都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

同潤会荏原普通住宅

2020-03-26 | 品川区  
同潤会荏原普通住宅
所在地:品川区 中延2-3
構造・階数:木・2F
建築年:1924〜25(大正13〜14)
解体年:2017(平成29)
備考 :1935(昭和10)に住宅営団が増築、1950(昭和25)に払い下げ
    2019(平成31)、跡地にアトラス品川中延が竣工
Photo 2016.1.28

 中延小学校南側の一角に残っていた同潤会荏原普通住宅。

 建設当初は現在の中延1-9と10、2-4、そして2-5の一部にも住宅群が建てられていたそうだ。これらの街区は戦災で焼失したため、戦後は街区内の道路や建物の配置も変わっていた。

 一方、中延2-3のほうは戦災では被災しなかったため、街区がそのまま残り、関東大震災後に建てられた当初の建物をベースにした住宅群が建ち並んでいた。

 そして、かなりの増改築がされてはいたが、他の同潤会住宅地でも見たことがある建物と似た形のものがここにもいくつか残されていた。


 南側の街区東端の家屋

 小さく細い切妻2階の姿は、他の同潤会住宅地でも見られるものだ。1階に比べて2階がスリムな凸型の立面は、普通の長屋ではあまり見られないので、これも同潤会住宅をベースにしたものだったのだろう。

 なぜこういう型式にしたのかはよく知らないが、同潤会住宅を特徴付けているデザインの一つだ。軒先に傾斜の緩やかな庇が付いていれば、ほぼ完璧に同潤会住宅という感じだが、この地区の建物はそうはなっていなかった。

 住宅地内部の路地から。前写真同様、電柱左奥の2階部分も細い切妻屋根になっている。住宅地内のこの小街区は奥へ向かって長いもの。2階の小さな切妻屋根は奥へ向かって延びている。写真中央の玄関がある部分は後付けかもしれない。

 撮影場所は住宅地内の極めて小さな四つ辻。電柱の向こう側、玄関前は左へ抜けられる。また写真右手にも細い路地がつながっている。

 他の同潤会住宅地とかなり違っていたのは、猛烈に建物密度が高かったことだ。赤羽西の同潤会住宅地にも狭い路地があるが、そこよりも更にせせこましい感じだった。

 当初は敷地内に空地を少しあけて建てられたが、払い下げられた後、皆が思い思いに増築していったため、空地が路地部分しかなくなってしまったのかもしれない。

 最期の頃には廃墟化した家屋も一部に見られた。皮肉なことに、廃墟化したものが最も当初の姿というかプロポーションを残していたようだった。

 同潤会荏原普通住宅の一連の建物群は、この写真を撮った翌年の2017(平成29)に取り壊され、跡地には13階建てマンション(195戸)が竣工した。周辺地域の中では規模の大きなマンションだが、敷地の大きさは80m四方程度で、コの字型の建物一棟になっている。狭い路地が複数あって、多くの家屋があった場所がマンション一棟になったのには驚かされた。たしかにかなり狭く密度が高い住宅地だったが、それがマンション一棟分の広さだったとは。

同潤会による品川区中延二丁目の木造長屋群がいよいよ建替えへ
   | 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】

同潤会の木造普通住宅団地
同潤会 - Wikipedia

Tokyo Lost Architecture
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