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朝日の名コラムニスト、小池民男さん逝く

2006-04-26 09:00:51 | Weblog
朝日新聞の小池民男さんが亡くなった。と言われても、ピンと来ない人がほとんどだろう。

 小池さんは01年から04年まで「天声人語」の筆者をされていた。毎日、インクの臭いと共に届けられる小池さんのコラムは、ブンヤの泥臭さではなく、文学者が放つものに近い繊細な匂いを感じさせた。その巧みな言葉遣いと非凡な視点・論点は、朝日の記者にならなければ、文学の世界で光り輝く存在になっていたのではないかと思わせた。

 小池さんとは長いお付き合いがあった。記憶が定かではないが、朝日ジャーナル(1992年廃刊)の書評を通じて知り合ったような気がする。ジャーナルに何回か単発で書評を書いたが、その時の担当者が小池さんだったのではないかと記憶しているのだ。

 その後、夕刊の文化面で何度かお世話になった。優しい人柄で、きつい表現は使われなかったが、私の原稿に不備があると、妥協はされなかった。文化面では珍しく書き直しを求められたこともあった。しかし、彼の指摘は的を射たものであり、その指摘に感謝したものだ。

 85年、私の「心の師」である岡村昭彦さんが亡くなった時、小池さんに「短くても良いから何か書かせて欲しい」とお願いすると、「この枠は外部の人には使えないから署名にならないですよ」と言いながら、夕刊の文化面で追悼文を書かせていただいた。

 20年近く前になるが、著書「魔術的カケヒキ学」を贈呈すると、すぐに連絡を下さり書評面の「著者に会いたい」欄でこの本を絶賛していただいた。インタヴューの際、本の内容とタイトルの落差を心配していただき、タイトルの名付け親が私でなく、出版社(作家、椎名誠さんを世に出したことで有名。タイトルも出版局長が決めていた)であると知ると、「失礼ながら、このタイトルだと売れないかもしれないですね」と厳しい指摘をされた。そして、出版社の「浅井を売り出すんだ」との意気込みにもかかわらず返品が相次ぎ、在庫の山となった。

 小池さんとはここ10年、ほとんど交流がなかったが、私が主宰するメディア塾の講師をお願いしようと2ヶ月前、電話でお話をしたばかりであった。彼の所属する論説員室でも編集委員室でも中々つかまらず、ようやくつかまえることが出来たと喜ぶと、電話口で病気療養中であることを知らされた。声に力がなく、ただ、「資料を送ってください」と言われた。「文章講座」をお願いしようとしていただけに、残念だったが、いずれにせよ声に元気がなくて話し続けるのも悪い気がして「それでは次回にお願いします」と、早々に話を終えてしまった。

 人伝に聞くと、小池さんは今年初めから入院をされていて、私が電話をしたとき、病院から抜け出してきていたようで偶然お話が出来たらしい。本人の意思を無視してお見舞いに駆けつけるのもどうかと思い、折を見て連絡してみようと考えていた。今月初めにも「時の墓碑銘」でコラムを書いておられたので、死期が迫っているとは思いもよらなかった。こんなことなら無理を言ってでも会っておきたかったと今さら言っても「後悔先に立たず」の典型だ。

 食道がんを患っておられたから、長年の過労が彼の死に影響したと断定は出来ないが、いずれにしても「仕事の虫」の典型で仕事が彼の寿命を縮めたのは間違いないのではないか。急ぎ過ぎた死だ。ご冥福をお祈りする