あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

いんねんについて、から。。おふでさき・おさしづ

2023年08月30日 16時17分47秒 | 気になる言葉

前回、悪いんねん・白いんねんについて書いたが、ある人が「いんねんは教祖が説いていない。よく勉強するように。」と発言された。

そこで、「元にする資料が違うのですね。」とだけ答えておいた。

そこで、

「おふでさき」と「おさしづ」から「いんねん」に関しての部分を、資料として掲載しておく。

「おふでさき」は教祖が直筆で書かれた親神様直接のお言葉であり、「おさしづ」は教祖・親神様のお言葉を本席様が伝えられたものである。

ここに「いんねん」という言葉がある事から、「教祖がいんねんを説いていない」とは言えないはずである。

また、「ほこりの説き分け」に於いて、「ほこりの心遣いが掃いても拭いても取れなくなったものがいんねんとなる」とのくだりがあり、かしものかりものの説き分けは、それぞれの心に全ての物は貸し与えているという話しからすれば、因縁として物事の因果を慮るだけではなく、根である心から思案するものが「いんねん」の話であると私は理解している。

そうした時に「いんねんは心の道」という言葉が心に治まる。

また、良い事も悪い事も、その心すらも親神様が天の帳面につけて、今世に於いて帳尻を合わせて下さっているという「天の帳面」の話も得心するのである。

さらには、親神様の「神人和楽の陽気ぐらし実現」をするための道具衆においては、善悪のいんねんというよりも、親神様の道具衆としての「いんねん」によって様々な事柄が起きる事も思案に入れる必要があると思われる。

我われが、考える上に起こる事は、身上であったり事情であるが、その起こる元は、それぞれの「心のほこり」が元である場合もあれば、「親神様の道具衆を仕込む」場合もあると考えられる。

そう思えたきっかけは、飯降伊蔵先生が櫟本におられた当時、教祖が「ほこりの事は伊蔵さんへ廻れ」と言われたとの文章を目にした時である。

私たちは自分自身の身上や事情の助かりばかりを願い尋ねるが、親神様としては、個人の事はとても小さな事で、この世の理を教え込むことが、これから先の人間の成人の上に重要な事であり、にんそく社の人々や取次ぎ人そしてつとめ人衆を育成する事が重要だったように、おさしづを読みながら感じるのである。

いかに資料を提示しておきます。

思うがままに。。

 

【おふでさき】(勉強のために註釈も添えておく)

1)きゝたくバたつねくるならゆてきかそ
  よろづいさいのもとのいんねん ( 1号006)

  註釈  1号6
この根本のいわれを聞きたいと思うならば、尋ねて来るがよい。この世の成り立ちを初め総ての理を詳しく教えよう。

 

2)このよふハあくしまじりであるからに
  いんねんつける事ハいかんで ( 1号062)

  註釈  1号62
この世の中は、ややもすると悪い事に染まり易いから、注意して悪いんねんを積まぬようにしなければならぬ。

 

3)せんしよのいんねんよせてしうごふする
  これハまつだいしかとをさまる ( 1号074)

  註釈  1号74
前生からの深いいんねんある者を、この屋敷に引き寄せて夫婦として守護する。この前生いんねんの魂は永久にぢばに治まるのである。


 前生のいんねんとは、秀司先生とまつゑ様のことを仰せられている。このお二人は前生のいんねんによって今生夫婦となられるべき方であり、又お二人ともぢばに深いいんねんのある方々である。

 

4)二二の二の五つにはなしかけ
  よろついんねんみなときゝかす ( 3号147)

  註釈  3号147
 註
 これは明治7年2月22日の夜の5つ刻(今の午後8時)の「おふでさき」で、当時辻忠作は昼間は家業に従事し、夜分教祖様の許に参って御用を勤めていたが、当日は歯が痛んで困るから、早くお参りをして救けてもらおうと内を出かけると、忘れたように歯痛が治った。それで、彼は有難く思い、早速お参りして教祖様にその由を申し上げると、教祖様は、辻忠作に『今これを書きました。よく見なされ』と、このお歌を示して親神様の話をじゅんじゅんとお説き下されたのである。

 

5)どのよふなところの人がでゝきても
  みないんねんのものであるから ( 4号054)

  註釈  4号54
 何処の国からも多くの人がぢばを慕うて帰って来る事になるが、しかし、それ等は何れも親神の子供で、真実親子のいんねんから帰参するものであるから、決して偶然と思うてはならぬ。

 

6)にんけんをはじめだしたるやしきなり
  そのいんねんであまくたりたで ( 4号055)

  註釈  4号55
 ぢばは人間宿し込みの親里である。その生まれ故郷のいんねんを以て、親神が天降ったのである。

註 これ即ち、本教にいうぢばのいんねんである。本教の発祥は、この、ぢばのいんねんと旬刻限の理及び、教祖魂のいんねんの3つが一致したところにある。

 

7)けふの日ハなにかめづらしはじめだし
  よろづいんねんみなついてくる ( 4号060)

  註釈  4号60
 この度は、何も彼も珍しいたすけ一条の道を始めかけて、この世の元初まりの真実を説いて聞かせる。そうしたならば、人間は皆親神の子供であるという事が分かって、この道について来る。

 

8)いんねんもをふくの人であるからに
  とこにへだてハあるとをもうな ( 4号061)

  註釈  4号61
 多種多様のいんねんにより、人種を異にし境遇を異にしているのではあるが、そのいんねんに応じて親神が守護を差別するものではない。又、人々国々によって分け隔てをするものでもない。公平無私は親神の心である。

 

9)月日より三十八ねんいぜんにて
  あまくだりたる元のいんねん ( 7号001)

  註釈  7号1
 今から38年以前、ぢばのいんねん、教祖魂のいんねん、及び旬刻限の到来によって、真実の親神が天降ったのである。


 当時から38年以前、即ち天保9年10月26日、親神様が教祖様を神のやしろとして、天降り給うた事を、仰せられているのである。

 

10)月日よりそのいんねんがあるゆへに
  なにかいさいをはなしたいから ( 7号002)

  註釈  7号2
 そういういんねんがあるから、その元のいんねんについて、万事詳細に親神から直接に話を聞かせたいので、天降ったのである。

 

11)この月日もとなるぢばや元なるの
  いんねんあるでちうよぢざいを ( 8号047)

  註釈  8号47
 親神が自由自在の守護をするというのは、元々世界一列を創め出した元のぢばであり、真実の親がいるという深いいんねんがあるからである。

 

12)月日よりひきうけするとゆうのもな
  もとのいんねんあるからの事 (11号029)

  註釈 11号29-30

 もとのいんねんとは、こかん様のいんねんを指す。本号69-72註参照。

《以下、11号69-72註釈:
 この世の初まり出しは大和であって、その中の山辺郡庄屋敷村である。その庄屋敷村の中山氏という屋敷に、人間創造の道具の理を体した者が見える。
 この道具とは、いざなぎのみこと、いざなみのみこと、くにさづちのみこと、月よみのみことである。
 親神はこれを見澄まし旬刻限と共に元なるぢばに天降り、教祖を月日のやしろとしてたすけ一条の真実を、何も彼も皆仕込む段取りに取り掛かって来た。


 教祖様は、このお道をお創め下さるに就いて、言うに言えぬ産みの苦しみをおなめ下され、夫善兵衛様また一家を捧げて教祖様のたすけ一条の教の創始に協力するという、並々ならぬ御心労をお通り下された。又、秀司先生は、貧困の中に家計を支え、又、世間の迫害嘲笑に対しては、百方手段を尽くして道の立つように努力せられ、こかん様は、母を慰め兄を励まし、よく一家の和楽を保って、お道のため一方ならぬ辛酸をなめて下された。
 これ実に、それぞれ人間創造の御守護の理の一つ一つを身に体しておられたからであって、ここに親神様の深い深い神慮の程を拝察することが出来る。第6号29-51註参照。》

