あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

大教会の月次祭を終えて、ちょっと一息。。。思うがままに。。。

2024年02月23日 14時51分06秒 | 思った事

2月23日 無事に大教会の月次祭が終わりました。

うちの月次祭を終えてから、アルバイトやお見舞いにと、忙しく過ごした。

そして昨日、22日 フェイスブックに「これから大教会の月次祭の準備。忙しくなりそう。。」と書いたところ、

昨日と今日、ひのきしんや相談事などで忙しく過ぎていった。

今、次の相談の人を待つ間少し時間ができて、久々にブログをと思って、書き出した。

 

2月19日 アルバイトである団地を歩いていた時、「バサ」っと音がして振り向くと、外国人がごみを集積場へ出していた。

それも上から投げ入れて、カラス除けのネットもせずに立ち去ろうとしていた。

 

何事かと思って、見ると相手はにらみつけてくる。

「なぜにらむ?」と思いながら、見ていると、こちらを気にしながら、中指を立てながら去って行った。

その翌日、ネットで、クルド人の中指を立てて、「日本人死ね」というニュースを目にした。

 

困ったものだと思いながらも、30年以上前にブラジルの人たちが出稼ぎに来て、その団地が大変になった事を思い出した。

当時は、学校も外国人の子供たちのために、様々なことをした。

 

以前、クルド人が事件を起こしてニュースになった時に、同じクルド人が「日本になじむように、長期間頑張ってきたのに、なんてことをしてくれるんだ!」というようなコメントを見たことがあった。

同じクルド人でも、様々な人がいるのである。

日本人でも同じこと。

 

こうした時に、どのように治めていくかがこれから重要になってくると思われた。

不法滞在者を摘発して送還することも一つだろうが、それにも限界があるだろう。

そんなことを考えていたら、「竜頭狂えばみな狂う」という言葉と「上の者に納得させれば下の者は自然と納得する」というような言葉が浮かんできた。

 

天理教の布教が進むうえにも、その地域の偉い人が入信した事により、その地域全員が天理教になったという事例もあった。

人間は一人では生きていけない。

絶対に世話をする人などがいるのである。

そうした人たちが、治めてくれて、秩序をもって生活出来ることが良いと思うばかりである。

 

現在は、これまでの政治や医療などによる秩序が崩れてきている。

悪事が民衆の目について、それを良しとしない人々が増えてきているのである。

 

崩れても、新しく構築されれば良いのであるが、それには時間がかかる。

 

これまでにも、様々情報を共有しながら、いろいろな意見を学んできた。

簡単に真実と言っても、携わってきた経歴や知識によって、ものの見方が違い、先の予測も違うのである。

それがすごく分かった。

 

親神様の教えを元にして、思案をすると、スピリチュアルで発信された情報も、同じように良くわかる。

中には、「そんなことを言ってもすぐにはいかんでしょ」と思える情報も多分にあり、個人個人が考えて決断することが重要だと思うばかりである。

 

色々と思うことはあるのだが、言葉にできない。

 

親神様、教祖、無事におつとめが務められましたこと、感謝いたします。

久々に思うがままに。。。。

 

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2月の月次祭が無事に終わりました。

2024年02月13日 10時31分51秒 | 思った事

2月の月次祭が、昨日無事に終わりました。

おさがりだけを届けていた方が、久しぶりにお勤め前に参拝に来てくださいました。

そしてまた、部内の奥さんも、自分で運転しておつとめに出てくれました。

 

親神様のお導きのままにと、すべてそれぞれの自主性に任せて来た中での、うれしい一日でした。

 

また、一言話をして頂いた方の話が、これまでより少し長くなり、自分の思いをしっかりと話して下さり、これまた喜ばせて頂きました。

 

親神様のお導きに感謝です。

 

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2月11日 また夢。。

2024年02月11日 09時17分08秒 | 思った事

今朝もまた夢を見た。

探偵まがいに、人の事を探る人についてだった。

教祖の御用場で、「あの場所にあの人と一緒にいたのは、あと誰でしたか?」と私に尋ねる夢だった。

その方はお道の方で、あまりにもしつこく聞いてくるので、「人には様々な事情があります。あまり深く詮索しないことです。」とだけ言ったところで目が覚めた。

昨日に引き続き、あまり気分の良い夢ではなかったので、もやもやしながら朝勤めをつとめていると、「正文遺韻」(初版本)にある、警察を止めてお道のおたすけ人になられた方の話を思い出した。(266頁「斎藤織造氏の話」)

