久々のブログです。
ご無沙汰してすみません。
実は手を負傷してしまい、キーボードを打つのが辛かったので
お休みをしていました。
なぜ負傷したかといいますと…
(「えー、そんなことでー」と言われかもしれませんが)
おとついの日曜日の地区バレーボール大会に出るために、
先週初め、バレーの練習に誘われ、
夕ごはんもそこそこに、小学校へ行きました。
バレーボールをするのは、大学の学部対抗バレー大会以来。
それも、私のバレー歴は0。
体育の授業でやった程度なのです。
今まで、断り続けていたのですが、今年はメンバーがそろわず、
頼み込まれて「立っているだけでいいから…。」と言う言葉を信じて、
子供達を連れて練習に行ったのでした。
10ん年ぶりにやったのですが、
割と調子よく、ボールを返すことができ、
楽しく練習を続けていたのですが、ふと気がついた時には、
右手の親指と人差し指の間がグローブのようにパンパンに腫れ上がり、
指が動かせない状態でした。
でも、みんなに心配をかけてはいけないと思い、
黙って練習をこなし、車で家に帰る頃には、
ハンドルが握れないほど痛みがあり、
それでも何とか左手だけの運転で家にたどり着きました。
なぜ腫れたのか?自分でもはっきりとは思い当たらないのですが、
たぶんレシーブを片手で受けたときに、
親指の内側の付け根にボールが当たったのかな?と思っています。
シップを貼って寝たので、翌日は少し腫れが引いていたのですが、
数日は車での通勤は大変でしたし、
仕事はPCをよく使うので、マウスを操作するのと、
キーボードを叩くのが大変でした。
もともとは、左利きなので、マウスは左手で操作し、
キーボードは、薬指と小指で叩いていました。
大会まで、5日程度あったので、腫れは引いたのですが、
親指の付け根は、手の甲も内側も真っ黒。
かなりの打撲傷を負ったという感じ。
腕も、あざだらけで、知らない人が見ると「どうしたん?」と驚かれる始末。
今も、まだ打ち身が治っていない状態で、触ると痛みもあります。
でも、がんばったお陰で、決勝リーグに残ることができたのですが、
残念ながら決勝リーグ1回戦で負けてしまいました。
主人には「(大阪人なので)受け方がへたくそやからや」と言われましたが、
包丁をうまく握れず、貧しい食卓になっても、子供達は文句も言わず、
いろいろと気遣いをしてくれ、たくさんお手伝いをしてくれました。
子供達の優しさを感じた日々でした。
ご無沙汰してすみません。
実は手を負傷してしまい、キーボードを打つのが辛かったので
お休みをしていました。
なぜ負傷したかといいますと…
(「えー、そんなことでー」と言われかもしれませんが)
おとついの日曜日の地区バレーボール大会に出るために、
先週初め、バレーの練習に誘われ、
夕ごはんもそこそこに、小学校へ行きました。
バレーボールをするのは、大学の学部対抗バレー大会以来。
それも、私のバレー歴は0。
体育の授業でやった程度なのです。
今まで、断り続けていたのですが、今年はメンバーがそろわず、
頼み込まれて「立っているだけでいいから…。」と言う言葉を信じて、
子供達を連れて練習に行ったのでした。
10ん年ぶりにやったのですが、
割と調子よく、ボールを返すことができ、
楽しく練習を続けていたのですが、ふと気がついた時には、
右手の親指と人差し指の間がグローブのようにパンパンに腫れ上がり、
指が動かせない状態でした。
でも、みんなに心配をかけてはいけないと思い、
黙って練習をこなし、車で家に帰る頃には、
ハンドルが握れないほど痛みがあり、
それでも何とか左手だけの運転で家にたどり着きました。
なぜ腫れたのか?自分でもはっきりとは思い当たらないのですが、
たぶんレシーブを片手で受けたときに、
親指の内側の付け根にボールが当たったのかな?と思っています。
シップを貼って寝たので、翌日は少し腫れが引いていたのですが、
数日は車での通勤は大変でしたし、
仕事はPCをよく使うので、マウスを操作するのと、
キーボードを叩くのが大変でした。
もともとは、左利きなので、マウスは左手で操作し、
キーボードは、薬指と小指で叩いていました。
大会まで、5日程度あったので、腫れは引いたのですが、
親指の付け根は、手の甲も内側も真っ黒。
かなりの打撲傷を負ったという感じ。
腕も、あざだらけで、知らない人が見ると「どうしたん?」と驚かれる始末。
今も、まだ打ち身が治っていない状態で、触ると痛みもあります。
でも、がんばったお陰で、決勝リーグに残ることができたのですが、
残念ながら決勝リーグ1回戦で負けてしまいました。
主人には「(大阪人なので)受け方がへたくそやからや」と言われましたが、
包丁をうまく握れず、貧しい食卓になっても、子供達は文句も言わず、
いろいろと気遣いをしてくれ、たくさんお手伝いをしてくれました。
子供達の優しさを感じた日々でした。