 

13)いんねんもどふゆう事であるならば
  にんけんはぢめもとのどふぐや (11号030)

  註釈 11号29-30

 

【おさしづ】(「いんねん」で検索をすると50件余りが出てくる。その中で「悪いんねん・白いんねん」の言葉が出てくるものだけを掲載する)

No.  :(4巻3098頁5行)
明治31年9月30日午前2時 
『刻限御話』
さあ/\まあ/\やれ/\、ふん/\、やれ/\、話し掛け/\。さあ今夜はどういう事を話す。年限々々十年一寸余り、どうして行こうと、かいだるい/\刻限刻限、何ぼう刻限知らしても何のさしづ、とんとどんならん/\。十年この方、つとめせにゃならん。つとめで開かにゃ開けん/\。ならん/\で暮れて了うた。一日前二日前、いかなる事も一寸々々、理を聞き分けて居る中に順序も知らしてある。理も聞いて居る間と刻限と何でも彼でも分けて見せる。年限十年少し前どうでもならん、こうでもならん/\から暮れて了うた。世上あちらこちら、一寸々々にをい掛け、年限相応のもの、可哀そうなから、この学び道を付けた。その学びの道は知らん。これから先長い/\年限である。未だ/\一寸には運べん。一寸すっきりのもの、二分通り仕上げたら、覚束無い(おぼつかない)もの。十分のものに仕上げたら、どういうもの。どういう筆を取る、こういう筆を取る。筆に記してくれにゃならん。言葉で諭してもどうもならん。十分知らしたら、一つ/\治めてくれにゃならん。筆に記したとてどうもならん。皆勝手の理を拵える。何を思うても、この道神一条の道、どんな事も立てゝ見せる。これからどんな事も神は大目に見て居る。神というもの、そんな小さい心でない。世界中子供を寄せ合うて、これもいかんあれもいかん、ちょいと/\治め掛け、世界諭し掛け。あら/\の道、二三年前までは一寸も分からなんだ。あちら高い所/\声を掛け。容易でなかった。二分通り上ぼりたら、倒けて行く。二分通り辛抱ようせず、知らんとも言えようまい。今日の日見て居る。神一条の道で神一条の言葉で出来たもの。早うから仕込んである。どんな事もこんな事も分からん事情又替わる。代の替わるようなもの。代替わり、根がどうも難しいてならん。程良う付いて二分通り行て喰い止まりて三分、一分の処難しい。一寸弘め掛け、三分立ちたら七分は直ぐに治める。もう一分難しい。何ぼ諭した神のさしづ、皆んなあちらへ映るこちらへ映る。勝手の悪いさしづは埋もって、こんな事では一分の日難しいなる。迫って来る。この迫って来るはどういう順序の理。諭さりょうか。多くの中、楽しみ/\いう理が何から出来たものであろう。容易ならん道、欲を離れて出て来る。何と思うて居る。日々改めて居る。種という理を以て話し掛け。種は元である。口上手(くちじょうず)弁が達者(べんがたっしゃ)やと言うても何にもならん。日々取り扱い本部員本部員というは神が付けたものか。これ一つ改めてくれ。そういう理は人間心で付けた道、世界は人間の道。このやしき人間心で通る事出来ん。神の理それだけ難しい。何処へ行っても無理という理は無い。神が理を治め掛けたる。世上どういう理以て、何でも彼でも治めて掛かる。この順序聞き分けてくれにゃならん。何処で真似をしたとてならん。何処で店を張ったとてどうもならん。元が無いから。このやしき元なるぢばと言うたる。その元へ入り、神一条の理を持ってくれ。十本の背(せい)を揃え、十本の中からだん/\順序ある。双方の日を重ねにゃならん。日を重ね、恩を重ねてどうもならん。年限重ね、年限曇りなりに通れば、十本の杭(くい)を打ったも同じ事。長い短い分からねば、分からん処は何遍でも問い返やせ/\。一つも問い返やさず、長い短い問い返やせと/\言うに、もう宜しいと言うから、神が退(ひ)いて了(しも)うた。それから会議々々と言うたて、人間さしづを拵え、取次見苦しい。ごもくだらけ。一寸々々日々積もれば山となる。この、山となったらどうするか、この順序聞き分け出来ねば、人間心通るだけ通りてみればよい。

『暫くして』
さあ/\今夜々々は、十分説き聞かして、捨てゝみたり撫(な)でてみたり、をやが出てこの話、何と思うて聞いて居る。十分見えて一つの区域、何っからどういう事になるか、どういう事も諭して、知らず/\に居てはどうもならん。ほんに今のもの、年限も来たら日々の処治まり、代も替わり、二代三代治まるように成る。一代で詳しい事分かりゃせん。寄り合うた中、十人の中、言葉一度に出さりゃせん。大掃除や。この順序見難くい。この理に止どまる。ほんにそうであったか、ほんにそうと尋ねてくればよし。この順序の道定めてくれねば、尋ねるまで。これ一つ諭し置く。

『一二三の理を尋ねるに付伺』
さあ/\一寸話した/\。中にて、一、二、三、中に取り混ぜて話、一二三分からん。未だ分からんぐらいは大事無い。分けて一時順序運ぶ。心に日々曇り無く、道理からの理。その中に聞くに聞かれん、見るに見られん、高い低い理、長い短い理。よう聞き分け。神のさしづを聞いて、分からん事を聞き分け。どうもならん。何ぼ諭したとて、勝手ある。善いと悪いと、長い短い、ほんにこれでこそ神の話。さしづ通りよりならんものと定め。春以来順序一点の点を掛け。やっぱりどうもならん。どうやこうや知らず/\運び掛ける処、人間心残念。台というこれがだん/\に聞こえ/\て中にこうやと言う。そうやっしになって了うてはならん。一時一つの心、ならん処から、だん/\諭し掛けたる。さしづ通りすれば、大きの声で、どうやこうやと聞いて見苦しいから、そんなやしきであろうまい。めん/\心に一つ成程という日から連れて帰ってる。成程の理に、だん/\区別々々このやしきに無い程に。容易大抵の事でない。よう聞き分け。あの人めん/\頼り持ったなら、重々の理を楽しみ、理を積もり恐ろしや。たゞ一つ台である。前々本部員々々々と言うて居る。これもだん/\ある。本部員々々々何人ある。本部員というものは、神から言うたのか。人間が言うたのであろ。人衆始め掛けと寄せてある。これから一つ考えてみよ。表並び/\、高い低いも長い短いも分かるである/\。我が事した事は、皆人の事と思たらあきゃせん。我が事と思たら、我が事になる。人の事と思たら人の事になって了う。どれだけいんねんじゃ、いんねんと言うても、白いんねんもある、悪いんねんもある。よう聞き分け。何ぼ本部員第一の空に居た者である。下からならん/\。この理皆それ/\、散乱して心を計ってみよ。上に留まっても、足持って蹴って了(しも)たら、ころ/\と行って了(しも)うた。可哀そうなものや。それじゃから、本部員じゃという。あちらへ理を掛け、こちらへ理を掛け、掛けさがしの順序、道とは言わん程に。これをよう聞き分けてくれ/\。

 

 

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教祖が現身を隠される前の状態について。。善悪を表す。「山田伊八郎文書」

