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写真とコメントで紹介する旭川の郷土史エピソード集

ザ・ゴールデンエイジ(後編)

2014-07-26 07:00:00 | 郷土史エピソード


旭川の文化史における黄金期の出来事を振り返る「ザ・ゴールデンエイジ」の2回目。
今回は大正14(1926)年(昭和元年)と昭和2(1927)年の2年間の動きです。


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暮れに大正天皇が崩御し、昭和に改元された大正15(1926)年も、旭川への著名文学者の来訪は続きます。

この年訪れたのは、歌人の若山牧水です。
10月2日、妻を同伴して旭川にやってきた牧水は、現在の春光町にあった斎藤瀏宅(参謀長官舎)に6日まで滞在します。
3日には講演会と歓迎歌会が開かれ、歌会には斎藤親子をはじめ、酒井廣治や小林昂、小熊秀雄も参加しています。
またこの短い滞在の際、牧水が当時17歳だった史に歌を詠むように勧め、史が本格的に短歌の道に進むきっかけとなりました。
さらに牧水の訪問は、旭川の歌壇にも大きな影響を与えました。
牧水が去った翌月には、斎藤瀏、酒井廣治、小熊秀雄らが中心となって「旭川歌話会」を結成、その後の旭川歌壇の発展に大きく寄与しました。


(参謀長官舎での斉藤親子と牧水夫妻)



ただこの大正15年は、旭川にとって、その後の暗い時代を予感させるような年でもありました。
牧水の来旭に先立つ5月24日、旭川に本店のあった糸屋銀行が経営破たんし、休業を発表。地元経済への影響はその後長く続きました。
また同じ日の午後には、十勝岳で噴火に伴う泥流が発生、死者行方不明144人の大惨事となりました。
旭川の人々は同じ日に起きた2つの災いに茫然自失、言葉も出せなかったと伝えられています。


(糸屋銀行・2条通7丁目 大正3年)



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ゴールデンエイジの最終年、昭和2(1927)年は「別れの年」といえるでしょうか。

3月、短いながら旭川での濃密な時間を過ごしていた斎藤瀏、史親子が、瀏の転勤に伴い九州に向かうこととなりました。
「旭川歌話会」の第5回歌会は、2人の送別歌会でした。
多くの会員が出席し、別れを惜しんだと記録されています。


(送別歌会の記念写真 最前列左から4人目が史、隣が瀏。最後列右から2人目が小熊)


(史の離旭を伝える記事・昭和2年3月30日旭川新聞)



一方、2人を送り出した小熊秀雄も、翌年6月には上京。
短期間ですが、先行して旭川から東京に拠点を移していた詩人の今野大力、鈴木政輝との共同生活も行います。


(今野大力 1904-1935)


(今野大力の詩碑・常磐公園)



なお文化・芸術の分野ではありませんが、この時期(大正14年秋)には、のちの大投手、ビクトル・スタルヒンが、流浪の果て、ロシアを亡命した父母とともに旭川にたどり着いています。


(スタルヒン球場のスタルヒン像)



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今回、ご紹介した旭川ゆかりの文化人の中には、今野大力や若山牧水など、この時期からほどなく短い生涯を閉じた人もいれば、斎藤史のように平成の時代まで活躍した人もいます。
ただ共通しているのは、若さゆえの強烈な輝きです。
そんな輝きに満ちていた時代があったことを多くの方に知っていただきたいし、いつまでも忘れずにいたいものです。


(大正時代の旭川・4条通)



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最後に、文化史を中心にしたこの5年間の旭川の動きをまとめた年表を掲載します。
あの時代、旭川を舞台に、確かに彼らは生きていた!
当たり前なのですが、そんな思いがこみ上げてきます。


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大正12(1923)年 ・ 4月 庁立旭川師範学校、仮校舎で初の入学式
            ・ 4月 小熊ら「舞台芸術研究会」(のち「旭川文化協会」)設立
            ・ 6月 町井楽器店が開店 
            ・ 6月 北修ら「旭川美術協会」設立
            ・ 7月 「旭川文化協会」、第1回演劇試演を錦座で行う
            ・ 8月 宮沢賢治来旭
            ・ 8月 知里幸恵「アイヌ神謡集」出版 
            ・ 9月 関東大震災発生(旭川からも多くの人員派遣)

                  
大正13(1924)年 ・ 1月 小熊らが第1回「チルチル童話会」開催
            ・ 5月 小熊、北修と上京、2か月で帰旭   
            ・ 6月 上川神社、神楽岡に遷宮、常磐公園には頓宮造営
            ・ 7月 加藤顕清、市村紙店で個展開催
            ・ 8月 乗合自動車「円太郎」運行開始
            ・10月 旭ビル百貨店開業
            ・10月 小熊の「犬に食われた絵」騒動
            ・10月 加藤顕清、帝展に入選
            ・12月 斎藤瀏、七師団参謀長に着任、史も旭川へ

          
大正14(1925)年 ・ 2月 小熊、崎本ツネコと結婚
            ・ 3月 東京放送局が初のラジオ試験放送開始
            ・ 4月 小熊、妻と上京、5カ月後旭川に戻る
            ・ 6月 速田弘、カフェーヤマニ2階でラジオ放送を公開
            ・ 6月 佐藤市太郎の第一神田館が焼失
            ・ 8月 北原白秋が来旭
            ・10月 第2回国勢調査、旭川市の人口7万2341人
            ・  秋 スタルヒン一家が旭川へ

大正15(1926)年 ・ 1月 小熊に長男生まれる
<昭和元年>      ・ 3月 渡辺錠太郎が第七師団長に着任
            ・ 5月 糸谷銀行破たん、経済界に甚大な影響
            ・ 5月 十勝岳が噴火、死者行方不明144人
            ・10月 若山牧水夫妻が来旭
            ・11月 「旭川歌話会」結成。斉藤親子、小熊、酒井廣治ら参加
            ・12月 大正天皇崩御、昭和に改元
            ・この年 松井梅太郎、旭川で初めて木彫り熊を制作
            ・この年 佐々木長左衛門、「佐々木豊栄堂」を近文に開店 
 

昭和 2(1927)年 ・ 1月 小熊、今野大力、鈴木政輝らと同人誌発刊
            ・ 1月 旭川電気軌道東川線の一部運航開始
            ・ 3月  斎藤親子の送別歌会。2人旭川を離れる
            ・ 8月  歌人、九条武子来旭