憲法について今更に考えてみようと思うが、
どうも、日本国の運営者たちの考え方の幼さが際立っていたように感じられてならないのだ。
私が今感じている右傾の幼さに共通しているのではないかと思う。
「諭し、戒め、」と言う内容が前文に網羅されている。
こんな国家として当たり前のことが何も分かっていない、と言うジレンマを多くの進駐軍が思って、感じていたのではないだろうか?
兵隊たちの幼さ(右の物は左だと思っても右と言う)は当然と言えば当然なのだが、リーダーたちも右へ習えだから、行為だけが突出するだけで、思想に理論も発展性も何も無い。それを締め出していたとも言える。
全体愛国軍事社会を構築するについての弊害の最たるものであろう。
従ってGHQが全く日本人を否、日本人に限らず、人間と言うものを信じてはいない憲法を作成成立させたのは非常に良く分かる。
人間の心は不確かなものである。
このように一人ひとりは純朴なれども、その純朴が、一部の邪な心に制圧されてしまう、と言う現実を目の当たりにすれば、日本人を信ずる憲法など、到底作りようがないのであろう。
その日本人の根幹はいまだに変わってはいない。
ただ一部の逸脱を除いては日本人は「憲法に対して素直で従順」だったのが幸いと申すであろう(多分、民に与えられた各種新特権が心地良かったからであろう)
ただ「邪」な人種の台頭が、また、日本人の心を揺らしている。
常にその「邪」を諌めてきたのが、日本人の心変わりを予測した「移ろい易い心を信じない憲法」の為せる技であったのだ。
考える人の、心の歪みより、い出し改正は、どんなものであってもけっして良い方には向かわず・・・・・・・を日本国民に言っておこう。
何故なら、世界の歴史から学んだものと、日本の歴史、慣習から学んだものとの融合で作られたものであるからだ。改正成立に2重3重のチェックを設けたのも「信じない心」であるところに負う。
それだけ、許されざる行いであったのだ。
市街地空襲もそう、広島、長崎の原爆もそう、広島に落とされた時点でポツダム宣言の受諾はあっても良かった筈だ。それはそれは当時にしてみれば相当の衝撃を受けた筈のものである、しかし、タカが一発と、甘く見た結果が長崎であった。
今更、もう死んだ天皇をどうのこうの言うつもりはない、が、天皇が終戦を宣言しなかったら、国家総動員体制の法律の中で、何人の日本人が生きていられただろうか?
考えるにゾッ!とするばかりだ。
開戦の責任者のみならず、国民総動員の法律に賛成した代議員の人々もその責を負わねばならないだろう。
「その時点ではそれが正義であった」は私には通用しない。司る者たちは、人を安全に21世紀に送り届ける義務があるからだ。
どうも、日本国の運営者たちの考え方の幼さが際立っていたように感じられてならないのだ。
私が今感じている右傾の幼さに共通しているのではないかと思う。
「諭し、戒め、」と言う内容が前文に網羅されている。
こんな国家として当たり前のことが何も分かっていない、と言うジレンマを多くの進駐軍が思って、感じていたのではないだろうか?
兵隊たちの幼さ(右の物は左だと思っても右と言う)は当然と言えば当然なのだが、リーダーたちも右へ習えだから、行為だけが突出するだけで、思想に理論も発展性も何も無い。それを締め出していたとも言える。
全体愛国軍事社会を構築するについての弊害の最たるものであろう。
従ってGHQが全く日本人を否、日本人に限らず、人間と言うものを信じてはいない憲法を作成成立させたのは非常に良く分かる。
人間の心は不確かなものである。
このように一人ひとりは純朴なれども、その純朴が、一部の邪な心に制圧されてしまう、と言う現実を目の当たりにすれば、日本人を信ずる憲法など、到底作りようがないのであろう。
その日本人の根幹はいまだに変わってはいない。
ただ一部の逸脱を除いては日本人は「憲法に対して素直で従順」だったのが幸いと申すであろう(多分、民に与えられた各種新特権が心地良かったからであろう)
ただ「邪」な人種の台頭が、また、日本人の心を揺らしている。
常にその「邪」を諌めてきたのが、日本人の心変わりを予測した「移ろい易い心を信じない憲法」の為せる技であったのだ。
考える人の、心の歪みより、い出し改正は、どんなものであってもけっして良い方には向かわず・・・・・・・を日本国民に言っておこう。
何故なら、世界の歴史から学んだものと、日本の歴史、慣習から学んだものとの融合で作られたものであるからだ。改正成立に2重3重のチェックを設けたのも「信じない心」であるところに負う。
それだけ、許されざる行いであったのだ。
市街地空襲もそう、広島、長崎の原爆もそう、広島に落とされた時点でポツダム宣言の受諾はあっても良かった筈だ。それはそれは当時にしてみれば相当の衝撃を受けた筈のものである、しかし、タカが一発と、甘く見た結果が長崎であった。
今更、もう死んだ天皇をどうのこうの言うつもりはない、が、天皇が終戦を宣言しなかったら、国家総動員体制の法律の中で、何人の日本人が生きていられただろうか?
