goo blog サービス終了のお知らせ 

あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

追悼:アンディ・フレイザー(10)

2015年03月29日 | 英国ロック
次にアンディの姿を見たのは1994年。

ポール・ロジャースのステージにゲスト参加したウッドストック'94と
ギブソン100周年に、ベースを抱えて登場。
TVで見ていた私を大いに感激させたが、残念ながらプレイは全く冴えが
見えなかった。

「ベース演奏をコンスタントにやってなかったんだろうな」
「天才も腕がすっかり錆びている・・・」
「オールライト・ナウじゃ、自分が作って自在に弾いてた、あの
 フレーズを追うのが精一杯じゃないか」
・・・と、すっかり落胆させられてしまったのでした。


※左側で白い帽子を被ってベースを弾いてるのがアンディ。
 よく見ると痩せていて、健康面でも心配になったものです。

また、FREE再々結成に関しても、ロジャースが頑なに拒否。
「コゾフがいないフリーは考えられない」という理由も理解できたし
アンディのプレイが衰えた以上、もう期待は出来なかった。 

2005年には「アンディ死亡説」まで出て(これは直ぐ本人が公式に否定)、
すっかり「あの人はいま」状態に。
住居もカリフォルニアに移っていると明白になった。

さらに、HIVキャリアである事も公表。
ゲイである事もカミングアウト。
※「やはりか」という思いもありましたが。一人だけ衣装に
 独特な美意識が感じられたし・・・。

インタビューでは、
「普通に結婚して娘二人の子供にも恵まれながら、その後で
 気付いてしまった」と辛そうに語っていた・・・とか。

もうアンディが表舞台に出る事も無いのか
・・・という気分になったものだが、その予感は外れた。



2010年代になってから、やにわにアンディの活動が活発になったのだ。
音楽家として、いやベース・プレイヤーとして!

元ディープ・パープルのグレン・ヒューズらの盛り立てもあった。
マーシャル50周年のステージでは二人並んで「Mr.Big」を披露。
なんと第3期パープルのベーシストだったグレンが丸腰で、
歌い出しもフレイザーに譲り、アンディのベースソロ曲を盛り上げ、
最高のリスペクトを示していたのだ。

往年の仲間、ミック・テイラーとの競演もあった。
※ブルースブレイカーズ時代は両者10代だったんだよなぁ

野外コンサートで「ホンキートンク・ウィメン」演奏シーンが
YoutubeにUPされてもいた。

若手ギタリストのジョー・ボナマッサがステージでアンディと
「Mr.Big」を競演している動画もありました。
※アンディは歌を他に任せてる事もあってベースに専念し、
 充実したソロを弾いています。



平行して発表してるアルバムでは、彼のルーツでもあるカリブ系も
探求し、多様な活動が聞こえてきた。

そうしている内、2013年まさかのソロ来日が実現。
正直、どういう曲を、どういうアレンジで演ってくれるのか
不安だったが、若手のTobiに半分見せ場を与えつつ、自らの曲も
歌って弾いて往年のファンを大いに満足させてくれた。

予想以上にフリーの曲を演ってくれたし、アレンジもベースも
往年のままだった。



42年ぶりに日本の地を踏んだアンディは、大阪公演が終わった後、
「東京へは新幹線で行くんだ。実は初めて乗るんだよ!」と、
嬉しそうだったという。

体調も良さそうで、身体も細マッチョになっていて驚かされた。
HIVも医療が進歩して、キャリアであろうと病と付き合いながら
様々な活動が可能となった。

同時代のミュージシャンより若くデビューしたアンディは「まだ」
62歳、ベースの腕も相当に戻った。

私は「今後のアンディ」に大きな期待を寄せた。