7月に入って、初めてのブログになる。。
この間、何度か書きかけたが、発信するには至らなかった。
今月の神殿奉仕は、8日と16日の2回つとめさせて頂いた。
先月6月が教養掛で、交代をしてもらったためである。
この16日の当番で、思いもよらぬ出会いをさせて頂いた。
1年以上前、フランスにいる弟から、「おつとめのカラオケは無いだろうか?」と相談があった。
神殿奉仕の時が、おぢばで自由が利く。
道友社などへ脚を運んで、探してみたが、三代真柱様が出されたおつとめのCDしか見当たらなかった。
そこで、神殿奉仕の先生方に、「おつとめのカラオケを探しているのですが。。」と尋ねて回った。
すると、音楽に長けた先生から、「作りかけで、こんなのがあるけど。。」とPCで作られた、ものを聞かせて頂いた。
まさしくメロディーをも音にした、カラオケの音源であった。
それは、三代真柱様のお地方を、譜面に起こして、それを元につくられたものであり、私が相談をした先生が、譜面を作った先生であった。
その先生の思いを元に、他の先生がコンピュータで作成したものであった。
「ぜひともと」とお願いして、昨年の今頃、12下りすべてが出来上がり、フランスの弟へ送ったのであった。
そのコンピュータの作業をされた先生に、16日にお会いできたのである。
メールでのやり取りはしたことがあっても、お会いする事は初めてで、その後女鳴物を強調した「女鳴物用」「鼓の音源を変えたもの」などを頂いていた。
とても手間暇の掛かる作業を、道の上に役立てばと、努力される先生方が居られるという事。本当に素晴らしい事だと思わずにはおられない。
このカラオケの話から、三代真柱様が基準となる「みかぐらうたのCD」を出されるまでの、変遷についても、天理図書館へ赴いて、鳴物練習譜を見比べて、学ぶ事が出来た。
今、ネット上では、永尾芳枝さんのお地方なるものが出回っているが、この歌い方と現在の歌い方では全くと言って異なっているところもある。またテンポも違う。
教祖の時代に戻れという「復元」を提唱した時、「今の歌い方が違うから。。。」と否定的な意見も出てくることだろう。
そうした中に、昭和9年に教祖ご誕生祭が始まり、その時から一般参拝者にもお地方を奉唱する事を許されたという事を知った。(天理教事典年表参照)
そして、テンポやスリガネ・笛などの演奏方法・調律も変化してきている。
これらがどうして変化して来たのかという理由は、調べ切れていないが、「一般参拝者へも唱和が許された」という事柄と、おさづけを戴く上のハードルが下げられた事などから、特異な人のみだけではなく、どんな人にでも馴染みやすいようにと変化されているように思える。
洋楽が浸透してきて、音楽が大衆にも拡がって行ったとき、人々の心の中に、陽気ぐらしへのおつとめとはというイメージが湧き、それが段々とおつとめを変化させてきたのではないか。などと思えて来た。
「かしものかりもの、心ひとつが我がの物、心ひとつでどんな理もでる。」
という言葉を思う時、我々の思いが、様々な事柄を作り上げていく元のようにも思えるのである。
それぞれが聞いて来た事、体験したこと、そして隠されて来た事が次々と明るみになり、世界の情勢が、これからどんどん混濁してくる。
物が豊かになっても、事件は減らないのである。
この根本は心である。
本当に平和に、陽気な世界が実現するためには、その心の切り替え、建て替えにまで思いが至らねばならないと思う。
その為の、勉強・研究が重要かと改めて思うばかりである。
思うがままに。。。