考えるにゾッ!とするばかりだ。
開戦の責任者のみならず、国民総動員の法律に賛成した代議員の人々もその責を負わねばならないだろう。
「その時点ではそれが正義であった」は私には通用しない。司る者たちは、人を安全に21世紀に送り届ける義務があるからだ。
これはGHQの憲法作成議事録にも載っており,作成に携わった現在でも存命の方も,そう証言しています。あなたが妄想しているように,人間を信じてないとかみみっちい考えではないのです。
仮に国民投票で維持派が多ければ現憲法維持、改憲派が多ければ憲法改正。それでいいんじゃないですか?それを否定することは、民主主義を否定しているのと同じですよ。
そもそも「民意の質がうんぬん」なんてことで国民投票自体を否定する人もいますが、現代の民主主義国家においては「各々の論の質が異なるとしても一人ひとりの政治的権利が平等である」というのは前提なのですから。
「民意の質うんぬん」言ってる人は明らかに自分の論を上位に置いて、他人の論を見下している態度だと思います。大体、「政治的意見の質」なんて言っても、万人が納得できるような完全にニュートラルな指標なんてありえないんですから。だから、数値という一種確実な指標を持つ多数決制が現代民主主義において多用されているのではないですか。
ですが、折角コメントをいただけるのなら、お名前をついでにお願いします。
その事は重々理解しております。
だから、最初の数字にしてもかなり厳しいものがありますし、今の数字にしてもかなり厳しいから、邪な心の方々が、日本独自の憲法を、と改正したくともできなかったのではないですか?
今までは、戦争体験者たちが相当数おり、「もうコリゴリ!」と、語っていたのですが、その人々の声が次第にかき消されるようになってきて、若い右翼もどきの方々の台頭で、一気に可能性が増してきたのです。
若い人々は経験も薄いために、戦争の現実感が薄いのです。まるで夢の中(ゲームの中かも知れません)の出来事のようにしか物事を捉える事ができません。
だから小泉さんを持ち上げたり、その革新もどきの演説に新しい息吹きがあるように錯誤してしまうのです。ヒットラーさんの誕生もやはり若い層に浸透していったのです。
冷静に考えれば、彼らの偽善性ははっきりと見える筈なのですが、残念ながら右翼の特徴である「視野狭窄」という世界に足を踏み入れてしまうのです。
そもそも投票法案を規定していない事が第一のチェックポイント!
そこに何らかの意図を感じませんか?
次は、国会議員の3分の2、世界の国会なるものは大抵主流、反主流で半々に分かれる場合が多々ある。
その事を踏まえた上での、3分の2の発議、どうです?
ただ国民の過半数の定義がされていなかったのは、少し甘いのかな?とは思います。
他の条約締結等の重要議題に於いても、これほど厳しい関所を設けるものはありませんね。
主権在民が、司る者たちに注文をつけて、逸脱されるのを防ぐ意味があるからです。つまり、弱い者、声の出せない者、出せなかった者たちの、憲法は味方であるのです。
この現実を妄想と単に退けてはあなたの良識が揺らぎます。
パソコンに入れている途中であなたのコメントを受けました。
勿論、あなたのおっしゃることは、御尤もなことです。多数決であればこその民主主義であるわけなのです・・・・が、戦前の皆さんがあのような戦争にのめり込んで行ってしまったことを思えば、(戦前でも多数決の民意はあった訳ですから・・・)その民意と言うものが、実に不確かな国心となってしまう事もあるのです。
だから私が、常に反省、検証しなさい!と言うのは、そのように「思わざる事態に直面してしまう(例えば戦争が善の如く)」「民意の恐ろしさ」を肌身に知る事が必要ではないかと思うのです。
これは、反省を怠った報いとなって人々の頭の上に注がれるのです。
その反省なき国家は、「愚か」と定義しても、されても、仕方のないものではないですか?
