先日、用事があって東京に行った際、1年ぶりに浅草に寄ってきました。この浅草の観光名所になっている場所の一つに、旭川とゆかりの深いところがあります。
**********
その場所とは、こちら。
浅草にある神谷バー
地下鉄の浅草駅を出てすぐのところにあるここ。ご存じの方も多いのではないでしょうか。
明治13(1880)年創業と100年を超える歴史を誇る「神谷(かみや)バー」です。
では、この「神谷バー」の名物といえば?これも知っているという方がたくさんいるのではないでしょうか。
浅草名物としても知られる飲み物、そう「電気ブラン」です。
電気ブラン
「電気ブラン」は、ブランデーに薬草などをブレンドしたカクテルです。
太宰治や萩原朔太郎などの文学者にも愛され、多くの小説や詩にその名が登場します。
なぜ電気かというと、当時はモダンなもの、目新しいものには、「電気館(映画館)」など、頭に電気と名付けたからだそうです。
痺れるほど美味しい、という意味ではないのですね。
で、この「電気ブラン」、誰が考案したかというと、この方。
神谷傳兵衛(1856-1922・初代神谷伝兵衛伝より)
「神谷バー」の創始者でもある神谷傳兵衛<かみや・でんべえ>さんです。
傳兵衛氏は、酒の引き売りから商売を始めたたたき上げの実業家で、その後ワインの醸造などで財を成しました。
そして、彼がワインの醸造とともに情熱を傾けたのが、当時輸入に頼っていた酒精=アルコールの製造です。
明治33(1900)年、傳兵衛氏は、新会社「日本酒精製造株式会社」を設立しますが、なんと工場は旭川に建てました。
理由は、原料としたのがジャガイモとトウモロコシだったから。
傳兵衛氏は農業の近代化が進み始めていた北海道に目を付け、安値で原料が手に入る旭川に工場を建てたのです。
この旭川工場、日本初の本格的な酒精製造工場だったそうです。
神谷酒造の旭川工場(大正元年・旭川名勝より)
実は、この「日本酒精製造株式会社」、酒税上の不利益を被ったことなどから2年余りで解散に追い込まれてしまいます。
しかし新事業にかける傳兵衛氏の意志は固く、明治36(1903)年には「神谷酒造合資会社」として会社を再建。
その後、他の焼酎メーカーとの合併で誕生したのが、いまも旭川で操業する「合同酒精」です。
合同酒精旭川工場(昭和2年・合同酒精社史より)
現在、浅草の「神谷バー」で販売されている「電気ブラン」は、「合同酒精」が製造していますが、その背景にはこうした歴史があるのです。
なお旭川工場では、当時、製造過程で出る残滓(酒精粕)を飼料にした養豚を傳兵衛氏の指示で行っており、これがその後の旭川の養豚業の隆盛につながったとされています。
さらにこの養豚業の発展が、豚骨に煮干しなどを加えたスープにラードをたっぷりと使う、のちの旭川ラーメンの隆盛を支えたという説もあります(そういえば、旭川は道内でも室蘭と並ぶ、豚肉文化地ですよね)。
明治の昔、遠い浅草の地で活躍した実業家が築いた旭川工場、その影響が今も残っていると思うと、ますます郷土史の面白さにのめり込んでしまいます。
神谷酒造旭川工場と養豚施設(手前)(大正2年・目で見る旭川の歩みより)