有田芳生の『酔醒漫録』

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「でっちあげ」はこうして生まれた

2007-01-19 08:18:40 | 読書

 1月18日(木)JAL1035便で札幌に着いたときには気温が零下4℃だった。たまたま夕張に住む人から話を聞いた。みのもんたさん、鈴木宗男さん、松山千春さんが最近も訪れた。なかでも顰蹙を買ったのは某テレビ局朝番組の取材だという。取材された人たちが不快感を語っている。仕組まれた構図に住民を当てはめていく。それだけではない。「ほかのテレビ局には答えないでください」などとも言われたそうだ。ふーん、そんなこともあるだろうなと心中で思いながら、機内で読んでいた本のことが蘇ってきた。福田ますみさんの『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』(新潮社)だ。あれはもう4年も前のこと。福岡市の小学校教師がアメリカ人を曽祖父とする教え子に対して「血が穢れている」と言ったことをきっかけにいじめを行ったという事件だ。教師は停職6か月となり、担任も外される。はじめは朝日新聞西部本社版や西日本新聞が報じ、さらには「週刊文春」が記事にしたことで全国問題化した。テレビ各局も「教師によるはじめてのいじめ」認定を大々的に報じていく。その流れで行われた報道では、教師が子供に自殺を求めるというものまであった。「被害者」の起こした民事訴訟には何と500人を超える弁護士が名前を連ねた。わたしもそうした情報を根拠にして「本当なら」と条件を付けながらも教師を糾弾した。ところが事件はまさに「でっちあげ」だった。福田さんは、なぜ事件が作り上げられていったかを具体的に明らかにしていく。マスコミ関係者だけでなく、広く読まれるべき著作だ。

 異常な虚言癖と攻撃性のある両親は、問題行動のあったわが子を「守る」ため、学校に抗議をはじめる。表面化してはならないと判断した校長、教頭、そして教育委員会は、事実を正確に把握することなく、両親の言い分をそのまま鵜呑みにしていく。「それは違う」と思っていた教師も、謝ることで問題が沈静化すればいいと思い、不本意ながら情況を受け入れていく。するとさらに両親が虚偽を作り上げて事態はさらに大きくなっていった。「週刊文春」のタイトルは「『死に方教えたろうか』と教え子を恫喝した史上最悪の『最悪教師』」というセンセーショナルなものだった。テレビで最初に教師の言い分を報じたのは「ザ・ワイド」。さらに「スーパーモーニング」もあとを追う。ところが「週刊文春」はこの報道を糾弾した。「史上最悪の『殺人教師』を擁護した史上最悪のテレビ局」という記事だ。福田さんの本には、こうした記事を書いた記者の実名も明らかにされている。問題はなぜこうした「でっちあげ」が成立したかということである。それは「教育という聖域」では、親の言い分が容易に絶対的な「正義」となりうるからだ。それを助長する学校管理職のことなかれ主義も問題だ。両者の言い分を対等に聞くことがあれば、こうした報道被害も生まれなかっただろう。取材の基本の喪失。意図した構図に「事実」を当てはめていく「見込み取材」がこうした誤報を生んだ。ひどいことだ。