あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

いんねんならば。。。だけど。。。

2021年08月15日 18時02分24秒 | 思った事

昨日は、ブログを書いてから、思い切って午前中寝ました。

昼からは、ゴロゴロしながら昨日届いたワールドフォーキャストを見て、ネットサーフィンをして、気になったものをFacebookに記録しました。

 

世界は大きく動いています。それもすごい速さで変化しています。

一つの国でもいう事がコロコロ変わっています。

政府や学者、マスメディアの発言では真実は分からなくなり、個人が発信している情報の方がその場の雰囲気が分かり、そこで起きている事実を知る事が出来る事も分かってきました。

そして、いてもたってもおられず、数カ月前に会報やブログに書いたようになってきました。

そしてそれが、今、日本で、自分たちの身近で起こっています。

 

社会・政治・マスメディアの欺瞞がどんどん出てきています。

冷静に考えれば、分かる事なのですが、ついつい恐怖や先案じ、「そんな馬鹿な」という先入観で見えなくなっていたり、これまでの価値観が変わる事を恐れて見ないようにしている事もあるように感じています。

そして、ワクチン接種からも、様々な人の心が表面化しているように、しみじみと感じています。

 

さらには、時事を解説する人々の違いも良く分かりました。

専門家という人を、「すべて知っている人」と思う事がどれだけ危険で、一つ判断を間違えると大変な事になかねない。大局を見据えた判断がとても必要だという事です。

そのためには、多くの情報を知る事が大切だとも思いました。

そして「信頼」を利用した「うそ」「欺瞞」という事も知りました。

 

こうした中に、今日まで、何とか親神様の御守護を頂きたい。

知らず知らずに騙されている人々を、大難は小難にとお守り頂きたい。

と念じながら、教祖の教えを記して来ました。

 

親神様は「いんねん」という事を教えられました。

この「いんねん」とはただ単に、善い行いをすればよい事が起こり、悪い行いをすれば悪い事が起きるという単純なものではありません。

心の動きが元にあると教えられています。

「元のいんねん」と言われるのは、親神様が人間を創る時に思われた心、定めた心を言うと私は理解しています。

 

(ここまで、朝書いたのですが、どうも体調が良くないので、また寝る事にしました。)

 

昼まで休んだところ、体調が戻って来たので、昨日やろうと思っていた「おふでさき」の註釈をデータ化する作業を始めました。

8号すべては出来ませんでしたが、42まで出来ました。

おふでさき註釈 8号 1~42(未完) - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)

それをしながら「医者・薬・拝み・祈祷など」が必要なくなる世界を親神様が望まれている事を、どのように表したらよいかと思いました。

どのよふなたすけするにも人なみの 
 よふなる事ハゆうでないから ( 8号028)

註釈 28
 親神は、どんなたすけをするにも、ありふれたような事は言わぬから、分かり難いであろうが、そこをよく悟らねばならぬ。

いまゝてにみへたる事やある事わ 
 そんな事をハゆうでないそや ( 8号029)

註釈 29―30
 過去に起こったり、又、現在既にあるような事について、彼これと話をするのではない。これまでに何人も未だかつて見聞きしなかった耳新しい真理を啓示して、心底から一列を救けるのである。

これまてにない事ばかりゆてきかし 
 しんぢつよりのたすけするそや ( 8号030)

このたすけどふゆう事にをもうかな 
 ほふそせんよのまむりこしらゑ ( 8号031)

註釈 31―32
 この真実からのたすけとはどういうたすけと思うか。それは、ほふそ除けの守りをこしらえて渡し、又、をびや許しを出して、産期を延ばしなりとも早めなりとも、自由自在に守護するというたすけをする。

またたすけをひやぢうよふいつなりと 
 のばしなりともはやめなりとも ( 8号032)

こらほとのぢうよじさいをゆうのもな 
 よいなる事とさらにをもうな ( 8号033)

註釈 33
 これ程の自由自在のたすけをするというのは、決して軽々しい事と思うでない。親神の方には深い深い考えがあってする事である。

 

親神様の御守護を頂く上に「先ず医者に掛かって」という事は、おさしづにもあります。

そして「医者に見放された身上が御守護頂いたならば、本当の神の働きと分かるであろう」と話されているのです。

そうした医者に見放された身上だけではなく、お産についても、神に凭れれば何の心配もなく安産させて頂けると「おびや許し」を頂いています。

しかし、世界では病院に掛かり、そこで自分たちの都合の良い時にとして、わざわざ手術をしたりしています。

この差はどこにあるのかと思いました。

また、

「御供(ごくう)」さんは、はじめ「はったい粉」「金平糖」でありました。ところが、何か薬が入っているのではないかと疑いを掛けられて、「お洗米」になったのです。

人間の心は本当に勝手です。

親神様の働きを見せる手段として、ましてや「金平糖」は「心のとげを溶かす理や」と教えられて、心のほこりを払う事をそれを通して教えられた物なのです。

そうした親神様のお心の籠ったものを否定して、変えさせた、この理は必ずどこかに現れて来ることだと思います。

 

前生の事は分かりません。

けれども、物事がそのようになってくるのです。そして心がそのように動くのです。

いんねんならばなってくるのです。

「前生見たければ、今生見よ」と、昔よく言われました。

だから、自分の心をしっかりと見つめて、反省する事が必要です。

ただ単に助けて下さいでは助からない。

しかし、そうしたいんねんも、

しっかりとお詫びをする事。そして人助けの心へ切り替える事。

この心が定まる事が大切です。

これで不思議を見せて頂き、切り替えて下さるのです。

 

思いつくままに書きました。

何かの参考になれば幸いです。

 

親神様・教祖、何とか出来ました。ありがとうございました。

 

コメント
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