探偵として、信者に紛れて教祖のお話を伺った人が、実名を呼ばれて直接話を伺うこととなり、

「人の周囲を嗅ぎまわり犬と呼ばれる商売もありますな」などというお話を聞いて、心改めたという話である。

 

これ以外にも、「ほこりの提灯持ち」という逸話がある。

人は誰しも悪い心を使い、悪い行いをするものである。

それをどのようにするかはそれぞれであり、些細なことで人を貶めることはそれこそ良くないことであろう。

教祖が月日の社と定まれる前の逸話で、怠け者の作男を「ご苦労さん」という言葉で改心させた話は有名である。

 

以前書いた「誠の中のほこり」というお話も、これに通じるものがある。

自分は良かれと思っても、それが人を助けるどころか、貶めることになる場合もある。

ここまでの思案ができるようになること。

これを親神様は求められているように思うが、人間すべてがそのようになるにはまだまだ先の事。

 

これらは、法律にはできない話でもあろう。

 

まずは、自らの心を顧みること。

そして自らの心を律することができるようになること。

そして、人を愛せること。

そして、人を育てること。

「愛する」と言っても、溺愛では「かわいい」のほこりとなる。

また「わが身可愛い」が過ぎると、どんなことにも恐れを抱くことにもなりかねない。

 

こうしたことを、学び、成人の歩みを進める。

 

「これがこの世の始まり」とおふでさきにも出てくるが、

元の理は人間の形が作られていく様を表しており、人間が5尺になったならばとして、そこまで成長した現在。

次は心の成人の歩みが、一つずつ進められていると思わずにはいられない。

 

思うがままに。。。

 

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夢。。。。蔭膳。。

2024年02月10日 08時18分54秒 | 思った事

2月10日

今朝、何度も何度も同じ夢を見た。

大切な人が突然出直される夢だった。

夢を見るたびに目が覚めて、トイレに行き、また寝るとまた同じような夢。

これを数度繰り返した。

夢だとわかっているのに、同じような夢を見る。

これは何があるのだろうか?と思いながら、携帯を触る。

SNSに投稿されたメッセージを見る。

昨日目にしたものだったのだが、発信者を勘違いしていたことに気が付いた。

出直された夢を見た方からの発信であった。

「あ!元気でおられた」「あれ!返信をしていない。」と思い、返信をする。

すぐさま返信が返ってきた。身上だったようだが元気だった。

ほっと一安心。。。

返信をせずに「気をもませただろうなぁ。申し訳なかった。」と思った。

 

昨日の本部神殿奉仕で、蔭膳という話が出た。

逸話編に蔭膳という話がある。

・・・・・

106
『蔭膳』
 明治十五年十月二十九日(陰暦九月十八日)から十二日間、教祖は奈良監獄署に御苦労下された。
 教祖が、奈良監獄署に御苦労下されている間、梅谷四郎兵衞は、お屋敷に滞在させて頂き、初代真柱をはじめ、先輩の人々と、朝暗いうちから起きて、三里の道を差入れのために奈良へ通っていた。奈良に着く頃に、ようやく空が白みはじめ、九時頃には差入物をお届けして、お屋敷に帰らせてもらう毎日であった。ある時は、監獄署の門内へ黙って入ろうとすると、「挨拶せずに通ったから、かえる事ならん。」と言うて威(おど)かされ、同行の三人は、泥の中へ手をついて詫びて、ようやく帰らせてもらった事もあった。お屋敷の入り口では、張番の警官から咎められ、一晩に三遍も警官が替わって取り調べ、毎晩二時間ぐらいより寝る間がない、という有様であった。
 十一月九日(陰暦九月二十九日)、大勢の人々に迎えられ、お元気でお屋敷へお帰りになった教祖は、梅谷をお呼びになり、
「四郎兵衞さん、御苦労やったなあ。お蔭で、ちっともひもじゅうなかったで。」
と、仰せられた。
 監獄署では、差入物をお届けするだけで、直き直き教祖には一度もお目にかかれなかった。又、誰も自分のことを申し上げているはずはないのに、と、不思議に思えた。
 あたかもその頃、大阪で留守をしていた妻のタネは、教祖の御苦労をしのび、毎日蔭膳を据えて、お給仕をさせて頂いていたのであった。
 そして、その翌十日から、教祖直き直きにお伺いをしてもよい、というお許しを頂いた。

