あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

桃太郎の話から。。。新型コロナ。。神のざんねん。

2021年04月30日 23時12分07秒 | 思った事

桃太郎の話には、「おじいさんは山へ柴刈りに。おばあさんは川へ洗濯に。」というくだりがある。

この「柴刈り」をどのように理解されるだろうか?

「柴刈り」と「芝刈り」の違い・柴刈りの道具・時期|桃太郎 - 言葉の意味を知るならtap-biz

「しば刈りと聞くとどのような作業をイメージするでしょうか。柴刈りは、野山で行う柴木の伐採や枝集めなどのことをいいます。芝生の手入れをイメージする方もいるかもしれませんが、近年日常生活に無縁となってきた柴刈りについてご説明します。」

と記されています。

私も初めは「芝刈り」だと思っていて、「山にどうして芝が生えているのだろうか?」と思っていたのであった。

ある時、柴というのは、雑木で、すぐに生える小枝のような木々だと知った。

そこで合点がいったのである。

 

なぜ突然このような事を書き出したかというと、先に、「オール電化」という話しから、環境問題についての話を書いたからである。

昔から、燃料とした木々は、すぐに生える木々を用いていたのである。

ところが、現在映画などでの燃料は、太い丸太を建ち割って、燃料にしているものをよく見る。

太い木々を次々と燃料にしては、育つまでに年限がかかるのだから、自然破壊が起こる事は当然である。

本来はそうではなかったのである。一年で伸び育つ木々を使っていた。

そこが正しい知恵のはずである。

 

少し前に、山の杉やひのきをすべて切り出して、中国へ輸出していた。それも他人の山で。

というニュースがあった。

本来日本の植林は、間引きをして、段々と太い木々を育てていく予定だったはずである。

けれども、木々の値が下がり、植林したままの山が増えて、困っている状態である。

そうした中に、中国でひのきなどのブームが起こり、お金目当てで日本の木々を買う中国人が増えたとの事である。

山を丸裸にしては、水に困るのである。

良い水を確保するために、山の木々は必要なのである。

けれども、そうした事には全く関心がない。その時だけの考えで行動をして、自然破壊をしているのである。

アマゾンもどんどん森林が破壊されている。日本もどんどんと山や田畑をつぶして住宅を作っている。

そんな中に、何が「脱炭素だ!」と思ってしまう。

綺麗ごとだけを口にして、行動には移さない。つまりうそばかりついて、人々をだましている。

これはアメリカ大統領選挙でまざまざと見えた事である。

そうした事を止めるための法律を作り、実行する事が、政治家の務めのはずだが、実行がない。

つまりは、うそつきという事となる。

これでは、神様の御守護はなくなる。

 

今、新型コロナの変異株が増えていると聞く。

せっかく第一波の時は、人々の協力で、少ない罹患者ですんだのに。。。。と思ってしまう。

 

「おふでさき」に、このような疫病は、親神様のざんねんの現れと記されている。

それも「ぜひなくおもて あらわしたなり」と「仕方なく思って、現している」言われているのである。

自然が神なのである。

神に守られて初めて私たちは生きる事が出来る。

その神の守りを、自分勝手の心で、おごり高ぶる心で、無くしているのである。

 

山の木々を無くして伝染病が広がったという話しは、ヨーロッパにある話である。

森の木々が次々と切られて、住処を無くしたネズミが街に入り込み、そのネズミがペストを流行らせて、多くの人々が亡くなったことは有名である。

これも同じである。

人間には上の人と、下の人がある。

下の人は、上の人を慕い、従い、暮らしを立てる人々である。

上の人の「上」は「かみ」と読める。「神」も「かみ」である。

上の人は、下の人々の暮らしが良くなるように導き、その恩恵を受けたならば、神には何も文句はないはずである。

ところが、自分の思うがままにしようとして、下の人々を苦しめたならばどうなるのか。

それこそ「神」からの「ざんねん」が現れて来るのである。

 

これを歴史上で何度も繰り返して来ているのである。

これまでは、生活する地域が狭く、蔓延する疫病も狭い範囲だけですんでいた。

影響を受けないところもあったのである。

けれども、これだけ人間の知恵が発達して、地球全体に人々が交流できるようになった今では、地球全体が一つの国と同じなのである。

この地球で、上に立つ人々の心次第で、どのようなことも起こるのである。

 

早く上に立つ人々が、神の教えを思案して、反省し方針転換する事を願う。

 

親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守りくださいませ。

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オール電化ということから。。。

2021年04月30日 05時35分13秒 | 思った事

突然の事だが、オール電化を推進する話が眼に入った。

即座に「まだまだ推奨は出来ないと」反応してしまった。

その理由について書いておきたいと思う。

オール電化とは、全てを電気に頼るという事である。

冷房はクーラーなどの電気製品でしか現在可能ではないが、暖房までもという事になる。

中国で、オール電化が推進されて、この冬寒波が来た。

オール電化という事でとても高い電気料を支払う事となり、それまでお金を必要としなかった人々までお金に縛られることとなった。またそれを推進するために、それまで使っていたオンドルや暖房器具も強制的に排除された映像が流れていた。

