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アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

演奏から「愛」が伝わるのはなぜ?

2016年07月15日 | ピアノ
「十年間の進歩の中身」で書いたように、大きな違いは「曲(ピアノ)への愛」だったようなのだけれども、そもそも「愛」があるかどうかって、演奏からどうやって伝わるわけ??

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それと、10年前の私だって、時間のない中、わざわざレッスンに通って、熱心に練習して、ややこしい曲(ラフマニノフのエレジー)の音をせっせと並べて、発表会にも出ようってんだから、とにかく何がしかピアノとピアノを弾くことに愛情を持っていたことに間違いはないし、曲だって先生から押し付けられたものではなく、自分が好きで選んだものなんだからね?? その「愛」はなぜ伝わらない「愛」だったの??

この二つの疑問(いや合わせてひとつかも)は、大きすぎてとても一回の記事でさらりとまとめられる気はしないんだけれども、昨日ひと晩じっくり寝て考えたことを書いておきたいと思います(いつの日か自分の中でさらに深まることを願って)。

たぶんピアノ愛といってもいろんなのがあって、あんまり「うまいと思われるにはどうしたらいいだろうか」みたいのはノーカンらしいんですよね。あと単に「まーともかくかんばって練習しましたよ」というのもあんまり効かないかもしれない。

10年間あれこれあって自然に起きた心境の変化の中で、ひとつ大きいと思うのが、「ピアノには個性がある」という気づきと、それによってより深まった、ピアノという楽器への愛情と、会場のピアノが自分にとって一期一会であっても、そのピアノのよさを引き出したいという気持ち。もちろん、その音色を自分が楽しみたいのでもあるし、聞いてる人に楽しんでもらいたいというのもある。

そうしたら、少なくとも自分の都合でばんばん叩くんじゃなくて、どう鳴らすか考えるし耳も傾けるよね? それによって、聞こえてくる音の質というのもおのずと変わってくるものだと思うんです。

それと、楽譜から曲を読み取って演奏するにあたって、ヒントになるもの、あるいは逆にこれはNGとか、情報(手掛かり)が増えてきたんです。これは、shigさんが繰り返しいろいろ言ってたこととか、あと、おゆき先生に教わるようになったことも大きいと思うんだけど、

たとえば楽譜にfとかpとか書いてあるってだけじゃなくて、拍とか、フレーズの形とか、そういったもので暗黙的に示されている強弱がいろいろあるのだし、

和声のうつり変わりから当然に示される(別に好みによる違いとかではなく)ニュアンスというものもある。

つまり楽譜が前よりたくさんのことを語ってくれて、それを傾聴することで曲への愛も深まるし、また、曲全体が漠然となんとなく好きとかかっこいいというだけではなくて、曲のココがこういうふうにイイ、といういろんなポイントが出てくる。

そうすると、結局のところ愛情の発露として、たとえばこのフレーズはなんとしてもつなげる、とか、ここはこのノリでリズムキープ、とか、ここはこんな気持ちで打鍵の方向はこう、とか…要するに物理的に弾き方が変わってくる。

そうしたら聞くほうにだって「愛」は伝わるのだ。読心術者でなくても。

こういうことは、いっぺん説明されてわかるってこともないのだけれど、

「~と思って弾け」
「思ったら何が変わるっていうんだー(物理的に)」

というような不毛(?)なやりとりを繰り返しながらも、あるときは弾く側から、あるときは聞く側から、
「やっぱり、そういうことって、伝わるみたいだな…(理屈はわからんけど)」
という体験を繰り返しまた繰り返し、

ようやくおぼろげに納得するに至る、というか、別に終着駅にはいつまで経っても至らないのだけれど、少し進むと少し先まで見えての繰り返し。

また、そのような愛を伝えるメカニズムはまさに物理的なテクニックというものとも深く関わっているわけで、わかったからといって実際にできてない部分も大きく、そこの進歩はまた亀の歩み(トシだしね)。

というわけで、先は長いけれどたぶん方向的には(やや)つかめた、という気がするのです。

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(今回もイラストはまたろう)

