京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

環境問題 I 地球温暖化問題の総合的考察

2019年11月27日 | 環境問題
 
 
 本日の京都新聞朝刊の第一面に次のような記事がのせられていた。 
国連環境計画(UNEP)は、世界の温室効果ガス排出が今のペースで続けば、今世紀末には気温が産業革命前に比べて最大3.9度上昇すると発表した(2019/11/26:京都新聞朝刊1面)。さらに国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)も2050年には干ばつなどが深刻化し穀物価格が23%も上がり、今世紀末には海面が1.1メートル上昇するという。
またこの話題かという話ではあるが、未来の世代のためには繰り返し警鐘をならす必要があるということであろう。一方で、地球はすでにミランコビッチサイクルの氷期に入りかけており、今後は地球の平均気温が急速に低下するとする真逆な説もある。
 
 地球の平均気温については19世紀から始まった科学的な気温の観測をもとに統計が取られている。これは1906年から2005年の100年間で0.74℃(誤差は±0.18°C)上昇しており、長期的に上昇傾向にある。これは大部分の地球環境学の研究者が認めている事実である。ただこの原因については、多くが産業革命以降の人間の工業活動にともなう廃棄炭酸ガスを主因とするのに、そうではなく主因は別の原因(たとえば太陽活動の消長)であるとする学者もいる。
 
 CO2の大気中濃度が気温に著しい影響を与えることは地球史的な事実である。
大昔の地球、石炭紀(約3億6000万年から2億9900万年前)には炭酸ガス(CO2)の大気濃度は現在のそれよりも数倍高かったとされている。そのため地球の平均気温は数度も高く、シダ植物が繁茂しトンボの一種メガネウラ (Meganeura)などの巨大昆虫が飛翔していた。CO2濃度も温度も高かったので、地球のいたるところ熱帯のように緑色植物が生い茂っていた。
 このような植物は光合成によってCO2を大気中から取り除くので、そのうちCO2は減少しはじめた。その結果、温室効果が弱くなって気温が下がり、繁茂していたシダ植物は衰退死滅したとされている。一種のフィードバッグ作用である。植物の枯死残骸は化石燃料となって地中に蓄積した。当時はリグニンを分解する腐朽菌などがいなかたのではないかといわれている。
 そのうち中生代三畳になって恐竜があらわれ地球を支配したが、白亜紀末期の隕石衝突によって数多くの動植物とともに絶滅した。そのおかげもあって哺乳動物が繁殖しはじめ、なぜかその内から人類が登場し地上に満ちあふれるようになった。この種はいまや地球上に70億以上も棲息し、化石燃料を掘り起こしとじこめたはずのC02を地球大気にばらまいて温暖化を促進している。この種が持つ願望はひたすら生産の向上だけで、周りの生物や地球環境の迷惑なんかおかまいなしである。
 
 以上の話をまとめると、以下のようなシーケンスになる。石炭紀における高い炭酸ガス(CO2)濃度→シダ植物の繁茂→森林拡大→温暖化ガスCO2の低下→温度の下降→環境変動→シダ植物の衰退死滅→化石燃料の蓄積→隕石による恐竜の絶滅→人類の登場→化石燃料の利用→CO2の増加→環境変動(地球温暖化)→文明の衰退→?
これは一例ではあるが、地球環境は棲息する生物とフィードバック的にカップルしながら変動していることがわかる。
 
 このような地球環境問題の背景によって、温暖化ガスを出さないクリーンなエネルギーが要求されてきた。人類のエネルギー獲得は風力、水力、火力、原子力、太陽光発電と発展・変化してきたが、温暖化ガスを直接に排出するのは、火力発電だけである。風力発電は場所が限定され、水力発電ダムも森林などの自然破壊をもたらす(中国の三狭ダムはその辺りの気候さえもかえたといわれている)。原子力も廃棄使用済み核燃料はC02以上に危険でやっかいである。それに東京電力福島第一発電所の事故が示したように、何かおこるととんでもないことになる。ともかく原子力は廃熱の問題を含めても全然クリーンではない。それでは太陽光発電が一番理想的かというと、いまのところ設備の製造、維持と廃棄にかかる費用やエネルギーを考えるとそれほど効率のよいものではない。
 
 燃料が枯渇しないでクリーンな無限エネルギーとして提唱されたのは核融合である(廃熱の問題はあいかわらずある)。核融合反応は未来エネルギーとして研究されていたが、数千万度の高温が必要で巨大な設備を必要として、いまだ継続的な出力には成功していない。ところが1989年3月のユタ大学のポンズ博士とフライシュラー博士の二人が、高校の化学実験室にあるような電気分解装置で核融合反応がおこり、中性子と熱エネルギーが生じたと発表した。電極には特殊な形のパラジュウムを使い、純水のかわりに重水を用いたとしているとしている。これがいわゆる常温核融合である。
このニュースはたちまち世界に広まり、いたるところの研究室で追試が行われた。ある研究所では同様な現象がみられたとされ、別の研究室では何もおこらなかったといわれる。結局、現在では彼らの実験結果は否定されている(ミクロの核融合反応がおこっている可能性がまだ主張されているがとても実用化できる話ではない)。
 
 この常温核融合は今では科学者の笑い話にすぎないが、もしこれがほんとうに実現していたら、経済、産業、政治の構造はすべて枠組みが変動していたと思える。これにより20世紀前半の石油利用と同様に劇的は社会の変動がおこっていたろう。いまはエネルギー制約のもとに人はまだ自制している。いや自制せざるを得ない状況がある。もし無限で価格のかからない水を燃料にする常温核融合がうまくいったら、強欲の種ヒトが何をしでかすのかは明白である。別の有限な資源はたちまち枯渇して、文明の衰退が早まることは必然。これはは極端な例であるが、たとえば太陽光発電で革命的に効率の良い発電パネルが発明されても同じことがおこる。
 
 庵主の愚見としては、環境問題の解決というのはどれがよいかという方法論ではなく、いかにしてよく生きるのかといった哲学の問題でなければならない。ようするにクリーンなエネルギーなら何をしてもいいというのではなく、エネルギーを使う生産の意味そのものを問い返す必要がある。人間が地球そのものと、どのように共生して生きてゆくのかが問われているのである。なにゆえの成長戦略なのか?文明は本当に人を幸せにするのか?????
 
参考文献
 F.D. ピート 『常温核融合』ー科学論争を起こす男たち 青木薫訳、吉岡書店、1990(F.D.Peat, cold fusion -The marking of a scientific controversy).
 
 
 

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