2021年05月16日 21時05分53秒 | 気になる言葉

明治20年陰暦正月26日に教祖は現身を隠される。

その前年明治19年に留置所へ、最後のご苦労で赴かれる。

その間の様子が、「山田伊八郎文書」に記されていたので、研究資料として掲載しておく。

166頁から173頁

これを見ると、教祖は床に休まれていて、目も見えず耳も聞こえない状態で、石板に文字を書いて問答をしていたようで、そのような状態にいることも、親神様の思し召しで、親神様が忙しく働いている事が記されている。

また、悪行も自らの口でいわせるように働いておられるように読める。

 

その外、色々な事がここから悟れると思う。

 

 

 

 

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研究について。1

2020年04月30日 16時54分50秒 | 気になる言葉

4月26日に以下の記事を見つけた。

研究者と政治家の違いを感じるものであった。

我々の生活は、研究者の地道な研究の上に、色々な事が発見されて、実証されて成り立って来た。

おさしづの中にも「研究」というものがある。そこで、研究を検索してみた。

・・・・・・・・・・・・

殺菌剤「体内に入れないで!」 トランプ氏提案に警告相次ぐ 米

4/25(土) 14:25配信   時事通信

 【ワシントン時事】トランプ米大統領が新型コロナウイルスの治療法として、消毒用アルコールなどの殺菌剤を人体に投与することを提案し、波紋を広げている。

 人体への殺菌剤投与は極めて危険で、専門家やメーカーは「絶対に体内へ入れてはいけない」と猛反発。トランプ氏は釈明に追われている。

 問題の発言が飛び出したのは、ホワイトハウスの新型コロナ対策本部による23日の記者会見。会見では国土安全保障省の科学技術局長代行が、ウイルスが太陽光や高温・多湿の環境に弱く、漂白剤や消毒用アルコールなども効果があるとした実験結果を紹介した。これを受けてトランプ氏は「(殺菌剤を)注射すれば、あっという間に(ウイルスを)倒せるのではないか」と述べ、局長代行に研究を指示した。

 ロイター通信によると、米国医師会のハリス会長は「どのような状況だろうと、漂白剤などの殺菌剤を摂取したり注入したりすべきでない」と警告。漂白剤や住宅用洗剤を扱う英レキットベンキーザー社も24日、声明で「当社の製品は説明書に沿った使用のみを想定している」とし、体内へ入れないよう呼び掛けた。

 メリーランド州の危機管理局はツイッターに、トランプ氏の発言を受け「新型コロナと殺菌剤使用に関する問い合わせが何件も来た」と投稿。絶対に服用しないよう訴えた。

 トランプ氏は24日、記者団に前日の発言について「会見場にいた記者をからかうつもりで問い掛けたものだ」と釈明した。これに対し米メディアは、トランプ氏の言葉にあぜんとした表情を見せたバークス新型コロナ対策調整官の会見での様子を紹介し、「発言はからかったものではなかった」(CNNテレビ)と伝えている。 

最終更新:4/26(日) 0:26

・・・・・・

検索してみると、19件が検出された。ほとんどがとてもながいおさしづである。そのために、今日は4月30日、26日に検索してから、誤字を確認するのに「おさしづ」と照らし合わせていたので、とても時間がかかった。

研究という意味合いを調べるというよりも、こんなことが神様からさしづされていたんだという発見の方が大きかった。

「婦人会」に関するおさしづの、明治31325日 『増野いと身上願』・明治31326日 『前日増野いとのおさしづより、婦人会の事に付おさしづありしにより、以後の道筋心得事情申し立て願』・明治31328日 『前日おさしづにより教長へ御伺い申し上げ、その趣きは婦人会の処何か区域を立てゝ何とか名前付けますものやという願』・明治31330日 前日おさしづの婦人会内の事情に付一同話しの上願』と4件に数多く出ている。 

以下に主に感じた事を書いておく。

①会をつくって研究をすることについて、明治201026日 真之亮よりの思召を以て、八九人懇親会研究に付御願』にて、

よう聞き分け。五人七人十人はどういう心、いかなる定め、十分定め。成程という理であろう。よう聞き分け。難学やで。人間心要らん/\。神一条でさい取り決まられん今の道や。自由自在だん/\説き聞く/\。内にもある、外にもある。いかなる理と思うか。どんな思やん幾重々々、一つの実を定め。一人でも何人でも同じ事。こうしたらよかろうか、何にも要らん/\で、一人は一人の心定め、百人千人万人でも同じ事やで

で、皆でやればという安易な事ではならない。心定めてする事が大切なように思えました。

②ふせこみについて、明治22321日午後5『本席身上御障りに付願』にて、

伏せ込み/\というは、皆これよう聞いて置け。伏せ込み/\というは、どういう事やら分からせん。三年前の後の道、又、これから先の三年を思やんしての道の中の三年の中の理分かるもひながた。皆々互い/\に研究して日々運べば、取次の古き道の理と、又世界の道理の理と諭せば、神の働きどんな働きをするや知れんで。今までにも面目無い事が、何遍も有ったで。分からんも一つのひながた、分からんひながたは要らんというようなものや。なれど分からにゃ仕様が無い。

③「刻限」において、それを悟るために研究が必要と言われているように感じた。

④「古き道具破損」明治25112日夜 『本日昼のおさしづに古き道具破損という処、押して願』にて、

この月もよいわ、来月もよいわと言う。よう言わねば取り締まりとは言えまい。治まると言えまい。破損は研究研究一つ急ぐ。小さな事は無いで。大き事破損なり切りたら修復出けん。

とあり、破損を修復するためには研究が必要と言われていると思った。

⑤前のおさしづを受けて、明治25114日 『御話研究の事に付伺』にて、研究について尋ねている。とても重要な事のように感じた。

明治25711日 『杉本栄三郎身上に付願(撫養分教会部内に於て杉本栄三郎発狂に付、理事岩朝脇次郎再びおたすけに行くに付心得の御願)』にて、おたすけするにも研究することが大切だと思った。

明治26517日夜 陰暦42日 『前のおさしづによって役員一同集合めん/\生命を縮めても本席身上長らえて頂き度く、その上飯降政甚の治まり方に付願』にて、研究とは直接関係ないが、身上を御守護頂きたい上に、周囲の人の命を地締めてもという思いは、親神様は受け取って下さると思った。これもその他とても重要な事をさしづされていると思った。

 ⑧医薬について、明治261017日 『医薬の件に付、必ず医師の診察を経て御道上の御話する事情の願』にて、

薬を以て治してやろうと言うやない。脈を取りて救けるやない。医者の手余りを救けるが台と言う。なれど一口に話する、聞く。又一つには邪魔になる。放って置けんと言う。よう聞き分け。何でも無ければ何でも無い。身上心得んと言えば、そらと言えばそりゃという理を諭したる。皆諭したる。人を腹立てさすやない。前々古き話、人の義理を立てゝ神の理を欠いては、神の道とは言えようまい。詳しい話をして置こう。所々分かろうまい。一時改めて医者に掛からねばならんと言えば、又どうと思う。派出する。よう聞いて置かねばならん。今の一時泥海世上諭す理、病人を放って置いてはならん。こゝらにはそういう者はあろうまいなれど、もし千に一つでもありては道の疵、教の理に無き理である。医者の手余りと言えば、捨てもの同様である。それを救けるが教の台と言う。よう聞き分けるよう。

