既に文化財級ではないかと思われるこの建物も、老朽化等の問題のために解体されようとしている。
中銀カプセルタワービル
所在地:中央区 銀座8-16
構造 :SRC・一部S
階数 :11F・一部13F
建設年:1972(昭和47)
設計 :黒川紀章
Photo 2008.7.22
建物の老朽化とアスベスト問題、改修にかかる費用の面から、解体、建て替えが決まったのだという。(注1)
もともとかなりアクの強い建物なので、住むためにはそれなりの覚悟が必要だと思う。だから、てっきり入居者はこの建物を愛して止まない人たちなのだろうと、私などは思っていた。その意味では、意外に大人の対応?がなされたのにはちょっと驚いた。しかしこの建物の部屋を所有している人、住んでいる人の中に、投資目的の人は少ないのではなかろうか。そう考えると、やはりぎりぎりの線だったのかなぁとも思う。
確かにアスベスト問題は、住人にとっては我が身の健康の問題ではある。コストと安全という問題の前では、たとえ建物を愛していても妥協せざるを得なかったということなのだろうか。Wikipediaの記述を見ると、建て替えは、区分所有法に基づく建て替え決議を経て決まったという。残したいのはやまやまだが、これ以上負担できないという人に較べて、大規模に改修してでもなんとしても残したいという人は、かなり少なくなっていたようだ。
Photo 2008.7.22
中銀カプセルタワーは、大まかに言うと、ベースとコアシャフト、カプセルからなる。カプセルは2本のボルトだけでコアシャフトに固定され、この他に電気、給排水管が接続されているという。その名の通り、宇宙ステーションに実験棟カプセルがドッキングしているような感じだ。60〜70年代にはこういう発想は斬新で未来的だったのだろう。カプセルモジュールで空間や機能を増減するやり方は、その後、様々な場面で実現している。またプレファブリケーションで建物を造ることも広まっていて、中銀カプセルタワーはそれらの先駆的な存在だったのだろう。
Photo 2002.4.29
ただ、中銀カプセルタワーはコンセプチュアルにその概念を表現したもののようにも思う。幹に枝葉のようにカプセルを固定するやり方は、直接的な見せ方だし、カプセルが様々な位置と方向で取り付く様は、非常に格好が良く、機能優先ではないデザイナー魂が出ているように思う。
実際、新陳代謝できる建築という実質的な機能の進化は、カプセルタワーのような、これみよがしな分かりやすいデザインではなく、もう少しこなれて、見えにくいものになった。現在的な見方をするなら、カプセルタワーは結構不便なところが多い気がするし、無理やりな挑戦をしているような気もする。メタボリズムの発想を明快に形にしてはいるが、思想をそのまま形にしなくても良かったんじゃないの?、などとは思ったりもする。
だが、やはり憎めない建物だ。考えを示すために現実的な住みやすさなどを捨て去ってしまったかのような潔さが感じられ、見ていて気持ちがよい。思想とライフスタイルが外観に現れているという意味ではとてもモダンな建物だ。
築40年以下の建物だが、建築文化に与えた影響は大きいという。日本におけるDOCOMOMO135選にも2006年度に選ばれている。
今、周辺にはカプセルタワーより大きなビルが建ち並んでいる。高速道路を挟んだ南側には汐留の高層ビル群が建ち並び、カプセルタワーは今ではどちらかというとこぢんまりしたビルになってしまった。また、首都高速が目の前にあるので、全貌を見るのは極めて難しい。今回、外観を撮るためには、交通量が多い道を無理やり渡らねばならなかった。そして高速下の駐車場の縁にピッタリと張り付いて、ビュンビュン走る車をやり過ごしながら、ようやく全体が見える写真が撮れたのだった。
ビルの足下を歩いていると、1Fにコンビニが入居した普通のマンションのように感じられてしまう。私が写真を撮っていると、通りかかった人々が何事かと上を振り仰いでいた。これが建築的に有名なものであることを知らずに行き交っている人も多いようだ。当初の近辺は、せいぜい7,8Fのビルが数棟ある程度で、低層の家屋も多かったのではないだろうか。そういう状況ではカプセルタワーは抜群の存在感をもっていたに違いないが、今の様子はかなり異なる。もしかするとカプセルタワーの時に思い描かれていた未来の街を、現在の街は追い越してしまったのかもしれない。
解体される場合、カプセルぐらいは残されるのだろうか。どこかでカプセル1ヶだけを保存して公開したりはするかもしれないが、そうではなく、全部の移築保存はできないのだろうか。江戸東京たてもの園に移築したら、周辺とギャップがありまくって、おもしろカッコイイ気がする。今までの雰囲気が壊れちゃうからダメかもしれないけど・・・。メタボリズムつながりで、両国の江戸東京博物館の前庭あたりに移築なんてのも面白そう。江戸博の巨大さが改めて分かる気がする。移築先でベースとコアシャフトを造っておいて、現在のカプセルをトラックで運んで、クレーンで取り付ける。これこそメタボリズムの真価発揮。もし実行されたらちょっとしたイベントではないだろうか。
新陳代謝する建築は、増改築や修繕がしやすい建物、定期的なメンテナンスや交換がしやすい建物として、現在では一般化している。カプセルを丸ごと取り替えてしまうのではなく、更に部分、部分を更新できるわけで、より緻密な新陳代謝だし、リユースやリサイクルの観点からすれば、よりエコなシステムが構築できてきたことになる。
でもカプセルタワーは、建てたらそれっきりになりがちだった近代建築に、新陳代謝や使い続けながら更新するという発想を、形は違うが意識的に取り入れたわけで、大きな意義を持つ建物なんだろうなと思う。
授業でカプセルタワーの考え方、発想について解説すると、多くの学生が関心を持つ。40年近く前にそのような先駆的建物が日本人建築家によって建てられたことに、今の若者も感心するらしい。メタボリズムもまだまだ捨てたものではないなと改めて思う。
中銀カプセルタワービル - Wikipedia
注1)2016.1.13追記
その後、マンションを建築する予定だった業者が倒産しため、建て替え決議は無効になったという。建て替え賛成派と反対派の割合は変動しているようで、2015年末時点でも今後の方針は決まっていない。
2022.8.21 追記
2021年に解体が決定し、2022年4月解体開始。
Tokyo Lost Architecture
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