あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

旧山名大教会史より 第1篇 第1章 第9節 遠江真明組の結講

2020年06月30日 22時12分24秒 | 旧山名大教会史

第9節 遠江真明組の結講

長いので、第9節のみとしますが、ここでは、不思議なおたすけが上がり、人々が集まる事により、警察や村の人とのやり取りが細かく書かれています。

親神様の不思議なお導きや、人々の受け取り方などが感じられると思います。

第1章はここまでです。

次から、第2章となります。

 

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トイレの修理が終わった。。昔の話。2本の手すりから。

2020年06月30日 08時32分08秒 | 思った事

昨日、ようやく便器を取り付けて、フラッシュバルブを取り付けて、コーキングをして、小便器の修理は完了した。

床は、25日に張った。その時に便器を取り付けかけたのだが、パッキンが古くなっていて説明書通りに取り付ける事が出来ずに悩んでいた。

そこで昨日、息子たちに手伝ってもらって、3人がかりで何とか取り付ける事が出来た。

右側の手すりは、現在は2段になっている。

この話をしたい。

最初は、上の一本を付けた。

これを取り付けたのは、部内の親奥さんが身上で歩く事が辛くなり、トイレに入る事が大変になったためだった。

もう来れなくなるのではないかと思いながらも、「来ていただいた時のために」と思って付けた。

すると、その後元気になられて、また毎月来てくださるようになった。

この親奥さんは、その後、腰がどんどん曲がって行った。

そして、上の段につかまるのも大変なぐらいになった。

そしてまた、身上になられて、来れなくなるのではと思うようになった。

そしてまた、「来れた時のために」と思って、下の一本を付けたのだった。

このトイレの壁は、タイル張りになっている。だから、穴をあける事がとても大変な作業で、なかなか開かない。腰にヘルニアを持つ私にとっては、とても辛い仕事であった。けれども、大したことにならず、翌日少し違和感がある程度ですんだ。これもとても喜んだ記憶がある。

そして、2本目を取り付けたら、また元気になられて、毎月通われるようになった。

この当時は、奥の便器は和式便器で、それにかぶせる簡易の洋式トイレにしていた。

そして、8年前、創立120周年をするために、トイレの改修をすることにして、現在の便器に代わった。

この時には、部内の会長さんが色々と世話をして下さり、「おばあちゃんが調子が悪くなるたびに、会長さんがこの手すりを付けて、元気になったね。」と言われて、「そうだったなぁ。不思議だなぁ」と思ったことが忘れられない。

それから後も、この親奥さんは腰を曲げながらも、部内の会長さん夫妻と共に、毎月月次祭に来てくださっていて、3年後102才で出直された。

今年で5年になる。今年の5月に5年祭をする予定だったが、この新型コロナで親族が集まれないので、延期している。

この親奥さんは、結核が流行る中、結核の患者さんのところへ、おさづけに通われて、不思議な御守護をあらわされた方であり、周囲の方々に慕われた方である。

親神様はどこでどんな不思議なお働きを見せて頂けるかは分からないが、我が身を忘れて精一杯つとめる中に、必ずあると信じている。

 

どうぞ、親神様・教祖、大難は小難にとお導き下さいませ。

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なぜ、このようなブログをやっているのか。。。そして旧山名大教会史第7節で。。

2020年06月29日 06時17分05秒 | 思った事

昨日、新型コロナでの感染者が増えている事について書いた。

この新型コロナが出はじめた時は、どういうウィルスか分からない事が、より多くの恐怖を誘って、憶測の中での対処を余儀なくされていた。

そうした中に、ともかく人との接触を断つ、自粛と言う事が叫ばれた。

そして、不要不急の外出は避けるように、日本中の意識が一つになった。だから、政治や法律での規制がない、ロックダウンが成功した。と思う。

 

私の通常も変わった。毎日忙しくしていたのが、家にいる事がほとんどとなり、それも自分の思う事に費やせる時間が増えた。

その時に考えたことは、自分の本当の役目は何かという事だった。

私の寿命があとどれだけかは分からない(これはだれもが同じである)。けれども、父親が出直した年齢まではあと5年である。

周囲に、親神様の話を伝えたいと思っても、なかなか伝わらない。それは、この教会に来て、親神様の思い通りに通らせてもらうと決めて、通ってみて思う事である。

今では、絶対に親神様がお導き下さっていると確信している。そして、それを悟る事が難しい事も確信している。

こうして得た事を、ブログで発信すればと思ったのである。

親神様の残念の思いを、親神様の残念を晴らすための話を、それが今の私に出来る事ではないかと。。。。

そして、思いつくままに、毎日書くようになった。

 

路傍講演で、街頭に立って、話をしても、素通りされるだけである。

けれども、ここで、路傍講演をするつもりで、書けば、興味がある人は、読んでくれるのである。

そして、何かを感じてもらえれば、それでよいと思うのである。

 

私の文章は、読みにくいと思う。その点だけは、本当に申し訳ないと思う。

でも、読んでくれる人が増えている事を思うと、これでいいのかなぁ~~。と思っている。

・・・・・

感じた事といえば、なかなか時間が取れずに、旧山名大教会史について思う事を書けずにいるわけだが、昨日アップした 第7節 初代会長の入信 の中で、21頁に次のような部分がある。

娘が身上となり、奥さんが懇願するにも関わらず、なかなか信仰をすることを承知しなかった理由が、

「当時、氏は商売上の手違いから負債を重ね、それを埋めるために、種々苦心をしていたのであるが、窮余の一策から美園村の小村なるもの、および高山某と氏の三人で共謀してある事業を起こし、不正の利益を得ようと企てていた時で、現在不正の利得を目論でいる自分が、これこそ真の信心なりと認めたところの「天輪王命」の信心を、空々しくするなどという事は、氏の気性としておそらく出来にくかったものと想像されるのである。 しかしいよいよ信仰すると決心すると、国三郎氏は断然この不正事業から、手を引くべきであることを決心された。」(読みやすいように、今の書体に代えています)

と書かれている。

商売をすることは悪い事ではない。しかし、その行い方について、親神様のお話を元に思案をされていたと証拠だと思う。

そしてこの事柄が、親神様が国三郎氏の心を見定める一つの事柄ではないかと私には思える。

私たちは、親神様のお話を聞いても、自分の生活に照らし合わせて考えずに、他人事、物語のように思う場合が多々ある。

日々の心の使い方を、しっかりと点検しながら歩みたいと思う。

 

親神様・教祖、どうぞ大難は小難にと、世界中の人々をお導き下さい。

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旧山名大教会史より 第1篇 第1章 第7節初代会長の入信 ・第8節初代会長最初の地場帰り

2020年06月28日 19時11分22秒 | 旧山名大教会史

第7節 初代会長の入信 ・第8節 初代会長最初の地場帰り

とても細かく書かれています。

 

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旧山名大教会史より 第1篇 第1章 第5節初代会長入信当時の本教 ・第6節道のかかり

2020年06月28日 19時08分17秒 | 旧山名大教会史

第5節 初代会長入信当時の本教 ・第6節 道のかかり を掲載します。

この第6節 道のかかりが 「新山名大教会史」の第3節にあたると思われますので、どうぞ読んでみてください。

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旧山名大教会史より 第1篇 第1章 第3節村民としての初代会長・4節吉本八十次来る

2020年06月28日 19時04分11秒 | 旧山名大教会史

第3節 村民としての初代会長・第4節 吉本八十次来る を掲示する。

新山名大教会史では簡単に書かれていたものが、とても細かく書かれている。

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コロナが増えている。だから、。。。

2020年06月28日 17時33分45秒 | 思った事

東京を中心として、新型コロナが広がっているニュースが、ここ数日出ている。しかし、なんだか、緊急事態宣言が出る前のような危機感がなくなっているような気がするのは、自分だけであろうか。

慣れというのは、恐ろしいものかもしれない。

しかし、ずっと家に閉じこもっているわけにもいかない。そうなるとやはり、親神様にお守り頂く事。

大難は小難にとお守り頂く事。これしかないなぁ。と思う。

 

天理語学院 TLI に入学して、1年のおやさと研修、そして、1年の大教会伏せ込みを終えた方が、26日に、ブラジルに帰られた。

新型コロナによって、2カ月滞在をのばしていた。

きのう、大教会で、無事についたとの連絡を受けて、本当に良かったと思った。

遠く離れた地での、様子は、テレビやインターネットなどの情報から得るしかないが、世界中の早い収束を願うばかりである。

 

そうした中に、バッタの大量発生のニュースも目に飛び込んできた。少し前からYouTubeで話題になっていたのが、ネットニュースで流れ出した。

食料を食い荒らすバッタの大群。まるで恐怖映画が本当になったような感じである。

 

今の日本は、まだこうした中にはない。けれども、天候が不順で、作物が取れなければ、今の世界状況では、以前に米を緊急輸入したようにはいかないのではないかとも思う。

そうした中に、昨日来た天理時報の一面に、田植えをご覧になる真柱様の様子が掲載されていた。

お元気な様子が伺えて嬉しかった。

豊年満作の御守護のために。はえで、こえ、むしはらい、あまあずけ、あまごい。のおつとめを教えられたのだが、よろづたすけのおつとめとして、毎月の月次祭は勤められるのである。

 

また、今月のご本部の月次祭の天気は、雨が降りそうな雲が流れる中に、日が照ったり、風がそよそよと吹いたりと、何だか親神様がおつとめを喜んでおられるように思えた。

おつとめを、より一層心して勤めたいと思う。

 

