昨日は部内の月次祭でした。
いつもより少ないかなと思われましたが、ガンで病院へ受診に行かれた方も、心臓に身上を頂かれた方も時間に間に合って来て下さったため、いつも以上に勇んで勤めさせて頂きました。
部内でも、自教会でも会報を元にして話をさせて頂くのですが、どうもそれぞれで話が違ってくるのです。
話を聞いて下さる方が違うので、それぞれにあったお話になるのだろうと思いながら話しています。
そうした中に、
今月は
徳という事を「逸話編」を引用して話をしました。
朝、起こされるのと。。。逸話編 111。。(徳・朝起き正直働き)
うちの教会では徳が大切ですから、そのために親神様の喜ばれる「ひのきしん」をさせて頂きましょうと話をしたのです。
ところが、部内では同じように徳が大切ですのでという話しをしたのですが、その逸話の中のお言葉
「朝起き、正直、働き。朝、起こされるのと、人を起こすのとでは、大きく徳、不徳に分かれるで。蔭でよく働き、人を褒めるは正直。聞いて行わないのはその身が嘘になるで。もう少し、もう少しと、働いた上に働くのは、欲ではなく、真実の働きやで。」
の中で、
「働いた上に働くのは、欲ではなく、真実の働きやで。」の働きについて、
世間では働くと言うと「仕事」を思い浮かべますが、ここで言われる働きとは「はたはたを楽にさせるのがはたらく」と聞かせて頂くので、
お金を儲ける「仕事」ではありません。その根本の話です。
例えば、仕事というのは、家族や隣人を助けたいと思う素人仕事が、段々と本職となって多くの人を助ける物を作り、それがお金儲けにつながったのです。
とこのような話をしました。
話をしながら、自分でなるほどと思って、この部分がどうしても抜けてしまうなと思いました。
部内では、不思議な身上や事情の御守護頂いておられる方々なので、その御守護を頂いた時の、その方のみならず周囲の方々の心定めについても話をする事が出来ます。
これまではそうした御守護の話しか出来ませんでしたが、日々の心遣いについての話が段々と出来るようにならせて頂けたように感じて、ありがたく思いました。
教会に戻ってからは、ニュースのチェックをすると共に、数日前に気が付いた「別席教話の古記録」をブログに掲載する準備をしました。
このような昔のお話しを読ませて頂き、「おふでさき」や「みかぐらうた」そして「おさしづ」と、調べ読み合せると、
今のこうした世界情勢の中も、本当に親神様のお話の通り、それぞれのいんねん通りに導かれていると思わずにはおれません。
うわべだけの陽気ぐらしではなく、真の陽気ぐらし、一列を澄まして、世界をろっくの地にすると言われた陽気ぐらしを目指して、親神様はお働き下さっていると思えます。
さて、今日も一日、陽気ぐらしに向けて頑張りましょう。
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