今日は朝から腰が痛み、どうしたことか?と思案していた。
こんな事では災救隊にも行けないなぁ。
「行きたい、行きたい」と思うことがいかんのかなぁ。と思ったが治まらない。
そこにふと、天理時報が目に入った。
腰は身体の要である。要はおぢば、この声?
被災地へ出ている人たちには、この声は届きにくい。
ひょっとしたらと思い、本部のサイトを確認したところ、急に腰の痛みが楽になったように思えた。
そこで講社祭へ出かける前までの短い時間で打って、このブログへアップした。
講社祭にはとても楽に行く事が出来、道中色々と思案して、災救隊に行く事が出来るかなぁと一寸嬉しくなった。
午後はみたま祭。その後お下がりをもって信者さんのお宅へ。
その信者さんは20年余り、教会の事を親身になって下さっている方である。
その方、心臓の発作を持っておられ、その受診に行ったとき、女の看護師さんから顔色が悪い事を指摘されて、検査の結果、胃がんがあることがわかった。
検査入院中、奥さんがお願いに見えた時に、修養科を進めた。
しかし、教会の事は一生懸命やるけど「うちでは朝夕のおつとめもしないので、それは無理です。」との返事だった。「じゃぁ。おつとめからしましょう。旦那さんにおつとめをしてというのではなく、一緒におつとめをしよう。と言って一緒に朝夕して見てください。」という事になった。
胃潰瘍ではなく癌と診断されたが、他に転移しているわけでもなく、高齢でも手術が出来るとの事。ありがたい事だと、癌と診断された時には話をしていた。
ところが今日、おさづけを取り次ぐ時に、ふと心臓の発作の事を思い出し尋ねてみた。
すると、あれ以来発作が無い。との事だった。
胸が苦しいのは、「神様が胸が分からんと言われている」と聞く事がある。
また「二人のこころをおさめいよ なにかのこともあらわれる」とみかぐらうたにも聞かせて頂く。
今回夫婦揃っておつとめをする事で、神様が受け取ってくださったんだね。と共々に喜ばせて頂く事が出来た。
親神様のお働きは、火水風である。親神様を信じて、真実尽すように一つずつ歩みたいと思う。
災害の方も、原発の方はまだ油断ならない状態だが、救援物資のほうは道路の方が良くなって、徐々に届き始めているようで、災害初期の急場を抜けさせて頂けたように思うが、まだまだこれからである。
人は皆完璧なものではない。だから人を責めるのではなく、人を補うように、自分の出来る事を、真実込めて、歩みたいと思う。
そのためには、つなぎあう事、つなぎは言葉、つなぎは物。低い心でつなぎ合えるように努力したい。
こんな事では災救隊にも行けないなぁ。
「行きたい、行きたい」と思うことがいかんのかなぁ。と思ったが治まらない。
そこにふと、天理時報が目に入った。
腰は身体の要である。要はおぢば、この声?
被災地へ出ている人たちには、この声は届きにくい。
ひょっとしたらと思い、本部のサイトを確認したところ、急に腰の痛みが楽になったように思えた。
そこで講社祭へ出かける前までの短い時間で打って、このブログへアップした。
講社祭にはとても楽に行く事が出来、道中色々と思案して、災救隊に行く事が出来るかなぁと一寸嬉しくなった。
午後はみたま祭。その後お下がりをもって信者さんのお宅へ。
その信者さんは20年余り、教会の事を親身になって下さっている方である。
その方、心臓の発作を持っておられ、その受診に行ったとき、女の看護師さんから顔色が悪い事を指摘されて、検査の結果、胃がんがあることがわかった。
検査入院中、奥さんがお願いに見えた時に、修養科を進めた。
しかし、教会の事は一生懸命やるけど「うちでは朝夕のおつとめもしないので、それは無理です。」との返事だった。「じゃぁ。おつとめからしましょう。旦那さんにおつとめをしてというのではなく、一緒におつとめをしよう。と言って一緒に朝夕して見てください。」という事になった。
胃潰瘍ではなく癌と診断されたが、他に転移しているわけでもなく、高齢でも手術が出来るとの事。ありがたい事だと、癌と診断された時には話をしていた。
ところが今日、おさづけを取り次ぐ時に、ふと心臓の発作の事を思い出し尋ねてみた。
すると、あれ以来発作が無い。との事だった。
胸が苦しいのは、「神様が胸が分からんと言われている」と聞く事がある。
また「二人のこころをおさめいよ なにかのこともあらわれる」とみかぐらうたにも聞かせて頂く。
今回夫婦揃っておつとめをする事で、神様が受け取ってくださったんだね。と共々に喜ばせて頂く事が出来た。
親神様のお働きは、火水風である。親神様を信じて、真実尽すように一つずつ歩みたいと思う。
災害の方も、原発の方はまだ油断ならない状態だが、救援物資のほうは道路の方が良くなって、徐々に届き始めているようで、災害初期の急場を抜けさせて頂けたように思うが、まだまだこれからである。
人は皆完璧なものではない。だから人を責めるのではなく、人を補うように、自分の出来る事を、真実込めて、歩みたいと思う。
そのためには、つなぎあう事、つなぎは言葉、つなぎは物。低い心でつなぎ合えるように努力したい。