暖房で、石炭や木々を燃やすことは、電気毛布を使うよりもとても安価なのである。またとても温まりやすいのである。

電気毛布では、その場で包まる事しか出来ない。部屋中を暖めて部屋で活動をする事は出来ないのである。

昔ながらに自然の中で生きて来た方がとても自由で、豊かな暮らしをしていたように思えた。

さらには、エネルギーの事を考えたら、電気は作らなければ使えないのである。

その作られた電気によって発熱をさせて暖を取るのである。その発熱をするものは、簡単には出来ないのである。

それに比べると、石炭や木材などは、直接燃やして暖を取ることが出来る。

これは、複雑な道具がなくても出来る事で、そうした知恵や道具を無くすことにつながると思われるのである。

安易に便利だけを追い求めると、自分たちの知恵や知識を失う事にもつながる。

そして、電気を供給されなくなった時には、生活できなくなり、電気を供給する人々の言いなりになる事にもなりかねない。

そうしたリスクを考える事が大切だと思うのである。

また、エネルギーの事から考えると、

電気を使うという事は、石炭などの原料を燃やして、電気を作り、その電気で暖を取るという事で、この間にエネルギーのロスを伴うのである。

また、以前、ビニールなどを燃やすと有毒物質が空気中に広がるので、燃やしてはならないという事が言われて、焼却炉を作り替える事を余儀なくされて、街中で物を燃やして廃棄する事が出来なくなった。

この焼却するという事には、多大なエネルギーを使っているのである。ただ単に燃やせないのである。

二酸化炭素排出量を減らすという事が叫ばれているが、クリーンエネルギーの開発や、無駄なエネルギーの使用についての議論が行われない限り、無理な話だと思われる。

バックトゥザフューチャーという映画があったが、それの中で、未来から来た博士が、車のガソリンの代わりにバナナの皮をエネルギーの元としている場面がある。

不要なものをエネルギーに変える事。この技術が必要と思われる。それが、自動車にエンジンがあるように、それぞれの家々に取り付けられる事。これがあってこそ、オール電化は推進されるべきと思うのである。

トヨタの社長が、「車を日本で作れなくなる」と発言したニュースを見たが、そうした企業に、このような技術開発を促した方がずっと良いと思う。

そして、そうした技術を開発するについても、今はまだまだ化石燃料が必要なのである。

それを考えないで、中国のような対応はすべきではないと思う。

しかし、私個人としては、街中で電気にしばられて生きるよりも、自然の中でゆっくりと農作業などをして暮らすことにあこがれる。来生はそんな風に生きたい。

 

ともかく、人間の欲には切りがないもので、人を助ける心・助け合う心が十分に行きわたらなければ、誠の心、その上に神様の働きがある事を知らなければ、悪に誘われてしまうようにも感じる。

慎みが大事である。苦労が物種である。

徳がなければ、徳を積まなければ。。。これはとても大切な事だと思う。

 

新型コロナ、中国共産党、その外様々な事が表に出てきている。

けれども「のど元過ぎれば熱さ忘れる」でそれが解決しないうちに、他の事へ意識を誘導されてしまっている。

これも情報操作の一つである。

しっかりと思案する事。思案するために意見を言う事。大切な事だと思っている。

 

親神様、教祖。どうぞ、大難は小難にとお守りください。

 

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全教一斉ひのきしんデー。「庄内緑地公園会場でのひのきしん」は中止とします。。。

2021年04月21日 08時27分09秒 | 思った事

4月7日は支部例会でした。

6日に支部長会の録音を聞きながら、教区長先生の挨拶から、連絡事項をほとんど紙面にして配ります。

それを見てもらいながら、それを読み上げます。

そして、支部内での決め事を行います。これが私が支部長になってからの流れです。

教区長先生の話を全て載せていますので、支部例会に出席できない方からは、良く分かるという声を頂きました。

ところが、これを作るのがとても大変なのです。

タイピングはさほど気にならないのですが、テープをほどく作業が続かないのです。

集中力が続かずに、すぐに嫌気がさすのです。昔は、1時間ほどの話も、3時間ほどあれば出来たのですが、今は、1時間のものが、一日かかってしまいます。

それなのに、「こんなことが出来たらいいのに」というアイデアはどんどん浮かんで、やりたくなるのです。

ちょっと前は、出来ないとイライラしたのですが、「やらなければ」と思い込んで集中すればするほど、肩が凝って背中と頭が痛くなるので、「一つの用事が出来ればよい。」と思うようにして、遊びながらやるようにしました。

そんなこんなしながら、何とか出来上がるのです。

そして、例会が終わると疲れがどっと出ます。

しかし、本部の神殿奉仕があるので、何とか5時過ぎには出かけます。(電車ならば4時に出て、居眠りしながら向かっていたのですが、コロナですので、リスクを避けて車です。)

今月の例会では、4月29日に行う「全教一斉ひのきしんデー」の役割を決めました。そして例会後に、支部内のようぼくさん宛に、チラシを郵送する作業をしました。

ところが、差出人のラベルがなく、うちに帰ってからスタンプを押す事になってしまいました。

それを終えて、急いでおぢばに向かいました。

8日、おぢばでは、勤務者や修養科生、学生に至るまで、次々とコロナ感染者が出ていました。

今までにない広がりです。同じ当番の先生方から、情報を聞いてビックリです。

名古屋ならば、たくさん出ていると言いながらも、広い地域ですのでさほど感じなかったのですが、天理という狭い地域で次々と感染者が出るという事から、これまで感染者がほとんど出ていなかった所は、大変だと思いました。

