あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

書籍「浪速のロッキーを<捨てた>男」(1)

2015年06月02日 | ボクシング
副題は「稀代のプロモーター・津田博明の人生」

18年の歳月を費やしたというノンフィクション。
著者は、浅沢 英氏。

単行本: 323ページ
出版社: KADOKAWA/角川書店 (2014/4/25)



昨年出版の書籍を今更ネタにするのも何ですが、
労作です。

まぁ、肝心の「赤井との決別」に関しては明白な記述は
ありません。

津田ジムの出世頭として、連続KOと抜群のスター性で
関西にて絶大な人気を誇った赤井が、2度目の世界戦を
前に突然の引退を発表して姿をくらませた「事件」。

真相は曖昧なままエンディングに進み、余韻を残したまま
本を閉じることになります。

赤井氏が「こればっかりは墓の中まで持っていきます」と
語ろうとしないのだから仕方ない。
「金では無い。そんな間柄ではなかった」とは当時から
本人が語っています。

デュランの「ノーマス」同様、語られる事はないのでしょう。



ジムを興した会長の元に素質ある若者が飛び込み、二人三脚で
階段を上がっていく。
これは夢物語だが、先代の金平会長と海老原博幸さんのように
本当に成功を収め、
その後の協栄ジム黄金期に繋げて行った例もある。

新人王戦で原田政彦と当たり、ノンタイトルで強豪に勝って行った
海老原さんに比べれば、
格下を宛てがわれてKO記録を作った赤井氏のキャリアは見劣り
するが、それも戦略だった。

当時の専門誌記事では「マスコミは記録が好きやからな」と
嘯いたといわれ、その辺に津田氏のしたたかさが覗えたものだ。

アマキャリアがあるとは言え、国内タイトルも獲っていない赤井の
世界挑戦は無謀に思えたし、当時のWBCジュニア・ウェルター級
王者のブルース・カリーはキャリア晩年でやっと世界を獲得した
とは言え、敗北の多くは一流選手に喫した物だし。



若手の頃はウィルフレド・ベニテスに痛烈なダウンを
与えて惜敗した事もある選手だ。

津田会長も赤井で獲得した人脈と関西での赤井フィーバーの
熱気に押されて世界戦を組んだような印象さえ受ける。



プロモーターとして実績を重ね、日本初のダブル世界戦を
手がけた津田氏。
※ただし、これもキャリアの少ない選手を大舞台に上げた
「まず興行ありき」の挑戦試合だったと思う。

本書では、津田氏の出身~幼少期から始まり、ボクシングで
人生の逆転を果たすまでに至った執念がテーマとなっている。
※私にはそう受け取れた

奇しくも赤井はその手助けとなり、ある時に繋いだ手を
放されてしまった・・・・と。

(続く)