
京都市東山区東瓦町 真言宗 智山派 総本山 智積院(ちしゃくいん)
全国に3000あまりの末寺あり。
もと紀州根来山の学頭寺智積院であったが、豊臣秀吉の焼き討ちに遭い、学頭玄宥僧正は、難を京都に避け、後に徳川家康の帰依を受けて慶長6年(1601)に豊国神社境内の坊舎と土地を与えられ、智積院を再興した。その後、祥雲禅寺を拝領し現在に至っている。
祥雲禅寺は、秀吉が長男鶴松(棄丸)の菩提を弔うため建立した寺で当時は東山第一といわれた。(境内案内板より)

大師堂
江戸浅草の宝持院真融法印の寄付金三百両を基金に、役寺の愛宕円福寺の胎通法印と真福寺の純雅法印が尽力して費用を用意。落慶したのは胎通が智積院第二十四世に就任中の寛政元年(1789)
参道手前より立ち入り不可





明王殿
昭和22年(1947)の火災により本堂が焼失した際に、本堂再建のため、京都四条寺町にある浄土宗の名刹、大雲院の本堂の譲渡を受け、現在の講堂のある場所に移築した建物。築造不詳









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