ブログあつたかい

しんちつが神の心にかなハねば いかほど心つくしたるとも (12-134)

歴史を振り返って

2011年03月05日 09時20分04秒 | 思った事
大教会の創立120周年の記念祭に写真展を行う事が決まり、その準備のために、現在、年表と向き合い、おさしづをひろっている。
おさしづを読むと、色々な事が心に浮かぶ。それがどうしても気になるので、それ以前の関連するだろうおさしづをついつい探して読んでしまう。だからとても時間がかかって、なかなか事が進まない。

その中で、一寸思えた事を・・・・。

教祖のひながたを心倒さずに通った方々が、各大教会の元になっておられると思った。
その代表的な事柄は、親神様の不思議なお働きが次々と現れて、教会設置という運びになるが、その道中には自分の財産を布教・おたすけの上に投げ出して、道の上に尽しているのである。
もう明日食べる物もないという中を、夫婦や家族が心合わせて、神様の言葉を信じて通られるそんな姿が浮かんだ。
そしてまた、人が寄れば寄ったで、周囲からの攻撃に合い、さらには共に歩む人々の中でも、神様の言葉や道の次第が理解できずに起こる事情によって、折角寄った人々も離れるという中をも通り抜けられた姿も思い浮かんだ。

おふでさきの最後、
「このはなしあいづたてやいてたならば なにゝついてもみなこのとふり」
「これをはな一れつ心しやんたのむで 」
のお歌と
12下り目の「大工」が心に浮かんだ。

また、道の順序が段々と広がっていく様子が、いざなみさまが段々と子供を産み下ろされた順序と重なって思えた。

すべてが順序に沿って進める事が大切で、人間思案による跨った歩みはならないと思えた。