宇宙の彼方から

自然の不可思議な森羅万象に揉まれる自分や他人の有り様を見つめる。

しっかりと主権在民への意識

2007-07-06 23:04:25 | 政治
少し、選挙を読んでみてみようかな?
必死になって、右や左の皆様方、と、弁明に勤しむ安倍さんを見て、本来の本人の姿である爪を研ぐ極右思想の姿勢が、幾分薄められている結果、
それを見ている人の好い、選挙後の「変心」が読めない日本の国民の方々は、愚かな選択をしないとも限らぬ。
日本国民は、全体を通してみれば私は「愚か」ではないかと思っている。
と言うのは、今の今までの辿ってきた歴史を紐解いていくほどに、ここへ来て「歪み、ヒズミ、矛盾」の極みに到達しているのではないかと、思えるからだ。


国民が政治に関心を持てないのも、今のところ選挙しか参画するチャンスがないからだ。
条約の締結、批准などや、裁判官、総理大臣、国務大臣などの指名権、戦争の発議、などもっと参画の種類を増やすべきだ。総理大臣の権限を割譲すれば事足りることなのだ。
たった一人の判断で自衛隊を海外派兵させる事ができるなんて、危険この上ない!ではないか?
それを、「危機管理が全然出来ていない」と言う事と同じなのだ。
相手から攻められる危機管理だけではなく、自らが(日本国民は言うに及ばず、政党も、内閣も、総理も、議会も)  「逸脱」するかも知れない事を防御、予測する事も含めて「危機管理」なのだ!と言う事を、誰も指摘さえ出来ない国なのである。

憲法は、だから・・・・・人の心の「不確定さ」があるから信用していないのだ!
一人ではない、議会、或いは内閣の承認があるとは言うが、その政党政治の議会も総理に選出された内閣も「右へ習え」の結果、唯我独尊で事は進められてしまうのがオチなのだ!

そして、もっといけないことは、政治をする者たちの緊張感は選挙だけなのである、という事である。
いつもいつも主権在民=国民の目が光っていると思わせなければ、誰だって監視の目もダラけてしまうものだ。その例が官僚たちの好き勝手な行為の数々なのであろう。
官僚たち、例えば、年金問題が噴出した社保庁の滅茶苦茶は、主権を持つ国民の代理人であるところの政府自民党が、キチッと監視の目を凝らしていないから、彼らは好き勝手に事を為してきた結果なのだ。
そして尚且つ、その政治をする者たち(総理や内閣や多数議会人も含めて)を甘やかして、ダラけさせていたのは、それでも選挙で勝たせ続けてきた主権者であるべき筈の日本国民の選択に他ならない訳だ。
だから私は、いい加減な社保庁をほっておいた「愚か」な日本国民と申すしかないのである。
誰が!・・・グリーンピア問題が発覚した時、誰が!その責任者を糾弾したか?
異常な退職金に、誰が戒めを施そうとしたか?
そして、愚かなる国民は、今になって反発しているのである。
社保庁に滅茶苦茶をやらせたのは、見て見ぬ振りをしていた主権者国民自身なのだ!
国民自身の自分の身にトガ(不利益)が押し寄せてこなければ、その重大性に気づかないのは、お金至上主義に溺れたバブルと瓜二つではないか。
勢いに任せて戦争に身を捧げた結果、原爆に見舞われてしまった、哀れな強欲国民の末路と同じではないか?
もう一歩先を読める総体的な賢民になって欲しいのだ!
一部、目先しか読めない者たちがいてもこれはしょうがない、しかし、日本国民の全体像はもう少し、身に降り掛かる前に気づくような賢民になって欲しいと思う。


主権在民の浸透がないから「選挙」だけで満足しているのである。そしてそれだから、「賢民」になれないのだ!

政党政治のマイナス面に気づかなければならない。
参議院の存在価値の是非、も囁かれているが、参議院に政党色を取り入れてしまうからなのだ。つまり、後ろ盾があっては、その政党の考えに迎合するしかなく、国会議員としての意味もなくなるのである、無駄に在籍しているだけなのだ。

衆議院も、ろくろく満足に議論もしないで強行採決しているようじゃ、必要もないんじゃないか! 国会などいらないな!・・・・勝手に自民党と官僚だけで政治をしていたらいいんじゃないか・・・・・

民主主義とか、美しい国とか、二度と言っちゃなんねえぞ!!・・・・と、思うが・・・口から腐ってくるのではないか・・・・・?

 

最高裁長官が、任命権者総理大臣の顔色を伺うようでは、何の三権分立であろうか?何にも独立機関としての機能が成り立っていないではないか?
そしてそのお伺いシステムは、多くの官僚たちにも随所に現れているのである。
それだけ必要以上に一人の男に権能を委ね過ぎている、これは民主主義の逸脱であろう?賢民ならば早くに気づいてもよかろうに思う。

イギリスのブラウン首相は、戦争発議権などを議会に託すとしているが、今後、かなりの民主な先進の国々は、その方向に向かって行くであろう。
私は最終的には賢明になった国民ならば、主権在民が戦争発議権を持つべきだと思っている。

最重要な事柄の決定には、その際の主権者(国民全体)の意思を反映させるべきが、民主主義の目指すべき最良の方向性ではないだろうか・・・・

それ以外の軽微な事柄に於いてのみ、総理及び内閣、官僚たちに委任させるのが、民主主義の民主主義たる所以でしょう・・・・

「憲法」の改正に伴う国民投票制度は、その僅かの見本例として存在している。

集団的自衛権とか、海外派兵とか、これらの行為が「戦争」というものに結びつき、増大発展する可能性が今よりもあるものである以上、一人の人間と、それに迎合する一部の人間たちだけの良心、良識だけを信じて任せてはならない!・・・・(それは高度に発展、成長した民主主義とは言えず)し、厳しい「戒め」を設ける必要もあるであろう。

実際に戦争に至ってしまう前に、そのような思想(主権者を危険に至らしめる可能性のある)に対しての予めの歯止めを掛けることをしなければ、状況、情勢によっては、「戦争」という「愚かな」選択を、一部の「不心得者、また、不確かで移ろい易い(心)」愚者たる人間たちによって為されてしまう事になってしまうのだ!