そして、9日、まだ発送していないひのきしんデー案内の封筒を見て、この状況で、チラシだけを送ってはならないと思い、手紙を添えようと思いたちました。

すでに封をしていたので、まずそれをはがす事から始めました。うまくはがれて再度使えるものもありますが、失敗するものもありました。

10日にチラシに同封する手紙を作り終わりました。するとそこへ、会計さんが決算書類を持ってきて下さいました。

決算書の訂正をお願いすると共に、丁度よいので、文を見てもらいました。

11日 両面刷りで186通分。プリンタで印刷をするろ結構時間がかかので、月次祭の準備を終えてから、うちの会報も作りながら作業をしました。

12日 月次祭を終えてから、封筒に手紙を入れはじめました。封のはがしがうまく行かずに、新しい封筒にする数が、うちにあった封筒の数がちょうど同じだったことにビックリしました。

13日 月次祭のお礼に大教会へ行く前に、郵便局へ出しに行く行きました。支部内のようぼくさん宛ですので、同じ配達区域となり、100通以上なので、特別料金73円で発送できます。

「次は、天理時報手配りの分だなぁ。どうしようか。」と思いながら、部内の月次祭を15日に勤めました。

すると、その最中に「お出直しがあったので、本部の神殿奉仕を交代してほしい」との連絡が入りました。

急遽の事で、翌日の講社祭は奥さんに行ってもらって、私はすぐにおぢばへ向いました。

16日に神殿奉仕をつとめる中に、感染者となった息子の事で電話があり、「17日にホテルへ迎えに行き、そのまま自宅へとの支持が保健所からあった」という連絡をもらいました。ちょうどおぢばに来ていて良かった。ありがたい。と思いました。

16日の神殿奉仕では、はえでのおつとめと重なりました。その他たくさんの気づきや情報をもらいました。そして、初めてライブ配信をして見ました。

17日 息子を迎えに行き、帰る準備をしている中に法人課から電話があり、すぐに用事を済ますことが出来ました。

18日 行けないと思っていた葬儀が、友引のために17,18日になり、18日の告別式に行かせてもらう事にしました。その向かう道中に、支部内の先生から、マンボー「まん延防止等重点措置」が発令されるけれども、ひのきしんデーはどうするのか?という問い合わせが来ました。相談の上として、ひのきしん担当者へ連絡したのですが、夜まで連絡が付かないとの事でした。

ありがたい事に、告別式に来ていた教会の奥さんから、「近所の教会にでも配って下さい」と、たくさんのキャベツを頂き、そのキャベツを配りながら、ひのきしんデーについての意見をまとめました。

そして、会場で行うひのきしんは中止として、教会や信者宅でのひのきしんとしました。

案内を郵送したところへは、中止のハガキを出し、手配りの所へは変更の通知を作る事にしました。

そして昨日20日、4月23日の手配りの時に配ってもらう通知文を作成して、拠点教会へ届けたのでした。

昨年も「緊急事態宣言」が出て、急遽中止としました。その時、「もし来られた方があったら申し訳ない」と、私一人会場でひのきしんをしました。

今回は、ひのきしん担当者と二人で待ちながら、公園でのひのきしんをすることにしました。

そうする中に、ある教会では、「会場へ行ってはいけないということですか?」と尋ねられました。

「別にそうではないですよ。誰か来た時のために私たちがいますから、来たい人はどうぞ。お茶ぐらい用意しておきますから」と答えておきました。

マスク・感染対策をしながら、お日様の下で、親神様の御守護に感謝しながら草抜きや落葉掃きなどのひのきしんをさせてもらいたいと思っています。

 

「全教一斉ひのきしんでー」の事を主として、今月初めから今日までの大まかな事を書いてみました。

ふと思う事や、人から言われることに沿いながら、事が進んでいく。そうした中に、何か不思議な親神様のお導きを感じるのです。

その他にも、書きたいことはありますが、またの機会に。

ともかく、教会の会計決算をしなければならないのです。

一番やりたくない事で。。。。のばし延ばしになっています。

 

親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守り下さい。

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Facebookの記録。

2021年04月20日 07時52分18秒 | 思った事

一週間ほど前、共有した動画のサムネイルが表示されないという事があった。

なぜか?と思いながら、そのまま投稿し、サムネイルが出ない分、必ずコメントをして共有する事にした。

少ししてから、サムネイルが表示されるようになった。

まったく????である。

そして、今日これまたおかしなことになっている。

久々に17日に書いたブログを昨日19日に共有したのだが、通知では「いいね」が押されたと連絡が入るのに、「いいね」のカウントは表示されていない。

これまたおかしなことである。

ユーチューブの動画では、登録者数や「いいね」ボタンの改ざんが報告されているが、ここでも行われているように感じる。

こういうことをするから、どんどん信用を無くすことになるのが分からないのだろうか。。。。と思う。

親神様はすべてをお見通しである。

こうした事もすべて。。。

誠真実の反対は、うそであり、それは必ず報いを受ける。

これが「天の理」である。

この報いは、神が与えるのではない。ここをよく注意しなければならない。

神は、そうした報いを受けないようにと、注意を促しているのである。

それが教えなのである。

「信仰はころばぬ先の杖」とも聞かせてもらう。また「教えが神」とも聞かせてもらう。

そして「人を恨みな、我が身恨みや」とも。。。

また、「見るもいんねん、聞くもいんねん、世話どりするのはなおの事」とも。。。

見聞きするうちに、自分のいんねんを悟り、心を改める事。これが大切だと思う。

 

敷島に対して教祖が「一の筆」と言われた事について書こうと思ったが、また今度にする。

 

親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守り下さい。

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新型コロナから。。。関西テレビ記事と天理市長のコメントの記録。。。そしてコロナの対策は?

