宇宙の彼方から

自然の不可思議な森羅万象に揉まれる自分や他人の有り様を見つめる。

格差社会の回答

2006-06-24 17:43:30 | 政治
格差社会の成り立ちはどのようにして生じてしまうのであろうか?
答えは非常に簡単。
ギャンブル性を強めれば、恩恵を受ける人A様は僅かで、大多数がおこぼれBを頂戴することになり、それ以上にCの人はA様の人に貢献することになるのである。
貿易での黒字幅が大きい内は、それらもひっくるめた数字なのでまだ、貢献する必要も少ないが、次第に黒字幅が縮小されるにつれて、CがA様に貢献しなければならない金額が増してくる。
パチンコや競馬のギャンブルと全く同じであって、得てして主催者側(司る側)は収入が減ってくれば、ギャンブル性を高めて、一攫千金の夢を追わせるように仕組むものである。
それは、生活破壊者及び生活破綻者も同時に生む。
格差社会が現実に広まってきた、と言うことを理解できているのであるならば、つまりはギャンブル性を帯びてきた社会でもあると認識した方が良いであろう。
ではどこからギャンブル性が強くなってきたのであろうか?
一番の元凶は、中曽根政権時代の政策にあろうと思われる。
その一つに戦後、それまでずぅーと維持されてきた「累進税率」を変えたのである。
これは、そのギャンブル性を抑えてきた所得の平準性を変えた特徴的なものである。
この時点ではみんなが中流家庭であった。
政策というものは、その都度、その状況によって変化するべきものである。
建築が悪ければ、住宅、企業の設備、土地売買の促進策等、いろいろな手立てをするのであろうが、この累進税率改正が、金持ちをより金持ちにし、中流の片方を貧乏に、貧乏をより貧乏にする政策であったのは事実だ。それも彼は確信犯としてやったのである。
そして、これはレーガン政権が不景気打破のために、中流以上の人々への優遇措置によりて、住宅建設を容易にして、景気回復を目論み成功したことと一致する。米国のこれは、あくまでも急場しのぎの一時的な措置政策であって、戦後一貫して所得の平準化を標榜してきた日本が累進税率を金持ち優遇に切り替えたのは、ある意図を含んでいたと、捉えられても否定は出来ないであろう。
だから、それをいいことに、そのまま続かせ、一時しのぎの政策ではないところに政府の邪な無策が感じられるのである。
この政策は時に、高収入者を潤し、住宅建築、高級車、貴金属、別荘建築、役所の豪華庁舎建築、などに向かわせ、それこそバブルの全盛を生み出す元となったのであるが、反面、A様に、貢献しなければ立ち行かない立場のCの人間たちから、自殺者増大、税金滞納者増大、というオマケも連れてくるのである。それが、資本主義社会の宿命だ、あたりまえだ、と訳も分からずのたまう人もいるが、それでは国家としての存在意義はないであろう、単に「日本」と言う地域で良いのだ。
格差と言うものは、それだけでもいろいろな要素を引き連れてくる。
「身分違い」と言うレッテルもその内の一つだ。
私たちは、士農工商の時代から、そんな社会を戦後目指してきたのか?どうなのだ?
長々と60年経過して、日本人が今、辿り着いた峠の道は、結局それか?
お金のある人が社会に還元する、ない人がそれを享受する。そんなシステム作りが必要ではないのか?