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写真とコメントで紹介する旭川の郷土史エピソード集

アンコール・私の好きな旭川 VOL.2 まぼろしの塔!?を追って 続編・続々編

2014-09-15 10:38:33 | 郷土史エピソード

かつて別ブログに掲載していた記事を再掲載する「アンコール・私の好きな旭川」。
今回は前回の「まぼろしの塔!?を追って」の続編と続々編です。


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<私の好きな旭川~まぼろしの塔!?を追って~続編!>(2011年2月10日掲載)


まずはこちらの写真を!


(写真①)こっ、これは!?

分かりますか?
以前、このブログで紹介した「大平和塔」です。
写真を引いたサイズで紹介しますと・・・。


(写真②)こんな感じ

中央にあるのは、かつての市立旭川病院です。
病院の裏(写真だと左)の空き地に塔が建っているのがはっきりと写っています!!
塔は、以前紹介した私の父が写した昭和35年の写真とアングルは違いますが同じ位置にあります(「日立テレビ」の文字も同じです)。


(写真③)35年9月撮影の写真(小さな男の子は2歳のワタクシ)


(写真④)偶然写り込んでいた「大平和塔」


(写真⑤)昭和25年、ロータリーに建てられた直後の「大平和塔」


実は、この写真、市立病院のエントランスホールに掲示されています。
ブログを読んだ方から情報提供のコメントをいただいたことで、存在を知りました。

「大平和塔」は、旭川市で開かれた「北海道開発大博覧会」のシンボルタワーとして昭和25年に現在の常磐通りロータリーに建設され、その後、昭和35年2月に市立病院裏に移設されたことが分かっています(詳しくは、11月26日のブログを参照してください)。

この写真の撮影は昭和37年ですので、写っているのは、移設後2年目の塔の姿ということになります。


(写真⑥)写真が掲示されている市立病院のエントランスホール


(写真⑦)昭和37年、昭和62年、平成14年の3枚の写真が飾られていて、それぞれ初代、2代目、3代目の市立病院の建物が確認できるようになっている


市立病院によりますと、塔は、現在、医師住宅のある場所に建てられていたそうです。
前のブログでは、記憶を頼りに塔が建っていた場所を推定しましたが、ほぼ合っていたことが確かめられ、ほっとしました。


(写真⑧)かつて塔が建っていた場所にある医師住宅

そして驚いたことに、塔を移設した時に設けた「基礎」が、今でも敷地内に残っているそうです!
(今は雪が積もっていて見ることはできませんでしたが、春になったら、写真を撮らせていただくことになっています)。


(写真⑨)現在の市立旭川病院、中央↓が医師住宅。左に写っているのは旭橋

塔が、最終的にどのような経緯で撤去されたかなどは、依然分かっていませんが、
いろいろな方のご協力で、新たな事実が少しずつ明らかになってきています。
引き続き、なにか情報がありましたが、ぜひお知らせください。


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<私の好きな旭川~まぼろしの塔!?を追って~続続編>(2011年4月28日掲載)


今回も、まずは写真から!!


(写真①)旭川市博物館所蔵


(写真②)旭川市博物館所蔵


もうお分かりですよね。
このブログではおなじみの「大平和塔」。
新たに見つかった写真です!!

①は、昭和34年頃の撮影。
ロータリーに向かう8条の斜め通り(「8条斜線」)からのショットです。
バスと一部かぶっているのは残念ですが、ここまで鮮明に「大平和塔」をとらえた写真を見るのは初めてです!

最上部にあるのは「母の鐘」(「大平和塔」から時報代わりに流されていた音楽=詳しくは2010年11月26日のブログ参照)のメロディーを奏でていたスピーカーでしょうか。
その上には照明のようなものも見えます。
広告の文字の取り付け状況など、細かい様子もよくわかります。


写真①拡大

②は、昭和34年の撮影。
旭川の初夏の名物行事、「北海道音楽大行進」のスナップです。
写真の手前側に、ロータリーに沿って行進するブラスバンドの姿が(どこかの高校でしょうか)、その奥に見物の市民が写っています(人出の多さに驚きます!!)。

注目してほしいのは「大平和塔」の〝足〟の部分です。
4人ほどがよじ登って行進を見物しています(塔の大きさが良く分かります)。

なお写真右上隅には、この写真の撮影から4か月後に竣工する「市役所庁舎」の姿が見えます(建物の周りに、工事の足場のようなものが写っているように見えます)。


写真②拡大A

また市役所庁舎から左に目を転じていくと、「8条斜線」沿いの商店などの後に、我がなつかしの母校、「中央小学校」の姿が(屋根だけですが)確認できます。


写真②拡大B

なお、「北海道音楽大行進」は、一般から小学生まで、ブラスバンドや鼓笛隊などが、演奏をしながら市内を行進する一大イベントで、参加者は数千人に及びます!!
時期は6月、昭和6年に始まり、途中中断をはさみますが、これまでに78回も行われている伝統の行事です。


(写真③)写真②と同じアングルで見た現在のロータリー


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続いては、この写真を。
ぴんと来た方は、このブログの相当熱心な読者です。


(写真④)

実はこれ、以前「まぼろしの塔!?を追って・・・続編」でふれた「大平和塔」の土台=〝基礎〟なんです!!!


(写真⑤)手前のコンクリートが見えている部分が基礎。奥に見えるのは旭橋


(写真⑥)看板と車庫の間にあるのが基礎


大きさは、1メートル×90センチほど。
場所は市立病院の敷地内にある医師用の住宅棟の裏です(雪解けを待って先日、行ってきました)。
コンクリートは劣化がかなり進んでいましたが、中に仕込まれた鉄筋の太さは尋常ではありません!

案内してくれた病院の事務局の方によりますと、地中に埋められている部分の高さ(深さ?)も1メートル程あり、建物の基礎としてはかなり規模の大きなものだということです。
労力や費用もかかることから、そのまま撤去せず残したのではないかということでした
(なお塔は4本の〝足〟で支えられていましたので、あと3つ基礎が残っているはずですが、建物の下に隠れるなどしていて、確認できませんでした)。


(写真⑦)直径3センチ近い鉄筋。


(写真⑧)↓が基礎のある場所。建物は医師住宅棟(この下に別の基礎がある)



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幼いころの遊び場所の一つだった市立病院裏は、子供にとっては十分すぎるほどのスペースがある原っぱで、私たちは日が暮れるまで、ボール遊びや鬼ごっこなどに興じていました。
そして、塔は、そんな私たちを見守るように立っていました。

調査を始める前、私の中では、実在していたかどうかさえ不確かだった塔の姿、さまざまな映像や資料(さらには実物につながる基礎という〝ブツ〟まで!)にふれるなかで、いまはしっかりと思い浮かべることができます。
協力していただいた皆さんに、改めて感謝申し上げます。



(写真⑨)2歳のワタクシと大平和塔(昭和35年・再掲)