・・・・

これは、大阪にいるタネさんが、蔭膳を据えて、教祖のことを案じた誠の心が、親神様・教祖に伝わったという話だと思う。

人は、後ろに立たれたり、後ろから見つめられたりすると、どことなく気配を感じたりする。

それが遠く離れていても、誠の心で伝わる。

そんな事例にも思えたのである。

お言葉に、「夢でなりともにおいがけ」と言われる。

これは、親神様が「夢に見せて」においをかけられると、説明されるが、

「あの人に『お道のにおいをかけたい』」という、真実の思いが、夢になってその人に伝わるという言葉にも思える。

 

「においがけ」に限らず、「助かってもらいたい」と思うおたすけの思いも同じであろう。

 

思うがままに。。。

今日も一日よろしくお願いします。

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タッカーカールソン。7日にの動画に、9日インタビュー動画を追記

2024年02月09日 22時41分10秒 | 思った事

7日

プーチンとのインタビュー前の動画です。

日本語字幕が出ています。

とても重要な事を話しています。

日本も同じことです。

自分で考える力をつけるとても良い機会です。

Xユーザーのᶠᵃᶜʰⁱʳⁱさん: 「タッカー・カールソン プーチンへのインタビューの前に 私がモスクワへ来た理由は西側メディアが片側の情報しか流さないから。それはプロパガンダです。 私はプーチンの言うことに同意しろとは言わない。でも多くのことを知るべきです。戦争に深く関与している米国民にはそれを知る権利がある。 https://t.co/Ms67Xu46dp」 / X (twitter.com)

 

タッカー・カールソン - 検索 / X (twitter.com)

 

9日追記。。。

プーチン大統領が米の武器供与を批判 西側諸国のメディア取材を受けるのは“侵攻後初”(日テレNEWS NNN) - Yahoo!ニュース

以下ヤフーニュースの記録

プーチン大統領が米の武器供与を批判 西側諸国のメディア取材を受けるのは“侵攻後初”

配信

 
日テレNEWS NNN
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2/7 なぜかイライラして、思うがままに。。。

2024年02月07日 08時47分10秒 | 思った事
2月7日
支部例会に配る印刷物の準備が終わった。
今日はなぜかイライラしている。
なんだろう?
 
午後から支部例会。
 
今朝、おふでさきを読みながら、親神様の「ざんねん」「親神様にほこりがたまる」という言葉が頭に浮かんで、離れない。
 
「くにとこたちのみこと」は、水の守護でとても冷たい。理の道理。これが曲がったならば、そのときその時の気持ちで変わったならば、理の筋道、真理というものも無くなる。絶対に曲がらぬから、人間もすべての物がこの地球上で生きておられる。
 
ところがその理を、自分の都合で曲げようとする者がいる。知恵を得た人間である。その者たちは自分の都合で自然を破壊し、無理なことを平気でする。そしてそれを咎められると、そんなことを言っても。。と聞き分けるどころかへ理屈を言って聞き分けようともしない。
 