十年間の進歩の中身

2016年07月14日 | ピアノ
ピアノ再開後、最初の発表会では大崩壊(頭まっしろ事件)しています。そういう人はけっこういるかも…

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子どものころの発表会では、だいたいふだんの練習より本番のほうがいいというのが相場で、それは緊張のマイナスより真剣度でトータルプラスになっているからでしょう。小学校三年生のときの「エリーゼのために」の録音を聞きますと、てきぱきと何の停滞もなく(そして面白みもまったくなく)達者に弾いてます。暗譜です。

そこからン十年経っても、なんか発表会では暗譜で弾くものという固定観念があったので(そして先生もそれを止めたりはしなかったので)暗譜で弾いたんです。曲はメンデルスゾーンの無言歌から「さすらい人」。

詳細はあまり記憶にありませんが、練習のときにはいちおう暗譜で弾けてるつもりになってたと思うんです。つまり、楽譜を置かずに、音を並べているという現象は確かに存在した、はず。

ただしそれは手指の運動によるなんとなくの記憶であり、それががちがちの緊張により手の運動性能が通常と異なってしまった場合、曲の進行を支えるものがなくなってしまったようです。手がこわばると、「このくらい」の感覚(間隔)がふだんと違ってしまい、予定の位置(音)に当たらない。記憶と違う音が鳴るわけですから、よけいパニックになって、緊張のポジティブフィードバックがかかります(→頭まっしろ)。

私の暗譜ギライ、断固拒否はこのときのトラウマが大きいかなぁ…もちろん、現実問題、覚えるほど練習できないってのがありますがね…

そこで二回目の発表会では、まず楽譜は置くということ、それと手の運動をあてにせず音を聞くことによる把握を重視するということかな(いや、当たり前ですねそもそも)。それと、発表会直前に先生が数人での弾き合い会を企画してくださって、それも緊張緩和によかったと思います。

昨日、古いDVDを引っ張り出して、このときのラフマニノフ「エレジー」を聞いてみたのですが…
ほんとに、思ったよりずっとしっかりした演奏でした。

めっさ幅広いアルペジオの上に骨太なメロディーがのっかって、荒涼たる大地に寒々しい風が吹いているようなロシアっぽい曲ですが、ちゃんとフレーズの形もあり、メリハリもあり、なかなか落ち着いて演奏しています。

全体の流れというか構成もよいと思いますが、音を探すがごとき(ってたぶん、ほんとに音を探してるんですが)間が随所にあって、違和感というか停滞感をよんでいます。この欠点は連綿と今につながっているのではあるんですが、今よりもっと顕著です。

今との一番の違い(と私が思ったもの)は、音色です。かなりの叩き弾きでうるさい感じです。

でも曲の表現というか「フレーズの形」は思ってたよりずっとできていて、つまらない演奏ではありません。ある意味、意外なのですが(わりと何も考えないで弾いてたはずなので!!)。
どうやらこのころは、先生がわりと「こう弾く」というのを具体的に、表現のレベルまで教えてくれていたようなのです。先生に言われたように、弾く。少なくともカタチの上では。

私はこの先生に八年間習っていたのですが、おそらく最初のうちは「こう弾く」ということを相当丁寧に先生がとりあえず決めて具体的に指示してくれていたのだと思います。それを、六年目…七年目となるあたりで、どう表現したいかを自分で考えさせようと先生が移行を図ったところでうまくかみ合わなくなり、「どう弾きたいかがわかりません」と頓挫してしまったように思います。

私がエレジーを聞いていたら、よしぞうもいっしょに聞いていて、それで「弾き方が今とずいぶん違うね」と言いました。それで(今の)音色のことをホメてくれてるのかな、と思ったらよしぞうの口から出た言葉は別のことでした。