2021年04月17日 15時14分21秒 | 思った事

アメリカの大手メディアが、視聴率のためにうその情報を流し、また世の中を自分の意のままにしようという人々と組んで情報操作をしていた事が、再度話題になっている。

(129) CNNのトランプを陥れる証拠は暴露された【第148回】 - YouTube

(129) 2021.04.15【米国】トランプ落とし気候変動…《人々の恐怖と不安を煽り憶測で話をせよ》これがフェイクメディアの実態‼️😱弱小メディアがCNNに戦いを挑む❗️👊👏【及川幸久−BREAKING−】 - YouTube

私自身は、アメリカ大統領選挙で、トランプ大統領を応援する情報が、日本のメディアでは全く報じられない事から不信感を持つようになった。

そして、その応援のデモ行進が粛々と行われる動画を見た翌日の新聞に、デモ隊が暴動を起こしたという記事を見つけた。

そのデモは、最初から、最後まで、警察の人と共に、平和にまた感染予防もしっかりとして行われていた。

それなのに、それとはまったく異なった、うその記事が掲載されていたのである。

さっそくその記事を写真に撮り、デモの動画もリンクを記録しておいた。

その後、デモの動画は、不適切として削除されていた。

これで、私の大手メディアへの信頼はなくなった。

真実を伝えるのではなく、自分たちの都合の良いように報道をする。そう思えたのである。

 

そして現在、中国との問題も多々あるが、アメリカの真実も、大手メディアではほとんど報じない。中国擁護の報道に偏っている。

そうした中に、天理市の新型コロナに対する対応について、次の報道があった。

・・・・・・・

奈良・天理大学で62人の大規模クラスター 運動部に所属の学生、クラブ活動中や飲食中に感染拡大か(関西テレビ) - Yahoo!ニュース

奈良・天理大学で62人の大規模クラスター 運動部に所属の学生、クラブ活動中や飲食中に感染拡大か

配信 関西テレビ

関西テレビ

・・・・・・
 

これに対して、天理市市長がFacebookで

並河 健 | Facebook

本日(4月16日)奈良県より、3月から4月上旬にかけて、天理大学の5つのクラブで合計62名の集団感染があった旨発表されたことについて、改めてご説明します。
本件は、既に全員が治癒して、退院済みです。クラブ活動の停止や、その間の感染対策指導など、大学の取組によって、集団感染は一旦終息している状況です。
本市も、天理大学から一定の情報提供を受けていましたが、飲食の行動履歴があるから検査された方についても、県発表の経路は「調査中」とされていました。
市としては、保健所や当事者の頭越しに発表できる立場にないことから、市内在住者については、県発表の範囲内で個人情報に留意しながら、日々の感染状況をメッセージでお伝えする中に含めていました。
クラスターとしての認定はずっとなされず、棚ざらされていた印象です。率直に、全員が治癒したような今頃になって、と感じています。
5つの別々のクラブで、一定の時期に多発した感染ですが、相互の経路のつながりがあるとは私どもも、大学の皆さんも承知していません。
それが、あたかも「62名の大クラスター」が発生し、しかも今起きたかのような印象を市民に与える報じられ方になっている点は、大変遺憾です。
もちろん、陽性者の行動履歴の中で、感染対策の上で課題が多くあった点は否めません。
大学としても、専門医と共に全クラブへの指導を行われ、また私も学長先生とご一緒に、市内感染状況について啓発し、年度はじめに飲食の機会を控えて頂きたいこと等を訴えました。
引き続き、天理大学には感染対策の強化を市としても要望し続けて参ります。
他方で、大阪由来にだけに感染リスクがあり、県内の飲食等は安全だという認識が県民にあるとすれば、そのような状況で、学生のみなさんに行動変容を求めることは容易ではありません。
県外からの通学者等を除き、陽性者の多くの行動範囲は、基本的に市内県内です。
ウイルスは時間も場所も選ばない。県内か県外かを問わず、感染対策を強化していくことが大切だ、と私が訴えさせて頂いている理由です。
本市の10万人当たりの1週間感染者数は、一時134名にまで上昇しましたが、市民の皆さまのご協力により、本日時点で61.5名になりました。
しかし、依然として沖縄県や兵庫県よりも多い人数であり、市としても感染拡大防止のため最大限努力して参ります。
 
・・・・・・・・
と回答していた。
 
どうして、テレビ局は天理大学とするのか?
天理市長が発言するように、もっと深刻な状況にあるのだ。
 
天理の寮にいる私の子供も発熱から、PCR検査をして陽性となり、感染者となった。
そして、他の人たちも一斉にPCR検査を受ける事となり、陽性者が4人ほどあったとの事である。
息子は、発熱をしたので感染者となったが、発熱をしていなければ陽性者ということだけである。
 
そこで感染者は看護師さんのいる指定のホテルへ行くなり治療施設に行くことになるそうだが、そのホテルが一杯との事で、陽性者と共に寮にて隔離されていた。
その息子は、喘息を持っている。だから重症化しやすい。それを心配した。
数日後、保健所からホテルが開いたと連絡があり、感染者である息子だけがホテルに移された。
そして今日、保健所からの指示で「自宅へ戻るように」と連絡があり、ホテルを退所した。
「なぜ寮に戻らないのか?」と不思議に思い尋ねたところ、
また他の感染者が出たので、寮全体を隔離する事となったとの事だった。
そこへようやく治った息子を入れて、また感染させるリスクは避けたいというのである。
 
すべて、保健所からの指示で動いている。
ホテルへ迎えに行くのも、私の車のナンバーを連絡をして、という念の入った対応である。
 
そして、息子の荷物を取りに寮へ行ったところ、寮の先生方がとてもピリピリしているのが分かる。
ビニール手袋をして、自室へ荷物を取りに行った。
 
このような対応は、他の寮でも同じである。
 
おぢばでは、婦人会総会も中止になった。
16日の神殿奉仕をつとめさせてもらっている間に、中庭の婦人会の立て看板は外された。
 
天理市長はじめ、天理教全体でも、少しでも減らせるようにと、感染対策をしながら行事に取り組んでいる。
 
ワクチンが出回ればこのパンデミックは治まると言われているが、
ファイザーのワクチンでさえ、3回打たなければ有効にならない。ましてや、一年しか有効期間はないかもしれないという発表がなされている状態である。
心底、「皆で協力して、新型コロナに打ち勝つ」という姿勢を持たなければ、一生ワクチンを打ち続ける事になりかねないのである。
 
また、インフルエンザよりも死者数は少ないからと言って、マスクをしない話も聞くが、飛まつ感染を少しでも防ごうとしたならば、手洗いや消毒はもちろんの事、マスクしかないだろう。
さらには、マスクをしたら、抵抗力が無くなるなどという話にしもあるが、マスクはのどの乾燥を防ぐのである。
私自身、昔から喘息まで行かないまでも、気管支は弱い。
また、アレルギー性鼻炎を持っているので、口で息をする事が多くなる。
だから、マスクがどれだけ、のどや気管支に潤いを持たせるか良く分かる。
この事は、私だけではなく、喘息を御守護頂いた信者さんも、「マスクをしていた方が息がしやすい」と言っている。
 
冬にインフルエンザが流行するのは、よくインフルエンザが活発になるというが、インフルエンザが活発になるのではなく、潤いで保護されている喉などの粘膜が乾燥して、侵入しやすくなることが活発になると思われているのではないかとも思える。
 
だから、私はマスクをする事を推奨する。
自分が罹らないためではなく、自分がいつかかっているか分からないから、他人にうつさない為にである。
自分が人にうつして、人を殺す手伝いをしないためである。
 
PCR検査も100%新型コロナを検知する物ではないと聞く。何が本当なのか。
私の娘も看護師として病院に勤めている。医療従事者は懸命に命を守ろうとつとめている。
しかし、その上に立つものが、どのようなうそをついているのか、これも情報操作と同じように疑いを隠せない。
 
この事については、新型コロナの治療薬として、すでに昔から使われている安い薬が、有効との情報がテレビでも流れた。
予防薬としてトランプ大統領もそれを使用しているとの報道もあった。
そうした情報を流したYouTubeの動画は次々と配信を削除されている。
そうした事から、医療についても情報操作が行われていると思えて仕方がない。
 
中国の武漢から、発症し、そのワクチンがすでに開発されていた。だから、半年でワクチンが使えるようになる。
知って、研究をしていたからと納得である。
事前に研究をしていない人々は、蔓延してからの研究となる。そうしたならば、ワクチン自体を探すのに時間がかかるだろう。そうした時間の関係から、中国のみならず、各国の関連した人々もつながっているように思われてならない。
 
私には、犯人を特定する事は出来ない。
しかし、そうした事を企てた人やそれに加担した人々は、殺人罪に値するのではないかとも思う。
 
さらには、人身売買など闇の話もどんどん公になってくるだろう。
そうした時には、罪を犯した人々は、自分を守るために争いを起こす事になる。
争いとは、武力での殺し合いという事である。
 
教祖の時代は、明治である。
以前、戦争の予言として、このブログに書いておいた。日本が変革をする時に起きた戦争についての予言である。
 
人間は神の前には平等である。
貸し借りの帳面はしっかりと付けられている。
人を悲しませれば、自分も悲しまなければならなくなる。
ただし、前生の記憶がないから平然として生きて居られるが、前生の記憶があればそうは行かないのである。
これを自覚しているから、自分の都合の悪い事が起きても、人を恨む事や妬むことは少なくなった。
また、罪を憎んで人を憎まずではないが、以前よりは許すことも出来るようになった。
 
まったくもって、ありがたいと思うばかりである。
 
さて、世界情勢もどんどん不安定になってきている。
親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守りください。
 
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はえでつとめ。。。ライブ配信。。。

2021年04月17日 05時14分25秒 | 思った事

4月16日にはえでづとめが行われた。

東礼拝場前に、パイプ椅子が設置されていたので、ライブ配信してみた。

外にスピーカーがなかったが、よく聞き取れたので、音声が入っていると思いながら、よろづよ八首まで配信してみた。

しかし、詰所に帰って動画を見たところ、自分のしゃべっている声はよく入っているのだが、残念ながら、おつとめはうまく入っていなかった。(削除した)

この日は、夕方から雨という予報であった。夕づとめ後少しぱらついたが、はえでづとめが始まるころには上がった。

そして、よろづよ八首が終わった頃に、また沢山降り始めた。

撮影していて不思議に思っていたのだが、動画配信でおつとめの音色が届けられずにとても残念である。

 

世界中が、大難は小難に守られますように。。。

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団参から。。。

2021年04月06日 09時20分35秒 | 思った事

4月3日には、少年会愛知団のおつとめ総会がありました。

初めてのリーモート開催でした。うちでは妻がiPadを使っているので、それを見ながら参加しました。

リーモート、リモートと世間では言われますが、そうした環境(Wi-Fi環境)がないと難しい事だと思いました。

参加者の意識が大切で、リモートをする以前のつながりがあってのリモート総会と思えました。

考える良い機会を与えてもらいました。準備をしてくれた人々に感謝です。

 

4月4日には、団参をしました。

うちの家族と、信者さん3名。合計8名でおぢばがえりしました。

この4月は、18日が日曜日なので、18日に団参をとも思いましたが、新型コロナが広がる事を思うと、早めにすることと、大勢が集まる時は避ける事が重要と思い、4日にしたのでした。

行きたいという方のみ、29人乗りのマイクロバスで出かけました。

予報では雨でした。名古屋を出る時には、当然雨です。

団参で雨は珍しいなぁ。何かあるのかなぁと思いつつ、出発をしました。

三重県を抜け、奈良県に近づくと雨が小降りになり、空が明るくなってきました。

そして、おぢばに着くと、曇りになりました。雨があがったのだ。と思いました。

ところが、おぢばの息子に聞くと、「予報は雨だったけど、朝から降ってないよ」との事で、ビックリしました。

移動した私たちにすれば、雨が上がったと感じたのですが、雨が降っていない所へ移動しただけだったのです。

北礼拝場で参拝をして、日頃話せない話をしながら回廊を廻りました。

回廊拭きをされている数人のグループ、境内地で草抜きをされているグループなどを、少しですが見かけました。

新型コロナが蔓延する直前の団参で、親神様の不思議を目の当たりにしての今日です。

すべては親神様のお導きの中での出来事で、大切なのは、それぞれが気が付く事、悟る事だと思っています。

「善悪共にみな分けるでな」と聞かせられます。

自分の心の善悪もそうですが、身近でも、世界の上にも善悪をしっかりと分けて下さっていると思います。

そして、親神様はこの事に気が付いてほしいと、ずっと思っているのですが、なかなかそうはいかず、自らの心に縛られて、苦しんでおられる方々が多くあるのです。

これは、上下関係なく、全ての人にであります。上に立つものは上に立つものとして、下のものは下のものとしてです。

上のものにも上下はあり、下のものにも上下はあるのです。

これが天の理です。

上には上の役目、下には下の役目があり、年限が経てば、いくら嫌だと言っても、下のものでも上に行かねばならない人もあるのです。

これも天の理です。

こうした天の理を知らず、または知っていても自分の勝手気ままに、理を作って人をだましていれば、どうなるか。

「うそをついたらその者がうそになるのがこれがしょうちか」

と言われる通り、自分のうそで自分が苦しまなければならなくなるのです。

これも天の理です。

こうした事は、親神様が人間をこの地球に誕生させた目的を述べられているから信じられるのです。

ただ神がいるだけでは味気ない。「人間を作りその陽気ぐらしをするのを見て、共に楽しみたい」とそう思われた思いを知っているから、そして親神様の不思議を体感するから、「今でも陽気ぐらしが出来るように導いてくれている」と思えるから言えるのです。

このことは「元はじまりの話・元の理」に書かれています。

そして、親神様が直々に教祖(中山みき)の身体に入り込み、自らが人間として、陽気ぐらしを実現するための人間の通り方を「ひながた」として残されました。

だから、教祖が通られた歩みが「稿本天理教教祖伝」として、天理教の教義として教えられているのです。

世界には宗教が沢山あります。この意義は小さな地域での事であればよかったのですが、地球として人類として、共通の意識を持つためには、とても難しい課題であります。

だからこそ、10のものならば、9つまで様々な宗教や哲学などで教え、最後の一点『人間を作った目的』を、この天理教として教えられたのです。だから、一人立ちする教えといわれたのです。

どれだけ科学が進み、そして医学が進んでも、人間の心が成人して、共に信じられるようにならなければ、幸せには慣れないのです。

信じられるようになるには、「うそをつかない。誠の心で通る」という事が、定められなければならないのです。

親神様は常に見ておられて、采配を振るわれます。これは、誠の心を受け取ってであります。

「誠」にも区別がある事を教えられています。

自分自身の事を心底から願うのも「誠」です。

家族の事を心底から願うのも「誠」です。

そして、それ以外の周囲の人々、世界の人々の事を心底から願うのも「誠」です。

この段階があります。一番しやすいのが、自分の事を願う事です。

ここから始まります。でも、自分の願いを優先するあまりに、家族をないがしろにする場合があるのです。

この状態での事を教えられている「教え」があり、次には、家族間での誠について教えられている「教え」もあるのです。

この家族間の誠を少し大きくすれば、国ともなるでしょう。その国。地域でまとまるためにに教えられた「教え」もあるのです。

そうなった時には、違う地域とでは価値観が異なります。例えば、よく言われるの、農耕民族と狩猟民族の違いであります。この二つの地域では、それらがまとまるためのルールは自ずと違っていても当然という事になります。

