先日製本を終えたところ、次の「教祖様御伝」の進み具合が格段に良くなった。
前回の「稿本 教祖様御伝」は、手探り状態で始めた。
製本したレイアウトに基づいて文字化、書き換えを行っている。
今9月8日の午前3時30分 本部神殿奉仕へ向かう直前である。
1時頃目が覚めて、作業を行っていた。
歳を重ねて、目がかすみ、朝起きた時が一番よく見える。
作業を始めて2時間ほどたち、目がかすみ始めたので、これで終わるが、作業を進めて、感じるところがあったので、記録としてブログを書き始めた。
それは、2代真柱様が付けられた「稿本」の意味が気になったのである。
そして今、乞食に乳を与えられたところの作業をしている時にふと。。。
初代真柱様が書かれたこの2冊は、伝記としての意味が多いのに対して、2代真柱様が編纂された「稿本 天理教教祖伝」は、教義書という意味合いを含んでいると聞かせてもらう時、この変遷を思案することも重要ではないかと思えたのである。
先日、ある人と話をしていて、つとめ人衆の生まれ変わりについての話になった。
そうした記録が残されているが、一方「おさしづ」では、誰の生まれ変わりだと詮索することを止められているものもある。
このことについて、私なりに思うところがあるのだが、まだまとまっていない。
ただ、魂は生き通しで、生まれ変わると前世の記憶が無くなる。ということを考えた時、このシステムを理解しなくては陽気ぐらしは実現できないのではないかとも思えるのである。
これから、かんろだいの側に座らせて頂く、今日は何を浮かばせて頂けるだろうか。
楽しみである。
世界では、様々な事柄が変動している。
環境も、人間社会も。。。
これは、お道の話を聞く人も聞かない人も、この地球上に生を受けた者すべて共通することである。
そして様々な事情が起きてくるのである。
そうした中、人々が大難は小難に、小難は無難に守られることを願って。。。。