「今何が違うかといったら曲への『愛』だね」

エレジーのときの演奏は全体に「曲が好き」オーラがあまりないといいます。自分としてはもちろん、好きな曲を選んではいたんですけど、でも確かに、昨日の記事に書いたように「うまく聞こえる曲は?」という視点で選んでいる点が違うかもしれません。あと、うまくいえないのですが…曲が、というかもっとミクロにここの響きが好きということでもいいんですが、「愛」が演奏を通して聞いてる人に伝わるものだという「信頼」をこのころは持っていなかったと思います。

それが一番の違いかな。

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十年ひと昔、選曲傾向の変化

2016年07月13日 | ピアノ
今から10年前、というと大人再開ピアノで近所のヤマハ教室にお世話になっていたころなのですが、そのころ発表会で弾いていた曲というのが。。

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ラフマニノフ エレジー
ショパン ノクターン13番
ラヴェル ソナチネ第三楽章
ファリャ 4つのスペイン小品よりアンダルーサ

…など。なんか、今弾いてるような曲より全般に難しく(ややこしく)ないですか!?(o_o)

特に、ラフマニノフのエレジーなんて、早くも「二回目」の発表会のときに弾いた曲で、おぼろげな記憶によればわりとよく弾けた、ような気がする(弾いて戻ったとき、舞台袖で先生が小躍りしてた)。

このころ、何を考えて曲を選んでいたかというと、
まぁ一言でいえば、
「少しでも上手に聞こえそうな曲」(?)
を全力でひねり出していたというか、

奇をてらうとまではいわないんですが、
ほかの人が弾かない曲。

だいたい、ヤマハの発表会は、ちーっこいのから順にものすごい人数出てくるんですが、先生の選曲がおざなりスタンダードなので、一日で三回くらい「エリーゼのために」を聞かされるのは当然、「人形の夢と目覚め」とかそんな感じからきて、大きい子が弾くのはベートーベン、ショパン、リスト…の超メジャー曲。リストなら愛の夢第三番、ショパンならノクターン2番とか子犬のワルツとか。

そんな中、「へーそんな曲あるんだ」みんながなるべく知らない曲、とりわけ、子どもが絶対弾かないような曲、
そして音を並べること自体がややこしい曲(でも速い系は弾けないのでNG)

…そうやって、仮に少しでも(自分の実力より)よさげに聞こえたら何なのかって話はありますが

そういう「見栄」っていうのは、別に悪いことではなくて、だって、見栄はるためにはがんばりますからね。
無理目(ってか、かなーり無理)曲をすんごいがんばって譜読みしてたんですよ。
むしろ今できないなあれは(今よりは若かったし、老眼でもなかった)。

ヤマハの発表会の構造的問題もあります。何か、技量の順みたいので並べるとそれはそれで問題あるらしくて(なんでうちのこがあのこより前なの、みたいな)、もううらみっこなし、年齢順、ってのが鉄のオキテで、そうすると私はどうやっても「トリ」なので、すごい上手な大学生の次になっちゃう。
(「永遠の17歳なんです!!」などと主張してみたが聞き入れられなかった)

ショパンのバラ4とか、ドビュッシーの喜びの島なんぞと講師演奏の狭間で弾くにはやっぱり曲くらい見栄はらないと…

ということで「肩に力」が入ってたよねーあれは

今はショパンのエオリアンハープやらモツソナやら、まったく奇をてらうどころじゃなくて、
まず、「上手くみせたい」ってのがなくなった。

あぁ、そういう欲が実際ウスくなったというのもあることはあるんだけど、それより、
「別に、難しい曲を弾いたら上手だと誤解してもらえる」という気もしないというか
ヤマハの発表会では実際、ややこしい曲を弾いたほうが上手いと誤解してくれる人がかなり聞いていた可能性もあるけど、
今やどの練習会にいったって、アマからプロまでバラエティーに富んだ演奏を聞きなれた人ばっかりなので。

見栄はり無効

それに、人生の残り時間を考えたら、もう好きな曲、ほんとに弾きたい曲から手をつけてくしかないでしょ。

あともうひとつ、「耳タコ曲の魅力再発見」という経験もたくさんしたので、モツソナだから、シューベルトの即興曲だから嫌という構えも剥がれてきたように思います。


年取るといろんなことから自由になっていくよねぇ。楽しい(^^)

