
清酒発祥の地・鴻池
鴻池流という江戸時代初期まであった酒造りの流派があり、摂津国鴻池郷=伊丹鴻池に栄えた。
慶長5年(1600年)鴻池善右衛門が、室町時代からあった段仕込みを改良し、麹米・蒸米・水を3回に分ける三段仕込みとして効率的に清酒を大量生産する製法を開発し、これはやがて日本国内において、清酒が本格的に一般大衆にも流通するきっかけとなる。このことを以て日本の清酒の発祥とみなす立場があり、伝説を示す石碑「鴻池稲荷祠碑」が残る。
碑文大意
鴻池家は酒造によって財をなし、慶長5年(1600年)から200年も続いている。その初代は幸元で山中鹿之介の子孫であると言われている。鴻池家は、はじめて清酒諸白を製造し、江戸まで出荷した。近隣の池田・伊丹・灘・西宮などでは鴻池家にあやかって酒造業を起こした者が数百軒もあった。
鴻池家の屋敷のうしろには大きな池があり、これを鴻池といった。これは村の名の由来となり、またその名前を大坂の店の屋号として用いた。
鴻池家が酒造業を始めた年、屋敷の裏に稲荷の祠をまつって家内安全を願った。幸元の子どもらのうち大坂で分家した者は3家、そこからさらに9家が分かれた。大坂の鴻池家の富は莫大になっている。
宝暦13年(1763年)秋の大風で稲荷の祠がこわれた。20年後、当主たちが集り、「先祖の遺徳を忘れてはいけない。祠を再建する費用はわずかであるが、一人だけが出せば、他の人は祖先の恩徳を忘れてしまう。皆で出し合おう」ということになった。天明4年に祠が復旧されたとき、それらの事情をすべて石に刻んで残そうということになった。幸元から数えて7代目の当主元長の子、元漸は中井履軒の弟子であったので、元漸の依頼によってこの銘文をつくった。(伊丹市HP・ウィキペディア参考)

伊丹市鴻池 鴻池神社秋祭礼 鴻池地車
町内曳行 昼宮入の様子


























ただ、ここに書き込むのは多分初めてかな?
この度は、我が村の事を取り上げてくれて有難う御座います。ただ、嬉しくて・・・
これからも新しい情報を楽しみにしています。
ちゃんと、仕事もしてよ!?
昨年は格好悪いところをお見せしてしまい、恥ずかしい限りです。
今年も試験曳きから鴻の旅鳥とお待ちしておりますので、是非お越しくださいね(笑)
前方野郎さん
お久しぶりです。
半年振りのお祭りレポートです。忘れたころもいいものでしょう。(笑)
けっしてサボって遅くなったわけでなくあくまで私のペースで地車まいりアップしております。ほぼ祭礼あった順番です。
川面東では、秋まつりに向け準備も始まってます。
修理案件があるのであっと言う間に秋がきそうです。
鴻の旅鳥さん本業も一応ぼちぼちしてます。(笑)
前方野郎さん昨年のことはすべて忘れてしまいました。何があったんですか?(笑)
今年もまたお邪魔します。