そして、今一度気を引き締めて、人に感染させないように、マスクの着用と手洗い、うがい。

頑張っていきたいと思う。

 

親神様・教祖、どうぞお守りくださいませ。

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旧山名大教会史より 第1篇 第1章 第1節初代会長の誕生・2節初代会長の人となり

2020年06月27日 20時47分01秒 | 旧山名大教会史

今日から、旧山名大教会史を掲載する。

字体や文章が分かりずらいと思う。私自身も判読が難しく、推測で読んでいる場所もある。

しかし、新山名大教会史を読んでからならば、分からないところも分かるのではないか。また、山名から見た当時の事が分かると思う。

もし分からない文字や言葉があったら、コメントに書いていただいて、みんなで研究できれば良いのではないかと思う。

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6月本部月次祭

2020年06月26日 16時03分10秒 | 思った事

6月の本部月次祭を中庭で参拝しました。
雨雲が漂うなか、雨降ることなく勤められ、神殿講話も勤められました。
まだまだ、昇殿しての参拝は出来ませんが、ありがたいと思いました。

神殿講話のお話の先生の名前は申し訳ないですが、忘れました。

しかし、声を詰まらせながらの講話は、これまで、原稿を読んでいるだけと思われた講話とは違ったように感じました。

新たな出発の月次祭のような気がしました。

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山名大教会史 第1章 第5節相次ぐ講元のおぢばがえり

2020年06月25日 11時37分48秒 | 旧山名大教会史

まずは、第4節で私が思う事を記述する。文章をうまくまとめる事が出来ないので、メモ書きのように記載する。参考に読んでいただきたい。

①山名の初代講元と諸井国三郎先生がなられるわけだが、この講元になる経緯は、諸井国三郎先生が助けの元であって、講元になったわけではなく。同じように吉本八十次氏に助けられた人々の推挙によって、講元になっている。この点も注意する必要があると思う。

②おぢばの高井先生方は、諸井国三郎先生ではなく、山名の人々からの願い出・依頼によって山名へ来られている点。そして、この山名へ行く道中も、親神様、教祖の不思議に導かれている点。

③おぢばの先生方が、山名へ来てのおたすけの様子。諸井家の仕事をすべて休みとして、使用人たちにおぢばの先生方の話を聞かせている点。村の長に道が付けば、その村中の人は「長がいう事ならば間違いはない」と信じて、反対することなく話を聞く。上の者に道がつけばという言葉通りだと思う。これは会社の社長に道の教えが入り、日々の訓示にまた経営に教えが生かされれば、自然と従業員は教えを身につける事となり、陽気ぐらしが広がる。それとも重なる事だと思う。

④「天輪講」と付けた名称を「真明講」と改めた理由。人々が信仰の系統を重視していた証と見れると思う。

⑤諸井国三郎先生が留守中でも、奥さんの話でおたすけが上がった点。話の旨い下手ではないという証と思う。

などが、私が気になった点である。これらの詳細を述べるのには時間がかかるために、省略するが、「おふでさき」や「みかぐらうた」はたまた、先人の先生方に教祖が話された事が、これらに現れていると思えるのである。

では、第5節を掲示する。

大変長いので、途中に思う事を書いていきたいと思う。

①おぢばの先生方によるおてふりでは1下り目までしか学べなかったので、講元自ら2回目のおぢばがえりにて12下りまで学んでいる。

そしてこの時に承るお言葉「さあ/\珍しい事や/\、国へ帰ってつとめをすれば、国六分の人を寄せる。なれど心次第や」の「心次第」という言葉、これがとても気になる。

②明治17年、3回目のおぢばがえりには、今の団参の元となるようなことをされている。この時の話が、『逸話編』「137 フラフを立てて」 に書かれているが、この逸話編の詳細をここで知る事が出来る。

③お面のお許しのところでは、この時に教えられたおつとめは、すわり勤めではなく、立ってつとめるかぐらづとめの手を教えられていたことが分かる。

そして、月々のつとめにかぐらづとめが行われたが、明治22年の山名分教会の開筵式には「面はぢば限り」とかぐらづとめの理を明確にされている。

この32頁の「面はぢば限り」と書かれている後に、「山下丹蔵氏宅で、一度だけ勤められたことがある。(中略)明治19年に講元へ願い出たものであった。」とある。この「講元に願い出た」という点も気になるところである。

④33頁の家業がうまくいかなくなった時に、奥さんの口から「いくら働いても、これでは楽しみがありません。いっそ商売をやめて、わずかでも農業をしながら、信心に来るお方をたすけさせて頂く方が、よろしゅうござります。もうお金も衣類も、何もいりません」とでた言葉が、一番大切な事ではないかと思う。

