ぶらり紀行

宝塚市近郊の神社仏閣・祭り山車を中心に訪れた様子をレポート

能勢妙見山2

2012年11月18日 21時42分25秒 | 社寺まいり

天正10年(1582)本能寺の変。能勢頼次は明智光秀と以前から親しくしており、また信長によって兄が謀殺された経緯もあって、明智光秀に味方して兵500人を出すが、明智は秀吉に敗れ、秀吉軍はさらに能勢にも攻め込み、神社仏閣に至るまでことごとく焼き払った。頼次はいさぎよく戦いの花と散ろうと決心しますが、老臣たちに諭されて、数名の家来を連れて備前の国岡山の城下へ落ち延びていく。
頼次は名前を三宅助十郎と変えて逃げ、能勢氏の先祖の寄進によって建てられた妙勝寺という日蓮宗のお寺に落ち着く。
その後徳川家康の時代となり、ある時、家康が京都の実相寺(現在の南区上鳥羽)という日蓮宗寺院で休憩した時のこと、実相寺の住職が能勢頼次の弟であったことで、頼次は家康に召し抱えられることになり、やがて慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで能勢頼次は徳川軍として大きい戦功を立てて、家康からかつての能勢氏の領地を与えられた。能勢氏再興が実現したことで頼次は、日蓮法華に帰依し領地寄進、能勢妙見の始まりである。(妙見山HP参考)

彫刻
祖師堂(棲神殿)
明治29年改修 改修時の彫刻と推定
この獅子は他の寺院でも見ますね・・・・・











前回紹介浄水堂と祖師堂間の建物(お堂?)
この蛙股が秀作!♪
中川ぽいです。年代等すべて不詳









この獅子・中川利兵衛ではないかと



開運殿(本殿)
慶長10年(1605)草創・天明7年(1787)再建・明治28年11月に大改修
彫刻は、天明7年再建時か?明治大改修ではないと思いますが・・・・
内部欄間に龍の彫刻あり。内部撮影不可にて画像なし。















経堂
寛政8年(1797)8月創建
彫刻がその当時かどうか不明、明治以降の彫刻に思いますが?





御香堂 不詳









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