と、とても重要な事だと思いました。またこうしたことを地方へ伝えるための心得も示されているように感じました。

⑨縁談について、明治29327日夜 『刻限の次に平野楢蔵胸迫りし時の願』にて、

どういう理で出てる/\。理から研究してみよ。

から、理を研究することが大切だと思いました。

明治32224日 『城島分教会長後任事情に付願』にて、

本部員一つ理以て順序研究の初め、会議という。これが道理かそれが道理か。これ定まりたら皆順序世界という。この事情一寸諭す。あちらにも分教会、こちらにも支教会、出張所、布教所、順序理という。

と、教会のあり方について諭されているように感じました。これも大変重要な事だと思いました。

明治33212日 『桝井伊三郎、母きく、安松三人共身上によりその理に付願』にて、

中の中多くの中、万事中、あちらから順序、こちらから順序、順序々々の道を諭し運ぶという。又一つ陰からこれだけ理を諭し置かにゃならん/\。心順序に遠慮気兼は無い。日々控えありては、日々取り次ぐと言えん/\。日々運ぶ事情というは、引き出して障り/\付けてある。心というは成程そうやなけにゃならんというは、身上直ぐと治まる。この理聞き分け。

の「又一つ陰からこれだけ理を諭し置かにゃならん/\。」がとても気になりました。また、

毎夜々々諭したる。刻限出難くい諭し難くい。そこで取次事情に諭す。諭す事情、研究尋ね合い、諭し合い。埋む心いかん。心にあっても、よう諭せん理はどうもならん。よう聞き分け。

と、刻限のお話は諭しにくい話が多く、取次の人が諭すためには、研究することがとても大切だと言われているように感じました。

 

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パチンコ屋の休業要請、店名。。。から見えるもの

2020年04月27日 08時30分11秒 | 気になる言葉

休業要請を行わないパチンコ屋に対して、店名の公表が行われても、その店により集う人々の多さが報道された。

お話の中に、「ほこりはよけて通れ」というお言葉がある。

何のために、休業要請があるのか、それが分からない人々が、集っているとしか思えない。

もしかしたら、人々を守るために、入店した人の人名公表という事につながる感じがする。

色々な考え方があるが、一つの考え方としては、自分からがわざわざ、新型コロナをもらいに行っているとみなすこともできる。そして、それをバラマキ、人に感染させて死に追いやっているという考え方が通れば、殺人罪、または殺人ほう助などの法律に当たるという考え方も出て来る。

今回の、パチンコ屋自粛要請がなかなかでなかった理由も、業界からお金が政治に寄付されてそれで優遇されていた報道も見た。

さらには、YouTubeで、休業の店舗を貸し切ったという動画を見て、台の借用料・使用料がとてつもなく大きい事も見た。

感染した方への誹謗中傷はあってはならない。けれども、そうした事を全然考えずに行動する人々を、よけて通る事は出来るはず。

パチンコ依存症の人のために、店を開けるという話も聞いたが、その人の治療を進める上には、今が一番良い時だと思うのだが、「依存症の人のために」という言葉を出す業界人は依存症を作って、それで金儲けをしていると思われても仕方がない。

以下、記事をコピペしておく。

・・・・・・

店名公表パチンコ店、堺では300人行列 住民「ウイルス持ち込むかも、怖い」

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 新型コロナウイルスの感染拡大防止のための休業要請に応じなかったとして、大阪府が店名を公表したパチンコ店の一部では、25日も営業が確認され、開店を待つ客が朝から行列を作った。一方、府は公表した6店舗のうち、大阪市内の2店舗の休業を確認し、同日、府のホームページ上の「緊急事態措置」の中で公表していた店名と所在地を黒塗りにした。

 堺市内の店舗では開店1時間前の午前9時過ぎには整理券を受け取るために約150人の客が並び、従業員が間隔を空けるよう呼び掛けた。駐車場には神戸や和歌山など府外ナンバーの車も見られ、開店時には列は約300人に達した。

 60代の男性は「毎日の習慣なので今日も来た。普段より並んでいる客が多いような気がする」と周りを見回した。和歌山市から夫婦で訪れた男性は「ニュースで公表されたリストを見て来た。あくまでも要請なので、営業している店があってもいいと思う」と営業を歓迎したが、近くに住む散歩中の女性(79)は「遠くから来る人がウイルスを持ち込むかもしれないと思うと怖い」と話した。

 府は改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づき、24日、6店舗の店名を公表。その直後、うち2店舗のオーナーから休業要請に応じるとの申し出があり、25日午前、府職員が休業を確認した。【柴山雄太、石川将来】

 

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昨日の名城公園、そして 密集を避けた運動を、自らで考えよう。

2020年04月27日 07時52分32秒 | 気になる言葉

昨日は26日、ご本部の月次祭。ご誕生祭の時と同様に、座り勤めと12下りのおつとめをつとめて、参拝とした。

その後、会計事務をしていたのだが、余りにもふらつくので、午後3時ごろ、名城公園に散歩に出かけた。

さすがに、自粛と言っても家の中ばかりでは、身体がなまり、これではコロナの前に自分の体調が良くないと、一昨日から少し歩き始めている。

公園内は、散歩やランニングをする人、子供と遊ぶ人、バトミントンやキャッチボールをする人など、結構な人がいた。

しかし、皆それぞれに、間隔を開けて密集を避けて過ごしている感じがした。

公園の入り口には、    

が設置されて、野球グランドには、 がトラサクに設置されていた。

嫁さんが行っている新聞配達も、人に会わないようにと、30分早くなって結構な日にちが経つ。

人が多くならない時間を考えて、散歩など運動に出たいと思う。

 

どうか、親神様、大難は小難にとお守りください。

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お堀を歩いてきて。ニュースの影響力。(4/26追記)

2020年04月25日 10時41分22秒 | 気になる言葉

久々にお堀を歩いて来た。 今日は土曜日で普通ならばランニングをする人が沢山いる。

それが、今日はほんの数人だった。

今朝のニュースを見ていると、ランニングによる感染の仕方が放送されていた。「この影響か」と思った。

また、ニュースでは抗体検査が始まったとの事だった。

 

新型コロナにかかって、突然亡くなる人もあれば、助かる人もある。(ただ、再度かかる人もあるようだが。。。)

抗体が出来て、感染しない、させない状態になれば良いのだ。

※追記(インフルエンザは、抗体が一年しか持たないという話も聞くので、新型コロナの抗体がどれだけ有効なものかも、現在ではまだわかっていない。)

なんとか、そうなって欲しい。

抗体が出来るというのは、自然の働き。自己防衛の働きである。

既に亡くなった方々のニュースのお陰で、人々が協力できている。

神様のお守りを、みんなで頂きたいと思う。

今朝のネットニュースで、感染されたお医者さんの記事があった。(記録としてコピペしておく)

・・・・・・・・

「ついに自分の番か」 自身も感染したNY医師、宮下智さんインタビュー

4/24(金) 15:09配信 産経新聞

 【ニューヨーク=上塚真由】新型コロナウイルスの感染拡大で、医療の最前線で患者の命を救う医師や看護師の負担が深刻化している。感染者が14万人を超えた米ニューヨーク市で、新型コロナの患者の治療にあたった後、自身も感染した内科医師、宮下智さん(30)が産経新聞の取材にメールなどで応じ、医師として、患者として体験した新型コロナの脅威を明らかにした。


 ■カレーの味がしない

 --症状はどのような形でいつ出ましたか

 2週間にもわたる過酷な夜勤を終えた翌日の4月7日です。夜勤終了を祝して、大好きなインドカレー屋のマトンカレーを食べていました。そのとき、大好きなはずのカレーの味がしないことに気が付きました。「今日はスパイスを入れ忘れたのかな」と深く考えていませんでしたが、食後にワインを飲んでいると、普段よりもお酒のまわりが早く、体もいつもより重く感じました。思い返すと、夜勤の最終日は身体が少し重かったような気がします。