「おもたりのみこと」は、ぬくみで火の守護。温かくなるのもこの神様がなければ成れない。
 
そして、元始まりの時、「くにとこたち」の相談を受けて、沿った神様であり、人間宿仕込みの時、「いざなみ」に入り込み、母親の役目をした神様でもある。
 
父親よりも母親の方が情に厚く、子供の悪さの肩代りをしてくれて、辛い中をも通ってくれたりする。
 
その母親の情に甘えて、子供が改心しないと、母親は疲れて寝込んだり、病んだりする。
すると、父親からの爆弾が落ちることになる。
 
はじめは口だけが、それでも直らねば手が出る。それでも直らねば勘当となる。
 
子供が大人になり、子供を育てて親の苦労が分かる。自分がしてきたことを振り替えれれば、そして反省をして改めれば、子供も変わり、良い親子となれる。。。
 
しかし、振り返らずに、親や子供を悪くしておれば反省はなく、その子供たちはその環境で育ち、その文化が出来てくる。
 
つまりは、元が狂えば、先も狂い、本来楽しく過ごせるものが、出来ない文化に生活をすることになってくる。
 
元は一つでも、何千年何万年と積み重ねてきた文化に、大きな違いが出てくる。
 
これは、表面的な事柄での、国のなりたちを考える一つの考え方。
 
 
元始まりで、ぢばで宿仕込まれた魂は、ぢば周辺へ段々と産み下ろされて、3度の生まれ変わりをしている。その内、ぢばから遠く離れたところに産み下ろされた者は、食い物を求めて遠くの地へ上がり、近くの者は日本に上がった。
 
ここに、日本に住むものと外国に住むものとの違いを示されている。
 
けれども、何千回何万回の生まれ変わりを出かわりで、それぞれの国に住める魂と住めない魂と、いんねんによって分けられて、生まれ変わっての今日である。
 
親を思う心が自然と使えるものと、使えないもの。
人の事を思いやれるものと、思いやれないもの。
などなど、簡単には分類出来ない人間となっている。
 
そして、それらの間での気付き会いの中である。
 
ましてや、地球に憧れて、人として生まれた魂もあるやも知れない。
 
すべては親神様の見分けによって。。。
 
こうした理の話を、人の上に立つものたちに納得させたい。
そして後に繋がる人々を育てて欲しい。というのも親神様の思いでもある。
 
上に立つものは、ここまで様々な経験をして、物ばかりを求めても幸せには成れないことを知ったはずである。
 
しっかりと心せねば、上に立つもののために、多くの者が苦しむ事になる。
 
上の者は自分さえいれば大丈夫と思っているだろうが、下の者がいなくなれば、上に立つものは生きて行けなくなるのである。
 
上に立つものに信頼がなくなれば。。。下の者は従わない。
この生まれ変わりの理を、多くの人々が知ったならば、従うことはなくなる。
 
しっかりと上にたつ役目を果たさねば、いくら可愛いと思っていても、その子供達が可哀想なことになりかねない。
 
親神様は、慈悲深くもあるが、理にも厳しい。
しっかりと心する必要があるだろう。
 
思うがままに。。。
今日も一日よろしくお願いいたします。
 
追記。。
思い浮かぶままに書いたら、イライラが無くなった。
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2月5日

2024年02月05日 08時00分07秒 | 思った事

2月5日

我那覇さんの動画を、門田隆将さんが紹介していた。

 

彼女が一人で、アメリカに渡り、アメリカの真実を発信しながら、
「アメリカに頼るのではなく、日本人自身が、日本人の歴史を学び、誇りを取り戻し、自立することが必要」との結論に達したことを思い出します。
 
当時、黒人の差別報道が日本ではされており、それが民主党、左翼勢力の策略であり、真に自由を求めた人々は、黒人も白人も黄色人種もなく、アメリカの建国の歴史、それから後の歴史を自ら学び、声を挙げていることを知りました。
 
それを妨害しているのが、今のバイデン政権であり、それを推し進める人々であるとも。。
 
さらには、その政権との癒着甚だしい日本の政権、政治家の姿も分かりました。
 
これまでは、海を隔てた外国での事柄で、他人事のように思っていた日本の人々も、それを実感し、真実を知ることになるでしょう。
 
その時に、どのような心を定められるか、それが重要だと思います。
 
親神様は、道具の神様を使い、人間の心を目覚めさせる節を与えておられます。
 
せっかく与えた知恵を、共々に楽しく暮らすために使うのではなく、我ため我欲のために使うもの達、そして何も考えない人々に、考えさせて学びを与えるために。。

 

(3) Xユーザーの門田隆将さん: 「日本が誇る国際ジャーナリスト我那覇真子さんの言葉を聴いて欲しい。政治家の中で、いや国民全体の中で、この言葉が響く人が今の日本にどのくらいいるだろうか。」 / X (twitter.com)

 

(3) Xユーザーのhimuroさん: 「感極まります。 「英霊の皆様ごめんなさい。今の日本は自らの誇りを捨て、隣国に侮辱され、国家主権を侵されるままの国になりました。英霊の皆様、今少しばかりお時間を頂きたいと思うのです。後に続くものを信じて頂きたいのです。祖国日本は再び立ち上がります」 https://t.co/ZoMcF2s37R https://t.co/d4uKCCazMQ」 / X (twitter.com)

