日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

平等。

2014-10-23 18:21:53 | annonへの道のり
 今日は、霜降。
霜こそ降りていませんでしたが、鹿児島でも朝は空気が冷たかったですね。

 「平等」というと、
だれでも、なんでも、みんな一緒、というイメージですが、
どうでしょう?

 この「平等」という言葉、なかなか厄介だな、と思ったのは学校で仕事ををしているときでした。
さらに、もっと厄介さを自覚したのは、支援員として仕事をしているときでした。

 子どもたちは「平等」に扱われることを望んでいます。
宿題の量は、クラスの子みんな一緒、平等に。
宿題忘れたら、忘れた人は例外なく怒られる、平等に。
忘れ物をしても、申告して怒られる、もしくは、借りたと申告する、平等に。

 少し、違う扱いをすれば、
「ずるーい!贔屓だぁ~」と騒いだり、
「じゃあ、私も明日はしーない!」とすねてみたり。

 「毎日、英語、漢字、宅習を出す。」ということが、難しい子どもがいました。
英語の教科が大好きなのですが、大好きな英語だからこそ、きれいに書きたい。
さらに、大事なところや単語の使い方もしっかりまとめて書きたい。
教科書の復習と予習になる、英宅にしたい…、となんだか自分で高いハードルを作っています。

 勉強も嫌いではないのですが、「教科書のどこを書くか。」ということを選ぶのに、
10分、20分…と時間が経ち、少し、字が曲がると消して…、
ととにかく、本人のこだわりがあります。

 その、こだわりをこちらも、どうにかしようとするのですが、
こちらが「ここにしたら?」とか「時間も見てやらないとだよ!」と言うと、
固まってしまって、うつむいて何も手につかなくなりました。

 そんなことを毎日繰り返しているので、
「毎日、英宅を出す」という決まりは守れませんでした。

 担当の先生と話をすると、
「他の子どもも、部活やりながらやっています。」と中々認めてもらえません。

 そんななか、「できたところまででいいから、出して!」といってくださる先生も!

 すると、子どもたちが「ずるーい!、じゃあ、私もできたとこまでしか出さない!」という子も。

 そこで、クラスで担任の先生が話をしてくださいました。

 みんなができる宿題の量を先生たちは出してます。
でも、人によっては、さぼっている訳ではないのだけど、
書くスピードが遅かったり、勉強が苦手だったりして、
同じ量だけど、とても大変な人もいます。
 走るのが好きな人は、持久走でも
「去年よりいいタイムをだすぞ!」っていう人もいるけど、
とにかく、走るだけで精一杯って人もいるよね。
でも、がんばって走ってる人に、「タイム悪いね、お前」って言わないよね。
 宿題は自分のためにするもの。
それぞれのがんばり方を認めてくれんかなぁ~。

 そんな話を、淡々と話してくださいました。

 「ひとはひと!ごちゃごちゃいうな!」でも済んだかもしれない話を、
丁寧に、じっくり話してくださってありがたいなぁ~と思いました。

 それでも、中々、宿題はゆっくりゆっくりでした。

 早くさせることも必要なことは、時と場合によって必要ですね。
そうでないと、困ることも知らせなくてはいけないでしょう。

 それでも、「平等」の名のもとに、
すべての人に画一的な物事を押し付けることは、一考したいなぁと思います。







コメント
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