 しかし、毎日、重症の新型コロナの患者の診察にあたり、呼吸しづらいマスクと、密閉するガウンを着ての勤務だったので、仕事の疲れだと思って早く就寝しました。その夜(7日)のことです。突然の悪寒、筋肉痛、関節痛に襲われ、目が覚めました。トイレに行くのにも、壁を伝わないと歩けないほどの倦怠(けんたい)感でした。その瞬間に全てがつながり、自分が新型コロナに感染していることを確信しました。

 翌朝からは38度台の発熱に加えて、せきも出ました。新型コロナの検査は、通常発症から3~4日の間に検査を受けることが推奨されています。検査が遅れると、仮にウイルスに罹患(りかん)していたとしていても、検査結果が陰性になることがあるためです。

 しかし、8日はあまりにもだるく、悪寒、筋肉痛、関節痛があり、体の中でウイルスが暴れている時期に下手に外出して感染を広げてしまう可能性を憂慮して、自宅待機をすることとしました。その代わり、電話で職員用の遠隔外来診療を受診しました。自分自身が医師なので医学的なアドバイスを受けることはありませんが、新型コロナに罹患した際のプロトコル(手順)の確認と、10日の検査を予約しました。

 米国の良いところは、有事に際して、医療関係者間でのミスコミュニケーションを避けるために、必ず治療や管理に関するプロトコルを作成して、細かい取り決めがなされます。

 また、外来に直接出向かなくても遠隔診療を受診できるため、医療者側の感染リスクを減らすだけでなく、患者の負担軽減にもなります。

 ■「もし夜間に呼吸が悪化したら…」

 --療養中の様子を教えてください

 検査の日までは、悪寒を中心に症状が持続していたため、一日の大半を寝て過ごしました。職員寮に住んでいるため、周りにうつす可能性をゼロにしなければなりません。

 ゴミ出し、洗濯なども自粛して部屋に籠りました。味覚が全くなくなってしまったので、何を食べてもおいしく感じれず、食欲も衰えていきました。生きる上で最低限必要な水分補給は欠かさず行いました。

 4月10日、職員用の新型コロナ専用外来を受診して、PCR検査を受けました。同日、陽性の確定診断となりました。

 その後も自宅待機は続き、一日の大半を寝て過ごしました。通常の風邪は数日で治癒しますが、新型コロナは違います。長引く症状に悩まされる方が多くいます。

 頭では分かってはいたのですが、悪寒があまりにも続くため、新型コロナの恐怖を感じました。そのうえ、人によっては、約1週間の比較的軽い症状が続いた後、急激に呼吸状態が悪化する可能性があります。わたしの世代(30代)の人でも、重症化して入院している方も多く見ました。

 私自身は医師として客観的にみても、入院の必要性はありませんでした。しかし、1人暮らしのため夜間に安否を確認してくれる人がいません。「もし、夜間に呼吸が悪化してしまったら…」と思うと、心配で夜もまともに眠れませんでした。夜間は、タイマーをかけて定期的に自分の呼吸を確認していました。

 11日からは味覚に加え新たに嗅覚もやられてしまい、自分がコーヒーを飲んでいるのか、コーラを飲んでいるのかさえ、分からなくなりました。悔しくなって、普段ならむせるほど辛いラーメンを試しに食べましたが、辛さも味もわからないので食べるのをやめました。

 自宅隔離は(症状が出てから)7日間の予定でしたが、症状の改善が芳しくないため延長し、4月20日になって仕事に復帰しました。現在(23日)も味覚障害は残存しますが、他の症状は改善しています。

 長い自宅隔離で全く動いていなかったので、自宅隔離後に病院まで仕事で歩いていくのが、かなりしんどかったです。自分はまだ30歳なのでいいですが、高齢な方は治ってもリハビリが本当に大変だと思います。

 ■感染に意外性なし

 --勤務先の病院での感染対策は

 病院に増設された新型コロナ患者用の病棟を担当し、1日に重症患者25~30人、軽症患者10人ほどをみています。

 病院では、徹底した感染対策がなされています。早期から感染対策プロトコルが作成され、新型コロナを疑う患者が来院した際の接し方から治療に至るまで事細かく決まりがあります。

 具体的には、まずはN95マスク、ガウンなど個人防護具(PPE)の徹底です。患者を診察する際に必須のPPEが、全員に行き届くよう徹底されました。

 また、新型コロナ患者との接触を最小限にするため、普段は5人ほどのチーム全員で診察するところを最小限にし、医師2人で患者を担当していました。

 院内での会議など感染を広げる可能性のある集まりは、すべて中止、あるいはビデオ会議サービス「ズーム」に移行となりました。

 ただ、一般的に医療従事者の感染は非常に多いので、自分が感染したときは「ついに自分の番がきたか」と思いました。意外性はありません。PPEは徹底されていましたが、首や足の裏などがカバーできないなど限界があります。担当している患者全員が新型コロナ感染者だったので(感染の)リスクは常に感じていました。

 ■院内急変非常に多い

 --医療用品や人手の不足、「命の選別」を迫られる場面はありましたか

 PPEが不足することはありませんでした。人工呼吸器のほか、(気管切開することなくマスクを介して換気を行う)NPPV(非侵襲的陽圧換気)という強力な酸素療法も足りませんでした。

 普段だったら、挿管して人工呼吸器で治療するような酸素化の悪い患者がたくさんいました。しかし、人工呼吸器とICU(集中治療室)ベッドが足りず、さらに、ひとたび挿管された患者の死亡率は8割強と非常に高いため、まずは挿管せずにNPPVなどの方法を試すことが多くありました。

 また、高齢な患者には、入院した際にDNR(蘇生不要)や、DNI(挿管不要)の話し合いする機会が増えました。

 院内急変も非常に多く、急に酸素化が悪化して心臓が止まってしまう患者もたくさんいました。

 その際、普段だったら積極的にできる一連の作業も、医療者側の感染防止の観点から思うようにできなかったり、場合によっては総合的な判断により蘇生をしなかったりすることもありました。

 ■最悪の状況過ぎた

 --ニューヨーク州のクオモ知事は、「感染ピークを過ぎた」との見解を示しています。医療の現場からはどう感じますか

 最悪の状況を過ぎた、と思います。最悪の状況は、3月後半から4月初めごろで、急激な患者数の増加、いわゆるオーバーシュートが起きたときです。

 新型コロナの患者の治療には、重要な4大要素があります。新型コロナの患者の治療にあたる人的資源、それを支えるPPE、患者を受け入れるための病床、そして人工呼吸器などの酸素療法です。酸素療法がないと、患者は数分で亡くなってしまいます。これらのどれかが不足すると、一部に負担がのしかかります。

 (勤務する)病院には、幸い病床とPPEは十分にありましたが、人的資源と酸素療法の供給が追い付かず、われわれ医療従事者はかなりの負担を強いられ、酸素療法に関しても、倫理的に難しい判断をしなければなりませんでした。

 このような供給の不均衡は時間とともに解決されました。(キリスト教系慈善団体)「サマリタンズ・パース」などから多くの看護師の派遣を受けたほか、人工呼吸器や、それに必要な酸素モニターも迅速に送られてきました。ですから、供給の不均衡がなくなったという意味で、最悪の状況は過ぎたと思います。

