宇宙の彼方から

自然の不可思議な森羅万象に揉まれる自分や他人の有り様を見つめる。

ミサイル打ち上げ準備

2006-06-20 00:18:42 | 政治
北朝鮮のミサイル打ち上げ準備のニュースを取り上げないわけにも いかんでしょう。
麻生さんやエーと、安倍さんなどが、無闇に怒りを抑えきれずに怒りまくっているが・・・・
大丈夫だ、北朝鮮は日本など眼中にはないのだから・・・・どうせ敵視しているのだから、今更ご機嫌伺いするつもりもないであろう。どんなことになろうとも日本の意向で北朝鮮の思惑が変わることは絶対にないのだ!お金以外。北朝鮮をそこまで不信感をもたせてしまったのは、傲慢な者たちと釣られて付和雷同の日本人そのものたちなのだ。それから解説の諸氏に言っておきたいが、瀬戸際外交は、全くの米国任せ、依頼しっぱなしの日本国であって、進むべき道、方針のはっきりしている北朝鮮は瀬戸際でやっているのではないのだよ。みなさん日本人感覚で北朝鮮を考察しているのではないか?だからいつまで経っても相手の、他国の心が読めないのだ。
相手の心が読めないのは、イコール当然に自分自身も知りえていないのだ。

問題はアメリカだ、今一生懸命、情報を得んがために狂奔しているであろう。
ミサイルの正体が問題だ?
打ち上げるとしたら人工衛星かも知れぬ?また、核の積み込みかも知れぬ?
長距離のミサイルは着地点が大いに問題になる。
外貨獲得のためには、ミサイルの買い手へのアッピールも必要だろう。何せ、値段が破格だ!それで正確ならばヒット商品間違いなし。
打ち上げたとしても、打ち上げが問題になるよりも、正確に着地できるかが、米国のこれからの北朝鮮政策への鍵となるであろう。兎に角、どこまで飛ぶか、ではなくて、正確に着地できるかが、最大のポイントである。それは、ピンポイント攻撃が可能と言う結論になるからだ。
その正確さは戦争遂行のための威嚇の基本となるからである。
残念ながら、極右の麻生さんや安倍さんでは、怒り狂うしか脳がないであろう。まあ、彼らの役割は極右の国民たちを納得させる必要もあるのであろうが?ねっ!
その点では、アメリカがあらゆる部門に於いてしっかりしてくれているので、ながーい経験による、危険に至る単純ミスを防げるので助かる!彼ら二人はどれほど自分たちが危ないことを言っているのか、分かっているのだろうか?
マスコミはどこまで飛ぶか?と言う、アサってな問題提起しかしていないが、正確さが実は大問題なのだ。誤差の設定がプラスマイナスいくつか?で、全ての物事は決まるのである。つまり、正確に東京のド真ん中に核を落とせれば、それで決着はつくのである。
そのくらい怖いことなのだ、無闇に挑戦的にはできまい、言葉も選ぶしかあるまい、その言葉を選ぶことの出来ない人には、国の運営を任すわけにもいかないだろう。
打ち上げが為されなければ、米国も日本も、前へ歩を進めることなのであろう。
つまり、譲歩をすることなのだ。
北朝鮮の技術力がどの程度のものかの判定できる試金石と見ても取れる。
闇雲に怖がっても仕方ないし、さりとて、無視するわけにもいくまい、言えることは、極東アジアで嫌われている麻生さんや安倍さんの意見は、北朝鮮からも馬耳東風で聞き流されていることではないかな?
北朝鮮も失敗は許されない状況下である。果たして勇気を持って打ち上げることができるであろうか?何とも言えぬ?
米国の交渉が成功するのかどうなのか?6カ国協議に引っ張り出せる?もこれも何とも言えぬ?譲歩案次第による。
日本は交渉相手国にもしてもらえないから、隣の問題でありながら、ただ外野からワイワイ言っておるしかないだろう、哀れなもんです小泉内閣の正体は?
いつでもござれの軍事政権国家の北朝鮮の「不幸」を見て見ぬ振りをしてきただけに留まらず、拉致大騒ぎして世界にその悪質さの宣伝をしてまわったツケが、現況を表わしてもいるのだ。
北朝鮮が修正効かぬ国家ならば、それも致し方なかろうに思う。しかしながらその国家は現存し続けているのだし、相当数の国家に認められてもいるのだ。
いちばんに考えなければならないことは、キムジョイルと言う名の大将(日本で言えば天皇と総理大臣を足したような存在)の人が「拉致」を認めたことの重大性を日本国民は言うに及ばず、あらゆる階層、あらゆる各界のひとびとが「軽視した」事実に賢民は心しなければならぬものだろう。
それが、日本の為政者のように「謝罪と反省」が心の内部から発生したものでなく、形式上のことと同義ならば非難もやむを得ないであろう。それを単に「犯罪を行った者」と認定して、怒り狂ったのであるならば、それは蔑視につながり、軽視につながるのである。
全体軍事社会を統治する絶対権限者の「謝罪と反省」が、日本統治者の有限責任と同義であろうか?日本国民は考えたことが果たしてあるか?
その「謝罪と反省」の言葉の持つ北朝鮮国内部への影響、世界への反響に対する勇気がどれほどのものか、考えたことがあるか?
昭和天皇の「謝罪と反省」にどれほどの年月を要したと思っているのだ。それも「不幸」と言う言葉で濁しているだけではないか?
それこれを踏まえた上で、為政者は国家間の外交を考えんとならんのだ。
ジャーナリズムも、司る者たちも、解説の学者氏も軽々しく論を展開しては、下手な方向へ誘導していくばかりである。あまりに拡大して取り上げてしまうと、それは、「恨み、つらみ記憶の確認作業」をしていくばかりであって、安穏に生きるに不必要な物事の「忘却の知恵」も前向きに私たちはこれからは身につけていかなければならないのだ。それこそが、賢民の賢民たるゆえんなのである。