知覧から指宿スカイラインに乗って再び鹿児島市内へ
朝から夕方まで観光観タクシーをチャーターし、知覧と鹿児島市内を満喫しようという
今回の家族旅行

市内に移動してからは西郷像と記念写真を撮ったり
薩摩の名士・島津家ゆかりの神社や庭園を鑑賞したり・・・と盛りだくさん
やはり、白眉は『仙巌園』

桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた雄大な借景庭園
本物の地形を使って、それを巨大な庭に見做し、裏山の岸壁に大きな文字を記すという
スケールの大きさに圧倒される
だって門の外は道と線路を挟んで海だもの
仕事が少ない職人向けの公共事業でもあったようだが
岩盤に文字が描かれる際には竹を組み立てて足場からは何名かの職人が転落して
亡くなったそうな・・・
江戸初期に19代当主・島津光久によって築庭された大名庭園である『仙厳園』

薩摩が琉球王国を介して積極的に中国の文物を受容し、その文化の影響を受けた事が良く分かる
日本庭園でありながら、各所に中国の作庭趣法を取り入れてあり、中門は中国で縁起の良い色と
言われてる朱に塗りこんである
そのうえ「望嶽楼」なんていう琉球国王から贈られた南国風のピロティ建築まであり
やっぱ独特の文化圏なんだなぁ・・・と感じ入る
さらに、いち早く海外留学に着手した島津家は
溶鉱炉や製鉄所も仙厳園の敷地内に建設し、ガス灯の実験もここで行ったそうで
実際にその一部は敷地内に残っている
英国やオランダ、ロシアも薩摩を重要視して、使節団を送り込み
島津家当主は仙厳園にある迎賓の間でもてなしたそうな
う~ん、九州における海外への玄関は長崎だと思っていたが
いやいや鹿児島も相当なモノですな
~というか、対等な外交をやろうとしたのが凄い
ヘタすりゃ日本の首都になって外国と付き合おうか・・・なんつう意気込みさえ
あったんじゃないかと
野望の王国だ
野望が生きた藩=薩摩
やっぱ九州でも異端の地だな
九州山脈で隔たれた福岡・熊本・大分とは別の国のようだ
文化も気候も違うわ
・・・なんて事を考えながら
少し前にTVで見て「これ不気味だろ!」と大笑いした篤姫人形と記念撮影

「なんだいこれ?」と怪訝そうな顔をしながらフレームに入る我が母
まぁ、花が咲いた状態なら華やかなんだろうが、
今は植え込みからマネキンの顔だけ覗く不気味な光景
ああ
真面目な考えが続かない我が脳ミソ
雨続きだった九州
奇跡的に我々の旅行中は曇天で済んでいたが
さすがに市内観光の終わりが見えたところで雨が・・・
幸運にも傘を使うことなくホテルに着いた
ガイド兼ドライバー兼カメラマンを務めてくれた観光タクシー運転手さんに
お金を支払い、お礼を言ってお別れ
さすがに高齢の母は疲れたようで(まぁ、私もけっこう疲れたのだが)
夕食はホテル内のレストランで済ませた

きびなごの刺身、さつま揚げ、黒豚の角煮、地鶏の炭火焼・・・が並ぶ定食
お値段はそれなりだったが、フロントで1割引チケット貰ったし、せっかくの旅行で
ケチっても仕方ないので薩摩の味を満喫した
部屋は連れ&ちびスケ、私と母親の2部屋
母親が「お前に飲ませようと買った」という発泡酒を持ち込んで飲んだ
本家で伯父と散々ビールを飲んだが、実家でも買い置きの発泡酒が待っていたのだ
飲みきれなかったので新幹線でも1本消費
九州新幹線は、あまり売り子さんが回って来ずツマミは無かったが
まぁ、車内の雰囲気を肴に気分良く飲んだ
いや、ホントは風邪気味で薬飲んでたからアルコールは控えたかったのだが飲んだ
私が飲まないと飲む者が居ないのだ
よって道中は風邪薬を控えた 酒が薬だ
そして鹿児島のホテルでは
1Fのコンビニでツマミを買って飲んだ
母親はTVの横でタバコをふかしている
「もっと動きやすい靴にすりゃ良かった。足が痛いよ」
「もうトシだ。こんな旅行は今回で最後だ」とボヤく
TVでは『しゃべくり7』が流れている
風呂に入ってベッドに入って私はグッタリ
そうして鹿児島旅行の初日は終わった
濃い一日だった・・・
朝から夕方まで観光観タクシーをチャーターし、知覧と鹿児島市内を満喫しようという
今回の家族旅行

市内に移動してからは西郷像と記念写真を撮ったり
薩摩の名士・島津家ゆかりの神社や庭園を鑑賞したり・・・と盛りだくさん
やはり、白眉は『仙巌園』


桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた雄大な借景庭園
本物の地形を使って、それを巨大な庭に見做し、裏山の岸壁に大きな文字を記すという
スケールの大きさに圧倒される
だって門の外は道と線路を挟んで海だもの
仕事が少ない職人向けの公共事業でもあったようだが
岩盤に文字が描かれる際には竹を組み立てて足場からは何名かの職人が転落して
亡くなったそうな・・・
江戸初期に19代当主・島津光久によって築庭された大名庭園である『仙厳園』

薩摩が琉球王国を介して積極的に中国の文物を受容し、その文化の影響を受けた事が良く分かる
日本庭園でありながら、各所に中国の作庭趣法を取り入れてあり、中門は中国で縁起の良い色と
言われてる朱に塗りこんである
そのうえ「望嶽楼」なんていう琉球国王から贈られた南国風のピロティ建築まであり
やっぱ独特の文化圏なんだなぁ・・・と感じ入る
さらに、いち早く海外留学に着手した島津家は
溶鉱炉や製鉄所も仙厳園の敷地内に建設し、ガス灯の実験もここで行ったそうで
実際にその一部は敷地内に残っている
英国やオランダ、ロシアも薩摩を重要視して、使節団を送り込み
島津家当主は仙厳園にある迎賓の間でもてなしたそうな
う~ん、九州における海外への玄関は長崎だと思っていたが
いやいや鹿児島も相当なモノですな
~というか、対等な外交をやろうとしたのが凄い
ヘタすりゃ日本の首都になって外国と付き合おうか・・・なんつう意気込みさえ
あったんじゃないかと
野望の王国だ
野望が生きた藩=薩摩
やっぱ九州でも異端の地だな
九州山脈で隔たれた福岡・熊本・大分とは別の国のようだ
文化も気候も違うわ
・・・なんて事を考えながら
少し前にTVで見て「これ不気味だろ!」と大笑いした篤姫人形と記念撮影

「なんだいこれ?」と怪訝そうな顔をしながらフレームに入る我が母
まぁ、花が咲いた状態なら華やかなんだろうが、
今は植え込みからマネキンの顔だけ覗く不気味な光景
ああ
真面目な考えが続かない我が脳ミソ
雨続きだった九州
奇跡的に我々の旅行中は曇天で済んでいたが
さすがに市内観光の終わりが見えたところで雨が・・・
幸運にも傘を使うことなくホテルに着いた
ガイド兼ドライバー兼カメラマンを務めてくれた観光タクシー運転手さんに
お金を支払い、お礼を言ってお別れ
さすがに高齢の母は疲れたようで(まぁ、私もけっこう疲れたのだが)
夕食はホテル内のレストランで済ませた

きびなごの刺身、さつま揚げ、黒豚の角煮、地鶏の炭火焼・・・が並ぶ定食
お値段はそれなりだったが、フロントで1割引チケット貰ったし、せっかくの旅行で
ケチっても仕方ないので薩摩の味を満喫した
部屋は連れ&ちびスケ、私と母親の2部屋
母親が「お前に飲ませようと買った」という発泡酒を持ち込んで飲んだ
本家で伯父と散々ビールを飲んだが、実家でも買い置きの発泡酒が待っていたのだ
飲みきれなかったので新幹線でも1本消費
九州新幹線は、あまり売り子さんが回って来ずツマミは無かったが
まぁ、車内の雰囲気を肴に気分良く飲んだ
いや、ホントは風邪気味で薬飲んでたからアルコールは控えたかったのだが飲んだ
私が飲まないと飲む者が居ないのだ
よって道中は風邪薬を控えた 酒が薬だ
そして鹿児島のホテルでは
1Fのコンビニでツマミを買って飲んだ
母親はTVの横でタバコをふかしている
「もっと動きやすい靴にすりゃ良かった。足が痛いよ」
「もうトシだ。こんな旅行は今回で最後だ」とボヤく
TVでは『しゃべくり7』が流れている
風呂に入ってベッドに入って私はグッタリ
そうして鹿児島旅行の初日は終わった
濃い一日だった・・・