 ただ、「ピークが過ぎた」というにはまだ早いと思います。知事が言うように新型コロナで入院する患者は少し減りました。以前は9割以上が新型コロナ、あるいは疑いの患者でしたが、いまは8割程度です。

 しかし、またどこでクラスター(集団感染)が起こるかもわかりませんし、ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離の保持)が緩和された後に、第2波が来る可能性は大いにあると思います。まだまだ気が抜けません。

 ■いつ重症化するかわからない

 --日本はどのような対策が必要と考えますか

 今回、身をもって新型コロナの怖さを体感しました。仮に軽症と診断されても、いつ重症化するかわからない状況は本当に恐怖です。今回の感染を機に、SNSを通して多くの方から励ましの言葉をいただき励みになりました。

 また回復後も街で歩いている方に感謝の言葉をいただきます。日々、多くの方から、病院に食事の寄付もいただいてます。皆さんの応援が医療従事者の働く原動力になります。感謝です。

 まずは、個人個人ができる範囲で感染を広げないように常識的な行動を心がけることが、パンデミック(大流行)を食い止める鍵です。あと、もし仮に自分が無症状だったとしても、新型コロナに感染している可能性があり、無症状であってもあなたの大切な人にうつす可能性があります。そして、もし、その方が高齢者や心臓病、糖尿病などの持病のある方であれば重症化するリスクが何倍にもなります。

 自分は絶対に感染しないから大丈夫という発想ではなく、自分の大切な人を守るという気づかいの発想ができるといいと思います。

 先ほど挙げた4つの要素が、今後もし日本でパンデミックが起きた際に、鍵となると思います。

 パンデミックが起きていない今でも、新型コロナの患者のたらい回しや、PPE不足を報道で見聞きします。一部の病院ではPPEが足りず、手作りのマスクやガウンを使用している状況です。

 PPEはパラシュートみたいなものです。パラシュートが足りなかったら、スカイダイビングはできませんし、仮に手作りでパラシュートを作ったとしても飛べないと思います。最低限、患者を診察するうえでPPEは必須です。一刻も早くPPEが全国に供給されるように願います。

最終更新:4/25(土) 8:27

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命と生活を守るために。。。。

2020年04月25日 05時19分15秒 | 気になる言葉

自らが、自らを守る行動。協力して命を守る行動。これが大切だと思います。

生活の支援をしてくれる情報が発信されていました。

【コロナ支援】個人向け緊急小口資金等の特例 対象者詳細と注意点

各都道府県社会福祉協議会では3月25日から新型コロナウイルス感染症の影響により、通常よりも休業や失業した人に向けて生活費などの資金の貸し付けの取扱を拡大し、受付を開始しています。

個人事業主も正規・非正規の従業員もフリーランスも利用できる制度であり、今回ご紹介します。

 

電気・ガス代、2カ月繰り延べ 新型コロナ拡大で 大手各社

4/24(金) 22:05配信 時事通信

 東京電力グループや関西電力東京ガスなど全国の電力・ガス大手各社は24日、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、料金支払い猶予の期間を1カ月から2カ月に拡大すると発表した。これまでは3月から5月分までの支払期日をそれぞれ1カ月繰り延べていた。

 特例措置を受けるには各社への申し込みが必要になる。既に繰り延べが認められている場合は自動的に再延長となる。 

 
【関連記事】

 

親神様、どうぞお守りください。

 

 

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掃除をし遂げる。(おさしづ)

2020年04月24日 09時46分04秒 | 気になる言葉

「コロナと原典おさしづ」で書いた刻限のおさしづの中に、次の一節がある。

No.  :(4巻3370頁1行)
明治32年11月3日 
『昨夜の刻限のおさしづに付、本部員一同打ち揃いの上願』の『暫くして』に

どうでもこうでも、掃除という。刻限出した限りには、仕遂げにゃならん。掃除仕遂げる。隅から隅まで掃除に掛かる、掃除に掛かりたら、あちらこちら声が聞く/\。どんな事を聞いても、心を授けた限り、一名一人の心という。おめも恐れも無い。控え心は受け取る事出けん、と諭し置こう。

とある。前回おさしづを紹介した時には、この事について触れてはいなかったが、分かる人には分かると思う。

親神様は、世界中の掃除にかかっているという事である。

そして、そこでの対応を我々はどうしたらよいかという事もここで示されていると思う。

「控え心は受け取る事出けん」ということである。「受け取ることが出来ない」ということは、神様は働かないという事と同じと思えると、

この前の 明治32年11月3日 
『昨夜の刻限のおさしづに付、本部員一同打ち揃いの上願』の最後の部分

よう聞き分け。人の事と思うなよ。我が事になってから、どうもならん。これ聞き分け。何ぼどういう事を言うたて、言うのが悪いなあ、言うてはいかんなあ。包んで居ては真実真の事とは言わん我が身捨てゝも構わん。身を捨てゝもという精神持って働くなら、神が働く、という理を、精神一つの理に授けよう。

ここがとても重要だと思う。

まだ自分の身には降りかかっていないからと、人の事と思うなよ。我が事になってから、どうもならん。 と言われる。つまり、これは都会の事だからとか、地方の事だからと思っていて他人事に考えているうちに、自分の事になるという警告ともとれる。

そして、言うのが悪いなあ、言うてはいかんなあ。包んで居ては真実真の事とは言わん  ここの部分である。「言葉に出すからそれはいかん。言うと悪く思われてはならんと、思っても包み隠して言わない事は、真実の事ではない」と言われていると思う。

そして、我が身捨てゝも構わん。身を捨てゝもという精神持って働くなら、神が働く、という理を、精神一つの理に授けよう。  言葉に出して、我が身に何が降りかかろうとも構わないという「我が身捨ててもという精神を持って動くのならば、神は働く」といわれていると思う。神様が働くとは、不思議なお守りを頂けるという事でもある。

ここがとても重要だと思うのである。

そこで、神様の掃除とは何かという事を知っておれば、また違うのではないかと思うので、掃除について書いておく。

これは、このおさしづの前の日の「刻限」

No.  :(4巻3368頁11行)
明治32年11月2日午前4時頃 
『刻限』の後半部分。

一時筆取りたらあら/\の事も悟るやろう。初めも知らす。身の直る事まで。これさあ刻限々々。刻限の話理によりて深く見にゃならん、聞かにゃならん。いかな事も、詰みて/\詰み切ってある。外から見たら、むさくろしいてならんさあ掃き掃除拭き掃除、掃除に掛かれば箒も要る。どんな道具も要る。拭き掃除にも道具が要る。要らん道具は要らん。どんな働きもする怖わいと思わにゃならん。嬉しいと思わにゃならん。勇まにゃならん。実々どんな道が付くとも計られん。何でも諭さにゃならんうっとしいてならん。明らかなるめん/\心から、どうもならん。いかな事も聞き分け。重なりたら、間違いの理が重なれば、どんな事こんな事もある。

まず、「外から見たら、むさくろしいてならん」とある。この外という言葉は、教内を内と考えれば、教外から見たとも取れるが、世界中を内と考えれば、神の目からみたらと考える事も出来る。ともかく、内にいては気づかない事、むさくるしい事、きれいでない事がある。という意味であろうと思う。

そして、「さあ掃き掃除拭き掃除」と掃除の仕方について書かれている。ところが、掃除の方法を述べられるのではなくて、「箒もいる。どんな道具も要る」と道具の話から入られる。そして「拭き掃除にも道具が要る。要らん道具はいらん。どんな働きもする。」と道具の話で、方法については「どんな働きもする」としか言われないのである。

