宇宙の彼方から

自然の不可思議な森羅万象に揉まれる自分や他人の有り様を見つめる。

戦争に至る、かも知れない危険な因子の除去

2006-01-08 10:07:53 | 憲法
年頭にあたってー
今年は多分、憲法改正の動きが加速するであろう。
あれこれ働きかけをするのであろう、なんとか、阻止したいのだ。
かと言って何かをするでなし、ブログに書き続けるくらいしかできないかもしれないが・・・
平和を目指す、と言うと、改正論者も「武力と武力の均衡(バランス)で平和を保つのも平和だろう」となって、「平和」にも「いろいろな方法があるぞ」的になってしまってぼやけてしまうのだ。「平和への願い」と言う幅広さと甘きフレーズが突っ込みどころを与えてしまい、平和的状況が、戦争ではない状況と同一で語られてしまうところにその弱点がある。戦争ではない状況が全て「平和」の分類にされてしまうのは本旨ではない。
そこで私は「安穏や安寧」を提唱したい。この状態を作り出す努力、あるいは方向付けを確立して、基本のものとするが良かろう。
武器の対峙、武力の均衡、悪態の言い合いの中には、この「心の安穏」はないのだ。
次に私は「戦争に至る、かも知れない危険な因子の除去」と言うこともテーマの一つとしたい。
勿論、憲法改正動議もその一つとして、思惑からしてもこの項目に該当しよう。
中、韓、北、との軋轢もそうであろう。
日本政治の差別化、孤立化も当て嵌まろう(資源を有さない国、加工貿易立国が、自らの愛国と言う殻に引き閉じこもり、差別、孤立、ニートまがいになって何とするのだ!)
必要以上の愛国心強要もあろう(全体主義社会構築意図)その気持ちはなくとも、自動化的にあるのだ。
戦前回帰志向もあろう(靖国参拝・いくら先祖の不幸に頭を垂れると言い訳しても、本人の性質、靖国神社の性質からして誰にも信用も通用もせんのだ)昔のそんな強権政治の世の中に戻したい勢力が、有り得ないようで、残念だが現にあるのです。
大人になるためには、視野狭窄、了見の狭さ、懐の狭さ、自国中心を克服すべき。
何事にもほどほどの制御する能力を高めるべし。
物事皆、バランスに磨きを掛けるべし。
物事皆、流動すべし、溜まりを作ってはならぬ。
物事皆、繋がりし成り立っている。