宇宙の彼方から

自然の不可思議な森羅万象に揉まれる自分や他人の有り様を見つめる。

自民党的なるもの、の、打破!

2007-07-14 10:15:02 | 政治
さて、いよいよ参議院選挙ですが、私も昨今の日本人の考え方の方向性というものに、あまり進歩性も感じず、半ば諦めの境地に達していたのですが・・・・

少し見直した感があります。というより、流石に主権者国民の意識が、民主主義の根幹である「話し合う」ということを蹴飛ばした安倍政権への危機感というものを本能で感じとれるようになってきたのではないでしょうか?
不支持そのものには、いろいろな理由があるのでしょうが、今、このとき、自民党の不支持が無ければ、小沢さんじゃないけれど、日本人の国民性の救いの無さに絶望するしかない、と思います。
まあ、小沢さんの背水の陣も、自身の身体の事もあるのでしょうが、これだけ酷い最悪の政府でも勝てないと言う事実を見せ付けられる事になると、絶望によるため息とも取ることができます。

所謂、今度の選挙は自民党が営々と培ってきた「自民党的なるもの」の静かなる崩壊と、「新しい(日本的なるもの)」の粛々と変性しなければ立ち行かない構築とのものであって、
今の今まで、いろいろな場面、場所、事柄に於いて、あらゆる「歪み、ひずみ、矛盾」が具現化してきたことの「ツケ」をそろそろ払わなければならない非常事態に至っているのだと思います。
つまり、ヤジロベイでやってこなかった、ほぼ自民党多数政権でやってきた、主権者がやらせてきた、それが「自民党的なるもの」ですが、天下りの見本も自民党のやり方でもありますし、なあなあ談合もそうですね、みんなその病気の元種を官僚にバラ撒いて、そしてやがて一億総国民がその病気にかかってしまっていたのです。
右翼的思想の台頭も、ひとつには「それでいいのか?・・・」という今の時代を懐疑的に見る人々の発想を起源にしているのでしょう?
しかしながらその方向性は、けっして世界に認められる(尊敬される)ような、美しい方向ではないのです。自己を愛する、自国を愛するのは生きるに、誇りを持つに大切なことではありましょう。
しかしその手段には、「知恵のある賢さ」が必要です。
日本人の優秀性を誇れるもののひとつに、技術の素晴らしさ、があげられます。
この技術は、優れたとんでもない事からの発想と、それを具現していく理論立てが必要で、理論と実践とが合わさって初めて新しい物が誕生して人々に幸せをもたらすのです。
その過程の随所で最大の生きる「知恵と賢さ」が発揮されるのです。

「自民党的なるもの」
それが全部、実情に合わなくなったわけではありません、今まではそれが日本人の性格に妙に合致してうまく行っていたのでしょう?・・・が、それぞれに問題点をじわじわ引き出していたことも事実です。
だから、小沢さんは早くに気づき、いやっ、もっと前に脱出していた党もありましたね。
みんな出たり入ったりしていた訳です。そして、小泉さんもどうしてもこの「自民党的なるもの」という、目には見えないフレーズから脱却すべき「小泉改革」を絶対必要なるものとして旗印にしたのですが、結局は自身の在籍している自民党を抜け出る事も、壊すこともできなかった事が事実です。つまり、大ミエを切ったのですが、保身に動き、結局、ペレストロイカのような解体にはならなかったのです。

さて、じゃあ誰が・・・って出てきた人が、同じ極右の人を選択して、日本をますます対外的にも国内的にも窮地に追い込むような結果をもたらしています。
小泉さんと安倍さんの右傾化が、今までの日本が「戦争」という事柄から遠ざかり、ゆっくりと築いてきた安全国家の信用の歴史を、根底から突き崩してしまったのです。人々に「我が国」意識を無用に芽生えさせ、他国への敵愾心を必要以上に醸成させてしまっているのです。
その結果、日本が危険で傲慢な道を選択するのではないかと言う、「疑い」の色眼鏡で、常に世界に見られるようになってきてしまいました。
世界の有識者からはジワジワと変性して行く日本をしっかりと観察されていたのでしょうが、事ここに至って世界の一般の海外政治に興味ある人々にまで「日本の変質」を危惧されるようになってしまっているのです。

だからこそ、ここで再び世界の潮流(EUの統合実験を見ても分かるように少なくとも先進の国々は、同じ仲間意識を持って軍隊さえも統一歩調をとろうとしています、それがそれぞれのつまらない諍いや争いから戦争に至るのを防止できるのではないか?と言う考えで前向きに進めています。それぞれに違った国心があるのでしょうが、それぞれが「戦争」を避けたい思いは共通のものであるのでしょう。そのような先進国の潮流は世界に蔓延していくものです。そのような潮流を見詰めた上で、日本が中国、北朝鮮、韓国、ロシアなどの近隣諸国に対しての応接はお世辞にも素晴らしいものとは言えないのです)
に乗るように、乗れるように変質する必要性が日本にはあるのです。
財政上も、地政学上からも、世界の潮流からも背を向ける訳には行かないのです。
いつまでも自分だけを愛している「愛国と言うニート的感覚」を唱えていては、世界の潮流から乗り遅れてしまいます。世界に、日本に対する(結局ワルは根っからの性悪)と言う不信感と、警戒する感情を垂れ流していては、自身のために、自国のためにならないのです。