ぶらり紀行

宝塚市近郊の神社仏閣・祭り山車を中心に訪れた様子をレポート

川面東先代幕2

2009年02月01日 22時13分17秒 | 川面東
まずは、地車購入時の時代背景

宝塚市教育委員会発行(S61年)小浜の町家調査報告書文章によると小浜は江戸後期において文政10年(1827)宿駅としては衰え「困窮駅」とされていた。又、文政10年の小浜絵図と明治10年(1877)地籍図を比べると明治10年時には宅地が減り、畑がふえている。その間人口も減少しているとの調査報告をしている。明治初頭には、小浜で栄えていた酒蔵が法律改正により相次いで廃業している。

川面東地車そんな時代の明治14年小濱東ノ町より購入

川面東には先代地車あり。文献にて中山寺に売却と記述あり。幕に関する記述なし。
当然幕地車であるなら見送幕があった。
文献からは幕も一緒に売却したとは読み取る事はできない。

他の川面地車・西、南とも翌年地車を新調している。記録あり。その記述に幕の新調は無い。先代地車幕をそのまま利用した可能性高い。
南地車売却に関する文献あり。そこにも幕の記述なく、一緒に売却したかは読み取ることできない。

この当時より川面地車3台は、同時期に地車を新しくしていることから地区の連帯感もしくはライバル心は相当あったように思う。これは、今日受け継がれてきた伝統からも安易に想像がつく。
おそらくは、先代幕も3地区同じ年代に新調していると考えてもおかしくはない。

そのライバル心から考えるに川面東地車先代が中山寺地車(現地車がそうであるかは不明であるが中山寺に売却記述あり)であり、当時の幕も一緒に売却したとするなら中山寺地車先代幕(先々代かもしれませんが)が元川面東地車幕となるが、図柄は龍虎となる。これは、中山寺保存会関係者に聞き取りにて先代幕同図柄確認。

ここで疑問、まさしく同時期に新調してきた川面3地区。川面東幕図柄が龍虎となると川面西と同じである。川面南も龍虎ならば合点もいくが・・いややはりライバル関係からいくと同じ図柄は考えにくいと思うがいかがなものか。

同時期か不明であるが小濱北ノ町地車が鴻池に売却されたとして。その幕は継承されていない。鴻池が明治8年新調した幕箱があることで証明されている。当然小濱北ノ町の幕は他にあったはずである。

当時の時代背景から考えれば、川面東も先代地車に使用していた幕をそのまま使用しても決して不思議でない。

中山寺・現見送幕



鴻池先代見送幕・明治8年新調か



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2 コメント

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おもろいね (ひっそり)
2009-02-04 11:47:30
色々推理出来ておもろいね、ほぼ推理どうりの気もしてくるから不思議、しかし中山の元見送幕と鴻池の先代見送幕は図柄がそっくりに見える、同じ製作所(又は同じ流派)なんかな?ネットで竜虎を調べると色んな図柄があるし逆にこの図柄が珍しい?気もする、地車の幕の竜虎はこの図柄が多いんかな?
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幕図柄 (あにき)
2009-02-04 17:19:40
鴻池先代幕は大丸製もちろん下請けに出したと思いますが・・・多分中山寺とは違う手かと。
必ず下絵があると思いますので下絵師もしくは参考にした絵が同じようなかんじかもしれません。
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