この違いを認識しないで、自分だけが、自分の地域の事だけが正しいと思い込むから問題になるのです。

1次元・2次元・3次元の世界と言われますが、この次元という事を、見方という言い方に変えればわかりやすいかと思います。

1次元とは、自分だけの事しか見えない場合。

2次元とは、自分と相手だけしか見えない場合。

3次元とは、自分と相手とまたその他の人の事が見える場合。という事です。

これだけ、人が増えて、考える知恵・知識が増えて来た現在。人の裏を見て、考えたりすることが出来、医薬で人の心をも操作できる知識を得た現在。

この次元・見方はとてもたくさんの事を理解しなければ、治まらないようになってきていると思われます。

だからこそ、人との差を感じて、自らの間違いを正すことが大切であり、神様に世界の平和を願い、導いて頂く心を持つことが大切だと思うのです。

自分だけの事しか考えられないのは、子供です。

子供は、些細なうそも許されます。それは、親がそれを知りながらも、まだ子供だからと見逃しているからです。

けれども、子供通しではそうは行きません。だから喧嘩になります。

その喧嘩で、子供たちは善悪を学びます。

けれども、この喧嘩を親が要らぬ理屈で止めたり、自分の保身から子供にうそを教えたら、その子供は真の善悪を学べずに大人になり、多くの人々に迷惑をかけることにもなりかねないのです。

それが歴史となるのです。うその歴史を作り上げる事も出来るのです。

この事もすでに見えて来ています。

その清算は必ず行われます。それが、神様の残念の現れです。

地震大風水つきと教えられている天災であります。

また、火水風とも教えられている働きのバランスが崩れる事です。

そうした天災の時に、どのような対処をするか、どのような心でいるか。これが大切だと思います。

天災では、亡くなる方もあるのです。反対に生き残る方もあるのです。

この差も問題ですが、亡くなった後どうなるかが問題であります。

人間は生まれ変わり出変わりしているのです。魂が生まれ変わりしているのです。

この点を心に置かねばなりません。

これを一代限りでと考えれば、それまでです。次は新しい体を借りて、子供として生まれてくるのです。

その時に、良い環境にしておくか、悪い環境にしておくかは、今生きているそれぞれの責任なのです。

一代限りと考えて、今の世の中はどうなっても良い、どんな環境になっていても良い。

「今さえよければ」と好き勝手をすればどうなるでしょうか?

この考え方が、とても重要だと思います。

どれだけ科学や医学が進んでも、この考え方が変わらなければ、ならないと私は思うのです。

 

子供のためにと親が苦労をする。その親はこの苦労は苦労と思わず、反対に喜びに感じる。そんな親もあります。

反対に、親が自分のためにと自分は苦労をせずに子供に苦労を強いる。こんな親もあるのです。

ところが、こういう親もあります。我が子だけは可愛い、けれども他の子供はどうでもよい。という親もあります。

また、子供のためにとわざわざ子供に苦労をさせる親もあります。この親は自らも苦労をしながらも、喜び、子供の成長を見守り、その子供の成長に合わせて態度を変えて行きます。

簡単に書きましたが、事例は多岐にわたります。これ全て、親の心により差が出るのです。

こうした事を研究し、まとめる事が出来れば、世界中の人間が既存の宗教に頼ることから脱却して、人類が一つとして考えるための足掛かりになるかと思います。

・・・・

団参で雨に当たらずに参拝できた不思議を記録しようとして書き始めたのに、全く違った話に発展してしまいました。

どこかで、どうしたら世界が一つになれるか、と悩んでいるニュースを見たのが心にあったからなかぁと、今思いました。

親神様は「研究せよ」と言われています。

陽気ぐらし実現にはまだまだですが、一つずつを楽しみながら、一日一日を過ごしたいと思います。

そうそう。思い出しました。

Facebookに「記念建物」の配置図を載せたのですが、それについて書こうと思っていたのです。

これについては、またの機会にします。

今日は、支部例会の資料を作成します。

読みにくい文章に、最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。

・・・

親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守り下さい。

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スエズ運河事故について。。。

2021年04月02日 20時15分17秒 | 思った事

スエズ運河での座礁事故について、以下のような記事がありました。

大手メディアのニュースとは違います。

比較資料として見て下さい。

 

記録として、記事のリンクと、スクショを載せておきます。

Trafficked Children, Bodies, Weapons Found on Evergreen Ship Blocking Suez Canal | Politics | Before It's News

元は英語ですが、自動的に日本語に翻訳されますので、日本語でのスクショです。

もし翻訳されない場合は、自動翻訳をオンにしてください。

 

 

 

親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守り下さい。

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今朝思い立った事を。。。メモとして。。。模様替え。ひながた。。

