右翼の方々の、中、韓攻撃、あるいは朝日、東京の非難をみていると、同じ日本人として情けなくなってしまう。
現実問題、バブル後遺症が長く続き、どうにもならなかった我が日本が救われたのはアメリカの直接的お陰もあるが、お隣の国、中国への企業進出によるところも大きい。我々は好むと好まざるとに関わらずお互いに大きく影響し合っているのであるから、それの対応もそれなりに考えんとならないんだ。
中国上層部の深い思いが、ブログ担当の右翼の彼ら、彼女らには理解できないものらしい。
あのデモも、中国国民の日本人と総理の反省無きに、癒えていない心の傷の深みからの恨みつらみの声であり、小泉さん、及び傾いでいる心の方々に、言葉では理解してもらえそうもないので、行動で理解をさせようとするメッセージだったのである。だからコキントウさんも「謝罪を行動で」と言っていたのだがね・・・?
しかし、いまだに小泉さん以下、それが「理解できない」と言う。それでは、バカらしくて文句を言う気持ちさえ起こってはこないではないか、過去の想像力の希薄な大人が、子供の論理を引き連れて総理をしているようなものだ。日本の先人たちの行為を知らないのはいけない、知ろうとしないのもいけない、忘れてもいけない、見て見ぬ振りもいけない、まして正当化するのはもっといけない。
「何とかは死ななければ直らない」のか、それとも「苦しい、辛い目に遭えば直るのか?」痛みが分かってくるには、もう少し年数を重ねないと駄目なのか?どうなのだ?これは根本的な問題なのだ。
私からは、こんな重大な事を理解できない幼稚な小泉さんを支持することはできないのだが、日本国民が支持しているのだから、その部分での被害者の「辛かった痛みの理解」は国民もはっきりと認識もしていないことになる。被害者、被害国を思馳せる余裕もないのであろう。結果、精神年齢の低きに至る。
痛みを認識した上でも、小泉さん支持ならば、相当に悪質な国民性と言うことに相成る。そんな国民性だから、他国に対して残酷な仕打ちもできたのであろう。
反面、この残酷性は弱弱しい心から、精一杯ツッパル心から発生しているものであることは言を待たない。
朝日新聞や東京新聞をしっかり読んで、アラを一生懸命探し、まるで職業のようだ。いつも文句を言うためだけに読んでいる心の貧しい、みすぼらしいことよ、
そこに建設はなく、破壊があるだけで、本人の心の歪みが文面からヒシヒシと感じられ、必ずしも武器の拡大だけが道具とはいえない、了見の狭さとか、それらの心の歪みが、自衛、防衛と言う名の殺し合いの道具ともなるのである。
現実問題、バブル後遺症が長く続き、どうにもならなかった我が日本が救われたのはアメリカの直接的お陰もあるが、お隣の国、中国への企業進出によるところも大きい。我々は好むと好まざるとに関わらずお互いに大きく影響し合っているのであるから、それの対応もそれなりに考えんとならないんだ。
中国上層部の深い思いが、ブログ担当の右翼の彼ら、彼女らには理解できないものらしい。
あのデモも、中国国民の日本人と総理の反省無きに、癒えていない心の傷の深みからの恨みつらみの声であり、小泉さん、及び傾いでいる心の方々に、言葉では理解してもらえそうもないので、行動で理解をさせようとするメッセージだったのである。だからコキントウさんも「謝罪を行動で」と言っていたのだがね・・・?
しかし、いまだに小泉さん以下、それが「理解できない」と言う。それでは、バカらしくて文句を言う気持ちさえ起こってはこないではないか、過去の想像力の希薄な大人が、子供の論理を引き連れて総理をしているようなものだ。日本の先人たちの行為を知らないのはいけない、知ろうとしないのもいけない、忘れてもいけない、見て見ぬ振りもいけない、まして正当化するのはもっといけない。
「何とかは死ななければ直らない」のか、それとも「苦しい、辛い目に遭えば直るのか?」痛みが分かってくるには、もう少し年数を重ねないと駄目なのか?どうなのだ?これは根本的な問題なのだ。
私からは、こんな重大な事を理解できない幼稚な小泉さんを支持することはできないのだが、日本国民が支持しているのだから、その部分での被害者の「辛かった痛みの理解」は国民もはっきりと認識もしていないことになる。被害者、被害国を思馳せる余裕もないのであろう。結果、精神年齢の低きに至る。
痛みを認識した上でも、小泉さん支持ならば、相当に悪質な国民性と言うことに相成る。そんな国民性だから、他国に対して残酷な仕打ちもできたのであろう。
反面、この残酷性は弱弱しい心から、精一杯ツッパル心から発生しているものであることは言を待たない。
朝日新聞や東京新聞をしっかり読んで、アラを一生懸命探し、まるで職業のようだ。いつも文句を言うためだけに読んでいる心の貧しい、みすぼらしいことよ、
そこに建設はなく、破壊があるだけで、本人の心の歪みが文面からヒシヒシと感じられ、必ずしも武器の拡大だけが道具とはいえない、了見の狭さとか、それらの心の歪みが、自衛、防衛と言う名の殺し合いの道具ともなるのである。