日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

いーち、にぃー、さーん…。

2014-10-09 23:35:11 | 日記
 台風が近づいていますね。
目がはっきりとした大きな台風。
週末に色々と計画しているので、やきもきしています。

 ところで、私は子どもの頃に、お風呂でよく「20まで数えたらあがっていいよ。」とか、
「交代で50まで数えたらあがろうか。」などと言われ、
「いーち、にぃー、さーん…」と数えていましたが、皆さんどうでしたか?

 小さい頃に、拾ったどんぐりの数を数えてみたり、
夏休みにおやつをもらって、いとこと数が一緒か数えてみたり、
「数える」ということは、よくやっていた記憶があります。

 遠山 啓さんの「算数はこわくない」によると、数には二つの種類があるそうです。

 一つは、「ものの集まりの大きさ~量」を表す数で、「集合数」というもの。
りんご100個、牛20頭、家族4人…などなど。

 もう一つは、「ものの順序」を表す数で、「順序数」というもの。
私が、お風呂で「いーち、にぃー、さーん…」と数を数えていたの等は、この順序数にあたると思います。

 遠山さんは、この順序数の暗記では、数概念を自然に身につけることは無理だと言われています。
数を数えることでは「ものの集まりの大きさ」ということは理解できないですよ、とおっしゃっています。

 これは、小学校の低学年の子どもや算数が極端に苦手な中学生を見ていると、
「ああ、そうか、こういうことかなぁ~」と思うことです。

 例えば、子どもに、「次に間違ったら、100回書いてもらうよ~。」といっても、
平気で「うん。いいよ~、あー、間違えた。はいはい、100回書けばいいんでしょ。」と言います。
実際は、10回書くか、書かないかで、「もう、いい?」と聞くので、
「まだだよ。あと、90回だよ。90回って、ノートのここまでだよ。」というと、
「えー、そんなに、ムリだよ~。」と困った顔をしたりします。

 100まで数えられるけど、100という数字が表す量が頭の中で一致していないのだなぁ~と
観察したりします。

 数が量として頭に入っている子は、同じようなことを言っても、
「10回ならいいよ。」とか「じゃあ、先生も間違ったら100回ね!」などと言ってきます。
そして、同級生が「僕、牛乳10本飲んだことある!」などと言っても、
「はい、はい。」としら~っとした返事をしたりして、
悟りきったような顔をします。

そうなると、「牛乳10本飲んだ!」と言った子にちょっとは付合ってやれ!と、思ったりするのですが。

 同じような例が本の中でも、紹介されています。

 要約すると、
ある南の島で島の長が事件を起こします。裁判にかけられて水牛20頭の罰金を取られることになりました。
ところが、この長は平気な顔をしています。そこで、20個のヤシの実を持ってきて、
その一つ一つが水牛の一頭一頭だと説明したら、はじめて罰金の重さに気がついた~
というものです。

 数字を言えることと、量としての数をつかむことは別だ、ということを
頭の片隅に置いておくことは、必要なことですね。

 特に、足し算や引き算で指を使っている場合、
数は量としてではなく、番号札のように思っていると遠山さんは言います。

 番号のように思っていても、答えが合っていればいい!とも思いたいところですが、
じっくりと数を量として頭に入れていくために、工夫もしたいと思っています。

 フォイヤーシュタインの最後に、おやつの時間を設けていて、
そのときに、お菓子を人数分、数えながら分けるということをしています。
といっても、次回でやっと、二回目の取組みです。

 3~5種類の駄菓子を、種類ごとに人数分数えてお皿に入れます。
「違う種類のお菓子」で分類まで、先々はやりたいなぁ~と思っていますが、
まずは、三人分にお菓子を分けて、お皿に何個のお菓子があるかな、と。

 数数えに終わらず、量の把握になるようにしたいものです。

 とりあえず、最後の休憩時間に続けてみまーす!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする