宇宙の彼方から

自然の不可思議な森羅万象に揉まれる自分や他人の有り様を見つめる。

名誉ある地位って、何だ

2006-06-03 23:13:19 | 政治
日本という国がどのように進んできたのでしょう。
憲法が、戦争の放棄を謳って、武器を持たない、武力で問題を解決しない、と宣言し、且つそれなのに、それであるのに国際社会で名誉ある地位を占めたいと思う、と希望を述べた。
武器を持たずに、しかし、国際社会の中で「名誉ある地位」を求めたのである。
残念だが、共産主義の台頭、拡大によって、アメリカの依願に、「あなたの国の指導によって作られた憲法ではあるが、私たちはこれをしっかりと守り通すことによって、国内及び近隣諸国民の犠牲に報いることが出来る」と、断ることもせず、多分、商人政治であるからだろう?
世話になっているからとの思いもあったろう。折角、希求した恒久平和宣言の武器の放棄もなし崩しになってしまう。こういうところに日本の日本人たるものがあるのである。
ここは本来、何を言われようとわが身の保身に向かわず、首になっても、怒りを買っても、頑固一徹を押し通すべきものであった。その一徹さの思い入れは、かなり難しかったにせよ、やがてはきっと米国の高官たちにも届く筈であったろう。しかし、共産化への色替えは、保守層にとって、ただ、ただ恐怖であったに違いない?
しかしながら、それが名実ともに揺るぎない信念と申すものである。残念ながら日本の政局を運営していたのは、戦争前の財閥政治と同じ商人政治が主流であったことが、今日の矛盾を作り上げてしまったのではないか?
つまり、この時点で、「憲法精神」から逸脱し、憲法の下に、忠実ではなくなったのだ。そこから保守層の憲法軽視も始まっている。
金字塔の如く、厳然と聳え立っているものではなくなったのである。
今、この憲法精神に則って日本社会が構築されていたとするならば、世界の賞賛に値したであろうが、実際、現実の今は・・・・?
私たちの先人たちは、いろいろな政治手法を経験してきた。
天皇中心の一宗教国家でも結局はうまくゆかぬ、武士の単独裁軍政国家でも争い事は起こってしまう。
試行錯誤の結果、みんなを一つの決め事の下に集合させる方法に辿り着いた。どんな人でも、天皇さえも、憲法遵守を建前として生活していかねばならない、と決めた。それなのに米国の要請に早速も踏みにじってしまった。憲法が軽くなってしまった瞬間だ。
「普通の国になりたい!」とする、どこかで聞いたようなフレーズだ。「普通の人に戻りたい!」ってあれか?
良く、「日本の自衛隊が弱くても、米国が守っていてくれたから他の国から攻められず、平和が維持できたのだ」と考える人もいる、が、それでも一応38度線で落ち着いた。中国も台湾にまでは、共産主義を押し付けることをしなかった。
まあ、米国との取り決めもあっただろうし?日本の追い出しに、米国への感謝もあったからであろう?
以後、共産化南進の嵐はアジアではベトナムに向かう。
日本は米国にとって、共産主義の防衛線であり、イスラムの防衛線であり、極東アジアの睨みの要衝でもあるから、米国と密度濃く接しておれば必然的に、日本の永世中立なんて許す筈もない、したくともとても出来る位置関係ではないだろう?
日本国憲法制定時の米国には、向かうところ敵なしの状態であったろう、あらゆる国々が大戦によって疲弊し平和を希求していた筈だ。だからしてこのような憲法でも、その時点では有り得たのだ。それを承認したのは紛れも無く日本高官であり、日本社会であった。しかしそれも共産化の大きなウネリの前ではもろくも崩れることとなる。
今、中立を目指すためには、社会主義、共産主義、民主主義のお互いの歩み寄りしかないではないか?
おたがいが、長所を取捨選択して、真似して取り入れることが国家の発展に寄与することになるでしょう。だから私は予測します。
共産主義を体験して、挫折し、それから経験則を得、それらを下地として抱えながら、資本主義化、民主化の真似をして取り入れようとする国のこれからの発展性は、想像を遥かに越えることでしょう?
それに引き換え、資本主義、民主主義がこの先も最大で最高のものとして認識し、共産社会の長所には目もくれない、アグラを掻いた人々の凋落は、何れ始まることに疑問の余地はない。それがバランス感覚の際たるものである。
しかし心配もある、日本の急激な成長率は、ブレーキ制御機能の抑制にあることは論ずるまでもない、それが幼稚さを促進していることも分かる人には分かる。だから、これからの成長国が同じ道程を辿って欲しくはない。肉体と精神の歪み、アンバランスの心が発生してくるからだ。
急いで、一定の安定ラインまで底上げしておきたい気持ちはわかるが、欧州のようにブレーキを踏みつつ確認を怠らず「ゆっくり」で良いのだ。長いスパンで見るべきだ。
そうでないと、ブレーキ機能に錆びが付き、致命的だ。
さて、日本に話を戻せば、3万人の自殺者の件は何度も私は書いた。
あのアメリカvsイラク戦争で確かイラク人民の犠牲者は3万有余人と聞いている。
なのにこの自殺者数、警察も厚労省も合っている3万人。
大変な出来事なのだ!
しかも今の現在も進行している厄介な病気なのだ?
「過去拉致」など問題にもならないくらい日本社会にとっては重篤な問題なのだ。
憲法の理念など、どこぞやへフッ飛んでいってしまった。「美しい日本建設、名誉ある地位を得たい・・・」それどころの話ではないだろう!
「愛しましょう、我が日本!」・・・・まるで空虚の極みではないか。
司る者たちは何を血迷ったのか?何しに大学へ行ったのか? 教えて欲しい・・・!!