 

#我那覇真子 靖国 (youtube.com)

 

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2月4日。。。PCから思うがままに。。

2024年02月04日 09時45分12秒 | 思った事

PCから投稿してます。

 

世界の情勢を見て、スピリチュアル系の情報を見て、「刻限とは?」と思いながらここ数年間通ってきた。

天理教の教えは、だめの教え、最後の教えと言われて、それ以外は必要ないと言い切って、見向きもしない人がいるとしたら、それは大きな間違いに陥ると思っている。

 

私の友人で、親の言うことにはとして、我がことを忘れて尽くしてきた人がいる。

その人から数年前に連絡があり、これまでと生き方を変えた。とのことだった。

 

どういうことかというと、だめの教えと言いながら、それ以前の9つの教えを知らずでは、だめの教えも分からないだろうから、それを求めるようにして、様々なところをめぐり歩いている。そうしたら、すごい発見があり。。。やはり「元の理」が重要だ。とのことだった。

その9つの教えを求めている彼の姿は、教団が。。。信者が。。と言っている人々とは違い、とても元気はつらつであった。

 

教祖のお言葉を探して、いろいろな書物を見ると、結構語呂合わせの言葉が出てきて、理解に苦しむことが多い。

結局理解できずに、そのままになってしまうのだが、

この語呂合わせは、日本語だからできるのであり、日本語の重要性をこの数年感じている。

 

様々な神社仏閣を参るにして、教祖はその時には、天理王命の神名を唱えて参れと言われていた。

神社仏閣が必要ないということではない。

ましてや、

神に対して、参る人が多くなれば威光が増す。というような言葉もある。

9つの教えを一つ一つ求める人、またそうした教えで導かれている人々もあり、そうした人々の発信から得るものもあると思う。

 

さて、

身体の傷など、目に見えてよくなることは、周囲の人々にもわかりやすいが、体の痛みや精神の異常などは、周囲の者には分かりにくい。

しかし、そうした精神の身上についても、助かった逸話は沢山ある。

その時には、本人ではなく、周囲の人々の心の切り替えが、一つのポイントになっている。

 

昨日も「あしきはらい」から「あしきをはろうて」に変わったことを書いたが、心のほこりを払ってもらうことを念ずることも大切だと思う。

その時に、自らのいんねん。

見せられていたり、世話をさせられているいんねんを悟ること。

とても重要である。

さらには、精神の身上に対しては、「ご飯を食べて満腹になるようにはいかなくても、薄紙をはぐように」というような言葉で、ご守護の頂き方も示されている。

 

ご守護を頂いた話の中に、些細な変化に気が付いて、それを喜んだら徐々に良いほうへとご守護頂いたという話が多分にある。

喜べば喜びが回ってくるといわれるが、その一つとも思える。

親神様・教祖は、何とか助けてやりたいと思っておられる。しかし、

人間が生まれ変わり出変わりして、積み重ねた悪いんねんはどれだけとも分からない。

今世界では、ワクチンの被害が多分に報告をされているにもかかわらずに、中止をしようともせずに、進めている人々がいる。

これは、どれだけ多くの人々に残念や恨みの心を植え付けるか分からない。

その心は、それを行った人々へと返される。

これが理である。

 

そうしたものが、今世に現れたとしたら。。。

というものである。

 

私が東日本大震災で、ひのきしんに行った時に、腰を痛め、数日後にひどい痛みで入院をした。

その時、牢屋での番人をして、冤罪の人を痛めつけている自分の姿が夢うつつの中で思い出されて、お詫びをしたところ、その晩に不思議と痛みがなくなった事がある。

その時には、あと少しひねれば、すっきりするのにと、腰をひねって、より一層の激痛になり、さらに数日身動きが取れなくなった。

そして、さらに思案の日々が続き、痛みがあっても神経が切れていないことに感謝したところ、3日後には全く痛みがなくなるという不思議をいただいた事がある。

 

そうしたことから、身上を通して、自分の悪いんねんを果たしていくということを、実感している。

 

