【天が台】

 梅谷四郎兵衞が、教祖にお聞かせ頂いた話に、
「何の社、何の仏にても、その名を唱え、後にて天理王命と唱え。」
と。又、
「人詣るにより、威光増すのである。人詣るにより、守りしている人は、立ち行くのである。産土神は、人間を一に生み下ろし給いし場所である。産土の神に詣るは、恩に報ずるのである。」
「社にても寺にても、詣る所、手に譬えば、指一本ずつの如きものなり。本の地は、両手両指の揃いたる如きものなり。」
「この世の台は、天が台。天のしんは、月日なり。人の身上のしんは目。身の内のしん、我が心の清水、清眼という。」
と。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする