RSSリーダーって画面から見ると、実に右寄りのブログが多い、よくもまあこれほど右翼思想が定着したもんだ、とあきれ返ってもいるが、gooにいつまでも載せられている右よりブログがある。gooの姿勢なのか?それとも反響の大きさ故なのかは定かではない。
私のブログは載せられないことも度々であるし、すぐ消されていってしまう。何ともはやっ・・・・?
右寄りブログは、押しなべて「重箱の隅をつつく」ことに終始しているようだ。これで、被れてしまう人たちがいるのだから不思議だ。物事には一番適切な射程距離というものがある。つまり、一番美しく見える位置だ。オリンピックフィギィア女子の荒川静香さん、の流石に金メダルの舞は美しい。他の人のことよりも、自らの舞をみんなに見ていただくと言うサービス精神が作り上げたものであろう。それだけとは言わないが、少なくとも、欲に駆られてとか、他の人たちよりも上になりたいとかの気負いの感情はなかったに違いない。それがあの美しい舞に染み込んでいたと私は見るのだ。
しかし、自分自身の演技中の葛藤はいろいろあったに違いないし、細かく見る位置、立ち位置によっては失敗も醜さもあったかも知れない。しかし、その位置で私たちはなるべくなら見ない方が良い。その位置はコーチと本人だけでよいではないか。美しいものを見れる位置にいた方が良いと思わないか。
あげあし取って、隅っこ突いて、日本に実りあるか? 優越感にしたれるか? あまりに情けない、狭量で寒々しい人格ではないか? それはその人、その国のヒドイ顔相になるぞ。
日本は世界の中の日本なんだし、アジアの中の日本でもあるのだよ。
他の国が嫌がる攻撃を、視野狭窄の狭量になって見境いも無く、敢えてやってしまったから、憲法を作り上げた人たちは、二度と日本がそのようなことをしないように、戒めを込めて前文に記したのではないかい?どうしてこのような憲法前文が出来上がっているのか?その中の「心の機微」に触れる箇所は重要な意味を持って書かれていることを勉強し直そうじゃないか。
その本質は、時代が変わろうが、状態が変わろうが、そうそうには変わるもんじゃないことを付け加えておこう。
お金はいくらあってもあり過ぎると言うことはない、とか、土地もあればあるほど良い、とか、周囲のことも考慮せずにバブルに踊ったり、右寄りにかぶれて、日本を優性に見立てる意識を持ったり、量的緩和なんて、よく恥ずかし気もなくこんな徳政できたものだ。このように、日本の本質、特質は古来より全く変わりゃしないのだ。