今日は本来ならば、大教会の月次祭前日で、準備、会議があるのだが、昨日ひのきしんの来られた方が発熱されて、コロナの疑いがあるとの事から、大教会長さんの判断で月次祭は構内者だけで勤めるということになりました。
それに伴い、本日から大教会へは行けなくなりましたので、今日は教会におりました。
そうしたところ、朝いちばんに見たニュースから立て続けに4本、後々のためにと記事を記録しました。
さすがに疲れましたが、先日投稿した、「別席教話の古記録」で気になった、社・人足社について「おふでさき」と「おさしづ」を調べました。
おふでさきでは1件、おさしづでは5けんほどありました。
それを読んでいますと、親神様は、親神様が自由に人間に思いを伝える事が出来る人を作りたいという思いであったことが良く分かりました。
おさしづの文字を確認するのに時間がかかるので、資料の提示は後日にしますが、
そうした計画も、事情によって叶わなかったという事であります。
そして、飯田岩次郎のそうした言動や、上田ナライトさんの言動について、その対応について取次ぎ人におさしづされています。
世間には、神様の言葉とか霊的な言葉を話される方がいますが、そうした方々に対する考え方を学ぶ資料になるのではないかと思いました。
また、神様の言葉を出す人があると同時に、それを解釈して人々に伝える人、伝えられたことを実行する人という役目があるとも思いました。
感想だけを書いておきます。
今日も一日ありがとうございました。