「わが身恨みであるほどに」である。

世界では戦争に巻き込まれる人もあり、知らず知らずに戦争の片棒を担がなければならない人もある。

安全なところに生活をしながらも、明日を心配して眠れぬ日々を過ごす人もある。

「この世に天国も地獄も出してある。」という言葉は全くと思う。

 

これを切り替える道を具体的に教えられたのが、教祖である。

それはいんねんを悟り、たんのうすること。

喜びに変えれずとも、人を恨むことを止めることである。

 

生まれ変わりの話で、

小エビを食する話がある。

小エビに「こんなものに生まれてくるから食べられてねばならん。」と言われて、周囲の人々に「おいしいと言って食べてやってくれ。その喜ばせた理で人間に近くなってくる」と言われたものである。

小エビの一生というものはわずかなものである。数年生きれば良いだろう。

そうした中に、喜ばれた理で人間に近くなるのである。

人間に生まれても、3歳で亡くなる人もあり、100歳で亡くなる人もある。

亡くした人の心もあるが、亡くなった人が生まれ変わることを考えたら、3歳で亡くなろうとも、周囲の人々が喜んだならば、早く生まれ変わってよい体で新しい人生を歩むことになるだろう。

 

今は、教祖140年祭に向けて、ひながたをたどろうと言われている時である。

ひながたを意識するということは、

ひながた、逸話に込められた親神様の理を思案する時でもあると思う。

 

思うがままに。。。

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2月4日 この人も発言を始めました。

2024年02月04日 09時14分28秒 | 思った事

篠原常一郎さんの、普天間基地を辺野古へ移設することに関して、反対をする団体の現状と、新聞などでの報道との違いを紹介する動画に出会ったのが、狂った世界情勢と日本の政治を知る一番の元でした。

それを思い出す投稿があったので、記録しました。

2月4日

この人も発言し始めました。
世界情勢が変化しているのに、日本のマスコミは。。。
このマスコミの事実を早く認識すること。
これが重要です。
教育者、指導者という人々。。
早く気が付け!!
篠原常一郎(古是三春)
@sinoppa1960
日本報道は、もう変化についていけないね。
引用
MK✝️ほんものだよ
@Mari21Sofi
·
2月2日
「大統領対将軍」:シーモア・ハーシュは、西側諸国はザルジヌイに賭けていると書いている――ザルジヌイは「盗みすぎた」ゼレンスキーに代わって軍事紛争を終わらせるべきだ。
「ザルージニー将軍は軍事紛争が今すぐ終わることを望んでおり、ゼレンスキーは単純に彼を解任するかもしれない。
✔️ 理由…
さらに表示
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ようやくPCが使えるようになった。。2月2日・2月3日。。思うがままに。。。

2024年02月03日 10時09分18秒 | 思った事
1月18日の部内の大祭を終えてから、何かしら書きたくなってきていた。
ところが、コンピュータの調子が悪くなり、初期化したがうまくいかず、結局中古のPCに乗り換えることとなった。
その調整もようやく終わり、通常に使用できるようになった。
その間、フェイスブックに思いをつづってきたものを転記した。
 
その最後がこれ、2月2日にアルバイトへ向かう地下鉄の中で書き始めたものである。
 
・・・・・・・
2月2日 2・追記2月3日・追記2月3日2。。。
 
親神様は、天理王命として、かんろだいの据えられている元のぢばに名付けられ、そこにおられるとして、かんろだいを礼拝の目標とされている。

ところが、元の理からすると、かんろだいのぢばは、人間を宿し込んだ場所、「いざなぎ」と「いざなみ」様が、男女の道具を使い、「いざなみ」様の体内に、人間の種を宿仕込んだ場所。そして人間が生まれでるまでの間、滞在していた場所、地点を現している。
その場所を定めたのが、ぢば定めの時。

親神様のはじめの計画は、この場所に、人間を宿仕込み、育てる上に使った道具衆の魂を持つものを集めて、かぐらづとめをつとめて、不思議な現象を表して、人間の心を変えたいと言うもののだった。
けれども、集まった人衆は思うように仕込めず、不思議なたすけを妨害する者が多くあり、助けたくとも助からない人々が多い状況が露呈した。