2021年04月02日 10時06分26秒 | 思った事

今日は、教区で支部長会が午後からある。

それまでの間、やる事があるのだが、どうも今朝頭に浮かんだことを記述したくて仕方がないので、

思いつくままに書いておく。

・・・・

甘露台の石が没収されて、みかぐらうたが、「あしきはらい」から「あしきをはろうて」に変更された。

この事を当時の人々は、「神様の模様替え」と言っていた。

この事が気になったのは、卒業論文を書く時だった。

「おふでさき」を元に、なぜ変更されたのか、その前後の差などを探していた。

結果は導き出せなかったが、その当時に思っていた事が思い出された。

そして、メディアの情報操作という事と結びついたので、書いておきたい。

・・・・

当時、どんなことを思ったかというと、「なんだか、大変な事を選んだみたい」という気が第一にした。

それは、「神様の模様替え」という事は、「神様の計画が変更された」という事である。

神様は全知全能。すべての事は知っているはずである。その神様に分からない事があったという事になる。

と思ったのである。

あれから数十年。このブログにも模様替えについて書いたと思うが、ずっと気になっていた。

それが、今朝ふと、親神様が分からなかったのではなく、私たち人間が分からないために、気長に時をのばして下さったのだと思えた。

「神様の計画変更」といえば、教祖が25年の定命を縮めて現身を隠されたのも、同じである。

この時は、「こども可愛いゆえ、親の命を縮めて、世界助けに出る」と言われており、それから日本中に不思議が現れて、一時期は日本中が天理教になろうとしたのである。

ところが、これまた、弾圧が起こり、人々の心は離れて行く。これが繰り返された。

けれども、その中でも親神様・教祖を信じて疑わない人々には、これまた不思議が現れて、続いて来たのである。

今、ようやく、この日本では中国との戦争が話題となって来た。少し前にアメリカは、アメリカ大統領選挙から中国との関係について目が覚めた。けれども日本には、その情報がメディアから流れずに今日まで来た。

親神様の導きがないからではなく、私たち人間の心が、しっかりと定まっていない。これが一番の原因なのではないかと思ったのである。

親神様は、人間の心を切り替える事を教えられた。

それも、誠の心を使うようにと。。。

そして、甘露台を建てて、甘露を教祖から渡して、115才の定命を全うさせたいと思われた。

けれども、この甘露は、誠の心を持っていないと効き目がない。

だから、甘露を貰うために、人々は心を誠にと切り替えるだろう。そのためのおつとめをという計画だった。

しかし、おつとめをつとめるための「つとめ人衆」揃わない。

せっかく渡した「おさづけ」も良いようには使わない。などなど。。

人間の未熟さや、悪事の心が深い事が露呈したのである。

親神様のお話をストレートで聞いたり話したりするときに、他人の事ならば、割と聞きやすいのだが、いざ、自分が身上や事情に成って、我が身に振り返ってみると、とても強烈なのである。

「そんなこと言ったって!!」と思ってしまうのである。そして耳を塞いでしまう事もあるのである。

これでは、心の切り替えを願う親神様の計画は進まない。

だから、「はしきはらい」から「あしきをはろうて」に変えられたと、得心したのであった。

けれども、時旬というのは、待ってはくれない。

天理に定められた時に、行わなければならないのである。

よく種まきに例えられるが、その旬にまかなければ、花は咲かず、実も乗らないのである。

その旬には少しの余裕があるが、その余裕の最後の時を外してはならない。

それが、今この時ではないかとも思えるのである。

新型コロナウィルスだけではない。地震大風水つき、そして戦争が行われているのである。

これらの元は、全て我々人間の心の現れである。

昔、山本利雄先生が「百匹目のさる」という話しをしていた事があった。

一つの場所で、芋を洗うサルが増えて、それが百匹を越えた時に、遠く離れたところにいるサルも、同じように芋を洗うようになるという話しだったと思う。

この事を掲示板に書いて、相当批判を受けた記憶がある。

実際にこのような事が起きるかどうかは、私には定かではないが、教祖の教えられた、誠をつくす事。

誠の心で日々を通る事。これをしっかりと定める人が増える必要があると思える。

といっても、心を変えるそうした気持ちにもならない人もある。

そのために、教祖はひながたを残された。

ひながたとは、形である。「中身は無くとも、形を真似よ」そうすれば、心を変える守護をする。

と親神様は教えられたと思っている。

教祖のひながたの、一番最初は物を施して「貧のどん底に落ちる事」と思っている方があれば、それは違う。

その前に、うち蔵に籠られているのである。そこで、神様との問答をされているのである。

問答とは、教えを学ぶ事と私は理解している。

それを終えたのちに、人々に施しをされて、そしておたすけをされているのである。

こうした流れは、山名大教会史を読んで、初代諸井国三郎先生の歩みからも同じように感じている。

教えを求めて、わざわざ遠州から大和へ来ているのである。そして、先生を遠州へ呼び、おつとめを皆で学んでいるのである。

その後に、仕事がうまく行かなくなる。そして、たすけ一条に歩まれる心を定めて通られるのである。

その間、どれだけの苦心をされただろうかと思う。これは、教祖が宮池や井戸に身を投げようとされた事と重なる。

諸井国三郎先生は奥様や、子供さん方の後ろ盾があり、乗り切られた。これもとても大切な事だと思っている。

教祖の後ろ盾は、前川家はそのようにならなかったが、梶本家がそれであった。

その事はおはる様がお出顔しになられた事から分かる。

そして、信者さん方が出来て、共に歩む事となる。

ひながたはまだまだ先がある。信者にしても様々であり、それぞれに対する対応もひながたと思える。

ざっと、思いつくままに書いた。資料を調べていないので、記憶違いもあるかもしれないが、それぞれに調べてみて欲しい。

そして、それぞれに教祖のひながたが心に入り、今は不安でも、先を楽しめるようになる参考になればと思う。

 

親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守り下さい。

コメント (3)
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