
本日はだんじり祭りレポートお休みして、以前に発見報告した社になっただんじり!!
上地車新報に掲載されましたので当ブログにおいてもレポートを
別館HP神社参り地区内地域ですが、長い間見逃してました。=反省
きっかけは、ブログアップのお寺彫物調査過程で発見
実はこの寺院のおかげで三田住・彫物師にのめりこむはめにもなってます。
又、三田地車他数台の彫師も判明かと・この件はいづれ又。
さて、だんじり戎、資料内容よりの詳細は上地車新報第30号にて
当ブログ内容は地元長老よりの聞き取り
社になった経緯は、元々戎さんが地区内別の場所にあったそうですが昭和18年火災により社が消失
本堂のみとなり近くの神社に合祀されました。
戦後の昭和25年ごろ地元有志により地区内に戻されるのですが、その際当時の長老が、長らく休止状態で地区内蔵に保管されていた地車のことを思い出され利用されることを提案、戎の社となったそうです。
おそらくは、昭和以前明治、大正期には休止されていたと推測されます。
現在89歳地元長老に聞き取りした内容ですが、その方も当時地車の存在すら知らなかったそうです。
当時の長老がそのお方より30~40才上の年配であったそうです。
その戎社
屋根廻りと柱しか残ってませんが、近隣地車形態から推測すると大型の幕式地車と推定されます。

正面
懸魚・猿を掴む鷲

車板・青龍

獅子噛・残念ながら社を保護する屋根柱により見えません。獅子と思われます。

木鼻・獅子、獏


側面

大屋根枡合・飛龍(頭部欠損)

小屋根枡合・飛龍(頭部欠損)

木鼻・獅子、牡丹獅子


後方

鬼板(飾目)・からす天狗、懸魚・雲海

車板・波に雲海

木鼻・獅子

内部の感じ・お堂

上地車新報に掲載されましたので当ブログにおいてもレポートを
別館HP神社参り地区内地域ですが、長い間見逃してました。=反省
きっかけは、ブログアップのお寺彫物調査過程で発見
実はこの寺院のおかげで三田住・彫物師にのめりこむはめにもなってます。
又、三田地車他数台の彫師も判明かと・この件はいづれ又。
さて、だんじり戎、資料内容よりの詳細は上地車新報第30号にて
当ブログ内容は地元長老よりの聞き取り
社になった経緯は、元々戎さんが地区内別の場所にあったそうですが昭和18年火災により社が消失
本堂のみとなり近くの神社に合祀されました。
戦後の昭和25年ごろ地元有志により地区内に戻されるのですが、その際当時の長老が、長らく休止状態で地区内蔵に保管されていた地車のことを思い出され利用されることを提案、戎の社となったそうです。
おそらくは、昭和以前明治、大正期には休止されていたと推測されます。
現在89歳地元長老に聞き取りした内容ですが、その方も当時地車の存在すら知らなかったそうです。
当時の長老がそのお方より30~40才上の年配であったそうです。
その戎社
屋根廻りと柱しか残ってませんが、近隣地車形態から推測すると大型の幕式地車と推定されます。

正面
懸魚・猿を掴む鷲

車板・青龍

獅子噛・残念ながら社を保護する屋根柱により見えません。獅子と思われます。

木鼻・獅子、獏


側面

大屋根枡合・飛龍(頭部欠損)

小屋根枡合・飛龍(頭部欠損)

木鼻・獅子、牡丹獅子


後方

鬼板(飾目)・からす天狗、懸魚・雲海

車板・波に雲海

木鼻・獅子

内部の感じ・お堂

良い正面の彫刻がもったいない状態に・・・(悲)しかし、だんじり自体を遺棄されてしまうより救われているのかも・・・
彫刻師は?目星はついてるのでしょうか?
よかったらまた教えてくださいね。
彫師ですよね・・・・・
正直わかりません。
が、相野のようで相野でない?
第一印象でピン!とこなかったので違うと思います。
が、画像で見ると似てなくもないのです、これが・・・(笑)
牡丹木鼻や後屋根意外な鬼板、雲海等相野の構成によく似ているのですがなんか違います。
牡丹木鼻の彫は少し違いますし、車板の龍は間違いなく頭の角度も違いので違うと思うのですが・・・・
浪花彫刻には間違いないと思います。
で、どこかで見たなぁ・・・と思っていて気づきました。
以前にブログで紹介してます。大阪府内愛宕大明神と同じ彫師と思います。
↓
http://blog.goo.ne.jp/aniki0528/e/29065388529f32c72da2dbccacadda5c