日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

会話は弾まないけれど。

2015-09-01 15:15:44 | 発達応援
 体が痛くなるところは、何らかの癖のある使い方をしている?
そう考えて、自分の体の使い方を観察したりします。

 そんなことをわざわざ考えるのは、早朝の積込みの仕事が結構な労働だからです。

 例えば、新しく7月におろした靴は前方の外側が左右とも減り出しています。
だからでしょうか、お尻や太ももの外側の疲れを感じることがしばしばです。
もう少し、脚も内側に体重をかけてみようかな、と思います。

 その他、指の痛さに手の使い方を考えて改善したり、
腰が痛くならないように、腰をおとした感じで荷物を持ったり、
自分の体で工夫します。

 日々、けっこう面白い人体実験です。

 中学校で関わっていた子どもたちが、高校生になったり社会人になったりしています。
卒業以来、会っていないのですが、時々、近況を知らせてくれたり、
土地のものを送ってくれたり、嬉しい交流があります。

 新米が採れたから、と送ってくれた子は遠く海を隔てた地に住んでいます。
思い出して新米を送ってくれたことだけでも嬉しいのですが、
一緒に中に入っていた懐かしいその子の字で書かれた短い手紙は、
毎日の仕事の大変さと充実感を垣間みることができて、いっそう嬉しいものでした。

 お礼に電話をしても、「はい、そうです。」しか返ってきません。
それは、中学生のときから変わらない、その子の精一杯のコミュニケーションです。

 おしゃべりは苦手でも、周りの人が必要とすること、喜んでくれることを見つけて、
黙って、そっと行動していたその子は、今も変わらず、人を喜ばすことが得意なんだなぁ~と、
新米を食べながら思うことです。

 また、3年間一緒に宅習に取組んだ子から、
私自身も今年は暑中見舞いを出しそびれているのですが、
「暑中見舞いが遅れてすみません」という感じの手紙をもらいました。

 とても礼儀作法に厳しい家に育っているその子は、
家の方に「先生に暑中見舞いを出したか?出したか?」と言われているのでしょう。
手紙の書き方か何かを見ながら、一生懸命書いたのだろうなぁという便りをくれました。

 その子もおしゃべりも、自分の気持ちを相手に伝えることも、うまくできる子ではありません。
普段から、心の中に喜怒哀楽があっても、それを外に出すことが苦手な子でした。

 その子と学んだ地を離れるときに、保護者の方に連れられて見送りにきてくれて、
「お世話になりました。」と普段と変わらず、無表情に平坦な調子で言いつつも、涙をぽろぽろとこぼすのを見て、
心の中にあるものを上手に出すことができないけれど、
溢れんばかりの思いがあるんだよねぇ、としみじみとしたことがありました。

 私が一緒に勉強したり、関わった子どもたちは、
誰かと楽しい気持ちや悲しい気持ちを共有し合ったり、
昨日の出来事を話して、会話が弾んだりすることが苦手なタイプが多かった気がします。

 でも、会話が弾まずとも、喜怒哀楽が表に出ずに無表情であっても、
人と繋がろうとしていたり、心の中に気持ちがあるということを知ってもらいたいですね。

 だからといって、お友達や手助けの押し売りはいりませんね。
そこは誤解のなきように…、ですね。








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