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今度こそ本物の猫連弾

2016年07月12日 | ピアノ
前に、連弾でフォーレのドリーをやったんですけど…

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この組曲には6曲が入ってるんですが、その中に「Mi-a-ou(ミ・ア・ウー)」というのと「Kitty-Valse(キティ・ワルツ)」というのがあります。ミアウとかキティって聞けばそりゃーー思い浮かべるものは「猫」ですよね。

私のブログ記事の中にも「もっと猫っぽくなるように練習した」みたいなくだりがあります。

ところが、ほんとうの話、ドリー組曲の中には猫成分まったくなく、

「Mi-a-ou(ミ・ア・ウー)」については…

ドリー(フォーレが親しくしていた家の幼い娘エレーヌの愛称)にはラウルという兄がいたが、まだよく舌が回らないドリーは「ムッシュ・ラウル」といえずに「メッシュ・アウル(Messieu Aoul)」になってしまうのがかわいくって、フォーレはそれをそのままタイトルに使った。

ところが出版のときにそれがわからなかったか、あるいは一般的にわかりにくいと考えられたかで「Mi-a-ou」と変えられてしまった。

「Kitty-Valse(キティ・ワルツ)」については…

元々はKettyだった。キティじゃなくて。そしてKettyというのはラウルの飼っていた犬!!


…わかるかーそんなの(-_-#

いやまぁ、確かに題名見ただけではわからない。曲調も「猫」といわれてまるっと納得してしまうレベルだし。

けど、ちゃんと楽譜の最初についている「この曲集について」という解説部分にはそのことが書いてあったんですよね…やっぱ、楽譜に書いてあることは読まなきゃいけませんよね…はは(^^;; お恥ずかしい

というわけで、練習してる間じゅう、めっさ「猫」気分で弾いていましたが実は「偽物」でした。やれやれ。

そこでというかなんというか、今度の「音楽の星座」で弾く曲は正真正銘の「猫」連弾にしましたよ。

ベネット作曲「スキップとセイディのための組曲」(YouTube)

スキップとセイディっていうのは、この作曲家ベネットさんが飼ってた猫だそうです。ようやく犬でなくムッシューラウルでなく(笑)猫。楽譜の表紙も猫です。

この組曲は4曲入ってて、「おはよう」は猫が伸び(?)をして起きだす様子から「セイディのワルツ」「スキップのダンス」と軽快に続き、最後はたゆたうように「おやすみ」。中身もほんとに猫々しい曲です。

ベネットという人は今まで知りませんでしたがなかなかおしゃれな曲を書く人ですね。ほかの曲も聞いてあげてもよろしくてよ(ちょっと高ビーに言ってみました)。

この曲は1986年に作曲されたそうで、ずいぶん新しいですが、前衛的なわけのわからん曲ではなくて、気持ちいい響きだったり、コミカルだったり、調子よかったり、そんな感じです。聞く分には何も抵抗ないというか、ただ、新しいだけあって、5拍子だったり変拍子だったりとなかなか難物です。

六月ごろ体調(+気力)不良で手をつけるのが遅れて、間に合うのか!? という感じになりつつありますが、ようやく初回合わせもやって気分が盛り上がってまいりましたのであまり鳥目さんの足を引っ張らないように行きたいと思います。

けどこんなマイナーな曲をどこから見つけてくるのかって、もちろん独力ではなくて、shigさんと夜毎屋さんが弾いてるのを聞いていいな~と思ったんです。お二人が弾くとほんと猫っぽいです(大猫、小猫)

あらためてぐぐってみますと世の中には連弾曲を網羅しようという壮大な企てをしている奇特な方もいらして、ちゃんとこの曲も紹介されていました。連弾の曲や楽譜をお探しの際には「連弾ネット」を活用されるとよいかもです。