賢明なる人は、大抵、毎日毎日、反省をしながらそれを糧として、次にその結果得られた事柄を肝に銘じ行動しようと心掛けます。それが毎日の自分を生かす勉強と言うものではありませんか・・・・?
で、今回また思った事書かせて頂きますが、
どうもエントリの文中にやたらと『日本人~』と出てきて、その後は大抵否定的な表現を書いてますね。で、質問ですが、
そんなに日本人が嫌いですか?
励ましの意味を込めてるのかもしれませんが、私にはとてもそうは見えませんでしたので……
お久し・・・・?
最近のような気がしますが・・・・
あなたの愛国心・・・・?
はっきりとした事は聞いていませんが・・・
持つ自由はありますよね、と言ってたような気がしますね。
好きとか、嫌いとかでもなくて、励ましでもありません、私の非難、批判は、道理を逸脱しないように、大人としての分別ある道を進んでくださいと言ってるだけですが・・・・
「誉め殺し」ではためにならないからです。
愛国者の集合は、横柄、傲慢を育て、結果、国の破壊者になるからです。
他国の排斥まで進まない愛国心は、独りよがり、ナルシズム、自惚れ、ですから・・・・
非難、批判は反面「肥やし」です。
それに反発するか、糧にするか、は受け取る側の受容器システム(脳)次第。
嫌いなら、何も言いますまい・・・・・・・・ネ。
愛国心は「しみじみと湧き出」・・・・ですよ!
くれぐれも基本法と言う法律の前文には載せないでね・・・・(無知の恥)
一つ、判った事があります。
araさんは実は『愛国心』とゆう『言葉』にかなり執着がありますね?
↑↑こんな事を書いたら電波飛ばしてるって思われますかね(汗)エントリとはあまり意味の無い書き込みで申し訳ありません。
励ましですか・・・・?
私が「愛国心」に執着がある、と言うよりも、多くの皆様方(テレビでいろいろ激しく解説しているよろず専門家の方々も含めて)
まるで基本が何にも分かっていらっしゃらないから、そんな方々の評論を聞いた普通の方々が、歪んだ理解をして、それが巷に漂っていたのでは、理性も何もないから、代表例として取り上げているのです。
先日私にトラバしてきた人がいて、私もそちらに伺った折、新憲法制定を期待している方だったので、私は私なりの意見を述べさせていただきましたが(因みに私の意見は取り敢えずの護憲です)
2度ほどのやり取りの後、その方は勉強をし直す、と、言っておりました。私から見ると彼はニュートラルのお方なのだなあ、とつくづく感じた次第です。
私のところにコメントくださる方は、ほとんどが右傾の人ばかりなので、ご自分の信じている考え方を否定される事に対してのアレルギーがあるせいか、なかなか門戸を開いてはくれません。
それだけ右傾ギアが入り過ぎているのでしょう?
あなたも「フツー人」と言っておりますが、なかなかどうして右方向に傾いているのではないですか?
でも、最近のあなたはかなり、ニュートラルに近接してきているように私には見えますが、どうでしょうか?
親をしっかり選んでうまれましたか・・・・?
全然そんな自覚がありませんが・・・・・?
araさんが『愛国心』に執着がある、と思ったのは(執着とゆう言葉自体が正しくなかったですね)貴方が今のいわゆる右と思われる人の主張する『愛国心』を『=軍国主義化・右傾化』とゆう考えに繋がるモノである、とゆう『確固たる信念』の様なモノがあるのだなぁと感じたからです。もし違っていたなら訂正致します。
私がニュートラルですか(笑)そうですねぇ……右とか左とか、そんなんでなく、私としては常に『ニッポンジンでありたい』と願っているだけですよ?ただ、どのような意見もまずは良く考える様にはなりましたかね(笑)
生まれる時の事云々に関しては『意識それ自体が常に刹那の状態である』とゆう私の考えが元です。時間もないのでまた後で書き込みますね。