このだいぶん後になって、愛知大教会において、会長不在で2代会長が決まるまでの間、山名初代会長が直接指示をしていた時に、負債の事情が起きており、その事情解決のために、熱田の3代会長は渥美に行くこととなり、熱田分教会はまた会長不在となる事もあった。

④家業をやめてからの苦労。長女たま様の後押しで暮らしを立てながらの信者の丹精。これは、お屋敷が貧のどん底にあった頃、また信者が出来ても、その信者たちがお屋敷の暮らしを支えるようになるまで、梶本家に嫁いだおはるさんが、なにくれとなく支えた姿と重なるのである。

そして、奥さんの苦労は、色々な事しながら教会を守りながら、来る人々に話を取り次きおたすけをする、住み込み人の姿と重なるのである。

そして、半年間、心を決めて共に歩む信者が入り込み、教会の元を作っていく。これは、青年づとめともいうものではないかと思える。のちに長男政一氏が、おぢばへ青年として入り込み、多くの先生方から教祖のお話を書きとり、教えをまとめる一助となるのである。

⑤37頁 末代の伏せ込みとして、明治17年におびや許しを願い出た話があるが、これは、『逸話編』151 をびや許し に書かれている事柄である。そのおびや許しの結果とそれによって、その夫人が願って、他の人がおびや許し通りの御守護を頂いている記載がある。

おびや許しはご本部に帰って、願い出るものであるが、ご本部の出張場所としての役割ゆえの不思議な働きのようにも感じる。

⑥39頁 埼玉県から来た人とおぢばの人々との言葉の違いから、その間を取り持ったという事は、今の通訳と重なり、それによって「諸井さん、東の方はあんたに任すで。」とのお言葉は、今でいうところの海外での伝道庁や出張所の役目を言われているようにも感じる。

⑦40頁 娘の突然の出直しという節を見せられて、即座におぢばに帰り、自分の間違いを正そうと願って、教祖のお言葉を頂いている。この話も『逸話編』187 ぢば一つに に記されているが、その悟り方がここに記されている。

そのお言葉「さあ/\小児のところ、三才も一生、一生三才の心。ぢば一つに心を寄せよ。ぢば一つに心を寄せれば、四方へ根が張る。四方へ根が張れば、一方流れても三方残る。二方流れても二方残る。太い芽が出るで。」の「一方流れても・・・二方流れても・・・」という言葉が、私は以前からずっと気になっていた。

私たちは出たものすべてが十分にある事を望む。しかし、自然の中では様々な事が起こる。現在の新型コロナしかりである。この時に、十分ある事ばかり、完璧に出来る事に心をとらわれて、本当の事を見失って先に進めない事が多いのではないかと思うのである。教団でいえば教会や信者さんの数など、また家庭では子供もそうであるが、寿命や仕事など、様々な事についてこれは当てはまると思う。

何よりも大切な事、それはここに記された「太い芽」を出す事ではないだろうか。そのために必要な事は、教祖の言われるように「ぢばに心を寄せる事」「心をつなぐこと」だと思う。そうすれば、必ず残るものがあって、そこから太い芽が出るのである。

また、おぢばに心を寄せている先生の、小さい子供の出直しについては、『逸話編』184 悟り方 に、梅谷四郎兵衛先生の娘さんが無くなった話で、「それは良かったなぁ」「大きい方でなくてよかったなぁ」と、いんねんの中にあって喜べない中も、喜びにかえる事を教えられていると思う。

⑧ 明治20年4月14日に五女として「ろく」様が生まれる。そして親神様は、明治21年2月13日に、この生後10か月のろく様に、「水のさづけ」をお渡しになり、山名に置いてのさらなる不思議をあらわされることとなるのである。

世の中には、幼くして、自ら望むわけでもなく、不思議を見せるようにな人も良く聞く。そうした人々の心情や、神様からの役目を持つ人について、このろく様の話を読む中に色々と思える。

・・・・・

私が思い感じる事は、簡単に書いて上記のような事である。皆様方はどうのように感じられるでしょうか。

さて、山名初代会長、また共に歩まれた先生方の苦労と、親神様に対する心得の仕込みについては、あらまし知って頂けたかと思い、ここで愛知大教会史に戻りたいと思っていた。

ただ、旧の山名大教会史を読んだ自分としては、初めてのおぢばがえりのところでも、もっともっと山名初代会長の心を見定めての、親神様のお導き、また周囲の先生方への導きを感じる事が出来ると思えた。

旧の山名大教会史は、字体や言葉遣いが現在の元とは多少異なり、読みにくいところがあり、本当に興味がなければ読むのは難しいのではないかと思う。けれども、新の山名大教会史を読んだ後ならば、読めるのではないかと思った。

そこで、現在提示した部分のみ、次に数度にわけで提示しておこうと思う。

 

一人でも多くの人が、親神様の御守護が感じられることを願って。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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