篠山市下立町 浄土真宗本願寺派 嶺松山 尊寶寺
永正3年(1506)2月に波々伯部村の土豪加竹法印が天台宗の尊宝院として創建し、子の印清雪隆が開山となった。
城主波多野氏の崇敬が厚く、八上城の鬼門除けの祈願所となっていた。後に印清は、本願寺九世実如光兼上人の教えをうけ、名を印西と改め、浄土真宗に改宗したと言う。
天文年間(1532~55)のころ、寺格は高くて、丹波六郡内ではこの寺だけが、度々本願寺の斎(法会の食事)に招待されている。
その後、慶長四年(1599)、八上村藤ノ木に移り、さらに篠山城の築城に際し、鬼門除け並びに重要拠点として、現在地へ移築された。
文化四年(1807)の大火で焼けたが山門は残り、その梁上の左甚五郎作(町・文)と言う木彫の唐獅子が炎を吹き消したとの話が伝えられている。
山門
明和3年(1766)築造
ここにもありました、左甚五郎伝説・町の言い伝え伝説を覆し申し訳ないですが、これは、左甚五郎ではないですね。
獅子の画像角度悪いですが・・・木鼻象彫は、中井一門 時代的には、君音ですかね?龍は、丈五郎に思いますが・・・
年代的には、幼少か青年期なので違うか?でも作風は象彫以外は、君音ではないように思いますが、中井一門と推定します。
本堂
以前に当ブログ篠山ぶらりで紹介
↓
http://blog.goo.ne.jp/aniki0528/e/4f32bedc39a168d8bc6e304f717d1bf2
築造 文政5年(1822)完成
彫刻 銘より 服部清三良 民部重永
以前は、大坂浪花・服部一門か定かでなかったですが、次週紹介の寺の彫よりこの方は、大坂浪花服部一門と推定
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