このところを、私は、「道具」とは人だと思えるのである。世界の人を助けるための道具、人衆。それはおたすけ人、または世界ではそれに準ずる人という事だと思うのです。

掃除の仕方については,、『正文遺韻抄』の205頁に「掃除に譬えて」という話があります。

これは、おたすけの上にお話を取り次ぐ取次ぎ人に対して、人を見極めてその人に応じた話をして心のほこりを掃除するようにとの話であります。

 

世界中には、本当に様々な人がいます。

考え方も、立場や富のあるなし、また業種によって様々であります。

そうした人々の心を見定めて、善悪を分ける上には、そうした人々を道具として、どちらともつかない人々を分けていく。という事をされると思えるのです。

そして、お道の話を聞き、何とか陽気ぐらしへと導いて頂きたいと思う人々については、

「怖わいと思わにゃならん。嬉しいと思わにゃならん。勇まにゃならん。実々どんな道が付くとも計られん。何でも諭さにゃならん。」

と、まず怖いと思い、親神様に願い、そしてこうして親神様が導いて下さっている事を嬉しいと思い、いずんでじっとしているのではなく勇んで、出来る事を自分に合った事を、神様の道具としてつとめる事が大切だ。

そして、その結果、その真実が種となって、思いもかけないような道が付いてくるか分からん。だから、何としても諭さなければならない。と言われているように思えるのです。

 

今回の新型コロナは、人生で本当に初めての事です。どうなるのかと不安でいっぱいでもあります。また、こうした原典を訳するようなことも、不安でいっぱいです。

けれども、こうしたことを通して、これを見て下さっている方が、少しでも、教理の根本に触れて、新たな思案がついて、陽気ぐらしへと勇んで勤められるきっかけになればと思い、毎日書いております。

また、そのために、本をスキャンして載せております。「そんな事知っておるわ、そんなこと違うわ」と言われる方も多いかと思いますが、お許しください。

今現在、毎日80名ほどの方がアクセスして下さっています。お付き合いいただき、誠にありがとうございます。

どうか、親神様のお働きの一助になりますように願って、今日は終わりにします。(ちょっと時間をかけすぎました。)

 

一日も早く、新型コロナが収束しますように、親神様、教祖、どうかお導きの程をよろしくお願いいたします。。

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病院は信用できるのか? 病院と看護師の感覚の違い?

2020年04月23日 23時16分25秒 | 気になる言葉

本当に病院を信用できるのか?と思ってします記事。

管理者が本当に、病気を理解しているのか?と思うニュースを記録しておく。

・・・・・・

【独自】陽性の看護師に勤務命じる 「代わりの人がいなかった」集団感染の大阪の病院

4/23(木) 18:45配信 ABCテレビABCテレビ

職員ら120人以上が新型コロナウイルスに集団感染した大阪市の病院で、陽性反応の出た看護師に勤務を続けさせていたことがわかりました。

大阪市生野区の「なみはやリハビリテーション病院」では、22日までに医療従事者や患者ら、あわせて122人の感染が確認されています。大阪市保健所によりますと、この病院は、女性看護師がPCR検査で陽性と判明した後も、20日から翌日朝まで勤務を続けさせていたことがわかりました。女性看護師はその後、保健所からの指導で帰宅したということです。女性看護師は感染者だけが入院する病棟に勤務していて、感染していない患者との接触はなかったとみられます。病院側は保健所の調査に対し「代わりの人を手配しようとしたが、見つからないのでやむなく働かせた」と話しているということです。感染した看護師の同僚の女性看護師がABCテレビの取材に答えました。(Q.病院はPCR検査で陽性反応が出たスタッフを働かせていた?)「はい、そうです。私、そのことがあり得ないと思って。上司から『陽性の人と勤務して下さい』と、はっきり言われた。スタッフの安全が保証されていない状態だと、満足な医療や看護の提供が難しい。満足な医療・看護が提供できないのは医療従事者としても、ものすごくつらい」。

・・・・・・・

こんなことでは、「日本は終わりではないか。」と思ってしまう。

 

親神様、どうかおたすけください。

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日本の新型コロナに対する対応は。。。結核についての対策から考える。

2020年04月23日 21時00分27秒 | 気になる言葉

先日、結核をどうやって御守護いただいて来たか、それが今回の新型コロナを乗り越える手立てではないかと書いた。

私の父母は、昭和5年と10年生まれで、父が生きていれば88才を超す。また母は現在83才である。そして先日白内障の手術をした。私の両親とも若い時に結核にかかった。父親がいくつの時にかかったかは知らない。

そこで、母親に聞いたところ、小学校のころだったそうで、はっきりとどのように治ったかは記憶にないが、近くにいた軍医さんのところにペニシリンを打ってもらうために通い、結構時間をかけて治った。そして、それによって、一年留年したとの事。

だから、私はツベルクリン反応では初めから陽性で、BCGをすることはなかった。だから、結核という事が記憶にあった。

そして、日本に結核というのはもうないものだと思っていた。

けれども、先日の新型コロナの家庭内感染について、看護師である妹から話を聞いた時に、「日本の感染症に対する方針は、かかる前に予防接種を行って抗体を作って対応する方針」という話を聞いて、そういえば、現在でも結核療養所がある事を思い出して、結核について調べてみた。

以下に、

結けっ核かくは日本の重大な感染症です。公益財団法人 結核予防会 Japan Anti-Tuberculosis Association

から、抜粋しておく。

・・・・・・

明治時代から昭和20年代までの長い間、「国民病」「亡国病」と恐れられた結核も、国をあげて予防や治療に取り組み死亡率は往時の百分の一以下にまで激減しました。

1980年代になって、都市化の進展や高まん延であった時代に感染した人々が高齢化し発病するようになったため、結核罹患率低下が鈍化しました。1999年には「結核緊急事態宣言」が発せられ、その後罹患率低下はやや回復しました。

・・・・・

この「結核緊急事態宣言」があったことは覚えている。その時に結核が今でもある事を知った。

・・・・・

欧米の先進国は結核罹患率が人口10万対10以下の低まん延国になっているのに対して、日本は2017年に人口10万人あたり13.3と「中まん延国」であり、16,789人の患者が報告されています。一般の人のみらなず医療従事者も結核への関心が低下しているために発見が遅れる場合があり、集団感染の原因になっています。大半を占める高齢患者は典型的な症状がないために診断が遅れることがあり、重篤な合併症を持っているために、しばしば予後不良になります。近年は若年者を中心に外国出生の患者が増加しています。結核は今も日本の最大級の感染症です。

人口10万人あたり10以下の「低まん延国」を目指し、2020年の東京オリンピック・パラリンピックまでの目標達成のため、様々な取り組みが行われています。

結核を知ることが予防への第一歩。早期発見・早期治療は本人の重症化を防ぐためだけではなく、大切な家族や職場等への感染の拡大を防ぐためにも重要です。

・・・・・・

結核を知ることが予防への第一歩。早期発見・早期治療は本人の重症化を防ぐためだけではなく、大切な家族や職場等への感染の拡大を防ぐためにも重要です。

ここの部分が、新型コロナの場合でも同じだと思います。しかし、新型コロナの場合は、今はまだ治療方法が確立されておらず、自然治癒に頼るしかないのが現状です。また、早期発見と言っても、PCR検査が十分にできない状態でもあります。

・・・・・・

結核ってどんな病気?

結核

結核とは、「結核菌」という細菌による慢性感染症です。患者のくしゃみや咳の際に体外に排出された結核菌は微細な大きさのため、なかなか落下せず空気中を漂っています。この結核菌を肺の奥深くまで吸い込んで、小さな病変ができて、時には肺の入り口のリンパ節が腫れた段階で感染が成立したことになります。感染が成立しても、多くの場合は人の免疫の力で抑えられますが、吸い込んだ菌が非常に多い場合や、免疫が低下している場合には「結核症」に進むことになります。

当初できる細い気管支の先端の病変(散布性病変)が集まって組織が融けて空洞(穴が空いた状態)になります。ここから結核菌は気管支を通って肺の他の部分に広がり、リンパ流や血管内に入って全身に広がっていきます。最後には肺の組織の大部分が破壊されて呼吸困難や、他の臓器不全を起こして生命の危機を招くことになります。

・・・・・・

患者のくしゃみや咳の際に体外に排出された結核菌は微細な大きさのため、なかなか落下せず空気中を漂っています。

ここが、新型コロナで3蜜をさけろと言われている理由と同じです。

ここから結核菌は気管支を通って肺の他の部分に広がり、リンパ流や血管内に入って全身に広がっていきます。最後には肺の組織の大部分が破壊されて呼吸困難や、他の臓器不全を起こして生命の危機を招くことになります。

ここが、重篤といわれて、ICUで治療と言われている状態だと思われます。

・・・・・

結核は肺だけとは限りません

結核は肺以外にも病変を作ることがあります。冒される臓器としてはリンパ節が最も多く、特に多いのが首の脇が腫れるもので、昔は「るいれき」と呼ばれていました。また骨や関節にもできますが、背骨にできるのが「脊椎カリエス」です。次に腎臓(腎結核)が多く見られます。腎結核は膀胱などを巻き込むこともよくあります。

このほか結核は喉頭、腸、腹膜、また眼や耳、皮膚、生殖器にまで拡がることもあり、いちばん怖いのは脳にくる場合です。結核菌が血管を通って全身にばらまかれ(このような状態が「粟粒結核」です)、脳を包んでいる膜(髄膜)にたどり着き、そこに病巣を作ることによって起こります(結核性髄膜炎)。今日では粟粒結核は早く発見すればかなり助かりますが、髄膜炎では適切な治療が遅れると、3分の1近くが命を落とし、治っても高い確率で脳に重い後遺症が残ってしまいます。

・・・・・

以前、私の4番目の子供がおなかに宿った時に、うちの信者さんで、ずっと教会に来なかった方が突然来られました。その方は、20歳で「脊椎カリエス」にかかって、命が危ないと言われたところ、修養科を勧められて、行ったところ、不思議と助かったと話をして下さいました。

そして「どうして助かったのですか?何か心定めをしましたか?」と尋ねたところ、「何もしていなかった。ただただ皆にリヤカーに乗せてもらって、楽しく修養科生活をしていたら助かった。」と話をされました。

しかし、そのご両親の事を聞くと、「母親は家の人に隠れて教会に運んでいたが、助かったことで、大手を振って教会の月次祭に来れるようになった。」また「父親は自分は長男だから天理教にはなれないがと言って、会長さんには自分が買うものと同じものを必ず届けていた。」と言われて、両親がどれだけ真剣に親神様に願っていたかという事が分かりました。

しかし、今の日本、こうした神様を信じる人ばかりではありません。そうした人々がすこしでも助かるには、どうしたらよいか。これがとても大切だと思います。まず、協力をすれば、病原菌を封じ込めて治まりは見えてくるのだから、そこへ心を向けなければ、「日本の文明が忽然と消えた」という事態にもなりかねないと思うのです。

・・・・・・

効果の高い化学療法

結核を、薬で退治することは人類の長い間の夢でした。1944年、ワックスマンが放線菌から作り出したストレプトマイシンはその劇的な効果で、まさに「魔法の弾丸」と呼ばれるにふさわしいものでしたが、一つの薬剤による治療では、やがて使用した薬剤が効かない耐性菌を作ることを知ることになりました。

続いてパス(PAS)、イソニアジド(INH)などが登場し、結核の治療は複数の薬剤の組み合わせによる化学療法で行うことが確立しました。以後も次々と開発され、現在「抗結核薬」として広く認められているものは10種類を越えます。

現在の標準的な治療はリファンピシン、イソニアジドという2種類を軸に最初4剤、続いて2~3剤を合計6カ月間使うものです。

・・・・・・

※(ワクスマンはなにを発見したの?より転載)

1943年、ワクスマンは結核(けっかく)を治すくすり「ストレプトマイシン」の発見に成功しました。ストレプトマイシンは、放線菌というカビに似た微生物(びせいぶつ) からつくられます。

当時、結核(けっかく)のくすりとして「ペニシリン」がすでに開発されていましたが、ワクスマンはもっと強力な効(き)き目を持つくすりの研究に取り組んでいたのです。

長年の研究のすえに発見されたストレプトマイシンは、ひじょうに強い効(き)き目がありました。その力で世界中の多くの結核患者(けっかくかんじゃ)は救われたのです。

・・・・・・

結核菌に「耐性」を作らせない!

再発しないように、薬剤耐性にならないために重要なことは、処方された薬を最後まできちんと服用することです。

不幸にもこの原則が徹底されず薬剤耐性になってしまった結核菌に感染すると、治療は困難をともないます。
そのために、保健所の保健師さん、病院の看護師さん、薬局の薬剤師さん、介護サービス施設のスタッフなど、地域の専門職の人たちが支援してくださる制度ができています。

抗結核薬の服用は副作用を伴うこともあるので、疑問があれば小さなことでも主治医に相談しましょう。
感染→発病→感染→・・・という連鎖が結核という感染症の広がるしくみです。それを断ち切るために、次のような手だてが行われます。

・・・・・・

再発しないように、薬剤耐性にならないため  と書かれていますが、新型コロナ事態がコロナから進化したもので、またインフルエンザなども耐性を持ったものが、今現在新型として出ているのが、現状であるわけです。

・・・・・・・

<section id="sec05">

感染拡大の防止策

  • BCG接種

    BCG接種

    感染しても発病しないように免疫をつける。

  • 潜在性結核感染症治療

    潜在性結核感染症治療

    感染したことが分かった人は、発病を防ぐための薬を服用する。

  • 発見

    発見

    発病した人をなるべく早期に、健診や受診で発見し治療につなげる。

  • 治療

    治療

    発見した患者さんを化学療法で治し、感染源にならないよう、健康な生活を取り戻せるようにする。

</section> <section id="sec06">

一人ひとりの意識と行動が
結核を制圧します

結核を制圧するためには、なによりも、皆さんに結核について正しい知識を持っていただくことがとても大切です。結核がどのようにして拡がるのか、どのようにして治すのかを理解し、定期的に健診を受ける、咳(せき)が長引くときは診察を受けるなど、結核対策は、皆さん一人ひとりの意識と行動にかかっているのです。

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BCG接種 感染しても発病しないように免疫をつける。 とありますが、現在まだ新型コロナについては、出来ていません。

発見 発病した人をなるべく早期に、健診や受診で発見し治療につなげる。  これも、かかっただろうという予測はついても、検査が追い付かずに確定が出来ずらい状況です。

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治療 発見した患者さんを化学療法で治し、 これもまだ有効な薬が発見されて実用化されていません。

このように、見て行けば、今の状態では、ともかく病原体を広げない事、感染しないようにすること。これが一番だということが分かると思います。

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皆が協力する事。これが一番であります。

看護師の妹が言っていました。

こうした細菌の感染者のお世話をするのが一番大変だと。いつ自分が感染するかもしれないという不安と闘いながら、気を使いながら世話をしなければならない。

これがとてもつらい事だと!!

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親神様、どうぞ大難は小難にとお守りください。

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