つづく
2月3日追記

それ以外にも、せっかく渡したおさづけを自分の欲得のために使うもの、元の屋敷を蔑ろにするものなど、不思議を見せることでおごり高ぶる人間の姿も露呈した。
そして、それに対する対処も、さづけを止めたり、おやさまが自ら出張して取り払ったりと、ひながたに残された。

その一つが、かんろだいの石の没収による、助けの方針の変更である。

天理王命の名が知れ渡り、神名を唱えるだけで不思議が現れ、おやさまがうつしみを隠されて後は、おさづけを頂いた人々が現す、様々な不思議で、不思議な神が現れたとして多くの人々がぢばへと集ってきたが、その集う思いは様々である。

真に人助けを思うもの、欲得で天理教を利用しようとするものなどなど、千差万別な人々が集ってきた。

そして、集った人々を仕込むと共に見定めるために、様々な事柄を始め、また様々な事情が起こり、より信仰を深めるものもあれば、離れるもの、教えや組織を利用して自分で事を起こすものなどが現れての今日である。

なぜかんろだいの石の没収を契機として、道をかえたのか。
私はとても不思議だった。
それが、このコロナの事情、世界の大変動の事象でなるほどと思えた。

「いちれつ澄ますかんろだい」は、おつとめをつとめて、下がった甘露をおやさまから人々に渡すというもので、それを貰うためには心が澄んで誠が使えねばならないと言うものだった。
それを貰いたいと思う人々は、自らで心を澄ます努力をして、貰いに来るであろう。と思って段取りを組んだ。
ところが、余りにも心が澄んだものがおらず、心を澄ますということすら考えない、周囲の圧力妨害、習慣に捕らわれて、親神様の思いを分かろうとするものがいなかった。

これでは、せっかく付け掛けた道が遅くなるとして、おやさまの代わりに広くさづけを渡し、人々の心を澄ましてからかんろだいを建てようと、「あしきをはろうてたすけたまえ 天理王命」「あしきをはろうて 助けせき込む いちれつすまして かんろだい」と変更された。

つづく
2月3日- 2追記
そして、現身を隠されたのちは、真柱様を芯として、本席様を祖神様教祖の思いを伝える道具として、個人の助けに限らず、組織としての進め方などを仕込まれた。

この組織としての内容には、神一条と世上の理との区別と対応、会議など、入り込みについてなどなど多岐にわたる。

これらをどのように悟り、思案をして対処に用いるかは、人間の心にかかっている。

立教依頼187年がたち、教祖が現身を隠されてから140年がたとうとしている。
その間の道の歩みとともに、世界の変化を考える必要があると思う。

みかぐらうたの最後「止は大工」と言われているが、大工も一人ではない。
「大工の人も揃い来た」と複数人が必要となり、その大工に使われる道具もある。

陽気世界を実現することを、「陽気ぐらし建設」と表現することもあるが、これはこうした建築にたとえた表現からである。

重要なことは、陽気暮らしを実現するための人材、道具衆にもいろいろな特性があり、それらの持ち場立場で出来上がっていくのである。

ところが、せっかく誠を尽くして一つの道具として使われるようになったとしても、自分のことばかりに囚われて、自分と同じことをしていない人に不足をする場合がある。

これは厳に気をつけねばならないことである。

「誠の中のほこり」という話でこうしたことは教えられている。

良いことをしても褒められたら帳消しとして、褒められなくても喜んでつとめて陰徳を積むことを教えられたのと同じく、積極的にひな形をたどろうと動き出しても、動かない人を見て「なぜ動かない」と不足をしたならば、それは「誠の中のほこり」となってしまい、親神様の受け取りはほこりとなる。

どうしてこんなにもしているのに。。と思うこともあるだろうが、人それぞれに、前世からの持ち越したものの、重い軽い、多い少ないは異なるのである。

このことをよく思案して、日々努めることが大切だと思う。

掃除をするにしても、掃除の仕方によって使う道具は違うのである。

心の掃除の仕方も、され方もしっかりと学び思案をする必要があるだろう。

陽気ぐらし実現の道具となるか、ならないか。
また、良い道具となるか、悪い道具となるか。
それはそれぞれの心次第。

すべては、教祖が通られた道の中に、先人が通られた道の中に、ヒントが隠されている。

思うがままに。。。。
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