日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

学習の向き。

2017-09-17 15:49:25 | 発達応援
 台風で雨戸を閉めていると、麻でも昼でも夕方のようで、
時間の感覚がなくなりますね。

 そして、昼でも夕方のようだと、思いながらふと時計を見ると、
本当の夕方に近い時間になっていてびっくり!

 間の抜けた一日になりました。

 何かを学習するとき、それに対して学習する側の子どもと果たして、同じ方向を向いているのか、
そんなことを今更ながら、きちんと意識しなくてはいけないな、と教室に来る子どもさんとの
学習で感じることがあります。

 お互いが「今、こういうことやってるんだな」という視点を共通でもっていないと、
学習というのは難しいことなのだなぁ、ということをしみじみと思うことがありました。

 具体的には書きませんが、ごくごく「簡単なこと」と私が思ったことが、
一緒に学習している子どもさんには、簡単ではなかった。

 簡単ではなかった理由は、
やっていることを見ていても、同じことを自分が再現するためには、
「何を見て、どこを覚えなくてはいけないか」について焦点を合わせられなかった、ということかな、
私は思いました。

 この学習のとき、「どこが肝か」を自分でつかむというのは、
凸凹っ子たちにとっては、難しいことなのかもしれませんね。

 特に、得意、不得意のある、お子さんたちでは、
得意なことでは、パッ!とひらめくように問題の本質がつかめるのに、
不得意な部分では、学習のスタートラインにも着けないほどにグダグダな感じかもしれません。

 そこまでやるの?というくらいやっている学習に対する、視点を明らかにする作業が必要かもしれません。

 言葉の繰り返しは、混乱を招く子もいます。
なにをどう、分解し、説明し、本人の知識や知恵に結びつけるか…。

 教えるほうの頭次第。
自分の頭の広がりの足りなさを痛感する日々です。

 

 

 

 
コメント
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