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物理法則(?)に従ってフレーズを描く

2016年07月11日 | ピアノ
今日は、森下唯先生レッスンの二回目でした。

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二人で交代して2コマ続きのレッスンをしてもらうのですが、一人がレッスンしているときは、もう一人がメモを取り、帰りにそれをコピーしてお互いに渡すというようにしています。すばらしい習慣でしょ!?(^o^)

もちろん私の発案ではなくて、いつも真剣なac196さんの発案です。いろんな刺激をいただきます…

それで、せっせとメモを取っていて思ったのですが、森下先生の口から出る説明はちょくちょく、物理の話みたいになります。

張力、重り、ゴムひも…

まぁ何かしらモノ(腕とか指とかハンマーとか)動くんだから実際に「物理」には違いないんですが、そういう即物的なものだけではなくて、

音が高い→(位置的に)高い
音が低い→(位置的に)低い

になぞらえたバーチャルな意味で、高いところに上って行くならそれなりのエネルギーが必要だし、
下っていくならだんだんテンションも下がっていくというような。

ぶっちゃけ、地球上には必ず「重力」があるというのが前提で。

(きっと、無重力空間でピアノを弾いたらぜんぜん今と違う演奏になるハズ、と森下先生はおっしゃってましたがどうでしょうね。宇宙ステーションにグランドピアノが持ち込める時代になったら是非、森下先生に演奏してもらおう(^^))

そこへ描くフレーズの形というのは、音の高低を基本として、拍感とか曲調とかによって変わってくるだろうけど、
ちゃんと物理法則に従ってその流れに乗っていく…

具体的には、呼吸とか手の動かし方とか力の方向とか?

動きと音の形がちぐはぐしてたり、無理に作ったりすると、聞いててもなんか不自然な演奏になるんです。

(このあたりの説明は、森下先生が話したとおりになっていなくて、私の理解で書ける範囲なので、ま、ちょっとおかしなところや足りないところがあるのは私の問題ですからそこんとこよろしく)

そういうあたりは、大人再開ピアノが始まってから10年くらいは何もわかっていなくて、

最近になってようやく…そんなことがあるんだろうなというくらいで。

これがばっちり、物理法則に従ってフレーズをいきいき描けるようになったら大人ピアノとしてはもう究極というか、どのくらいややこしい曲をバリバリ弾けるかということとはとりあえず関係ないですが、そんなことはむしろどうでもよく、こちらが目標かなと思っています。

坂道をのぼっていく→すぅーとすべり降りていく
のようなことはそういえばヨーコ先生も言ってた。かなり似た雰囲気の説明だったと思う…

もちろん、おゆき先生もね。
「アンダンテさんは、妄想しなくていいですから」
…の「妄想」は、具体的な風景や登場人物を思い浮かべる的なもので、
「音楽は妄想です」
…の「妄想」は、エネルギーとか上がり下がりとか。

実は、大人再開ピアノのときのヤマハの先生が
「植物のつるが伸びていくようなイメージ」
といっていたのは同趣旨のことを言っていたのかなとも思いますし

あと、よくある
「もっと歌って!!」
という指示(指示なのか??)も実は同じことを言っているのかもしれないですね。

で、どうすればもっと歌ったことになるかわからなくて「こうかな?」と無理やりやってみると
「不自然になったわ」ってダメ出しされたりとか(笑)

要するに、どんな先生に習ってもだいたい同じ(趣旨の)ことを言われるわけですが、
言われたからすぐできるというもんでもなく、
でも、いろんな先生に聞くことでいろんな角度から聞けるんで、
ちょびっと薄皮いちまいずつくらい目から鱗が。。ということもある。


私たち「難しいですね」
森下「難しくないですよ。現実と違って、上って行くときに、力強く押していくこともできるし、ふわっと浮き上がって空に溶けていくと思ってもいいし、自在です」
そうですね。楽譜に描かれている音楽に沿ってきちんと説得力ある絵が描けて、そのとおり自然に演奏動作が行えれば、音はちゃんと「音楽」になるはずですよね。そのへんつながるためには練習も必要だけど。

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